ヒンメルはもういないじゃない【完結】   作:HAJI

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第六話 『親子』

「……ふぅ」

 

 

気づかない内に溜息をついてしまう。体が重い。水を汲みに行っているわけでもないのに。手に持っている杖が重い。もう慣れているはずなのに。足取りが重い。いつもの帰り道のはずなのに。

 

そう、いつもと変わらない。朝から夕方まで修行をして、家に帰る。なのにどうしてこんなに気持ちが落ち込んでしまうのか。分かっている。いつもは隣にいたリーニエ様がいないからだ。

 

三日前。一緒に遊んでいたのをアウラ様に見つかって、怒られてしまってからリーニエ様は私と遊んで下さらなくなった。どころか家から、部屋から出てくることがなくなった。部屋に閉じこもったまま。食事を持って行く時に話しかけても、答えて下さらない。どこか落ち込んだ様子で、私のことを無視されるだけ。きっとそうアウラ様に命令されているのだろう。

 

それから私の日常は元に戻ってしまった。いつものように一人で鍛錬に打ち込む。何も変わらない。修行の時間も増えている。なのに、上達できていない。調子が悪い。集中できない。どうしてなのか。

 

たった三日なのに。ようやく分かった。自分にとってそれがどれだけ大きかったのか。隣に誰かがいてくれる。一緒に遊んでくれる誰かがいること。その意味。自分がなくしてしまった物が、またなくなってしまったような寂しさ。それを前に佇んでいると

 

 

「おや、フェルン。おかえりなさい。どうしたのですか、そんなところで」

 

 

そんな、いつもの穏やかで優しい声が聞こえてくる。私を見守ってくれている、ハイター様の姿。ようやく気付いた。私はずっと家の前で立ち尽くしていたらしい。足が止まっていたのだ。どれだけそうしていたのか。

 

 

「ハイター様……」

 

 

そんな姿を見せてしまったことで、申し訳なさが生まれてくる。本当なら心配をかけないように振舞わないといけないのに。それもできない。やっぱり私は子供なのだ。

 

 

「そんなところでずっと立っていては風邪を引いてしまいますよ」

 

 

きっとそんな私のことなんてお見通しに違いない。何も聞くことなくハイター様は私を家へと迎え入れてくれる。いつものように。その温かさとともに。おかえりなさい、という魔法の言葉と一緒に。

 

 

「……はい。ただいま戻りました」

 

 

そのおかげで、少しだけど元気が出た。心がぽかぽかした気がした────

 

 

 

杖を置いて、着替えをした後、テーブルでハイター様と一緒にお茶をする。本当ならすぐに夕食の準備をしなければいけないのだが、ハイター様が誘って下さった。目の前にはホットミルク。それを口にすると、体が温かくなっていく。安心できる。ハイター様はそんな私を見ながらコーヒーを飲まれている。やっぱり大人だ。一度真似をして飲んだことがあるが、やっぱり私には早かった。

 

静かな、それでも心地いい時間。でもいつもなら色々話しかけて下さるハイター様なのに、今日はそれがない。きっと、私が話すのを待ってくれているのだ。少し悩んだ後、

 

 

「ハイター様……私は、アウラ様を怒らせてしまったのでしょうか」

 

 

そうハイター様に尋ねてみた。ここ最近、ずっとこの胸に残っている、気にしていることを。同じ家に住んでいる、お客様なのに、自分とは全く関わっていない方のことを。

 

 

「何故そう思うのです?」

「それは……私が一緒に遊んでしまったせいで……リーニエ様が叱られてしまったので」

 

 

まるで神父様のように……ではなかった。ハイター様は本当にそうなのだから。上手く言葉にできない。そのせいで自分でもよく分からないままに、そんなことを聞いてしまう。自分がアウラ様を怒らせてしまったのではないかと。そのせいで、リーニエ様は叱られてしまった。部屋からも出てこられていない。きっと私のせいなのだろう。本当に申し訳がない。

 

 

「心配はいりません。あれは私たちで言うなら、母親に叱られてしまったようなものですから。明日にでもリーニエは出てくるでしょう。これまでのように一緒に遊ぶことはできないでしょうが」

「そうですか……」

 

 

ハイター様は最初から私の聞きたいことが、言いたいことが分かっていたのだろう。心配はないと教えてくれる。あれは母親に叱られたようなものなのだと。確かにそうなのかもしれない。リーニエ様は主従だと言っていたけれど、あれはお母さんに叱られた子供のようでもあった。なら、酷いことをされているわけではないのか。それに少しほっとするも、やはり落ち込んでしまう。やっぱりもうリーニエ様と今までと同じようにはできないのだと。そんな中

 

 

「何を隠そう、一番アウラに怒られたのは私なのですよ。リーニエに貴方と遊んで欲しいとお願いしたのも私ですから」

 

 

どこか悪いことがバレてしまった、嘘がバレてしまったようにハイター様は笑いながらそんなことを仰られる。それに思わず驚いてしまう。リーニエ様に私と遊んで下さるようにお願いしたのが自分だと。それは私もリーニエ様から聞かされて知っている。だから驚いたのは別のこと。それは

 

 

「ハイター様が怒られることがあるのですか……?」

 

 

