(こんなところかしらね……)
使っていた魔法を解除し、一息つく。眼下には少しはマシになった家とその庭がある。久しぶりに使う民間魔法だったので少し心配していたが杞憂だった。やはり体は覚えているのだろう。いや、染み込んでいると言った方がいいのか。たった二十年ほどではそれは消えないらしい。
この別荘も変わっていない。聖都で暮らしていた頃のままだ。多少傷んではいるが、建物なのだから当たり前。庭もまた同じ。ただ違うところがあるとすれば。
『でも庭にはもっと彩が欲しいね』
あいつが好きだった彩、蒼月草の花畑がないことぐらいだろうか。本当に物好きな奴だ。ここに初めて来た時も、しつこく私にそれを出してほしいとせがんできていた。まるで子供のように。村の家の周りも花畑にしているのに、まだ足りないかのように。
『────アウラ、 もし僕が死んだらお墓の周りを花畑にしてほしいんだ。 いいかな?』
思い出す。まるで何でもないことのようにしてきた、そんなふざけた命令。いやお願いだったか。約束でもある、遺言。未だに果たせていない、約束の一つ。できないでいたこと。避けていたもの。だがここにやってきて、少しそれが変わった。その魔法を使うことができた。なら、いつかその約束を果たすことができるだろうか。その場所に足を踏み入れることが。そんな下らないことを考えていると
「お疲れ様です、アウラ。少し休憩しませんか」
「……ええ」
二十年前と同じく、すっかり老いぼれてしまった誰かが私を呼んでいる。本当にしぶとい奴だ。何度別れの挨拶をすればいいのか。いい加減飽きてくる。これでは酒は百薬の長だのなんだのが冗談ではなくなってしまう。それに誘われるまま、いつものように生臭坊主の口車に乗せられることにしよう────
「でも本当に助かりました。おかげでしばらくは大丈夫でしょう」
「別に。ただの暇つぶしよ」
庭でお茶をしながら休憩を取る。飲んでいるコーヒーの味も変わらないはず。なのにそれが違って感じるのは、私が変わってしまっているせいだろう。
暇つぶし。そう、結局は全て暇つぶしだ。掃除をしている方が気が紛れるだけ。何もせず、考え事をしていても苛々するだけだ。つい先日こいつに言われたように、疲れているのかもしれない。体ではなく、精神が。
魔族国家フリージア。その国王として。天秤として。やることは山積みだ。でもそれに飽きつつある。終わりが見えない。自分でそう決めたはずなのに。どうしてこんなことをしているのか。忘れてしまいそうになる。それを必死に誤魔化している。考えないようにしている。
だがシュトロには見抜かれていたのだろう。ハイターと同じように。ここにやってきたのもシュトロの勧めだ。少し気分転換をして来ればいいと。教典の改定にわざわざ私が同行することもないというのに。結局それに乗せられてしまう、騙されてしまうのだから。私も他人のことは言えない。
そのおかげもあってか、ここに最近は調子も悪くない。かつての環境に身を置いたからか。帰巣本能なんて私たちにあるとも思えないが。ハイターがこっちを振り回してくれるのもあるのだろう。あえてそう振舞ってる節もある。あの子、フェルンの存在も大きい。リーニエと一緒に動いているそれは、まるであの頃のよう。違うのは、あいつがいないことだけ。
「それで? あんたの方はちゃんと進んでるわけ?」
「はて。何のことでしょうか」
「とぼけるんじゃないわよ。教典のことよ。まさか手を付けてないなんて言うんじゃないでしょうね?」
それを振り払うように、ハイターに問いかける。ここに来た表向きの理由。教典の改定について。あの子たちに振り回されてばかりでおざなりになってしまっていたこと。だというのに、ハイターはどこかとぼけた返事をしてくる。本当に口の減らない奴だ。一々人をからかわないと生きていけないのか。聖職者の風上にも置けない奴。
「まさか。ちゃんと進めていますよ。そうですね。このままいけば恐らくあと十日ほどでしょうか」
そんな私を楽し気に見つめながらハイターはそう告げてくる。ならさっさと言えばいいものを。本当に良い性格をしている。なのに仕事は早いのだから始末が悪い。そういうところはあいつと同じだ。やはり親友云々は馬鹿にはできない。私にとっては迷惑でしかないのだが。
「ですが驚きました。私が作った物がここまで洗練されているとは。魔族の習性を理解した改変がされていました。一体誰が作ったのです? 貴方ですか?」
「いいえ。研究者気取りの変わり者の魔族よ。利害の一致で協力してるわ」
「なるほど。貴方に負けず劣らずの変わり者なのですね。向こうにも友人がいるようで何よりです。ぜひ会ってみたいですね」
「止めた方が身のためね。ただでさえ老い先短い寿命を縮めたくないならね。向こうは喜んでお話ししてくれるでしょうけど」
「なるほど。それは残念です」
