「…………ふぅ」
大きく息を吐きながら、呼吸を整える。でもやっぱり結果は変わらない。魔力をコントロールしながらも、自分の掌にある物を改めて見つめる。そこには小さな、青い花があった。ただの花ではない。魔法で生み出した花。何度目になるか数えるのもできないほど、繰り返した物。でも、やっぱり同じだった。
(やっぱり上手くできない……)
そう落ち込むしかない。今、私は一番岩を打ち抜く魔法の鍛錬の合間に、この花を出す魔法の練習をしていた。正確には花畑を出す魔法。それがこの魔法の名前。アウラ様から頂いた魔導書にそう記されていた。そのことが嬉しかったのもあって、すぐにそれを読んで実際に魔法を使っているのだが、全然上手くいかない。魔法自体は使えている。魔導書に記されていたことを覚えて、その通りにしている。花も生み出せた。なのに、全然違う。私はきっと甘かったのだ。一番岩を打ち抜くのに比べれば、きっと簡単なのだと。
(アウラ様は、やはり凄い魔法使いなのですね……)
今更そんな当たり前のことを実感する。目の前に広がっている青い花畑を目にすることで。その美しさに目を奪われる。もう何度も見たはずなのに。見ているだけで、心が温かくなるような光景。昨夜の出来事が夢ではなかったことを証明してくれるもの。
それに報いたくて、追いつきたくて。何度も魔法で花を生み出してみたが、上手くできない。自分が魔法で出した花とアウラ様が出した花を見比べる。全然違う。同じ花なのに、同じ魔法なのに。どうしてこんなに違うのか。
『魔法はイメージです。イメージできないものは実現できない。逆に言えば、イメージできることは何でもできるということです。もっとも、フリーレンからの受け売りですが』
杖をもらった時に、ハイター様から教えてもらったこと。それがきっと魔法使いの基礎なのだろう。なら、私はイメージできていないのだ。目標が、咲かせたい花の実物がこんなにもあるのに。ようするに未熟なのだ。一番岩を打ち抜けていないように。魔法の難しさ。子供の自分はまだできないことなのか。それとも師匠がいないからか。でもあきらめられない。せっかく出してもらえたのに。魔導書をもらえたのに。そんな焦りを感じていると
「あ、こんなところにいた! 探したんだよ、フェルン!」
そんな私の迷いを晴らしてくれる。三日ぶりなのに、もっと久しぶりに感じる元気が出てくる声が聞こえてきた。
「リーニエ様……」
いつもと変わらない様子でこちらにやってくるリーニエ様。アウラ様に許してもらえたからなのだろう。以前と同じように私と遊びに来てくれたに違いない。そして探した、という言葉でようやく気づく。私が今いるのがいつもの修行場とは違う、アウラ様が鍛錬に使っていた場所であることに。それでも魔力探知で見つけてくれたのだろう。申し訳なさと嬉しさから謝るよりも早く
「え? もしかして……やっぱり! 花畑を出す魔法だ!」
リーニエ様は目の前の花畑を見るや否や、目を輝かせながらその中に飛び込んでいってしまう。まるで湖に飛び込むように。水飛沫のように、青い花びらが宙に舞っていく。それだけでは足りないのか。リーニエ様は楽しそうに笑いながら、大はじゃぎで走り回ってしまう。ただその光景に呆気にとられるしかない。失礼だが、まるで駆けまわって遊んでいる子犬のように。でもそれがどこか絵になっている。知らず見蕩れてしまうような光景。それがいつまで続いたのか。
「うん! やっぱりアウラ様が出した花畑だね!」
寝そべったまま、スカートが捲り上がったまま体だけを起こして満足げなリーニエ様。きっとアウラ様に見られたら叱られてしまうに違いない。でもそれよりも気になったのはその言葉。この花畑がアウラ様の魔法で生み出されたのだと。
「分かるのですか?」
「もちろん! 私はアウラ様の従者だから!」
