ヒンメルはもういないじゃない【完結】   作:HAJI

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第十話 『姉』

────ただ逃げてきた。怖いことから。

 

 

いつもそうだ。俺はいつも、大事なことから逃げ出してしまう。

 

 

『シュタルク、あいつは失敗作だ。まだ一度も魔物と戦えていない』

 

 

そう、俺は失敗作だった。親父の言う通り。戦士の村の生まれなのに、魔物と戦うこともできない。体が震えて動けなくなってしまう。毎日、どんなに修行してもそれは変わらなかった。

 

 

息が苦しくなるような日々だった。戦士の村では、弱い奴に居場所なんかなかった。俺は大事にされていなかったんだろう。

 

 

でも兄貴だけは違った。兄貴だけは俺を見てくれた。なのに

 

 

『逃げろ。シュタルク。お前は生きるんだ』

 

 

そんな兄貴も、見捨てて逃げちまった。

 

 

燃え盛る炎。大きな斧を振るってくる、怖い魔族。それに立ち向かっていく戦士。家族。

 

 

ただ逃げ出した。みんなを見捨てて。生き延びるために。俺は逃げてばかりの失敗作。臆病者だ。なのにどうして────

 

 

 

「……ルク。………?」

 

俺を呼ぶ声がする。親父でも、兄貴でも、師匠でもない。誰が俺の名前を呼んでくれるのか。こんな俺の。そう目を閉じかけた時

 

 

 

「どうしたの、シュタルク?」

「え……? うわっ!?」

 

 

目の前には見慣れない、女の子の顔があった。俺より少し、ではない年上の少女の顔が。目と鼻の先に。思わずそのまま飛びのいてしまう。俺じゃなくてもびっくりするに決まっている。おかげでさっきまで何を思い出していたのか吹き飛んでしまった。

 

 

「え、じゃないよ。もう着いたのに、いつまでぼーっとしてるの? それとも場所間違えた?」

「そ、そんなことねえよ……」

 

 

そんな俺の姿に首を傾げながら、そんなことを姉ちゃんは聞いてくる。いつものように馬鹿正直に。まるで子供のようだ。子供の俺から見てもそう見えるのだからよっぽどだろう。少し前からやってきた、俺の姉ちゃんを名乗っている魔族。意味が分からない。魔族は嘘つきのはずなのに、姉ちゃんは嘘をつかない。例外なのだと師匠は言っていた。その理由を、俺は散々身をもって味わうことになったのだが。

 

そんな姉ちゃんの不思議そうな視線から目を逸らしながら、改めて目の前の光景に向かい合う。そこは俺の故郷だった。いや、故郷だった場所なのか。戦士の村。その成れの果て。遠目に見ても、かつての面影はない。それをまっすぐに見るのが怖くて、ただ入り口で立ち尽くしてしまっていた。足踏みしてしまう。たった一歩のはずなのに、足が動かない。

 

 

「怖いの? シュタルク?」

「怖くなんかねえよ……」

 

 

いつまで経っても動かない俺に姉ちゃんが尋ねてくる。思ったことをそのままに。怖いのかと。見れば一目瞭然なのに、わざわざ言葉にして。それに抗うように、そう言い返した。みっともなく、体を震わせながら。精一杯の強がり。なのに

 

 

「どうしてそんな嘘つくの? 震え方までアイゼンと一緒なのに」

 

 

それは姉ちゃんに見抜かれてしまう。まるで心まで見透かされているみたいに。姉ちゃんの前では嘘がつけない。その瞳に魅入られれば、抗う術はない。鏡を前にしたみたいに。その震え方も師匠と同じらしい。そんな物は教えてもらっていないというのに。師弟だからそんなところまで似るのだろうか。けれど

 

 

「……俺は師匠とは違うよ」

 

 

俺と師匠は全然違う。師匠は臆病かもしれないが、逃げたりはしなかった。勇者一行として、魔王を倒して平和を取り戻した英雄だ。俺なんかとは全然違う。その一番弟子なのに、俺はてんで駄目なのだから。それを

 

 

「? うん。知ってるよ。シュタルクはシュタルクだもん」

 

 

