「この森に、村を竜から救った戦士がいると聞いた。それは君か?」
日課の修業を終えて、家に戻ってきた途端、そんな聞き馴染みのない声が響いてきた。振り向いた先には人間がいた。歳は十代後半ほどだろうか。見たことのない顔だ。冒険者だろう。その証拠に腰には剣を携えている。いわゆる好青年だろうか。仲間なのか。もう一人男を連れている。こちらは法衣を纏っている。聖職者、神父か僧侶だろう。こんな辺ぴなところにやってくるのも物好きだが、その理由もまた同じだった。
「それはただの勘違いだ。俺は竜に食われただけだ」
ただ淡々と事実を伝える。そう、それは間違いなく俺のことだろう。だが大きく事実とは異なっている。騙されている。勘違いしているのだ。俺はただ人里の村で、竜に食われただけなのだから。村を救ってなどいない。
「ならどうしてここに?」
「吐き出された。不味かったんだろうな」
青年がそう問いかけてくる。食われたのにどうして生きているのかと。単純だ。吐き出されたからだ。正確には齧られたが、そのまま吐き出されてしまった。きっと不味かったのだろう。そのせいで嫌気がさしたのか。竜はそのままどこかに去ってしまった。俺はそのまま涎まみれで放置されてしまった。村人たちが何やら集まってきたが無視してそのまま帰ってきた。ただそれだけ。笑い話にすらなりはしない醜態だ。
「どう思う、ハイター?」
「何なのこいつ……」
だというのに、こいつらは引いてしまっている。こっちの気も知らずに。特に隣の聖職者の反応が酷い。まるで俺のことを化け物か何かを見るような目で見ている。何をそんなに怖がる必要があるのか。怖かったのは俺の方だったというのに。今思い出しても体が震えてしまいそうなほど。対照的に青年、いや剣士の方はどこか興奮した様子でこちらを見つめている。妙な奴だ。ドワーフがそんなに珍しいのか。
「失礼な奴らだな。俺に何の用だ?」
呆れながら、改めてそう問いかける。そもそも何の用なのか。出合い頭に失礼な奴らだ。礼儀を知らないのだろう。そこでようやくそれに気づいたのか。
「僕はヒンメル。いずれ魔王を倒した勇者になる男さ。君に、僕たちの仲間になってほしい」
まっすぐにこちらを見つめながら。格好をつけながら、自称勇者ヒンメルとやらはそんな名乗りを上げてくる。思わずこっちが固まってしまうような妄言を。お伽噺を信じてしまっている子供のような瞳で。それだけでも十分だというのに、何故か俺まで巻き込もうとしている。何の冗談なのか。
「他を当たれ。俺は臆病者のドワーフだ。もっと強い戦士はいくらでもいる」
ため息をつきながら背を向ける。こんな奴に付き合っていてはキリがない。どうやらパーティの仲間集めだったらしい。そういえば最近は魔王討伐のために多くの人間たちが旅立っているらしい。魔王の討伐という夢物語のために。こいつもその一人なのだろう。それがどれだけ荒唐無稽なことか、理解できていないのだ。人間の、短命種の愚かさ。俺なんかを誘おうとしているのが極めつけだ。こんな臆病者を仲間にしたところで足手纏いでしかない。王都にならもっと強い戦士はいくらでもいる。そいつらを頼ればいい。だというのに
「いや、君は僕が出会ったどの戦士よりも強い」
何の迷いもなく、まるで俺のことを知っているかのようにこいつは断言してくる。今会ったばかりだというのに。なのにこいつから目が離せない。目を奪われてしまった。
「何故そう思う?」
「なんとなくだ」
その答えも何の根拠もない。ただの直感だったらしい。なのにそれに惹かれてしまっていた。いや、言葉ではなく、こいつ。ヒンメルに。
それが忘れもしない。忘れられない俺とヒンメルの出会いだった────
それから一か月。あっという間だった。誘いを断ったはずなのに、何故か居ついてしまったヒンメルとハイターとの妙な共同生活。
「どう思うアイゼン? 僕のこのイケメンポーズは?」
「下らんな」
ヒンメルは事あるごとにキザな台詞や、妙なポーズを取ってはこちらの邪魔をしてくる。何でも後世に自分のイケメンぶりを伝えるためだとか何とか。やはりおかしいやつだったのだろう。そのくせ、恐ろしく順応性が高い。気づけばここでの生活に馴染んでしまっている。まるで最初からここで暮らしていたかのような馴染みっぷり。こちらが空恐ろしさを感じるほど。
「何もないところですね。酒場はないのですか?」
「お前聖職者だろ」
「帰れ」