自信満々に、誇らしげのリーニエ様は仰られる。きっとそれは娘だから、と同じ意味なのだろう。リーニエ様はきっと違うと言うだろうけど。それがきっと魔族の、お二人の親子の形なのだ。少しずつ分かってきた気がする。
「それに蒼月草を出せるのはアウラ様だけだから。すぐに分かったよ」
「この花は、蒼月草と言うのですか?」
「そうだよ。とっても綺麗でしょ? ヒンメルが好きな花なんだよ。あ、アウラ様もかな」
それを一輪手に持ちながら、リーニエ様が教えて下さる。この花の名前が蒼月草であることを。私もやっぱり浮かれていたのだろう。花の名前も知らないで花畑の魔法を覚えようとしていたのだから。アウラ様しか出せない、ということは出すのが難しい花なのだろうか。だとしたら私が上手くできないのも当然なのかもしれない。
何よりも、リーニエ様は本当に嬉しそうに蒼月草を見つめられている。ヒンメル様、勇者様が好きな花だったからなのか。それともアウラ様が好きな花だからなのか。でもきっと、リーニエ様もこの花が好きなのは間違いない。でも
「でも懐かしいなー。ヒンメルが死んでから、アウラ様、この魔法を使わなくなってたから。何か良いことがあったのかな?」
「え……?」
そんなリーニエ様の何でもないような言葉に思わず目を見開いてしまう。それはこの魔法が特別である、ということ。きっと私が思っている以上に。リーニエ様は嘘をつかない。ならそれは本当なのだ。ならずっと、アウラ様はこの魔法を使っていなかったということなのか。どうして。どうしてそれを見せてくれたのか。それを尋ねるべきか悩んでいると
「あ、いくら綺麗でも食べちゃダメだよ? 美味しくないから。昔食べて怒られちゃったことがあったんだー」
「はい。気をつけます」
そんな、思わずこっちが笑ってしまうような忠告をして下さるリーニエ様。ある意味リーニエ様らしい。そういえばそのまま食べてしまいそうなくらい、顔の近くで花を持っていた。綺麗なので美味しそうに見えたのか。それともヒンメル様が好きなものだから食べ物だと思ったのか。何にせよ、アウラ様に怒られたのは間違いないだろう。その光景が目に浮かんでくる。だが同時に思い出してしまう。今思い出しても顔が赤くなってしまうような、今朝の出来事。決してリーニエ様のことは言えない醜態。
「どうかしたの?」
「い、いえ。何も……」
「どうしてそんな嘘をつくの?」
だがそんな私の誤魔化しなど、この方には通用しない。嘘をつかないリーニエ様は、まるで相手の嘘を見抜くことができるかのよう。その瞳に魅入られると、嘘がつけなくなってしまう。嘘つきのはずの魔族から、嘘をついてはいけないと叱られるなんて。やっぱりリーニエ様は特別なのだろう。いや、例外なのか。
「実は……」
それに倣うように、正直に白状する。今朝やらかしてしまった、喋ることも憚られる私のお母さん事件。きっとハイター様にもバレてしまうに違いない。そう観念するもそれは
「ダメだよ!? アウラ様、お母さんって呼ばれるの嫌いだから! 怒られなかった!?」
リーニエ様の慌ててこっちを心配される姿によって完全に吹き飛んでしまった。本当に心配しているのだろう。私の手を握って下さる。その頑張り屋さんの手で。でも同時に私も心配になってくる。アウラ様にとってそれがそんな意味を持っていたなんて。全然怒ってはいなさそうだったが、本当は違っていたのだろうか。嘘をついていたのだろうか。ならちゃんと謝らなくては。でもそれよりも
「私も昔怒られて、お母さんって今も言っちゃいけないの! だって言ったらアウラ様の、あ、これ言っちゃダメなんだった!? でもお母さんってまた言っちゃって」
「リーニエ様!?」
