「…………ん」
まどろみの中、ゆっくりと体を起こす。でもまだ目が開かない。頭もぼうっとしている。もぞもぞと布団の中から這い出そうとするも上手くいかない。体もまだ寝てしまっているみたいに。それを何度か繰り返して、何とかベッドから起き上がるも
「……朝?」
そこでようやく気付く。今が朝なのだと。お日様が窓から差し込んでいる。間違いない。朝だ。どうして。今まで寝ていたのに。いつもならこんなことはないのに。お日様がこんなに上がる前に私は
「っ!」
そうだ。もう朝になってしまっている。もうこんな時間だ。時計を見て慌ててしまう。完全に寝坊してしまっている。いつもはこんなことはないのに。そこでようやく目が覚めてくる。思い出す。そうか。昨日の夜、夜更かししてしまったせいだ。そのせいでこんな時間まで。いつもなら朝食の準備をしている時間なのに。
そのまま焦る気持ちと戦いながら必死に着替えをして、急いで台所に向かう。朝食の準備は私の仕事だからだ。私が自分で言い出して始めたこと。なのに寝坊して遅れてしまった。このままではきっとハイター様に先を越されてしまう。迷惑をかけてしまう。
駆け足で、それでもおぼつかない足取りでふらふらと台所に向かう。でもそこで気づく。誰かがそこにいることに。台所に立っている。
同時に、どこか心地いいリズムの音が聞こえてくる。どこか懐かしい、子供の私でも感じるもの。包丁の音。料理をしている音。それだけではない。いい匂いがしてくる。思わずお腹が鳴ってしまうような、惹かれてしまうような匂い。
それに吸い寄せられるように、台所を覗き込む。そこには
「…………お母さん?」
お母さんがいた。エプロンをして、料理をしているお母さんの後姿。もうずっと見ていない、忘れてしまいかけていた光景。どこか夢心地にそれに見惚れてしまう。まるでまだ夢の中にいるのでは。それでも温かい、ずっと夢見ていたもの。それにぼーっとしていると
「……? 私はあんたのお母さんじゃないわよ」
不思議そうな顔をしながらお母さん……ではなくアウラ様がこちらに振り向いている。それと向かい合ったまま。そう、それはアウラ様だった。お母さんじゃない。でもエプロンをしている。違う。料理をしている。その姿が、私の中のアウラ様に結びつかない。でも徐々に目が覚めてくる。変な汗が出てくる。口が開きっぱなしになってしまう。
「~~?!?!」
ただただ混乱するしかない。恥ずかしさで顔から火が出てしまいそうだった。私はあろうことか、アウラ様をお母さんと間違えて呼んでしまったのだから。失礼どころではない。何よりもそんなこと。こんなに恥ずかしいことなんてない。でもどうしたらいいのか分からない。どう言い訳したらいいのか。どうしたら逃げ出せるのか。
「……寝惚けてるのね。いいから顔でも洗ってきなさい」
そんな私の情けない姿に呆れたのか。アウラ様は料理に戻りながらそう仰られる。そんなアウラ様の言葉と姿に、私は完全に固まってしまう。どうしたらいいのか分からない。心も体もまだ目が覚めていないのだろうか。途方に暮れていると
「あ、おはようフェルン! 早起きなんだ、偉いね!」
こっちの目が覚めるほどに元気いっぱいの声が私を起こしてくれる。三日ぶりなのに、もっと久しぶりに聞く、大好きな声。振り返るとそこにはいつもと変わらない笑みを浮かべているリーニエ様の姿があった。やっぱり私はまだ夢を見ているのだろうか。
「リーニエ様……? どうして」
だってリーニエ様はアウラ様に怒られてからずっと、私とはお話ししてくれなかったのだから。こんな風に話しかけてくれることも。ハイター様も仰っていた。もう部屋からは出てくるだろうけど、今までのようにはできないだろうと。なのにどうして。
「ん? あ、そっか。もう大丈夫だよ! アウラ様にも許してもらえたから。でも本当に怖か」
「リーニエ」
「……むぅ」
でもそれはもう解決されてしまっていたらしい。アウラ様が許してくれたのだと。リーニエ様は嘘はつかない。ならそれは本当なのだろう。でもそれだけではない。今までのことを許してもらっただけではない。こうして私と話すことも許してもらえていることに気づく。
そうか。寝惚けていて気付かなかった。私はさっき、アウラ様と話していたのだ。アウラ様が私と話をして下さった。ようやく思い出してきた。昨夜、夜更かししてからの、ちょっとした冒険を。悪い子になったことを。そこでのやり取りを。記憶を。あれは夢ではなかったのだと。