変なの、と姉ちゃんは認めてくれる。それがどうかしたのとばかりに。俺と師匠は別人だと。俺は俺なのだと。それに呆気にとられるしかない。いつもそうだ。姉ちゃんと話していると、何だかこっちが馬鹿らしくなってしまう。悩んでいることが無駄だったみたいに。

 

 

「……どうして姉ちゃんは一緒に来てくれたんだ? アウラに怒られるかもしれないんだぜ」

 

 

それを誤魔化すために、今更そんなことを口にしてしまった。どうして自分についてきてくれたのか。あの日の夜、みんなに黙って家出をしようとして、それでも迷ってしまっていた自分に姉ちゃんは力を貸してくれた。いや、逆に連れ出された気がする。

 

そうと決まれば行動は早かった。姉ちゃんは行動力の塊みたいなところがある。これと決めたら悩むことがない。あっという間に俺をここまで連れてきてくれた。ただ夜の飛行は怖かった。いや、姉ちゃんに飛んで運ばれることが。何度か落とされかけた時は、本気で家出を後悔したほど。アウラがそれを禁止した理由が分かった気がした。

 

 

「ゔっ……だ、大丈夫! ヒンメルならそうしただろうし、それに私はお姉ちゃんだから!」

「何だよそれ」

 

 

ちょうど姉ちゃんも思い出したのだろう。それともスカート捲りの件を叱られた時のことか。姉ちゃんも声が、体が震えるのを隠せていない。目に見えて狼狽えながらも、そう胸を張っている。お姉ちゃんだからと。まるで師匠が言う戦士みたいだ。師匠は脳みそまで筋肉でできてるんじゃないかと思う時があるが、姉ちゃんも同じなのか。

 

 

「それにちょっと気になったの。シュタルクが言ってたこと」

「何のことだよ?」

 

 

少し落ち着きを取り戻したかと思えば、姉ちゃんはまた違う話を始めてしまう。出会った時から姉ちゃんはこの調子だ。やることが全部強引なのだ。 遊んでたと思ったら急に別のことしだしたり。掴みどころがない。まるで小さな子供のように。とてもお姉さんには見えない。これで八十年以上生きているというのだから。

 

 

「家出する前に言ってたでしょ? ここに来るのが怖いって。なのに何でそんなところに行きたがってるのかなって」

「それは……」

 

 

年上の魔族が問いかけてくる。そんな、人間なら聞くまでもないことを。思わず言葉を失ってしまう。何で俺がここに来たがっていたのか。怖がっていたのか。そんなこと、聞くまでもないだろうに。違うのだ。姉ちゃんは、本気で分からないのだ。俺が家出した理由も、怯えているわけも。どうして嘘をついているのかも。

 

 

「楽しいところに行くなら分かるけど……どうしてそんなことしてるの?」

 

 

目の前にいるのは、人間ではない。魔族なのだから。

 

 

そこには悪意が、悪気がない。それに気づけていない。師匠から教えてもらってはいたが、それを目の前にすると、肌で感じる。やはり姉ちゃんは魔族なのだ。まるで幼い子供が、小さな虫を殺して遊ぶように。自分が残酷なことを口にしていることに気づいていない。人の心がない。それが怖い。ぞっとする。

 

 

「姉ちゃんに人間(おれ)の気持ちは分からねえよ……」

 

 

絞り出すように、そう答える。嘘をつかずに。思ったことをそのままに。目の前の魔族に嘘は通用しないのだから。魔族なんだから、人間の気持ちなんて分かるわけがない。そんな、みっともない八つ当たり。最低だ。そんなことをしてしまった自分の方が、まるで。そう顔を伏せるも

 

 

「うん。そうだね。だから真似してみたの。私、家出したことなかったから。そうすれば分かるかなって」

 

 

目の前の魔族、リーニエは全く気にしていない。自分の心無い言葉が、人を傷つける言葉であることに気づけていないから。だからそれによって傷ついているのは、気づかされているのは俺の方。リーニエは、鏡のように俺の弱いところを映しているだけ。

 

リーニエにとってもそれは同じなのだろう。魔族だから、人間のことが分からないのは当たり前。でもそこであきらめずに、終わりにせずに真似している。家出している俺のことが分からないから、一緒に真似してここまで来てくれた。ただそれだけ

