勇者ヒンメルの死から二十年後。
中央諸国聖都シュトラーク郊外。
「この森いつも迷うな……」
生い茂る草木の中を彷徨い続ける。森の中を進むのは慣れているものの、やはりこの辺りはいつも迷ってしまう。同じような地形が続いているのもあるが、今は事情が違う。少なからず自分が焦っているのもあるだろう。
それはある噂を耳にしたから。それを確かめるために、私はそこへ向かっている。ちょうどそろそろ訪れようと思っていたところでもあったからだ。
(この辺りのはずだけど……)
かつての旅の途中で聞いた話。魔王を倒した後は、聖都の郊外に別荘を建てるのだと。隠居して悠々自適に過ごすために。まだ魔王を倒したわけでも、年老いたわけでもないのに。あいつらしいのかもしれない。
どれだけの時間がかかったのか。ようやく森の開けた場所に辿り着くと同時にようやく目的地を見つける。森の中にぽつんと立っている一軒の家。きっとあれがそうなのだろう。けれど知らず立ち尽くしてしまう。ただその光景に目を奪われる。
(あれは……)
まるで家を囲むように咲き乱れている花畑によって。
ただ息を飲んだ。いや、呼吸を忘れてしまったのかもしれない。それほどに、その花々は美しかった。どこか幻想的な、全てを包み込んでしまうような温かさを感じる、青い花びらが舞う光景。まるで花の湖の中にいるかのような感覚。
同時に思い出すのは二つの記憶。一つはずっと昔、今は亡き師に教えてもらった、彼女が一番好きだった魔法。
もう一つが、仲間たちと一緒に見た花畑。とても下らなくて、楽しかった思い出。私の魔法を褒めてくれた、馬鹿な仲間たち。
(────間違いない。花畑を出す魔法だ)
この花たちは魔法で生み出されたものだ。見れば分かる。ハイターの仕業だろうか。だとしたら大したものだ。僧侶のくせに。
「……そういえば、アイゼンと一緒にはしゃいでたっけ」
思い出すのは、ハイターとアイゼンが花畑の中を楽しそうにはしゃいでいた光景。大の大人二人が。気持ち悪い、下らない思い出。忘れたくても忘れられない光景。
「綺麗な花だね……何の花だろう?」
知らずその青い花を手に取ってしまう。私も色々な花を出せるように見てきたつもりだが初めて見る花だった。この辺りでしか生息していない花なのだろうか。
「……覚えておこう」
魔法はイメージであり、技術でもある。見たこともない、分析したことのない花を生み出すことはできない。だから覚えておくことにしよう。珍しい花なのかもしれない。
「邪魔するよ、ハイター」
そう言いながら家の中に入って行く。返事はない。人の気配も。でも生活の跡がある。つい最近まで、誰かと一緒に住んでいたかのような。
先に寄った聖都で聞いた話。なんでもハイターは小さい女の子を預かっていたのだと。らしくないことを。進んで人助けをするような質じゃないだろうに。その子もハイターの知人に引き取られたらしい。もう少し早ければ私が預かっていたのだろうか。いや、それはできないか。足手纏いになる。友人から預かった子を死地に連れて行くわけにはいかない。そもそも私に子育てなんてできるわけがない。
(これは……)
地下には書斎があった。所狭しと本が置かれている。だがその内容だった。私の好みそうな魔導書ばかり。僧侶で女神様の魔法を使うハイターには必要ない物のはずなのに。本当にハイターらしい。きっと私に見せびらかすためだったのだろう。いつも頼んでもいないのに飴を渡してくるような奴だった。
(もうこんな時間か……)
読んでいた魔導書を閉じながら再び家の中を散策する。気づけばもう夕方になっていた。少し流し読みしていただけなのに。日が暮れる前に済ませなくては。
結局お酒はどこにも見当たらなかった。控えている云々は本当だったのか。それともどこかに隠しているのか。
でも本来の探し物は見つかった。いや、見つけてしまった。
「あれは……」
窓から見える景色。庭の中にそれはあった。ゆっくりそこへ向かう。それはご丁寧に花に囲まれている。家と同じように青い花畑によって。それによって作られた花の冠までかけられている。青い花以外の花束もたくさん供えられている。間違いない。
「やっぱり死んだんだね。ハイター」
それはハイターのお墓だった。そこに刻まれた名前がそれを示している。
酒は百薬の長だなんて言っておきながら。殺しても死ななそうな奴だったのに。天国に、女神様の元に行ってしまったのか。天国が実在するかどうかはどっちでもいいと言っていた生臭坊主のくせに。
やはり嘘ではなかった。魔族は嘘をつくが、人間もそれは同じだ。噂が、嘘が好きだからだ。今までそれにどれだけ振り回されたか分からない。最近は人間と魔族が共に暮らしている楽園のような国がある、なんて噂を耳にする始末だ。本当に趣味が悪い。でも、流石にこんな嘘を流すほど人間たちは悪趣味ではなかったらしい。こんな時だけ、嘘ではないのだから。