もう一人の居候の方も問題だった。ここをどこかの歓楽街だとでも勘違いしているのか。常に酒を飲んでいるような酔っ払い。しかも僧侶だというのだから世も末だ。聖職者ではなく、詐欺師なのではないのか。週に二日は酔いつぶれて、面倒を見なければいけない堕落振り。女神様はどうしてこんな奴に加護を与えているのか。騙されているのかもしれない。
「この崖は何だい?」
「俺の修業の跡だ」
「ひっ……」
「お前は俺を何だと思っている」
事あるごとに他人をまるで化け物を見るような目で見てくるハイター。失礼この上ない。そういう自分こそ化け物だろうに。僧侶というのはこんな奴らばかりなのか。化け物は自分が化け物だと気づけないのだろう。愚かな奴だ。
そんな二人に振り回される日々。気づけばそれが当たり前になりつつある。その賑やかさに、騒がしさに馴染んでいく自分。そして、それを恐れている自分がいる。また一人の生活に戻ることを。それに気づかぬ振りをしながら、遠ざける。
俺はドワーフだ。人間とは違う。寿命も、価値観も。人とのかかわり方も分かっている。だから深入りしない。自分が傷つくのが怖いからだ。今も昔も────
「……お前たちはいつまでここにいるつもりだ?」
いつものように勝手に酒盛りを始めてしまった二人に巻き込まれ、思わずそう尋ねてしまった。仕方ない。俺には腹の探り合いなどできない。なのでこうするしかない。
「もちろん君を仲間にするまでさ。僕は頑固だからね。ハイターの奴にもよく言われるんだ」
それにさも当然のように、楽しそうに答えてくるヒンメル。こいつも本当に変わっている。どれだけ自分に自信があるのか。頑固なのか。しかも自覚しているのだから質が悪い。俺に負けず劣らずの頑固者なのだろう。
「そのハイターはどこにいる?」
「二日酔いだろう。いつものことさ」
「死んでるぞ」
いつの間にか姿が見えなくなったハイターを探すと隣の部屋で倒れていた。顔が真っ青になり、ピクリともしていない。まるでアンデッドのようだ。僧侶がアンデッドになるなど冗談にもならない。しかも酒で。生臭坊主と呼ばれるも当然だ。介抱する気も起きないので放置する。そのうち復活するだろう。
そのまま残されたヒンメルとともに酒を飲み交わす。だがいつもとは違っていた。こちらが振り回されるほど喋りかけてくるのに、それがない。まるで俺が話し出すのを待っているように。俺が何かを話したがっているのを知っているかのように。ただ静かに待ってくれている。
それに誘われてしまっただろう。いや、魔が差したのか。まだ十年そこらしか生きていない人間に、曝け出してしまった。ずっと心の内に秘めていたものを。
「…………俺は故郷が魔族に襲われた時に一人だけ逃げ出した臆病者だ。何の役にも立てん。竜を前にした時も同じだった。手の震えが止まらん」
きっとこれが懺悔なのだろう。それを僧侶ではなく、目の前のヒンメルにしてしまうのだから、俺も大概だ。
俺は臆病者だ。あの時から何も変わっていない。竜を前にした時も同じだ。俺は戦おうとした。でも体が動かなかった。恐怖によって。体が震えて、斧を手にすることもできない。できたのは逃げ出すことだけ。ただ一人、逃げ延びてしまった自分。そんな俺が、どうして役に立てるというのか。それを
「いいや、君は逃げないよ」
ヒンメルは真っ向から否定する。微塵の迷いもなく。堂々と。まるで未来が見えているかのように。
「お前に俺の何が分かる?」
それを前にして、語気が強くなってしまった。明確な拒絶だ。あまりにも幼稚な反論。それだけで見限られて当然の暴言。何のことはない。それは嫉妬だった。何の迷いもなく、眩しいほどに正しくあれる、ヒンメルが羨ましかった。ただそれだけ。情けない男の泣き言。
「分かるさ。その手を見ればね」
だというのに、ヒンメルはそのまま視線でそれを指してくる。知らず握り拳になってしまっていた俺の手を。言われるがままにその掌を広げる。鍛錬によってボロボロになってしまっているみっともない掌だ。擦り傷や、血豆によって固くなってしまっている、とても人様に見せられるようなものではない。なのにそれをヒンメルはまるで尊敬するような瞳で見つめている。そこに目に見えない何かがあるかのように。
「アイゼンはどうして鍛錬を続けているんだい?」
まるで友達のように、ヒンメルは聞いてくる。誰も知ることも、興味もないことを。俺自身が分かっていない、探し続けていることを。
「どうでもいいことだ」
「人はどうでもいいことのために、こんなにボロボロにはならない」
顔を伏せ、ただ俯くことしかできない。合わせる顔がない。言い返すこともできない。きっとこいつには最初からお見通しだったのだろう。こんな俺の浅はかさなど。
そのままぽつりとぽつりと話していく。まるで溜まっていた物が漏れ出すように、溢れ出すように。