あのハイター様が、誰かに怒られることがあるのだということ。それもあのアウラ様に。とても想像できない。

 

 

「もちろんです。旅の途中ではよく二日酔いで……ごほん。色々なことでよくヒンメルたちに怒られていました。ですが一番私を叱ってくれたのは彼女だったのですよ」

 

 

何故か途中で咳き込みながら、ハイター様は答えてくれる。また体調が悪くなってしまったのか。だがどうやらそうではないらしい。ハイター様は続けられる。かつての旅の中で、よく勇者様たちに怒られていたのだと。それは私も知っている。よく冒険のお話を聞かせてもらっているのだから。でもそれはずっと昔の話。今のハイター様はとても大人だ。誰からも尊敬される、私がそうなりたいと思う目標でもある。そんなハイター様を一番叱っているのがあのアウラ様なのだと言う。分からない。そんな姿が想像できない。何よりも

 

 

「何で叱られたのに、そんなに嬉しそうなのですか?」

 

 

ハイター様が、それを楽しそうに、嬉しそうに話されていることが。自分が叱られた話をしているのに、どうしてそんな風に言えるのか。私ならきっと自分からは言いたくない、落ち込んでしまうようなことなのに。

 

 

「そうですね。歳を取ると、だんだん誰かに叱ってもらえなくなるのですよ」

「……よく分かりません」

「きっと貴方にも分かるようになります。そういう意味では、彼女はみんなのお母さんなのかもしれません」

「お母さん……?」

 

 

コーヒーを口にしながら、ハイター様はそんなよく分からないことを教えてくれる。でもそれはきっと今の私には分からないけど、大切なことなのだ。この方はよくそんな話をしてくれる。なら、大人になればそれが分かるのだろう。この方がいる内に、私にそれができるだろうか。

 

 

「話が逸れましたね。とにかく、これは私のせいなので、貴方が気にする必要はありません。アウラもリーニエもそれで貴方を嫌ったり怒ったりはしませんから。それは私が保証しましょう」

 

 

私の迷いを晴らすように、ハイター様はそう太鼓判を押して下さる。ハイター様がそこまで言ってくれるのであれば嘘ではないのだろう。時々、子供のようなズルい嘘をつくことがあるけれど、こういう時にはしないことを私も知っている。疑うことはない。信じられる。でも

 

 

「でも……アウラ様は私とは話してくれません。私が人間だからなのでしょうか……」

 

 

アウラ様が私と話してくれないのは変わらない。それはやっぱり、私が人間だからなのだろうか。あの時もそう言われてしまった。人間のくせに魔族に関わるなと。

 

いや、きっとそれだけではない。私が子供だからなのだろう。だって、ハイター様とは話をされていたのだから。大人だからなのだろう。私にはそれができない。そうあきらめかけるも

 

 

「そうですね……彼女は嘘つきですから」

 

 

ハイター様はどこか楽しそうに笑みを浮かべながらそんなことを口にされた。

 

 

「? 魔族なら、嘘つきなのは当たり前ではないのですか?」

「普通の魔族ならそうでしょうね。ですが彼女たちは特別、例外ですから。フェルン。嘘には二つあるのです。一つは自分のためにつく悪い嘘。そしてもう一つが誰かのためにつく優しい嘘。アウラは貴方のために嘘をついているのです」

 

 

魔族は嘘つきだ。そんなことは子供の私でも知っている。なのにそれだけではないのだとハイター様は仰られる。あのお二人はそうではないのだと。嘘は悪いこと。嘘をついてはいけない。お母さんやお父さんから、ハイター様からも教えられてきたこと。でも嘘には悪い嘘と、優しい嘘があるのだと。分からない。なら嘘をつくのは良いことなのか、悪いことなのか。何よりも

 

 

「私のための……嘘?」

 

 

アウラ様が、私のために嘘をついている。その意味が分からない。どうしてアウラ様が私のためにそんなことを。何のために。

 

 

「少し喋りすぎましたね。また怒られてしまいそうですが……それは甘んじて受けるとしましょう」

 

 

少し困った顔をしながらハイター様はそれ以上は答えて下さらない。どうやらさっきの言葉は怒られてしまうようなものだったらしい。でも本当に困っているわけではない。叱られるのが嬉しいというのは本当なのだろうか。考えることが多すぎて、頭がいっぱいになってしまう。そんな中

 

 

「……そういえば今夜は月が綺麗に見れそうですね」

「? 月、ですか……?」

 

 

いつの間にか、窓際から空を見上げているハイター様がそう零されている。急にどうされたのか。確かに今日は空もよく見えて、天気も良かった。お月様もよく見えるに違いない。夜の散歩にでも出かけるおつもりなのか。

 

 

「少し夜更かししてみると良いかもしれません。特別です。今夜だけは悪い子になっても女神様も許してくれるでしょう」

 

 

まるで内緒話をするように指を立てながら、ハイター様はそんなことを私に伝えてくる。さっきの嘘のお話と同じぐらい、私には理解できない大人の話。でも必死にそれを考える。何か悪いことをしろ、ということなのか。夜更かしも悪いことなのに、どうしてそんなことを。

 

 

フェルンはただ、悪い大人に言われるがままに、ここにはいない女神様に思いを馳せるのだった────

 

 

 

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