「おや、朝から賑やかですね。何かありましたか?」
「ハイター様……」
そんな中、いつものようにハイター様がやってくる。いや、いつもとは少し違うのか。心なしか、いつもよりも調子が良さそうだ。
「これはこれは。懐かしい光景ですね。昔を思い出します。どういう風の吹き回しでしょうか」
アウラ様とリーニエ様。いつもはここにはいない二人を交互に見つめられた後、ハイター様はそんなふうに懐かしんでいる。どうやらこの光景は、ハイター様にとっては見慣れたものだったらしい。私にとっては戸惑い、驚くしかない光景なのに。
「……ふん。ただの暇つぶしよ。いつまでも閉じ籠っていたら体が鈍るわ」
「そういうことにしておきましょうか」
「生臭坊主」
どうやらそれはアウラ様に向けた言葉だったらしい。いや、からかわれているのだろう。私もよくされること。それをあのアウラ様にするなんて。アウラ様はどこか不機嫌そうにそれに言い返している。そうか。生臭坊主というのはこういう時に使う言葉なのか。本当に臭い時に使う言葉ではなかったのだろう。
「あの……私も手伝います」
そのまま思わずぼーっとしていたがこのままではいけない。慌てて台所に向かう。色々なことで頭がいっぱいだがちゃんとしなければ。
「必要ないわ」
「でも、アウラ様はお客様で……」
でもそれは断られてしまう。役に立たないと、邪魔だと思われたのだろうか。子供の自分ではと。でもアウラ様はここに来てくださったお客様だ。そんなことをさせるわけには。でもそれは
「下らないことを気にするのね。あんたはもっと子供らしくしなさい」
アウラ様に叱られてしまう。子供らしくしろと。ハイター様にもされたことのない叱られ方。私が子供だと思っている、同時に私が大人の振りをしていることを認めてくれる言葉。そう、アウラ様にとっては子供はそういう存在なのだ。
本当ならそれは悲しいこと。なのにそうではない。叱られたのに、それが悲しくない。どころか嬉しい。どうしてなのか。ハイター様が言っていたことはやっぱり本当だったのだろう。
「そうだよ? 子供は遊ぶのが仕事なんだから。それにアウラ様の料理は凄く美味しくて」
「あんたはもっと大人になりなさい」
「……むぅ」
なのに今度はリーニエ様が私とは逆の理由で叱られてしまっている。お母さんが子供を叱るみたいに。それによってリーニエ様は黙り込んでしまう。あの時のように。でも違う。あの時のように怖くない。同じ言葉なのに。
「では私と一緒に三人で顔を洗いに行くとしましょうか」
そう言いながらハイター様が私の肩に手を置かれる。見上げるとハイター様が私に向かって目配せをしてくる。穏やかな笑みと共に。そこにどんな意味が込められているのか。全ては私には分からない。それでも分かることがある。それはきっと良いことなのだと────
「いただきます」
四人でそう言いながら朝食を食べ始める。私はただ見様見真似でそれについていくしかない。四人で食卓を囲むことなんて、ここに来てから初めてだったのだから。それだけではない。人間ではない、魔族のお二人と一緒に。今までは別々の部屋で食事をしていたのに。なのに
「やはり貴方の料理は格別ですね」
「よく言うわ。思い出したわ。あんたはブロッコリーだけ残してたわね。中身は子供のままね」
「いやはやお恥ずかしい。ですが知っていますか。ブロッコリーにはほとんど栄養がないので食べなくても大丈夫なのです」
「どうしてそんな嘘つくの?」
「語るに落ちてるわね」
三人にはまるで違和感がない。まるで昨日までそうだったのかのように、自然に会話しながら食事をされている。恐る恐るの私とは全然違う。そういえば二人はここで暮らしていたと仰っていた。ならきっとこれが普通なのだろう。今までは私のせいでそうなってしまっていただけ。いいや、違うのか。私のためにして下さっていたのだ。
ハイター様の言う通り、料理はとても美味しい。私なんて全然敵わない。だけど、その味が楽しめない。戸惑うしかない。お話に入って行くこともできない。できるのは縮こまって黙々と食事をすることだけ。
「そういえば……久しぶりにルフオムレツが食べたいですね」
