「何してるの? もしかして魔法の鍛錬?」
どこか人懐っこさを感じさせながら、興味津々にその方が近づいてくる。リーニエ様。アウラ様と同じ魔族であり、ハイター様のお知り合い。この森には不釣り合いな、可愛らしいドレスを纏っている。でもそれがとても似合っている。まるでお人形さんのように。
でも思わず後ずさってしまう。それはリーニエ様が魔族であるからだけではない。明らかに今朝までとは大きく態度が違うからだ。食事を持って行った時も、リーニエ様は全く私を気にされていなかった。アウラ様と同じように、挨拶にも反応して下さらない。てっきり嫌われているのだと思っていたのに。
「見つけるのが大変だったんだよ? そんなに小さいのに凄いね! 頑張り屋さんなんだ!」
まるで別人のように、リーニエ様は私に構ってくる。知らずその瞳に吸い込まれそうになってしまう。どうやら私が魔法の鍛錬をしていたのも見抜かれてしまっているらしい。いや、杖を持っているので当たり前か。でもリーニエ様でも私を見つけるのは大変だったらしい。ハイター様にも存在感が薄いと言われるがそれだけではない。それは魔力のコントロールの鍛錬でもある。それを隠匿する技術。それをリーニエ様はすぐに見抜いてしまっているのだ。やはり魔族というのは人間よりも魔法に優れているのかもしれない。
「あの……あの方は……アウラ様は一緒じゃないんですか?」
どうするべきか。逃げるべきか。それとも無視するべきか。そんなことを考えるも、結局お話することを選んでしまう。魔族とお話するなんて、本当はしてはいけないこと。騙されて、食べられてしまうから。でもそうするしかない。子供の私にはここから逃げることも、戦うこともできない。無視して怒らせてしまったらどうなるかも分からない。なら少しでも時間を稼がなくては。ハイター様が助けに来てくれるかもしれない。そんな私の問いに
「? うん。そうだよ。私は一人で遊びに……じゃなくて、仕事に来たの!」
全く疑うことなく、胸を張りながらリーニエ様は自信満々にそうよく分からないことを仰られる。まるで初めて頼まれたお使いをしに来た子供のように。
「仕事……ですか?」
「アウラ様に言われたの。フェルンと遊んじゃ駄目だって。アウラ様の命令は絶対守らないといけないの。破ると怖いんだから!」
本当に怖いのだろう。身振り手振りを交えながらリーニエ様はそう教えて下さる。その言葉の節々にアウラ様をどう思っているかが伝わってくる。命令。私たちがあまり使わない言葉だ。少なくとも私は使ったことがない。ならやはりアウラ様はリーニエ様にとって主人のようなものなのだろう。昨日も静かにするよう言われていた。そこでようやく気付く。それは
(あれからずっと静かだったのは、命令されたからだったのでしょうか……?)
リーニエ様の奇行の理由。きっと今のリーニエ様の態度が普通なのだ。あの時、静かに黙り込んでいたのはアウラ様にそう命令されたから。でも我慢するのが大変だったのだろう。口がへの字になってしまっていた。同じように私と遊ばない、関わらないように命令されてもいる。きっと夕食前にはそう命令されていたのだろう。どこかそう、まるで私たちが飼い犬に躾をするように。魔族というのはそういうものなのだろうか。
でもなおさら分からない。どうしてリーニエ様がここにいるのか。話が本当なら、アウラ様の命令に逆らうことになってしまうのに。そんな私の疑問は
「それで仕方なく一人で遊びに行こうとしたら、ハイターに頼まれたの。フェルンと一緒に遊んで欲しいって」
