第一話 「教導」
勇者ヒンメルの死から二十一年後。
北側諸国。魔族国家フリージアにて。
「お疲れ様でした、アウラ様」
首を垂れ、礼を尽くしながら自らの主に忠義を示す。人間の所作を真似た行動。偽物。身に纏っている法衣もまたそれだ。女神に騙されている人間の服装を、魔族である自分がしているという皮肉。本物なのは、自らが従っている、忠誠を誓っているのが目の前の大魔族であるということだけ。
「ええ。いい迷惑だわ」
その主は教会には似つかわしくない、玉座に君臨していた。気怠げに頬杖を突き、足を組んでいるその様は傍若無人。つい先ほどまでここで厳かに裁判を行っていた教主とは思えないような態度。しかしこちらが本当の姿なのだ。大魔族であり、七崩賢の一人でもある。断頭台のアウラ。今はここ、魔族国家の国王であり教主。天秤のアウラと呼ばれている存在。
(このお方に仕えて十年以上になるが、本当に底が知れぬ。かつての魔王様とはまるで違う)
その絶大な魔力に平伏しながらもそう感服する。自分がここフリージアに辿り着き、アウラ様に忠誠を誓ったのが十年以上前。瞬く間の時間だったが、それは驚きの連続だった。
かつて勇者に敗北し、隷属させられていたアウラ様だが、勇者の死後解放され、この地に復活したと耳にし馳せ参じた形。目障りな勇者がいなくなったこと。それに加え、大魔族の配下となれば、利用できれば身の安全も保障される。魔力の高い者に従う魔族の習性でもある。その証拠に、そういった魔族は増え続けている。しかしその支配は私たちが想像していた物とは根本的に異なるものだったのだが。
それは一言で言えば人間の国家の模倣だった。宗教という、理解できない概念を利用し、人間どもを支配する。かつての断頭台のように頭を落とすことなく、それを意のままに操る。まるで人間たちを傀儡という名の家畜にして。祝福という名の呪いで縛ることで。弱肉強食。強さによる、かつての魔王様の支配とはまるで真逆の方法。
とても魔族とは思えないような手練手管は驚嘆に値する。最初はそれに煩わしさを感じることもあったが、今は違う。これは効率的な仕組みなのだ。人間だけでなく、私たち魔族の習性すら利用した縄張り。
その意味を理解しないまま過ごしている魔族が大半だろうが、私は違う。他の凡百の者たちとは。その証拠に私には神官の称号が与えられている。アウラ様の片腕であると自負できる。
「リーニエは? 一緒じゃないの?」
「リーニエなら教導かと。恐らく戦士アイゼンと一緒なのでしょう」
「そう……裁判が面倒だったのね。変な知恵をつけたものだわ」
アウラ様は周りを見渡していた後、大きく溜息を吐かれている。もう片方の腕を探していたのだろう。
例外のリーニエ。
自分と同じくアウラ様の側近であり、護衛でもある魔族。若輩ではあるが、生まれてからずっとアウラ様に従っていたこともあってか、その寵愛を受けている存在。自分にとっては煩わしい同僚でもある。
どういう算段があるのか。アウラ様は事あるごとにリーニエと私を一緒に行動させようとしてくる。その理由を尋ねても同じ神官だからと誤魔化されるだけ。それに振り回されることが頭痛の種だったのだが、最近はその頻度も以前ほどではなくなっていた。
(教導か……リーニエにそんなことができるとは思えんが)
教導。その名の通り、この国を守る兵たちを鍛えること。魔族だけはなく、人間の兵もそれに含まれる。戦士や剣士だけでなく、魔法使いこそがその主力でもある。魔族国家でもある我が国の強みでもあるだろう。その訓練、リーニエに言わせれば修行だったか。ここ最近その教導をする教官としてリーニエは動いている。
一度その様子を目にする機会があったが、原始的で美しさの欠片もない泥臭いものだった。魔法使いとしての風上にも置けない。
そもそもリーニエ自体がそうなのだ。魔族としても、魔法使いとしても。恐らくその原因も、あの勇者一行の戦士にあるのだろう。醜いことこの上ない。
「……まあいいわ。報告を聞かせなさい」
