「……ふぅ」
大きく息をついて、呼吸を整える。それによって一気に緊張が解けていく。やっぱり調子が良い。まだ一番岩には届かないが、魔力のコントロールは上手くなってきている実感がある。その理由にも心当たりがある。それは
(リーニエ様が遊んで下さっているからでしょうか)
一週間前に突然やってきた、私のお姉さん代わりをしてくれる魔族のおかげなのかもしれない。遊びにではなく、仕事だったか。あの日からリーニエ様は鍛錬の合間だったり、終わった後に私と遊んで下さるようになった。最初は迷惑になるのではないか、遊んでいては魔法の鍛錬が上手くできなくなってしまうのではないかと心配していたけど、全然そんなことはなかった。むしろ前よりもずっと上手くいっている。どうしてだろうか。
リーニエ様には色々な遊びを教えてもらった。その中でも特にかくれんぼが楽しい。普通のかくれんぼではない。魔力探知を使った、魔法使いだからできるかくれんぼ。隠れるのが人間役で、見つけるのが魔族役。本当の魔族とかくれんぼをしているのはきっと私だけだろう。
役は入れ替わりながらだけど、やっぱりリーニエ様はすごい。私がどんなに必死に魔力を隠しても、見つけられてしまう。私よりもずっとすごい魔法使いなのだ。でもちゃんと私に合わせてくれる。私にも分かるように魔力を漏らしたり、強くしたりしてくれる。本当にお姉さんのように。リーニエ様は気づいていないが、これは遊びでもあり、仕事、いや鍛錬なのだろう。魔力探知と隠匿を鍛えるもの。小さい頃リーニエ様はこうやってアウラ様に遊んでもらっていたらしい。それを真似しているのだろう。リーニエ様の魔法は模倣、誰かの真似をすることなのだから。
そんな新たな生活がどこか楽しい。それはまるで二人だけの秘密の関係。何だか悪いことをしている、悪い子になってしまったような感覚がある。どきどきしてしまう。そう胸が弾むのを感じていると
「──フェルン、どう? 鍛錬は終わった?」
まるで初めて森で会った時のように、こちらの様子を木陰から覗いているリーニエ様の姿があった。どうやら私の鍛錬が終わるのを待って下さっていたらしい。全然気が付かなかった。それだけ集中していたのか。それともリーニエ様の魔力を隠す技術がすごいのか。きっとそっちが理由だろう。
「はい。リーニエ様もですか?」
「うん! 今日の分はちゃんと終わったよ」
まるで宿題が終わったかのように得意げにされてるリーニエ様。それを見て思わず微笑んでしまう。リーニエ様も自分の鍛錬をされている。自分とは違う、剣の鍛錬を。何度かそれを見せてもらったことがある。剣に詳しくない自分でもわかるほどに、それは洗練されていた。思わず見惚れてしまうほどに。リーニエ様は魔法使いではあるが、剣士でもある。
そのままその手に持っている剣に目を奪われてしまう。何故ならそれはただの剣ではないのだから。勇者の剣。かつて勇者ヒンメルが使っていた、女神様が遺された聖なる剣。それによって勇者様は魔王を倒した。私でも知っている御伽噺。それがリーニエ様の持っている剣なのだと。
「これが気になるの? 持ってみる?」
「い、いえ……」
私の視線に気づいたのか、何でもないことのようにその剣を差し出してくるリーニエ様。慌ててそれをお断りするしかない。信じられないようなことだが、それが本物であるのは疑いようがない。リーニエ様は嘘をつかないのだから。まだ一週間ほどだが、それは私にも分かる。リーニエ様が騙されている可能性はあるが。それと同じぐらい不思議なのが、リーニエ様とヒンメル様の関係だった。勇者ヒンメルの一番弟子。誇らしげに、自慢するようにリーニエ様はそう教えて下さった。ますます分からなくなってしまう。どうして勇者様が、魔族であるリーニエ様を弟子にするのか。そんな私を見て何かを感じ取ったのか