いや、私も他人のことは言えない。先に立ち寄った聖都で聞かされていたのだから。一月前に、ハイターが死んだことを。それを認められなくて、信じたくなくて。こんなところまでやってきたのだから。
「────」
ただそのまま立ち尽くす。物言わぬ墓石の前で。無言のまま。何をするでもなく。
ふと自分の目元を触ってみる。何もない。涙もない。表情も変わっていない。それはきっと、私が薄情だからだろう。
ヒンメルの葬儀の時もそうだった。悲しい顔一つしないなんて、薄情だと言われた。仲間なのにと。でも仕方がない。
「だって私、ハイターの事、何も知らないし……」
私はハイターのことを何も知らない。飴をくれる。酒好きで、週に一度は二日酔いで役に立たない。私の頭を撫でてくる奴。たったそれだけ。
「たった十年一緒に旅しただけだし……」
十年。私にとっては人生の百分の一にも満たない、僅かな時間。
「人間の寿命は短いって分かっていたのに……なんでもっと知ろうとしなかったんだろう」
ヒンメルの時にそれは分かっていたはずなのに。私はどうしてまた同じ間違いを犯しているんだろう。
ヒンメルが死んだあの時から、もっと人間を知ろうと思った。旅先で会う人とはなるべく関わるようにしている。でも違ったんだ。私は、もっと身近な人たちと関わるべきだったのだ。
ハイターにはたくさん借りがあるから、死なれる前に返しに来たのに。
『聖都に寄ることがあったら、私の墓に酒でも供えて下さい』
そんな声が聞こえてくる。覚えている。だから約束を果たしに来た。
天国で贅沢三昧する。そのために魔王を倒した生臭坊主。私の友達。
『それでは、お先に』
思えばあれが別れの挨拶だったのだろう。あいつなりの。死ぬのが怖いくせに格好をつけた。
あの時、引き留めるべきだったのか。一緒にいたいと。いや、きっと断られてしまっただろう。アイゼンのように。ならどうすればよかったのか。
知らず涙が落ちていた。雨のように。知らない内に私は泣いていたらしい。今自分がどんな顔をしているのか分からない。今だけは、私一人で良かった。誰にも見られることはない。
「……少し早めにアイゼンに会いに行ってみるかな」
日もすっかり暮れてしまった。顔を拭いながら、そう決める。物はついでだ。ドワーフの寿命は人間のように短くはない。焦る必要はない。でも、少し早く会いに行ってみよう。
「あ、忘れるところだった」
らしくないことを考えていたからか。肝心なことを忘れてしまうところだった。鞄の中から一本の瓶を取り出す。旅先で見つけて買ってきた葡萄酒。アイゼンの好きな葡萄とハイターの好きなお酒。一石二鳥のお土産。墓に供えるために、一緒に飲むために買ってきた葡萄酒。それを墓にかけていく。今頃天国でヒンメルと一緒に酒盛りしているに違いない。
フリーレンはそのままハイターが暮らしていた家へと戻っていく。その羽を休めるために、渡り鳥のように。次の止まり木に向かうために。一輪の花を鞄にしまいながら。
フリーレンは知らなかった。その花の名前が蒼月草であることを。かつてヒンメルが愛した花であり、ハイターにとっての故郷の花であることを。
フリーレンは葬送の旅を続ける。知らず自分が蒼月草を受け継いだことに気づかぬまま。
渡り鳥は巣に用意された餌に引っかかりながらも、たった半年ほどでかつての仲間の元へと旅立ったのだった────
作者です。
今話でこの章に関しては一区切りになります。ここまで進められて少しほっとしています。この章はこのフリーレン視点に辿り着くためのものでした。
ここからは少しあとがきを。
タイトルにあったように、この章はフェルンとアウラの過去の出会いがテーマでした。ヒンメルの日記を見つけてしまった以外は、本編と同じ流れになっています。
本編であればアウラはハイターの頼みを断り、フェルンを預かることはありませんでした。その別れを惜しんでいるフェルンに「心配しなくてもすぐに渡り鳥がやってくるわよ」と言い残し、アウラは落ち込んでいるリーニエと一緒に去っていきます。
それから一月後に、原作と同じように森で道に迷っているフリーレンとフェルンが出会う。そこでフェルンはアウラの言葉の意味を知る。それが過去編のクライマックスでした。
本編でフェルンがフリーレンが薦めてくる魔導書の中から『鳥を捕まえる魔法』を選んだのにはそういう意図もありました。フリーレンは気づいていませんが。アウラが『エルフを捕まえる魔法』をゼーリエにもらったのも考えれば、本編でもアウラとフェルンは似た者同士と言えるかもしれません。
次話からは新章、新節になります。蛇足になりますが、本編とはまた違う物語を楽しんでもらえれば嬉しいです。感想お待ちしています。では。