 

 

「────」

 

 

それを前にして言葉を失う。やっぱり俺は馬鹿だ。何が人間の気持ちが分からない、だ。自分だって、魔族の気持ちを分かろうとしていなかったくせに。目の前の魔族は、リーニエは、姉ちゃんは、俺を知ろうとしてくれていたのに。

 

 

「…………ごめん、姉ちゃん」

「? どうして謝るの? シュタルクは悪くないのに」

 

 

それに謝る。それで許されることではないけど。姉ちゃんにとっては気づけないことでも。情けない。でも、そのことがこんなにも嬉しい。自分のことを知ろうとしてくれたことが。やっぱりこの人は、俺の姉ちゃんなのだろう。

 

 

「いいや……悪いのは俺なんだ」

 

 

だから俺の心の内を明かす。姉ちゃんには理解できないかもしれないけど、それが俺のするべきこと。嘘をつかない魔族である、姉ちゃんにだから言えること。

 

 

「あの時、姉ちゃん言ったろ? 俺が嘘をついてるって。あれ、全部が嘘じゃなかったんだ」

 

 

あの夜。一緒にフリージアに来るのかと聞かれた時、俺は嘘をついてしまった。それは本当だ。でも、全部がそうではなかった。嘘だけど、嘘ではなかったのだ。

 

 

「最近楽しかったんだ。姉ちゃんやアウラといるのが。師匠も楽しそうでさ。師匠ってあんなに喋るんだな。俺、初めて知ったよ」

 

 

姉ちゃんやアウラと一緒に暮らすのが楽しかったことは。必死にお姉さんぶっている姉ちゃんに、おっかないけどお袋みたいなアウラと一緒に過ごすことが。

 

本当のことを言えば、初めて会った頃は二人が怖かった。もしかしたら食べられちまうんじゃないかと。人を食べる魔族が、俺の故郷を滅ぼした奴と同じ魔族がやってきたのだから。師匠の背中にずっとしがみつくしかなかった。

 

でも余計な心配だったのだろう。俺の村は魔族に滅ぼされたけど、アウラや姉ちゃんがそれをしたわけじゃない。それで恨んだりはしない。同じ魔族でも、アウラたちは違う。俺の故郷を滅ぼしたのは別の魔族だ。それを恨んでも仕方ない。その権利があるのは、アウラに蹂躙された人達だけだろう。

 

 

何より師匠が二人を信じていた。俺にはそれだけで十分だった。俺はあの人の弟子なんだから。

 

 

だから俺が嘘をついたのは、怖かったのは別のこと。

 

 

「でも、同じぐらい怖かったんだ……このまま、故郷の村も、家族のことも、忘れちまうんじゃないかって」

 

 

それは俺自身の弱さだった。このまま姉ちゃんたちと一緒にいたら、新しい場所に行ったら、忘れてしまうんじゃないかと怖くなった。思い出せなくなってしまうんじゃないかと。それが恐ろしかった。後ろめたかった。

 

 

「臆病なだけじゃない……薄情者になるのが怖くて、逃げちまったんだ」

 

 

だから、嘘をついてしまった。逃げ出してしまった。自分自身から。みんなを見捨てて逃げた臆病者のくせに。それすら忘れてしまう薄情者に自分がなってしまうのではないか。それが怖くて。

 

 

「情けないよな。戦士アイゼンの一番弟子だってのに。勇者ヒンメルならきっと逃げなかった」

 

 

その一番弟子である姉ちゃんも、きっと同じだろう。逃げたりしなかったはず。それに憧れて、師匠に鍛えてもらっているのに、俺はそうなれない。そう白状するも

 

 

「ん? そうかな? ヒンメルなら逃げたと思うけど」

 

 

それを真近で、直接見てきたはずの勇者の一番弟子は、あっけらかんとそれを否定してきた。

 

 

「え……? だって勇者なんだぜ?」

「アイゼンも言ってたよ。しょっちゅう逃げてたって。よくアウラ様からも逃げてたし。あ、それと薄情者はフリーレンの二つ名だから取っちゃダメだよ」

「……もしかして俺、騙されてたの?」

 