本来なら神官として許されない、罰せられるべき案件なのだがリーニエにはそれが許されている。他の魔族から疎まれているのもそれが理由だ。だがそれを表立って口に出せる者などここフリージアにはいない。人間どもを騙すために、平和だの平等だの謳ってはいるが、魔族にとっては強さこそが全て。大魔族であるアウラ様に逆らえる者はいない。
リーニエもまたそれは同じだ。自らの魔力を隠匿する卑怯者ではあるが、その強さは本物だ。それに騙され、侮って敗北した魔族や人間の数は数えきれない。私もまたその強さには至ってはいない。今はまだ。それを超え、アウラ様の唯一無二となることこそ私の役割。
「はい。まずは周辺国の情勢ですが……」
その第一歩として、副官として報告を行う。リーニエには、他の愚かな魔族にはできないこと。私の有用性をアウラ様に示す絶好の機会でもある。
「これが直近の魔物や魔族の討伐依頼です。ご覧下さい」
「ふぅん……何か目ぼしい奴はいた?」
「そうですね……確かリストに載っていた魔物が一つ。この混沌花だったかと」
「確か石化の呪いを使う奴だったわね……いいわ。こいつは私が捕らえるわ。日程と、あと僧侶を一人手配しておきなさい。それ以外の依頼はあんたに任せるわ。いつも通りよ」
「御意に」
周辺国からの魔物や魔族の討伐依頼。それは定例報告の一つであり、周辺国への懐柔策の一つでもある。
人間たちはその脆弱さから、魔物や魔族の脅威を排除しなければならない。しかし強力な魔物や魔法使いである魔族に対抗できる存在は限られている。国家や都市であれば兵力もあるが、小さな村落などは冒険者に依頼する他なく、その報酬も満足に払えないことも多い。
その隙を突く形で、フリージアはそれらの依頼を格安で請け負っている。その信頼を勝ち取り、利用するために。それらは私たち、いやアウラ様にとってもメリットがあるのだ。
(本当に恐ろしいお方だ……何故こんなことを思いつけるのか。同じ魔族とは思えん)
教会に飾られている、その象徴である天秤を模したオブジェに目を奪われる。
かつては人間どもを服従させその首を落とし、物言わぬ不死の軍勢としていたが今は違う。様々な魔物を従え、それを傀儡としている。竜すらもこのお方の前では愛玩動物同然。その駒を増やすことに、この討伐依頼を利用しているのだ。
討伐内容の精査を行い、魔物が相手なら可能なら生け捕りに。必要ならアウラ様が直接出向いて服従させ、不死の軍勢に加える。
魔族であれば投降を促し、フリージアでアウラ様に従わせる。服従か死か。魔族であればどちらを選ぶかなど問うまでもない。人間相手のように命乞いをすることもない。
フリージアの戦力は増強され、結果的に人間たちを騙し、懐柔させることもできる。
まさに一石二鳥、いやそれ以上か。その証拠に、その依頼は日々増し続けている。かつては人間同士の争い、戦争にも介入する傭兵なる形で運用することも検討されていたらしいが、今は頓挫したらしい。もしそうなっていれば、人類は自分で戦う手段、牙すら失いかねないだろう。本当に愚かな種族だ。
「グラナトとの交渉ですが、まだ上手くは進んでいません。伯爵の息子が反対しているようです」
だがどうやら全ての人間どもがそうなわけではないらしい。隣国であり、敵国でもあるグラナト伯爵領がそれだ。かつてアウラ様が攻めあぐねていた因縁の相手でもある。
何よりも大魔法使いであるフランメが残した防護結界が厄介だ。大魔族のアウラ様ですらそれを破ることはできない。忌々しい。その過去があるからだろう。グラナトはこちらの懐柔策には乗ってこない。騙すことができていない。
「必要であれば、隙を見て排除することもできますが」
なら取る手段は決まっている。力による排除。暴力。ここフリージアでは禁忌とされている行為であり、私たちの本能。やはりいくら取り繕っても、私たちは獣なのだ。それを想像し、血が滾る。高揚するのを感じる。しかしそれは
「焦る必要はないわ。私たちは魔族よ。私たちには待つという選択肢がある。力押しなんて馬鹿のすることよ? 私たちがどうして言葉を話すか忘れたの? 人間を欺くためよ」
