「いいのか。ハイターが泣いてしまうぞ」
「構わないわ。もう付き合ったもの。アルコールを抜いてね」
「そうだったな」
そう言いながら杯を合わせて乾杯し、酒盛りを始める。リーニエもシュタルクも寝てしまっている。リーニエを落ち着かせるのに一番苦労した。目の前にリンゴをぶら下げられたようなものなのだから。結局私たちは別の部屋で引き籠ることになってしまった。これではハイターのところで魔族の振りをしていたのと変わらない。でなければあの子、シュタルクが怯えてしまう。それも寝静まり、ようやく解放された形。もっともこの茶番に誘ったのは私からなのだがそれはともかく。
「どうしてあの子を弟子にしたのよ。預かるだけでいいのに。そもそもあの子が戦士になんてなれるの?」
ハイターに持たされた葡萄酒を飲みながら、そんなもっともな疑問を投げかける。何故あの子を弟子にしたのか。拾うだけならまだ分かる。ハイター同様らしくはないが、理解はできる。しかしやはり弟子にするのは理解できない。
こいつの言う戦士はまさしく化け物だ。何度倒れても立ち上がり、技を叩きこむ。およそまともではない、頭まで筋肉でなければできない信念。在り方。とてもあんな人間の子供が受け継げるとは思えない。それに
「あいつは戦士の村の生き残りだからだ」
「戦士の村……?」
同じように大好きな葡萄の酒を飲みながら、不愛想にアイゼンは答えてくる。戦士の村。それがシュタルクの生まれなのだと。何でも優秀な戦士を輩出する家系であり、それを生業にしている一族。その実力はアイゼンも認めるほどだったらしい。なるほど。ならアイゼンが自分の弟子にしようとするのも頷ける。
(そんなところを襲うなんて、まともな奴じゃないわね……)
同時に警戒も。そんな村を襲うなんて魔族でもしないだろう。なら滅ぼしたのは普通の魔族ではない。将軍か、大魔族か。何にせよまともではない。近くにいないことを祈るしかない。
だがようやく理解した。あんな小さな子供が、遊びたい盛りだろうにこの筋肉馬鹿を師匠にして修行している理由を。
「敵討ちってことね……」
敵討ち。復讐。それが目的なのだろう。私たち魔族に恨みを抱く人間のほとんどの行動原理であり習性。その最たるものがあのエルフだ。千年以上魔族を狩り続けているのだから。本当の化け物はあいつだろう。それには及ばないだろうが、シュタルクもそうに違いない。だとするとますます私たちはあの子には関われなくなってしまう。どうしたものか。そう思案するも
「……いや、恐らくそうではない」
「? 何でよ。家族を殺されたんでしょ」
目を閉じながら、まるで独り言のようにアイゼンはそう漏らしている。敵討ちではないのだと。理屈に合わない。子供でも分かるようなことだ。家族を失うことが、奪われることが人間にとってどんな意味を持つかなどとうに理解している。なのにそうではないとこいつは思っている。それは何故か。
「あいつは故郷の村が魔族に襲われた時、一人だけ逃げ出した臆病者だからだ。俺と同じだ」
自分と同じだから。そんな下らない理由。その時のことを思い出しているのだろう。臆病者。ことあるごとにこいつ自身が口にしている言葉。自らを卑下する物であり、同時に自らを鼓舞する、戒めるための物。
「そう。なら素質は十分ってことね。あんたみたいな化け物にならないことを祈ってやるわよ」
欠片も理解できないが、こいつがそう言うのならそうなのだろう。戦士というのは私たちとは違う生き物だ。ならあの子にもその素質があるのだろう。こいつの弟子になってしまったのは不運というしかない。崖から落ちても無傷で済むような化け物にならないように祈ってやろう────
「それで? 何が聞きたい?」
しばらく他愛のない、老人が好む昔話に付き合ってやっていると不意にアイゼンがそう切り出してくる。どうやらこちらの出方を伺っていたらしい。
「何のことよ。私はあんたと酒が飲みたかっただけよ」
「酔えない酒をか? やり口がハイターと同じだぞ。今はエーヴィヒだったか」
「そうね。あいつのようにはいかないわね」
やはりらしくないことはするものではない。とっくにこっちの思惑はバレてしまっていたらしい。これはあの生臭坊主の専売特許だ。今は賢者だったか。今頃くしゃみでもしているに違いない。そんな空気を振り払いながら
「単刀直入に言うわ。アイゼン。あんたもフリージアに来なさい」
根回しも何もなく、ただ単刀直入にそう告げる。私がここに来た理由、目的を。それがドワーフ狩りであることを。こいつ相手に腹の探り合いなど無意味だからだ。単純が服を着て歩いているような奴なのだから。
「……何故だ? 前にも言っただろう。俺にはハイターのようなことはできん。足手纏いだ」
「よく言うわよ。今ウチは人手不足でね。ドワーフの手も借りたいのよ。土木作業なんてお手の物でしょ。建築科の連中なら喉から手が出るほどよ」