そのまま何故かリーニエ様はお母さんという言葉を何度も口にするうちに混乱して落ち着かなくなってしまう。どころかしっちゃかめっちゃかになっていく。もしかしたら、アウラ様よりもリーニエ様の方がお母さんという言葉が苦手なのではないかと思うほど。そのままあわあわしながら、私とリーニエ様は手を繋いだまま花畑の中で慌てふためくことしかできない。
「ごめんね……ちょっと頭がこんがらがっちゃって……」
「いえ……私も気をつけます」
それがいつまで続いたのか。ようやくリーニエ様が落ち着かれる。本当に驚いた。どこか壊れてしまった人形のように感じてしまうほど、先程までのリーニエ様は危うかった。とりあえず、この方がいる前ではお母さんという言葉は口にしないようにしなくては。もっとも、私ももう口にするつもりは最初からなかったのだが。しかし
「うん。あ、でもお姉ちゃんは大丈夫だよ?」
「え?」
それはリーニエ様の言葉によって、一気に消え去ってしまった。
「だからいつでもお姉ちゃんって呼んでいいからね?」
「えっと……その……」
「ね?」
「……はい」
どうやらリーニエ様にとってはそっちの方が大事だったらしい。きっとそれをずっと期待されていたのだろう。最初の頃と変わらない、輝かせた目で私を見つめられている。お姉ちゃんは大丈夫だと。
でも私にとっては違う。アウラ様をお母さんと呼んでしまうのと同じぐらい、それはとても恥ずかしいこと。簡単なことのはずなのに、言葉で伝えるだけのはずなのにそれができない。それはきっと、私が子供だからではない。私が私だから。
結局その言葉を出すことができず。リーニエ様は落ちこんだ様子で、まるでアウラ様に連れられて行った時のようにとぼとぼとと先に家に帰られてしまったのだった────
(もうこんな時間……)
気づけばもう夕方。日が傾きかけている。どうやらそれほど花畑を出す魔法に熱中してしまっていたらしい。一般攻撃魔法とは違う楽しさがこの魔法にはある。もっとも、まだまだアウラ様の魔法には遠く及ばない。でも今日はここまでだろう。そう思い、帰るための身支度をしようと立ち上がるも
「お疲れ様です。フェルン。頑張っていますね」
「ハイター様……? どうしてここに……」
聞き慣れた声が私にかけられる。驚きながら振り返った先にはハイター様がいた。驚いたのは二つの理由。一つはハイター様がここにやってきたこと。ハイター様は基本的に私の修行場に来られることはない。私の邪魔をしてはいけないと思っているからだ。もう一つがその体調。ハイター様はあまりお身体がよくない。お年を召しておられるからだ。最近も聖都で風邪をもらってしまって大変だった。そんなハイター様にとって森の中に入って来られるのは体に負担がかかる。いつもは使わない杖を手に持っているのもその証拠だ。
「リーニエに教えてもらったのですよ。ここであなたが頑張っていると。まるでお姉さんですね」
「……はい」
そんな私の心配を見抜いたのか、それともからかわれているのか。どうやらハイター様はリーニエ様にここで私が修行していることを聞いて見に来てくれたらしい。やっぱりあの方はお姉さんなのだろう。私のために。私がその想いに応えられていないことも、きっとハイター様にはお見通しに違いない。
「それともう一つ。花畑を見に来たのです」
もしかしたら、そっちが本当の理由だったのかもしれない。ハイター様はそのままゆっくりと歩きながら、辺りに広がっている蒼月草の花畑を眺められている。夕日の赤色が、さらにその青さを引き立てている。その鮮やかさ。月夜に見たのとは違う幻想さがある。でも私はそれよりも、それを見つめているハイター様の横顔に目を奪われてしまった。今まで見たことのない、嬉しそうな、悲しそうな顔。それはまるで、昨夜見たアウラ様のよう。
「これは蒼月草と言いまして。勇者ヒンメルが好きな花だったのですよ」