まるでこの状況を愉しむように、どこか妖艶な笑みを浮かべているアウラ様の姿に圧倒されてしまう。その魔力の威圧によって、思わず息を飲む。
ここ最近、アウラ様はとみに機嫌がいい。これまでは少しでも言葉を違えれば、処刑されかねない空気を纏っていたというのに。何があったのか。いや、それが何であるか私には見当がついている。だからこそ口を噤む。しかしそれすらも
「それで? 他にも何か聞きたいことがあるんじゃないの?」
「いえ、そんなことは」
「下らない嘘をつくのは止めなさい。私の前ではね。それとも
このお方の前ではお見通しなのだろう。その手に天秤を顕現させながら、アウラ様は嗜虐的な顔を見せながら戯れてくる。まるで獲物をいたぶるかのように。
思わず息を飲む。やはりこのお方は大魔族なのだ。信徒たちからはまるで生ける女神、聖母などと持て囃されているが、笑い話だ。それほどまでに、このお方は人間たちを欺いているのだ。まるでその掌の上で転がされるように。魔族もその例外ではない。
「……それには及びません。服従させた勇者一行のことです。何故アウラ様はあの連中を従えているのですか?」
欺くことは許されない。嘘をつくことができない。このお方の前ではそれは死に直結する。故に白状する。生き残るために。そう分かっていても、体が硬直するのを隠し切れない。魔族の、生き物の本能だろうか。
「へぇ。何か気に入らないわけ?」
「そのようなことは決して。ただ魔族の中にはそれを疑問視する者もおります。魔族だけではありません。人間共も連中の正体については勘付いています。周辺国にも噂が広がっているようで。このままでは魔族国家である我が国にとっては都合が悪いのではないかと」
そんな私の反応を楽しむように、さらに詰問され、己の内心を曝け出す。嘘ではない嘘を。
勇者一行の僧侶と戦士。
つい一年ほど前からこの国に捕らえられた二つの異物。その影響について。
魔族の連中はその存在を疎ましく思い、忌避している。当然だ。かつての勇者一行なのだから。逆に人間どもは歓迎している。人間側の象徴、英雄でもある二人が魔族国家を認めた、従っているに等しいのだから。いくら偽名を使ったとしても、口外を禁じたとしても無駄だろう。現にもうこの国ではそれは周知となっている。
何よりも、私自身面白くなかった。そう、ここはアウラ様の国。魔族の国なのだ。人間はそれに騙され、従わされ支配される家畜に過ぎない、だというのにこれではそれが逆転しかねない。
事実、それを匂わせるような動きも見られる。由々しき事態だ。あってはならない。下等な生物の分際で。しかしやはり、私は浅はかだったのだろう。
「ふぅん……思ったよりは早かったわね。やっぱり人間は嘘が、噂が好きな生き物ね」
アウラ様が、私が気づくようなことに、気づいていないことなどあり得ないのだから。
「上手な嘘のつき方を教えてあげましょうか。リュグナー。嘘の中に真実を紛れ込ませるのよ。今のあんたみたいにね」
こちらを指差しながら、まるで人間の言う女神のように、アウラ様は私に知恵を授けて下さる。その在り様は真逆。まさに悪魔だろう。対価に何を求められるのか分かったものではない。それが命でないことを祈るしかない。魔族であるこの私が。
「それは一体……」
「気づけただけで及第点ね。褒美に教えてあげるわ。あいつらを従えたのは餌にするためよ。最後の勇者一行をここに誘き寄せるためのね」
「っ! それはまさか……」
その言葉によって。思わず声を上げてしまう。アウラ様から与えられた褒美。その内容によるもの。上手な嘘のつき方。その意味。アウラ様があの二人を従えた本当の理由。それが
「ええ。葬送のフリーレン。あのエルフを従わせること。それが私の目的よ」
あの忌まわしい、魔族の大敵たる葬送のフリーレンを誘き寄せるためだったということ。深謀遠慮とはまさにこのことか。
「勇者一行が怖いの? いいえ、あのエルフ、フリーレンが」
まるで見定めるように、試すようにアウラ様はそう問うてくる。その口元は吊り上がっている。私の反応を愉しんでいるかのように。その名を口にしながら。見下ろしながら。まるで先の裁判の被告になってしまったかのように、私は追い込まれている。いらぬ詮索をしたばかりに。浅慮だった。私もまた愚かだったのだろう。魔族として、魔法使いとして。従者として。