そんな中、ハイター様がそんなことを口にされる。何でもない言葉。なのにその瞬間、アウラ様の動きが止まってしまった。その魔力も。まるでそう、あの時のように。でも
「…………あんたね」
「私も私も! 最近ずっと食べてなかったから!」
あの時ほどの怖い感じはアウラ様にはなかった。それに胸をなでおろすも、やっぱり私には理解できない。ハイター様は一体何をアウラ様に仰っているのか。伝えようとしているのか。
「? ルフオムレツですか……?」
ルフオムレツがどうかしたのだろうか。ハイター様の好物、というわけでもなかったはず。何が好きなのか聞いた時には特にないと仰っていたが。お酒が好きなのは知っている。嫌いなものはブロッコリー。ならアウラ様の好物なのだろうか。それともリーニエ様なのか。
「えっとね、それは」
「あんたは静かに食べなさい。ハイター、あんたもよ」
「これは失敬」
「むぅ……」
それを教えてくれようとしたリーニエ様はアウラ様に叱られてしまう。同じようにハイター様も。まるで子供のように。食事中は静かにするように叱るお母さんのように。それを見ていると、何だか心がぽかぽかしてくる。料理が温かいからだけではない。
それを感じながら、自分も叱られないように気を付けながら、賑やかな食卓を囲むことになるのだった────
「……よし」
自分の身なりをもう一度整える。ちゃんと着替えはした。髪も整えた。杖も持った、忘れ物はない。朝から予想外のことの連続で、どこか浮足立ってしまっている。体がふわふわしている感覚。それを落ち着けながら気を引き締める。いざ、修行に。そう足を踏み出そうとするも
「待ちなさい。フェルン」
それはそんな聞き慣れないはずなのに、どこかで聞いたことのあるような声によって引き留められてしまった。
「え……?」
思わずそのまま振り返る。そこにはアウラ様がいた。それは当たり前だ。さっきのはアウラ様の声なのだから。だから驚いてしまったのは別のこと。話しかけられたからではない。今アウラ様は確かに。それに気づく前に
「忘れないうちに渡しておくわ」
アウラ様は何かを私に渡してくる。まるで忘れ物を届けてくれるお母さんみたいに。でも私は忘れ物はしていないはず。一体何だろう。そう思いながらそのまま渡された物を受け取ってしまう。
「これは……」
それは一冊の本だった。普通の本ではない、魔導書。その見た目と手触りから、それが古い物であることが分かる。そこでようやく気付く。それは昨夜の約束。今も目に焼き付いて離れない、あの花の魔法の魔導書なのだと。アウラ様はそれを覚えて下さっていたのだ。
「あ、あの……やっぱり受け取れません。こんな大切な物……」
それに嬉しさを感じながらも、そう答えてしまう。そう、本当にそれは嬉しいこと。でもこの魔導書を持ってみて分かった。その重さを。本の重さだけではない。少し考えれば分かること。
魔導書は魔法を覚えるための物。アウラ様はこの魔法を覚えている。なのに、その魔導書を持ち歩いているのだ。それはきっと、この魔導書がアウラ様にとって大切な物だから。そんな物をもらうわけにはいかない。でもそれは
「気にする必要ないわ。私はもう覚えてる。もう必要ない物よ」
アウラ様にとってはきっと失礼にあたるのだろう。子供の私にも分かる。今、アウラ様が嘘をついていること。私のための、優しい嘘。なら、それに騙されるのが私のするべきこと。さっきアウラ様に叱られたように、子供らしく贈り物を喜んで受け取ることが。それは嘘ではない。
同じように持っている大事な私の杖。ハイター様から贈ってもらった、大切な物。それと同じぐらい大切な物が、また私には増えたのだ。ハイター様はやっぱり凄い。あの時、もし命を捨てていたら手に入らなかったもの。それはきっと勿体ないこと。
私の返事は聞く気がなかったのだろう。アウラ様はそのまま家に戻っていく。お礼を言う間もなかった。もしかしたら、それが恥ずかしかったのだろうか。そんなちょっと失礼なことを考えてしまっていると
「いってらっしゃい。フェルン」
去り際に、アウラ様はそう残される。何でもないことのように。それがどれだけ私にとって大きなことか。この方にはきっと当たり前のことなのだろう。きっと気づいていないに違いない。それは
「はい。いってきます。アウラ様」
初めて、アウラ様が私の名前を呼んでくれたことだった────