「ハイター様が……?」
思わぬ方向に向いてしまう。アウラ様でも、リーニエ様でもない。ここにはいない、誰よりも私たちを理解しているであろうあのお方の仕業なのだと。
「でもそれでは、約束を破ってしまうのでは……?」
さらに頭がこんがらがってしまう。昨日からずっとそうだ。分からないことだらけ。でも一つだけ分かることがある。それはハイター様は決して意味のないことはなさらない。私よりも、いや、みんなよりずっと先のことを見通されている。わざわざリーニエ様を私のところに来させたのは、何か理由があるのだ。
それでも心配なこともある。それはさっきリーニエ様自身が言っていたこと。私と遊んではいけないとアウラ様に命令されているのに、それを破ってしまっているのではないか。そもそもどうして私と遊びたがっているのか。それに
「ううん、違うの。ハイターが言ってたの。子供は遊ぶのが仕事なんだって。だからフェルンのことを頼まれたの! 私の仕事だからって。私、頼りにされてるの!」
待ってましたとばかりに、なぞなぞの答えを明かすかのように得意げにしているリーニエ様。遊びではなく、仕事なのだと。思わずこっちも目をぱちくりさせてしまう。同時にどこか微笑ましさと、後ろめたさを感じてしまう。それはリーニエ様に対して。リーニエ様は気づいていないのだ。自分が騙されてしまっていることに。嘘をつかれていることに。魔族なのに、人間に騙されてしまっている。今ここにはいない、嘘つきのハイター様に。
「そうですか。ハイター様らしいです」
知らず微笑んでしまう。嘘はついてはいけないと言っているのに、あの方はこういうことをよくされる。話していたら、知らず騙されて、ハイター様の思惑通りになってしまっていることがある。悪い大人のような、ずるい嘘。でも今回の嘘はそうではない。悪い嘘ではない。子供はもっと遊ぶものだと、よくハイター様に言われていたことでもある。きっとそれにリーニエ様を利用したのだろう。いや、頼りにされたのか。
「そういえばちゃんと挨拶ができていませんでした。フェルンです。よろしくお願いします」
改めて頭を下げながら、昨日できていなかった挨拶をする。同時に、疑ってしまっていたことに対しての謝罪を込めたもの。
「っ! うん! じゃあ私もそうするね。私は天秤のアウラの従者にして、勇者ヒンメルの一番弟子! 『例外』のリーニエ!」
それにどこか変なポーズを取りながら、剣をかざして自己紹介をして下さるリーニエ様。それに思わず目を奪われてしまう。不思議とそれに魅入られてしまう。さらに私には理解できない言葉も含まれているが、それは今は気にならなかった。あるのはただ、目の前のリーニエ様と心を通わせることができた喜びだけ。もしこれが嘘だったとしたら、あきらめるしかない。そう思える瞬間だった────
そのままリーニエ様と一緒に近くの岩場で腰かけながらお話をする。主にリーニエ様たちのことを。以前ここに住んでいたことがあること。今は人間と魔族が一緒に暮らしている国に住んでいること。ここに来たのは、ハイター様にその教典を作り直してもらうためだったこと。それ以外にもたくさんのことを、本当に楽しそうに教えて下さる。思わずこっちがのけ反ってしまいそうな勢いで。でもそれが嫌ではない。むしろ楽しかった。こっちも元気になってしまう。さっきまで鍛錬が上手くいかずに落ち込んでいたことが嘘だったかのように。
(この方は、嘘をつかないのでしょうか……?)