足手纏いか。よく言ったものだ。確かにハイターのような手練手管はないが、あいつにはない力がこいつにはある。戦士らしい、単純な力が。建国したばかりにフリージアにとっては何よりも必要なものだ。土木、建築においては特にそうだ。最悪斧を振っているだけでも役に立つだろう。それだけで地形が変わってしまうのだから。
「それと教導もね。魔族だけじゃなくて人間の兵も鍛えてもらいたいの。あんたならできるでしょ」
それだけではない。兵たちの教導にも利用できるだろう。腐ってもリーニエを鍛えている奴だ。魔族の連中の鼻っ柱を折るのにも丁度いいだろう。人間の兵たちにも同様だ。皆が皆戦士になどなれないだろうが、心構えぐらいはできるかもしれない。
「どれだけこき使うつもりだ? 同じ老人をもっと労わったらどうだ」
「あんたなら余裕でしょ。戦士なんだから。今のは聞かなかったことにしてあげる」
全く隠居させる気がないと悟ったからだろう。そう悪態をついてくるが聞く耳は持たない。こいつの言う老人や衰えは私たちのそれとは違うのだから。それにしても私を年寄り扱いするなんてこいつらぐらいだ。命知らずめ。ヒンメルなら口にすることはないだろうに。
「どうしてそこまで俺を誘う? ヒンメルならそうしたからか?」
「いいえ。あいつならこんなことはしないわ。これは私がやりたいからそうしているだけ。誰かの真似じゃないわ」
そんな私の胸中を見抜いたかのようなタイミングで、アイゼンもまたその名を口にしてくる。何の躊躇もなく。かつての私を前にしての禁句を。それに臆することなく私も答える。こいつにしては珍しく、ヒンメルのことを理解していないのか。あいつなら年老いたこいつらを誘うようなことはしないだろうに。
そう。これは紛れもない私の意思だ。誰かの真似でもせいでもない。私がしたいからそうしているだけ。今の私の行動原理。
「これは……」
「ヒンメルの日記よ。ハイターのところで見つけたわ」
それを鞄から取り出し投げ渡す。そのきっかけを。口で説明するのが面倒だったからだ。こいつなら、それだけで十分だろう。
「そうか……読んだのか?」
「ええ。あんたも読んでみる?」
「遠慮しておこう。恥ずかしくなるだけだ」
「流石ね」
流石は勇者一行。全てを察したのだろう。こいつらはどいつもこいつも。恐らく日記の内容もあらかた想像がついているのだろう。あの勇者様がどんなことを考えていたかなんて、読むまでもないということか。本当に気持ちが悪いぐらい仲が良いやつらだ。
「それを読んで馬鹿らしくなったのよ。あいつの真似はもう止めるわ。格好をつけて、一緒にいたいくせに嘘をついている奴らに合わせるのもね」
だからこそ、私も馬鹿らしくなったのだ。それに従っている、囚われていた自分自身が。ヒンメルが言っていたように、あいつは嘘ばかりついていた。
本当はすぐに会いに行きたいくせに、探しに行きたいくせにそれを我慢していた。
仲間と一緒にもっと話したい、冒険に行きたい、一緒にいたい。なのに格好をつけて言えないでいた愚かな嘘つき勇者の日記。
知らずそれに私も毒されていたのだろう。本当に慣れというのは恐ろしい。私はこの日記を手に入れることで、ようやく解放されたのだろう。主従という名の友達から。
「答えなさい。アイゼン。偽ることは許さないわ」
法衣を纏わぬまま、天秤を顕現させぬまま。言葉だけでアイゼンに問い質す。勇者一行を知る者として。天秤として。その空気を感じ取ったのか。アイゼンは身じろぎ一つしないまま。ただその目で答えてくる。八十年たっても変わらない、戦士の瞳。
思い出すのはかつてここでした問答。自らの命を秤にかけたもの。その再現。同時にあの時の続きでもある。あの日、ヒンメルの死後、フリージアの建国を口にした私に、こいつが問い質してきた命題。
「ここに閉じこもって、鍛冶をして、墓に祈り続けるのがあんたの本当にしたいことなの? ヒンメルならそうしたからそうしているだけじゃないの?」
あえてそれを突き付ける。ヒンメルならしないこと。こいつが何を思ってここで隠居しているのか。私には分からない。それでもそれが本心でないことは分かる。こいつらは嘘つきだからだ。魔族よりもずっと。本当はもっとしたいことがあるのに、それを隠している。我慢している。ヒンメルならそうしたからと。かつての私がそうであったように。
そう。あの時、生ける魔導書に望む特権を問われた時がそうだ。私はあの時、『エルフを捕まえる魔法』を望んだ。それは今も私の手にある。でも違ったのだ。私はあの時、『エルフを探す魔法』を望むべきだったのだ。例えそれがヒンメルの望みに、やせ我慢に反するものであっても。それに倣う必要はなかった。私は人間ではない、魔族だったのだから。
「聞かせなさい。アイゼン。それはハイターやリーニエ。あの子を差し置いてもしなければいけないことなの?」