どこまで本気なのか分からない冗談を口しているハイター。なるほど。こいつの目から見てもそう感じるということは、やはりあいつを利用したのは間違いではなかったのだろう。あいつと同じことをハイターも口にしている。あいつがここにいればきっと喜ぶに違いない。同時に怖気が走る。友人、友達という言葉。まさかそこまで同じことを口にするとは。こいつらの目方で見れば良く言っても共犯だろう。何にせよ、顔を合わせることがない方が幸せに違いない。
「それは置いておくとしても、つい考えてしまいますね。このまま教典を改定しないままにできないものかと」
「? どういう意味よ?」
そのままコーヒーを口につけようとするも止まってしまう。一体何を言っているのか。八十年以上人間社会で暮らしていたこともあって、人間たちの言葉の意味はおおよそ理解できているはずだが、こいつに関しては例外だ。回りくどい、理解しがたい言い回しや例えをよくしてくる。もっともこいつだけではなく、神父や僧侶といった連中はそういう傾向が強い。何故もっとはっきり言わないのか。時間の無駄でしかない。その内容もまた
「そのままの意味ですよ。そうなれば、貴方たちはここに留まってくれるでしょうから」
私にとっては、本当に理解できない無駄でしかないことだったのだから。
「……下らないことを考えてるのね」
「そうですね。ですが嘘偽りない本心です。ここにリーニエがいないのが残念ですが」
本当に下らない理由だ。論理的にも破綻している、子供の言い訳のようなもの。ようするにこいつも中身は子供のままなのだ。それを何故か誇っているのだから質が悪い。それに利用されかねないリーニエ。リーニエをそんな風に利用しようとするのはこいつぐらいだろう。
「そういえばお礼がまだでしたね。ありがとうございます。フェルンに魔法を教えてくれたようで」
「私はそんなことしてないわ。魔導書を渡しただけ。あの子が勝手に覚えただけよ」
「それでもです。あの子にとってはそれだけで十分だったのですから。今も必死にそれを学んでいます。蒼月草を咲かせようとね」
「…………」
まるで孫を心配する祖父、いや娘を心配する父のように。らしくない顔を見せているハイター。どうやらこっちの事情は筒抜けのようだ。もっとも、こいつが謀ったことなのだから当然と言えば当然。どこからどこまでかは分からないが、私たちはこいつの掌の上だったに違いない。別にそれ自体は構わない。そこに悪意はない。私を貶めようとする意志も。それは善意なのだろう。私への、もしくはフェルンへの。人間で言うなら親心か。それはいい。利用されるのは癪だが、甘んじて受けよう。私のルール、生き方に逸脱しないのであれば。
「────アウラ。一つお願いが」
だがその一線を、こいつは超えようとしてくる。お願いという名の命令。こいつが私に何を望み、させようとしているのか。ここ半月ほど観察、考察してきておおよそ予想はついている。それに対する私の解答も。純粋にそれのみであったなら、お願いを聞くかは半々だっただろう。しかし
「────何を企んでるかは知らないけど、私はフリーレンじゃないわよ」
その一点においてのみ、私は否定する。それはかつて、ヒンメルにも告げた言葉。違うのはその意味。あの時は私には何の悪意もなかった。私をあのエルフを同一視するなという意味でしかなかった。
だが今は違う。それは私にとってはこれ以上にない侮辱だ。その名を口にするのも憚れる。そもそもこいつはヒンメルに私をあのエルフと混同するなと釘を刺してすらいたというのに。かつてのヒンメルと同じ勘違いをしている。フェルンを拾って浮かれていたのか。それとも老いぼれてしまったからか。
「…………そうでしたね。歳は取りたくないものです。これではヒンメルのことも言えませんね」
あの時のヒンメルと同じように言葉を失いながら、詰まらせながらようやくそのことに気づいたらしい。僧侶が諭されていたのでは笑い話にもならない。柄にもないことをするからだろう。もっともそれを口にする気はない。少なくも、私にその資格はない。
「下らないことを考えてないで、あんたはさっさとあんたのことをしなさい。いい迷惑だわ」
自分自身に言い聞かせるように、そう告げる。同族嫌悪だろうか。何にせよこの件に関してはこいつが悪い。あのエルフの代わりなど死んでも御免だ。
「どこに行かれるので?」
「あの子たちのところよ。どうせ遊んでるに決まってるわ。リーニエがね」
そのままその場を後にする。これ以上話すことはないのもあるが、一番はあの子たちが理由。きっと遊んでいるに違いない。主にリーニエが。フェルンに迷惑をかけかねない。そのまま振り返ることなくさっさと家へと向かう。逃げるように。いつものようにこいつにお母さん呼ばわりされる前に────
「大丈夫だよ、フェルン!」
階下の書斎から大きな声で、魔物もお化けもいないと自信満々に教えてくれるリーニエ様。私が書斎が怖いと言ったからだろう。先に降りて、本当にそれがいないか確認してくれる。まるでお姉さんみたいだ。子供っぽい自分が恥ずかしい。