「これはね、ヒンメルの形見なの!」
勇者の剣をかざしながら、リーニエ様はまるで名乗りを上げるようにそう告げた。形見という、どこか不釣り合いな言葉と共に。
「形見、ですか……」
「そうだよ。これを見るとヒンメルのことを思い出せるの。だからこれは私の剣だけどヒンメルの剣でもあるの」
妹に教えるように、リーニエ様は私に形見がどんなものなのか教えてくれる。どこかたどたどしく。それでも純粋なまま。形見のことを話しているとは思えないほど、楽しそうに。
思わず私もここにはない、家で大切にしまっているペンダントを思い出す。お父さんとお母さん。今はもういない二人と一緒に撮った写真が入った物。私にとってはそれが形見になるのだろう。それを見ると、私は悲しくなってしまう。寂しくなってしまう。二人のことを思い出してしまうから。もう会えないことを知ってしまうから。そんな姿をハイター様には見せたくなくて、我慢していた。でも違うのだ。
「フェルンの杖もそうでしょ? お揃いだね! あ、でもハイターはまだ死んでないからまだだね」
思い出は、悲しいものだけではない。楽しい、嬉しいものでもあるのだ。目の前のリーニエ様が教えてくれるように。きっとリーニエ様にとってその剣は、勇者の剣ではなく、ヒンメル様の剣なのだろう。
それは私が持っている杖も同じ。お揃いなのだろう。リーニエ様からすれば拾ってもらった、私からすれば救ってもらった大切な人から贈ってもらえた物なのだから。
でも思わず形見扱いに苦笑いしてしまう。本当なら嫌な気持ちになってしまうような言葉なのに、この方のそれは全然違う。きっとハイター様もつられて笑ってしまうに違いない。
「でもフェルンもハイターとたくさん遊んでおかないとダメだよ? 人間はすぐ老いぼれちゃうんだから」
何でもないことのように、リーニエ様は私にそう教えてくれる。それに思わず聞き惚れてしまう。いや、息を飲む。それはきっと、今の私にとって一番大事で、忘れてはいけないこと。誰かの真似ではない。きっとリーニエ様自身が経験したこと。私たち人間でも、魔族でも変わらない、大事なことなのだ。
「はい。覚えておきます」
それに感謝しながら胸に刻む。リーニエ様は死を当たり前だと思っている。悲しんでいない。でもそれは冷たいわけでも、ひどいわけでもない。それがきっと魔族の、リーニエ様の考え方。特別ではないのだ。少しずつだけど、リーニエ様との距離が縮まっていくのを感じるも
「汚れちゃったね。うん。水浴びしに行こうか! 私が体を洗ってあげる!」
「え?」
それがまだまだだったことをすぐに知ることになってしまう。さっきまでの話は一体どこに行ってしまったのか。まるで今思いついたかのように、リーニエ様は次の遊び、仕事に私を連れ出して下さるのだった────
「痛くない? フェルン?」
「は、はい……ありがとうございます」
楽しそうに私の髪をタオルで拭いてくださるリーニエ様に、そう答えるのが精いっぱいだった。きっとタオルがなければ、顔を赤くして恥ずかしがっているのがバレてしまうだろう。
(リーニエ様は、本当に私を妹だと思ってらっしゃるのですね)
されるがままに、まるでままごとのように私の世話を焼いてくれるリーニエ様。きっとこれがリーニエ様が思っているお姉さんなのだろう。今私たちは川辺で水浴びをした後、髪を拭いている最中。かくれんぼで体が汚れてしまっていたのをリーニエ様は気にされていたらしい。いや、もしかしたら一緒に水浴びがしたかっただけなのかもしれない。きっとそうだろう。こうしてタオルを準備していたのだから。
(魔族でも、体は私たちと変わらない……違うのは角だけ)