思わずそんなことを感じてしまう。そう、こっちが心配してしまうほどに、リーニエ様は正直者だった。まるで思ったことをそのまま口にしているかのよう。失礼かもしれないが、私よりも幼いのではないかと思えるほどに。そういえばハイター様も昨日仰っていた。リーニエ様は嘘をつかない魔族なのだと。その意味を、私は分かっていなかったのだ。ある意味、この方は私たち人間よりもずっと純粋な存在なのかもしれない。
「私ばっかり喋ってちゃ面白くないよね。私、フェルンのことが聞きたいな」
「あ、はい。私でよければ……」
そんな私の態度を勘違いしたのか、それとも私の話がずっと聞きたかったのか。夜に絵本を読んでもらうのを楽しみにしている子供みたいに、そわそわしているリーニエ様。その期待に応えるのは難しいだろうが、緊張しながら私も身の上話をすることにする。もっとも、リーニエ様のように楽しい話ではない。本当ならあまり口にしたくないこと。でも嘘はつきたくなかった。この方の前では。それに今の私にとっては、それは辛いだけのものではないのだから。それを確かめるために。
「そっか。それで飴坊主に拾われたんだー」
まるで気にした風もなく、世間話を聞いたかのように変わらず楽しそうにリーニエ様はそうおしゃられる。その反応に思わずこっちが戸惑ってしまう。そんな風に言えるような話ではなかったはずなのに。拾われた、というのもそうだ。本当なら、そんなことを言われたら傷ついて、悲しくなってしまうような、心がないような言動。
なのにどうしてそれを感じないのか。全然それが気にならないのか。それは
「私と同じだね。私もアウラ様とヒンメルに拾われたの!」
この方には、悪気が、悪意がないのだから。相手を傷つけようとする気持ちが、騙そうとする心が。私たちとは違う。だからこそそれに惹かれてしまう。拾われた、なんて本当は良い言葉ではないのに、この方が口にしたら全然そう感じない。きっとそれは、私たちとは違う意味の言葉なのだろう。同じなのは、私もリーニエ様も、拾ってくれた方が大好きなのだということだけ。
「そういえば、どうしてハイター様は飴坊主なのですか……?」
「飴をくれるから飴坊主なの。フェルンはもらったことないの?」
「……いえ、よく頂きます」
少し話題を変える意味でもそう尋ねる。何故かリーニエ様はハイター様のことを飴坊主と呼ばれている。その理由を。どうやらそれはハイター様がよく飴を下さるからだったらしい。リーニエ様らしい理由だ。その光景が目に浮かんでしまうほど。でもリーニエ様がそう呼んでいる違和感は変わらない。この方には本当に悪意がない。なのにどうしてそんな呼び方をしているのか。それは
「でもアウラ様たちは生臭坊主って呼んでるの。そういえば何でかな? 臭いからかな。ハイター臭いもんね」
他の人たちの真似をしていたからなのだと。子供が大人の真似をするように。どうやらアウラ様たちにはハイター様はそう呼ばれていたのだろう。それがあまりいい意味でないことを、リーニエ様は分かっていないに違いない。ただそれを真似しているだけ。でもその言葉の意味を、そのまま受け取ってしまっている。本当にハイター様が臭いからそう呼ばれていたのだと。
「そんなことは……」
流石にそれはハイター様に申し訳が立たないと否定するも
「どうしてそんな嘘をつくの?」
まるで私の内を見通すような、透き通るような瞳で、リーニエ様はそう私の嘘を見破ってきた。思わず息を飲んでしまうほどに、その言葉には力があった。
「嘘はついちゃダメだってアウラ様が言ってたよ」
「……ごめんなさい」
それを前にして、嘘をつくことは私にはできず、謝るしかない。リーニエ様だけではなく、ここにはいないハイター様にも。嘘だけど、嘘ではない。私にとってハイター様の臭いは安心できる、好きな臭いだ。でも、本当にたまに、そのお口の臭いが気になる時がある。だから、本当にごめんなさい。
「……ごめん。私、こういう魔法得意じゃないの」
私ではなく、今度はリーニエ様が謝りながら落ち込んでしまっている。それを前にして私の方があたふたするしかない。きっかけは私の魔法の鍛錬だった。一番岩を打ち抜く訓練をしていることを伝えるとリーニエ様は張り切って私にお手本を見せてくれると仰って下さったのだ。私としてもそれは願ったり叶ったりだった。私は他の魔法使いの魔法を見たことがなかった。それを見ることができれば、修行に生かせるかもしれない。もしかしたら、リーニエ様に魔法を教えてもらえるかもしれない。