だから同じ間違いはもう犯さない。そんな暇は私にはない。私は私の思うがままに蹂躙する。支配する。従える。そのために利用してやろう。こいつらを。
これは脅しだ。人質だ。かつて私がされたことの仕返しでもある。私が持ち得る、私の悪意を持って。かつてこいつに問われた命題を、そのまま突き返す。二十年間、迷い続けた答えとともに。
「────私に従いなさい。アイゼン」
これは勇者一行の戦士。アイゼンを服従させるための戦い。かつての屈辱を晴らすためのものであるということ。
「…………それがあの時の答えか。まさか言い返されるとはな。ハイターが連れ出されるわけだ。とても『天秤』とは思えん」
「知らなかったの? 私の天秤は平等じゃないのよ。
残念だったわね、と続ける私を前にして目を見開き固まってしまっているアイゼン。付き合い始めてから初めて見る姿。いい気味だ。平等なんてものはこいつら相手にはない。そんなものはヒンメルに従わされたあの時からとうになくなってしまっている。こいつらは例外だからだ。
だから引きずり出してやる。手に入れてやる。この臆病者を連れ出してやる。手段は選ばない。利用できるものは何でも利用する。例えそれが
「自分が言ったことを忘れたわけ? 頼りにしてるのよ。責任を取りなさい。『お父さん』」
こいつにだけ通じる魔法の言葉。何の効力も持たない、口約束だったとしても。迂闊だったと嘆くがいい。自分がした約束によって、自分が縛られることに。これで服従させられた私の気持ちが少しでも分かるだろう。
「…………降参だ。俺もそこまで薄情者じゃない」
「あんたはただの臆病者じゃない」
深く目を閉じ、肩を落としながら戦士は服従する。ようするにこいつは『お父さん』なのだ。散々私のことをお母さん扱いしてきた報いだろう。こいつも薄情者扱いは耐えられなかったらしい。それができるのはあのエルフだけだろう。こいつは臆病者なのだから。
秤は私の側に傾いた。ここに判決は下された。この瞬間、こいつは私に従う従者となったのだ────
「まさかこの歳になってまで連れ出されるとはな。やはりお前とヒンメルは似た者同士だ」
「? 何でそうなるのよ。気持ち悪いわね」
「罪な女だ」
さっきまでの意気消沈した姿はどこに行ったのか。居心地が悪くなるような妙な視線を向けて、気持ち悪いことを口走っている我が従者。一体何を言っているのか。あいつの真似をやめたのにどうしてそうなるのか。久しぶりにその呼び方をされた気がする。私にとってはただの侮辱だが。こいつらは主人を敬う気持ちがないのか。少しはリュグナーを見倣わせてやりたいほど。
「それで? 俺たちを集めてどうするつもりだ? もう一度勇者一行でも作る気か?」
「それも面白そうだけど、今はまだいいわ。あんたたちには寄せ餌になってもらうわ。あの薄情者を釣るためのね。ついでに盾にもなるから一石二鳥ね」
「俺たちは身代わりか」
「捨て石よ」
「そうか。おなかが痛くなってきた。帰ってもいいか?」
「ここがあんたの家でしょ」
そんなリーニエでなくとも分かるような嘘をついて逃げようとしているアイゼン。だが後悔してももう遅い。逃がす気はない。それはかつて私が考えていた作戦でもある。言わば人質だ。葬送という名の死神のあいつなら遠からずフリージアにやってくるはず。その時がエルフ狩りの始まりだ。
今は二つになってしまったがこいつらも肉壁ぐらいにはなるだろう。そもそもあの薄情者相手にこいつらが人質になるかは疑問だが。その末路を悟ったのか。アイゼンは震えている。せいぜいこき使ってやろう。
「俺たちも尻に敷かれるとはな。それはヒンメルの特権だと思っていたが」
「そんな特権与えた覚えはないわ。そもそもあんたを敷いてもお尻が痛くなるだけでしょ」
「照れるな」
「褒めてないわよ」
だがこいつが食えない奴であることは変わらない。何が特権だ。あの老害の真似など怖気が走る。そもそもこいつを椅子にしても役には立たない。筋肉ばかりで座り心地は最悪に違いない。そもそもそんな趣味は私にはない。
「冗談はいいとして……やはり俺一人では決められん。シュタルクがいるからな」
「そうね。それは私も誤算だったわ」
その髭を撫でながら、アイゼンはそう思案している。なるほど。確かにそうだろう。シュタルクの存在は私にとっても予想外だったのだから。おかげでこいつを連れ出すための障害が一つ増えてしまった。ある意味では、最も大きな障害ともいえるだろう。だが
「でも無駄な心配よ。ちょうど前例があったところよ」
「何の話だ?」
やはり運命は私に味方しているのだろう。女神の奴なんて欠片も信じていないが、今だけはその加護を信じてやってもいい。今の私には経験がある。同じ前例を、判例を目の当たりにしてきたばかりなのだから。
「知らないの? あの子は今『お姉ちゃん』なのよ」