私もまた魅入られていたのか。ハイター様の声によってふと我に返る。それはリーニエ様にも教えて頂いたこと。やはりそれは本当だったのだろう。他ならぬ勇者一行のハイター様が言うのだから。
「それは私も同じでして。私とヒンメルにとっては故郷の花でもあるのです。とても綺麗でしょう? ヒンメルは自分の美しさには負けると言っていましたが」
だからこそ、そんなことまで知っている。そうか。いつかハイター様自身が言っていた。ハイター様はヒンメル様と同じ村の孤児だったのだと。だからお二人はこの花が好きなのだろう。同時に聞かされる勇者様のお話。冒険譚では触れられていない、勇者ヒンメル様の本当の姿。とても自信家だったのだと。
「ヒンメルがいた頃は、家の周りもこの花でいっぱいだったのです。アウラにお願いしてね」
でもそんなヒンメル様がハイター様は好きだったのだ。今はもうないが、家の周りまでこの花でいっぱいにするなんて。勇者様らしいのかもしれない。アウラ様もきっと渋々魔法を使ったに違いない。今の私なら分かる。でも
「ですが、もう絶滅してしまった花でもあります。なのでもう見ることができない花なのです」
「見ることができない……?」
それはもう見ることができないのだと、ハイター様は仰られてしまう。この花、蒼月草が絶滅してしまった花なのだと。絶滅。聞いたことがある。確かそれは
「そう。もう自然には咲かない、なくなってしまった花。魔法で生み出すしかない花でしょうか。それができる魔法使いはアウラだけなのです」
なくなってしまったことを示す言葉。もう蒼月草は自然にはないのだとハイター様は教えて下さる。どこか悲しそうな顔で。でもならここにある花は何なのか。その答えが、私の手にしている魔導書だった。そうか。本当ならもう咲くことのない花を生み出すことができる。魔法だからこそできること。だからリーニエ様は言っていたのだ。この花はアウラ様にしか出せないのだと。
「なので、私は生きている間にはもう見ることはできないと思っていました。ヒンメルがいなくなってから、彼女はこの魔法を使わなくなってしまったので」
私はただ、静かにそれを聞くことしかできない。生きている間という、私が一番聞きたくないことを、ハイター様は自分で口にされている。きっと、私なんかよりもハイター様自身が分かっていることなのだろう。だからこそハイター様はあきらめてしまっていた。もうこの花を見ることはできないと。それを咲かすことができる唯一の魔法使いであるアウラ様が、それをしなくなってしまったから。その理由が何であるか。子供である私も、それは分かる。きっと、ハイター様もそれは同じだろう。
もういなくなってしまった、大切な人を思い出してしまうから。なら、私はアウラ様にそれを思い出させてしまったのか。そう気づくも
「────よくできましたね、フェルン。あなたはアウラの心を咲かせたのです。それは私たちにもできなかったことなのですよ」
それは頭に乗せられた、温かさによって包まれる。私を褒めてくれる、優しくて暖かい手によって。私のしたことを褒めてくれている。でも私は何もしていない。そんなことはできない。でもそうではないのだと。まだ上手く蒼月草の花を咲かすことはできないけれど、違うものを咲かすことができた。ハイター様にもできなかったこと。それが嬉しいけど、ちょっぴりむず痒い。思わず自分が出した花を手の中に隠してしまう。
それでもまた一つ、アウラ様のことを知ることができた気がした。もっと知りたいと思った。
「そろそろ帰りましょうか。あまり遅くなるとまたアウラに怒られてしまいますからね」
「はい。その時は私も一緒に怒られます」
「はっはっはっ。フェルンも言うようになりましたねえ」
大好きなハイター様と一緒に、家路につく。お二人が待っている家へと────