ただ怖かった。あの日、全てを奪っていった魔族たちが。
ただ怖かった。あの日、残してしまった家族たちが自分を恨んでいるのではないかと。
だから逃げ出した。それを誤魔化すために、ただ己を鍛えた。戦士になるために。何度倒れても起き上がり、技を叩きこむ。倒れることだけは許されない。それが戦士の掟だ。
だがどれだけ修行をしてもそれは変わらなかった。体の震えが収まることもなかった。何十年。毎日欠かすことなく斧を振り続けても。当たり前だ。俺はまだ転んだままだったのだから。あの日からずっと。
一人では、立ち上がることすらできない臆病者。
「俺は……俺が怖いんだ。また逃げ出してしまうのが。どれだけ鍛錬を積んでも、俺は俺を信じられない」
それが俺の答えであり罪だ。俺は誰よりも俺が怖いのだ。また逃げ出してしまうかもしれない自分が。裏切ってしまうかもしれない自分が。どれだけ鍛えても、お膳立てされても、自分が何もできないのだと分かるのが。覚悟が、ない。
そのままただ黙り込んでしまう。顔を上げることもできない。目を合わせることも。そのままただ待つ。立ち去ってくれるのを。失望してくれるのを。なのに
「なら僕が信じよう。君が信じられないなら、僕が君を信じる。だから君も僕を信じればいい」
ヒンメルは何一つ否定することなく、それを肯定してくれた。当然だと言わんばかりに。まるで子供のような純粋さで。自分の迷いなど、取るに足らないものであるかのように。信じる。たったそれだけのことで。
「君は最強の戦士になる。僕が保証する。だって君は僕の仲間に、勇者一行の戦士になるんだから」
知らず顔を上げてしまっていた。そこには勇者がいた。自分にとっての勇者が。俺は忘れてしまっていたのだ。勇者は魔王を倒す者のことではない。勇者はその名の通り、勇気を与えてくれる者であるということを。
「────手を取れ、アイゼン。君が旅立つきっかけは、この僕だ」
勇者ヒンメルが手を差し出してくる。俺を立たせるために。旅立つ勇気をくれるために。もう一度立ち上がるために。その手を握る。みっともない手で。ヒンメルはそれをしっかりと力強く握り返してくれる。もう離さないと告げるように。
「……本当に自信家だな。まずは勇者になってから言え。後悔しても知らんぞ。俺はまた逃げ出すかもしれん」
「その時は僕たちも一緒に逃げるさ。僕も怖いのは嫌だからね。その時は担いでもらうよ」
「ふざけた奴だ」
そんな感慨も束の間。いつものようにふざけたことを言ってくるヒンメル。きっとそれがこいつらしさなのだろう。本当に罪な男だ。
「どうやら話はまとまったようですね。いやめでたい。今日は祝杯ですね」
「お前は自分が飲みたいだけだろ、生臭坊主」
「バレましたか」
「世も末だな」
いつから復活していたのか。酔っぱらったままの生臭坊主が纏わりついてくる。まだ飲む気なのか。これで僧侶を名乗るのだから救いようがない。同時にこいつらと一緒に旅するというのがどういうことか悟り、後悔しかけるももう遅い。運が悪かったとあきらめるしかない。俺はこいつらの仲間になってしまったのだから────
「それでこれからどうするんだ? 王都に行くのか?」
「いえ、まだ魔法使いが決まっていません。どうしてもパーティには必要ですから」
「そうか」
翌日。旅支度を整えたままそう聞かされる。どうやらまだ勇者一行とはいかないらしい。魔法使いがまだ不在なのだ。確かにパーティには必要不可欠だろう。戦士や僧侶よりもよっぽど重要かもしれない。それを探すのは骨が折れるだろう。こいつらに付き合える魔法使いがそうそういるとは思えない。だが
「実は誘う魔法使いは決めてるんだ。昔からずっとね。僕には小さい頃から心に決めていた女性がいてね。あれはそう、ある日一人で森に」
「また始まりましたか。聞かされるのは何度目でしょうか。いい加減目を覚ましてほしいものです」
「妄想か。罪な男だ」
「ひどくない?」
どうやら勇者様の中ではもうそれは決まっていたらしい。それも小さい頃から。お伽噺と現実の区別がついていないのだろう。ハイターもそれに付き合わされているらしい。まずはそれを叩き直すところからか。
「さあ、行こうか。新たな冒険の始まりだ」
アイゼンは旅立つ。自意識過剰な勇者によって強引に連れ出されながら。マセた勇者の願望のままに。五百年以上引き籠っている薄情者のエルフを連れ出すために。
アイゼンはまだ知らない。魔王を倒し、勇者が亡くなった後。再び自分が連れ出されることを。下らなくて、とても楽しい旅の続きが始まることを────