「そのようなことは決して。勇者がいない人類など……」
己を偽り、主を偽り、嘘をつこうとするも口ごもってしまう。その視線と魔力によって。それより先の言葉が出てこない。侮ることができない。その脳裏にかつての光景が蘇ってしまったからだ。
忌々しい、忘れたい記憶。たった一人のエルフに、魔法使いに完膚なきまでに敗北してしまった苦渋。命乞いすら許されず、ただその場から生き残れただけでも幸運だったと思わされてしまうほどに、非常で容赦ない、およそ人類とは思えない葬送の魔法使い。私の嫌いな天才だ。
「もっと上手く嘘をつくのね。そんなんじゃ、リーニエにも見抜かれるわよ」
それをからかわれてしまう。リーニエを引き合いに出されてしまう失態。しかし、それ以上にただ畏敬の念を抱くしかない。
葬送のフリーレンは、いや勇者一行はアウラ様にとっても天敵に等しい存在だったはず。かつて苦汁を、煮え湯を飲まされた怨敵。
なのに恐れが、恐怖がない。侮っているのか。いや、このお方にそれはあり得ない。私が騙されているのか。それとも。
「あんたの言う通りよ。ヒンメルはもういない。私を止められる奴なんていないわ」
それが嘘なのか本当なのか。その真偽を私は見抜くことはできない。それができるのは手にしている天秤だけだろう。
唯一の例外であった勇者ももういない。それこそがアウラ様にとっての勝算。勇者しか自分を止められる者はいない。新たな魔王とまで言われている、このお方を止めることなどできはしない。
年月こそが私たちの最も強い武器。先のアウラ様の言葉が全てだ。その唯一の例外ですら
「あのエルフは私の獲物よ。横取りをすることは許さないわ。分かってるわね、リュグナー?」
アウラ様にとっては獲物でしかない。それを従わせ、己の物にする。支配する。そのために全てを利用する。かつての勇者一行も。魔族も。人間も。この国すらもそのためだったのではと思わせるほどの喜悦がそこにはあった。それを前に、首を垂れる以外の術を私は知らない。やはりこのお方に仕えたのは正しかったのだ。
「それと、あんたの方の教導も怠らないようにしなさい。リーニエに倣ってね」
「は。仰せのままに」
話はここまでと言わんばかりにそう釘を刺される。私の心を見抜くかのように。このお方の前では私の嘘など児戯に等しいのだろう。それを肝に銘じながら従うのみ。そのまま一礼し、天秤が支配する領域から脱するのだった────
「ふぅ……さて」
その絶大な魔力から遠ざかったことで、大きく息を整える。この十年で慣れてきてはいるものの、やはり面と向かってあの閉鎖空間での謁見は堪える。できる限り平静を装っていてはいたが、どれだけ欺けていたのか。そも無駄な行いかもしれないが、魔族の性だろう。
何にせよ、まだ一日は始まったばかり。やることは山積みだ。ここフリージアに来てからはそれがさらに増している。人間どもの時間感覚に合わせているが故の弊害。国として、人間を支配するためには致し方ないこととはいえ、煩わしいことのこの上ない。ゆっくりと魔法の鍛錬に勤しみたいところだが、あいにく私には立場がある。神官としての役割に加えて、私個人に課せられた役目も。
奇しくも先ほどアウラ様に釘を刺されたものがそれだ。それを思い出しかけた時
「おはようございます。リュグナー様」
その原因が、私に声をかけてきた。本当に図ったようなタイミングで。忌々しい。知らず表情に感情が出かねないのを抑えながら振り返る。
そこには一人の人間の少女がいた。身の丈に合わない、大きな杖を偉そうに抱えている。一丁前に魔法使いのつもりなのだろう。魔族である私から見ても、どこか表情に乏しい子供。
だがこいつはここフリージアでは特別な存在だった。例外と言ってもいい。ある意味ではリーニエすら超えるもの。
『蒼月』のフェルン。
それが目の前の人間の子供の二つ名であり名前。天秤のアウラの弟子にして、獲物でもある存在だった────