思い出すのは、さっきの水浴びのこと。いきなり一緒に水浴びすることになって、女の子同士なのに恥ずかしくて中々服を脱ぐことができないでいた私を見て、自分で脱げないのだと勘違いされてしまったのだろう。結局脱がしてもらうことになったのだが、リーニエ様の体に目を奪われるしかなかった。何も身に纏っていない、生まれたままの姿。それは私が知っている、人間の女の子のものと何も変わらなかった。大人の女性と女の子の、ちょうど真ん中のような体。私たちと何も変わらない。きっとその角がなければ、見分けがつかないだろう。なら、私たちとこの方たちの違いは何なのか。この方が特別なのだろうか。それとも。
そんなことを考えていたのも束の間、そのまま私はリーニエ様によって洗濯……ではなく、体を洗って頂くことになってしまった。途中から半分川遊びになっていたような気がするが仕方ない。私も一緒になって遊んでしまったのだから。恥ずかしい。私はやっぱりまだまだ子供らしい。
「私も小さい頃はよくしてもらってたんだー。今はもうしてくれなくなったけど」
上機嫌にリーニエ様はそう教えて下さる。小さい頃、ということはリーニエ様なら八十年近く前のことになるのだろうか。それでもリーニエ様にとっては最近のことなのかもしれない。それが誰のことかなんて聞くまでもない。アウラ様のことなのだろう。どうやらリーニエ様はこうやって小さい頃は水浴びをしてもらっていたらしい。はしゃでいるリーニエ様の姿が目に浮かぶも、それとは逆にアウラ様の姿は全く想像がつかない。
水浴びだけではない。それ以外にもたくさんのアウラ様との話をリーニエ様は聞かせてくれる。でもそれに現実感がない。嘘をつかないリーニエ様の言うことなら本当なんだろうけど。私の中のアウラ様は、どこか冷たい、怖い雰囲気を纏っている方。ほとんど喋ったこともないのだから。それでも
「髪も魔法で乾かしてくれるんだよ? 私には使えないけど、すっごく気持ちいいんだから」
リーニエ様にとっては違うのだろう。当時のことを思い出しているのだろう。さっきの形見ではないが、それはリーニエ様にとって大切な思い出なのだ。そしてそれを今度は私にして下さっている。子供が大人の真似をするように。
「リーニエ様は、アウラ様が好きなのですね」
「うん! 大好きだよ! フェルンもハイターが好きなんでしょ? 同じだね」
リーニエ様は、アウラ様が好きなのだ。見ていてこっちが恥ずかしくて、羨ましくなってしまうほど。大好きだと、正直に言われるリーニエ様。本当にすごい。私にはできないこと。誰かを好きだと、こんなにも大きな声で言えるなんて。私も誰かにそう言える日が来るのだろうか。
「あ」
そんな中、唐突にリーニエ様の私の頭を拭いている手が止まってしまう。
「? どうされました?」
「ううん。思い出したの。昔、水浴びした後に、アウラ様のアクセサリを失くしちゃったことがあったんだ」
「アクセサリ……ですか?」
それはどうやら昔のことを思い出したからだったらしい。今と同じように水浴びをしていたせいもあるのだろう。でもその内容に首を傾げるしかない。アクセサリを失くしてしまったのだと。それもアウラ様の物を。一体何のことなのだろうか。
「うん。アウラ様がすごく大切にしてる物なの。ヒンメルからもらったんだって」
それはアウラ様が大切にしている物を失くしてしまったことだったのだろう。そういえば、アウラ様は首にアクセサリを身に着けていた気がする。あれのことなのだろうか。でもそれよりもその内容の方が気になってしまった。ヒンメル様からアウラ様に贈られたものだったのだと。
(リーニエ様もですが……アウラ様とヒンメル様はどういった関係なのでしょうか?)