でもその結果がこれだった。どうやらリーニエ様は攻撃魔法の類が苦手らしい。私と同じように、一番岩に届く前に魔力が離散してしまっていた。それだけではない。リーニエ様は色々な民間魔法を知っていて、それを教えてくれようとしたのだが、それを私は理解することができない。教え方が抽象的で、よく分からない。身振り手振りで必死に伝えてくれるのだが、本当に申し訳がない。リーニエ様は、理屈ではなく、感覚で魔法を使うのかもしれない。ようするに、教えるのが苦手なのだ。
「お姉さんらしいところ見せたかったのに……」
もしリーニエ様に角ではなく尻尾がついていたら、間違いなく下がってしまっているのだろうと分かるほど落ち込まれてしまっている。きっと私に良いところを見せたかったのだろう。それにどう答えたものか。私もまた人見知りなので、上手くできない。それでもその言葉に引っかかった。
「お姉さん、ですか……?」
「そうだよ。みんな私のこと子供扱いするんだもん」
「そうですか……」
お姉さん。そうか。リーニエ様はきっとお姉さんぶりたかったのだろう。それで良いところを見せたくて、無理をしてしまっていた。子供扱いされるのが嫌なのだろう。それは私も同じだ。もっと早く大人になりたいとずっと思っている。なら、きっと私とリーニエ様は似た者同士なのだろう。何よりも
「でも私はいいと思います。私にはいないので分かりませんが、きっとお姉さんがいればこんな感じなのかもしれません」
それはつまり、リーニエ様は私のことを妹のように思って下さった、ということなのだから。それはきっと、とても嬉しいことだ。少なくとも、私にとっては。もし私に姉がいれば、こんな感じだったのかと思えるほどには。
「────え?」
それがきっかけだったのか。まるで信じられないものを見るかのように、目を丸くしながらリーニエ様は立ち尽くし、私を見つめてくる。思わずこっちがたじろいでしまうほどに。なんだろうか。そんなに変なことを言ってしまっただろうか。そう不安になるも
「じゃあ、私のことお姉ちゃんって呼んでくれる!?」
それまでの落ち込みが嘘だったかのように、会ってから一番の笑顔と興奮を見せながら、リーニエ様はそう迫ってくる。尻尾があれば、きっと千切れるほどに振っているに違いない。そう思えるほどの喜びっぷり。いや、期待なのか。きっとリーニエ様にとってお姉さんというのはそれほどに重要な言葉なのだ。
何よりも、それを口に出して、言葉にできることが。それは私にはできないこと。でも、きっと素敵なことなのだ。
「それは……」
思わずそれに気圧されながらも考える。お姉さん。そうたった一言。何も難しいことではない。今でこれなのだ。きっとそうお呼びすればもっと喜んで下さるに違いない。なのに、その一言が、言葉が出てこない。勇気が出ない。見た目はそうでなくとも、リーニエ様は八十年近くを生きておられるお方。ハイター様にとってのお客様でもある。そんな方をそう呼ぶなんて、失礼にあたってしまうのではないか。いや、それも言い訳。嘘だ。私はただ
「すみません……あの、リーニエ様ではだめでしょうか?」
恥ずかしかったのだ。リーニエ様をそう呼ぶことが。そんな、小さな子供のような、下らない理由。
「むぅ……」
それを前にして、まるでお預けを食らってしまった子犬のようにリーニエ様は意気消沈してしまう。見ているこっちが申し訳なくなってしまうほどに。それでもやっぱり、それはできそうにない。そんな私の心境を知ってか知らずか
「うん……じゃあもっと頑張るね。じゃあ仕事に行こう、フェルン! 私、色んな遊び場所知ってるんだから!」
心機一転。こっちが惚れ惚れするほどに、切り替えながらリーニエ様はそう言いながら私に向かって手を伸ばして下さる。ハイター様に頼まれた仕事をするために。私とリーニエ様では、意味が違う言葉。それでも、私への好意に満ちたもの。
「はい。よろしくお願いします。リーニエ様」
それを断るなんてあり得ない。本当なら魔法の鍛錬をしなければいけないのに、そんなことはもう頭には残っていなかった。今はただ、私のお姉さんになりたがってくれている、少し年上の魔族と一緒に遊びに行きたい。
その握られた手の感触に、驚いてしまう。とてもその可愛らしい姿とは似ても似つかない、ボロボロの掌。どこか、ハイター様の手を思い出してしまう。長い時間働いてきた、頑張ってきた人の手の感触。
その感触を噛みしめながら、フェルンはリーニエによって仕事に付き合わされることになるのだった────