そのまま少しでも頑張らなければと掃除を始める。リーニエ様も勝手知ったる様子で掃除を進めている。やはりここで暮らされていたからなのだろう。年月で言えば、きっと私よりもずっとこの家に詳しいに違いない。見た目と年齢が一致しないのも魔族の特徴なのだから。リーニエ様は八十年、アウラ様は五百年以上生きているらしい。らしいというのも、アウラ様たち自身が正確には覚えていないから。自分が生まれた日も知らない。生まれてから一人で生きるのが当たり前。本当に私たちとは何もかもが違う。だというのに、このお二人はどうしてここまで私たちに似ているのか。
(っ! いけない。私も頑張らないと……)
気づけば手が止まってしまっていた。リーニエ様一人に掃除をさせてしまっている。いくらお姉さんだとしても、ここは私が住んでいる家なのだ。私がちゃんとしなくては。そう気を引き締めようとした瞬間
「あれ……?」
その違和感に気づく。掃除しようと思って、普段見ない場所まで見ていたからか。それともいつもは怖くて見ないようにしていたからか。
それは天井だった。その一部がどこか違って見える。見間違いかもしれないと思うほどの僅かな違い。
「どうしたの、フェルン?」
「いえ、あそこだけちょっと天井が……」
そう告げるや否や、当たり前のようにそのまま宙に浮いて確認するリーニエ様。それに思わず驚いてしまう。梯子もいらないのだろう。まるで手を伸ばしたり背伸びするかのように、自然に飛行魔法を使っている。それが魔族なのだ。
「よく見つけたね、フェルン! これは仕掛けだよ!」
そんな呆気に取られている私に、まるで魔法が上手くできたことを褒めるように褒めてくれるリーニエ様。それにどこか恥ずかしさを感じながらも、仕掛けという言葉に首を傾げてしまう。
「ダンジョンにはよくあるの。落とし穴だったりミミックだったり。あ、でも大丈夫。私は見れば分かるからフリーレンみたいに引っかかったりしないから!」
「そ、そうですか……」
どうやらそれは触れれば何かが起こる仕掛けのようなものだったらしい。本当にこの書斎はダンジョンだったのだろうか。何でそんなものがここにあるのか。ここはハイター様の家なのに。だとしたら仕掛けたのはハイター様に違いない。どうして。何のために。分からないことだからなのに加えて、リーニエ様の仰っていることもまた分からない。どうしてそこでフリーレン様が出てくるのか。
「でももしかしたら危ないかもしれないから、ちょっと下がっててね!」
言われるがままに、私は少し離れた場所で待つことになる。ハイター様が家でそんな危ない仕掛けを作るとは思えないのだが念のため。本当にリーニエ様はこういうことに慣れているのだろう。慣れた様子で次々に動いていく。そのまま天井を押して、何かに気づいたのか。リーニエ様は本棚を動かしている。たくさん本が入っていて、とても重いはずなのに軽々と。その細い女性の腕で。魔法だけではない、魔族と人間の違い。
「もういいよ、フェルン!」
「あ、はい!」
それに気を取られていたのか。リーニエ様の合図とともに慌てて私もそこへと向かう。そこには開きかけている床の一部、どうやら床下に何かを隠していたらしい。本物のダンジョンなら金銀財宝が眠っているのだろうか。勇者様一行の冒険譚なら、下らない魔導書なのかもしれない。
「何かな何かな?」
まるで宝箱を見つけたように、目を輝かせながらリーニエ様はその中を漁っている。それがミミックなら齧られてしまうに違いない。もっともミミックかどうか判別できる魔法があるらしいので、それに引っかかるような人はいないそうだが。でもやっぱり私も気になってしまう。何だがどきどきする。一体何があるのか。これがきっと冒険者の気持ちなのだろう。しかし
「それは……本、ですか?」
どうやら金銀財宝でも魔導書でもなさそうだった。リーニエ様は手に本を持っている。何の変哲もない、魔力も感じない物。どうやら中にある物はすべて同じような本らしい。たくさんある。ハイター様が何か隠しているのかと思っていたので、大切な物だとするとお酒だろうと思っていたのに。お酒は百薬の長なのだから。だとしたら私たちには見られたくない本だったのだろうか。もしかしたら、子供の私たちが見てはいけないものだったのか。そんな不安がよぎるも
「あ! これ、ヒンメルの日記だ! こんなところにあったんだ!」
「……え?」
その正体を、リーニエ様は知っていたらしい。ヒンメル様の日記。どうしてそんなものがここに。しかも隠されているのか。誰かに見られたくなかったのだろうか。でもリーニエ様は嘘をつかない。他ならぬリーニエ様がそう言うのだから、これは本物なのだろう。それでも、思わずその真偽を確かめるために日記を開こうとした瞬間、体が固まってしまう。まるで石にされてしまったかのように。何故なら
「────あんたたち、ここで何してるの?」
そんな、まるでお母さんのような声が私たちにかけられたのだから。
それが本来まだ見つかるはずのなかった、勇者の宝箱が見つかってしまった瞬間。彼女たちは知らなかった。それが新たな新奏が紡がれることになるきっかけであることを────