 

何言ってるの? とばかりに赤裸々に全てを明かしてくる姉ちゃん。きっとその冒険譚を信じている人たちからすれば卒倒しかねない醜聞のオンパレード。そういえば、師匠もそんなことを言っていたっけ。てっきり冗談だとばかり思っていたが、本当だったのか。照れ隠しではなかったのか。勇者の情けなさもだが、魔法使いフリーレンの方もどうなっているのか。葬送が二つ名ではなかったのか。騙されてしまっていた気分。

 

 

「でもそっか。分かった! シュタルクもアウラ様と同じだったんだね!」

「アウラと……?」

 

 

そんな幻想を抱いていた自分の傷心に気づくこともなく、姉ちゃんはまたすぐ違う話を始めてしまう。その名に思わず体が強張る。叱られてもいないのに。どうして自分がアウラと同じなのか。似ているところなんて一つもないのに。

 

 

「うん。アウラ様もね、ヒンメルのこと忘れたくないのに、ずっと嘘をついてたの。嘘はついたらダメだって言ってたのに」

 

 

どこか寂し気に、困り顔で姉ちゃんはそんなことを明かしてくる。初めて見る姉ちゃんの顔と雰囲気。姉ちゃんが何のことを言っているのか俺には分からない。言葉足らずな姉ちゃんのせいもあるけど、きっとそれだけではない。それは多分、俺には明かしてはいけないこと。姉ちゃんはそれに気づいていない。それでも

 

 

「でも最近は元気になったんだよ? 花畑の魔法も、ルフオムレツも作ってくれるようになったし。日記のおかげかな?」

 

 

姉ちゃんにとっては嬉しいことだったのだろう。それを聞いてほしかったのかもしれない。元気になったのだと。だから俺も元気になれるのだと。本当に師匠とは違う意味で、単純な奴だ。俺の姉ちゃんなら仕方ない。

 

 

「よく分かんねえけど……アウラってヒンメルとどういう関係だったんだ?」

 

 

一応それだけは聞いておく。何かの拍子でアウラの逆鱗に触れたら、俺だけ崖の下に落とされかねない。師匠に聞いたけどお前にはまだ早いと誤魔化されてしまった。もしかしたら俺には教えられない、大人の話なのかもしれない。

 

 

「二人は友達なの。とっても仲良しだったんだから! よく夫婦に間違えられてたけど」

 

 

でも姉ちゃんから帰ってきた答えは何でもないもの。友達という言葉だった。夫婦に間違えられる友達、か。やっぱり俺には早いのかもしれない。魔族は不思議な生き物だ。

 

 

「アウラ様がつけてるアクセサリもヒンメルにもらった物なんだよ? 今は形見になるのかな。だから忘れないで覚えておけるの。この剣もヒンメルの形見なんだから!」

 

 

そう言いながら、その手にある剣を妙なポーズを取りながら見せびらかしてくる姉ちゃん。これで一体何度目だろうか。数える気にもなれない。勇者ヒンメルの使っていた勇者の剣。本物だとすればどれだけの価値があるのか。でもそれは偽物だと姉ちゃんは言う。意味が分からない。でも姉ちゃんにとっては大切な物なんだろう。形見なんて、そんなに喜んで見せびらかす物でもないだろうに。思わずそれに呆れてしまうも

 

 

「シュタルクにはないの? 形見」

「俺は……」

 

 

そう聞かれて、今度はこっちが困ってしまう。そこでようやく気付く。そうか。俺は、それを探しにここに来たのかもしれない。姉ちゃんの言うように、忘れないために。覚えているために。その何かを求めて。

 

 

「そっか。じゃあ探しに行こうか! せっかく来たんだし。行くよ、シュタルク!」

「あ、ちょっと待ってくれよ、姉ちゃん!?」

 

 

そのまま姉ちゃんは俺の手を引っ張ってくれる。強引に、逃がすまいと。師匠と同じ手の感触と温もり。人間でも、魔族でもそれは同じだった。気づけば、手の震えも止まっていた。きっとそれどころではなくなったんだろう。

 

 

そのままシュタルクは足を踏み入れる。己の故郷に。頼りになる姉に導かれながら────

 

 

 

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