それは自分にとっての大きな疑問だった。リーニエ様を含めた、三人の関係。それははっきり言えば家族そのものだった。お父さんとお母さんと子供。私と同じ。でもリーニエ様にとっては、魔族にとってはそうではないらしい。
『違うよ? アウラ様は私の主人で私は従者なの。何度言ってもみんな分かってくれないの。変なの』
アウラ様とは親子なのか尋ねた時も、首を捻りながらリーニエ様はそう否定されていた。親子ではなく、主従。主人と従者なのだと。魔族には親子、いや家族という概念がないのだと。話を聞いているだけでも、親子、家族そのものなのに。アウラ様とヒンメル様はどう聞いても夫婦だった。一緒にご飯を食べて、一緒に暮らして、一緒に寝る。その話を聞くのが、遊ぶのと同じぐらい、最近の私の楽しみでもあった。それでも
『二人は友達なの。とっても楽しそうだったんだから!』
お二人は夫婦ではなく、友達なのだとリーニエ様は仰っていた。人間と魔族が友達になる。まるで嘘のような、御伽噺。でもきっとそれは本当なのだろう。リーニエ様がこんなにも、お二人のことを楽しそうに語って下さるのだから。
「それを失くした時、本当に怖かったんだよ? 殺されちゃうかと思っ……て……」
でも、楽しいことばかりではなかったらしい。本当に怖かったのだろう。まるでトラウマだったかのようにその時のことを思い出されている。確かに無理もない。殺されてしまうなんて大袈裟だが、私がリーニエ様でもきっと同じようになってしまうだろう。でもよっぽどだったのか。その手が震えてしまっている。どころか手も完全に止まってしまっている。どうしたのだろうか。
「……リーニエ様?」
被せられたタオルの隙間から盗み見るも、そこには今まで見たことのないような表情をされているリーニエ様がいた。目を見開いたまま、何かに怯えるように口をパクパクさせている。まるで怖いお母さんに怒られてしまう子供のように。そんなに思い出して怖かったのだろうか。でも私の方ではなく、私よりも後ろに視線が向いている。思わずそちらに振り返ると同時に
「────あんたたち、何してるの?」
そこには赤い悪魔、ではなく魔族がいた。
「────」
それを前にしてリーニエ様はもちろん、私も固まってしまう。体が震え上がるというのを、生まれて初めて味わった。きっと、リーニエ様は私とは比べ物にならないだろう。それに全く気づけなかった。見れば、アウラ様は魔力を消していた。あれほど大きな魔力が、全く感じ取れない。きっと私たちを探していたのだろう。だからこそ私たちはそれに気づけなかったのだ。
「……リーニエ」
「えっと、私、仕事をしてて……」
ただ名前を呼ばれただけなのにそれだけで十分だったのだろう。しどろもどろになりながらリーニエ様はそう言い訳という名の嘘をつく。目が完全に泳いでしまっている。私でも分かるような子供のような嘘。いや、嘘をつけてすらいない。
「仕事? 遊んでるだけじゃない。私の命令はどうなってるわけ?」
それを見破れないアウラ様ではない。目を細めながら、静かに、なのに怖い声でリーニエ様の嘘を暴いていく。それから逃れる術はリーニエ様にはない。いや、そもそも最初からそんなことはできないのだ。
「それは…………ハイターが、遊ぶのが仕事だって……」
リーニエ様は、嘘をつくことができない魔族なのだから。
思わず見ているこっちが居たたまれなくなってしまうほどに、リーニエ様は問われたことをそのまま白状してしまう。幼い子供でもできることが、今のリーニエ様にはできない。嘘をつくことができないこと。それは決して良いことだけではない。それを目の当たりにしてしまう。
「そう……あの生臭坊主の入れ知恵ってことね」
それだけで全てを察したのだろう。ここにはいないハイター様がこの件の首謀者だともう見抜かれてしまっている。もう魔力を隠す意味もないのだろう。その不機嫌さを表わすように魔力が荒れている。それによって私たちもまた体が縮こまってしまう。魔法使いの本能。
「…………」
「都合が悪くなるとだんまり? あんたの悪い癖ね……さっさと来なさい」
「……うん」
それ以上何も言えなくなってしまったリーニエ様。嘘をつけないリーニエ様の唯一の抵抗なのだろう。嘘をつけないが故の悲哀。それもきっと見慣れた光景なのだろう。アウラ様はそのまま踵を返し、リーニエ様を連れて行ってしまう。それにとぼとぼと従うしかないリーニエ様。これではまるで、さっきリーニエ様が言っていた、アクセサリを失くして怒られてしまった時と同じだった。違うのは
「あ、あの……違うんです。リーニエ様は私のために」
今回はリーニエ様だけではなく、私もそれに関わっていたこと。精一杯の勇気を出して、去ろうとするアウラ様に声を上げる。リーニエ様のために。きっかけは違ったかもしれない。それでも、これは私のせいでもある。アウラ様を騙していたのは私も同じなのだから。何よりリーニエ様は私のために遊んで下さったのだ。だから少しでも。でもそれは
「私たちは魔族よ。
これ以上にない、拒絶の言葉によって断ち切られてしまう。人間が魔族に口出しするんじゃない。そんな当たり前の、どうしようもなく正しい、本当の言葉によって。それに返す言葉が、私にはない。私は何も知らないのだから。
できるのはただ、売られていく子牛のように連れられていくリーニエ様を見つめることだけだった────