「おはようございます。フェルン。礼拝ですか」
「はい。全てはアウラ様の御心のままに」
いつものように互いに挨拶を交わす。神官の皮を被りながら。獲物を、人間を欺くために。本当なら人間相手に敬語など使う必要などないのだが、それが一番効率よく人間を騙すことができる。ただそれだけで、簡単に騙されてしまうのだから。
それに気づくことなく、目の前の娘はぺこりとこちらに頭を下げている。その様はまるで敬虔な信徒のよう。飽きもせず、きっと礼拝堂で祈りを捧げていたのだろう。そこにアウラ様はいないというのに。理解できない人間の習性。
「リーニエ様は一緒ではないのですか?」
「ええ。きっと教導の方でしょう。困ったものです」
その言葉に一瞬目を細めかけるも何とか誤魔化す。アウラ様ならいざ知らず、こいつにもそう思われているとは。侮辱でしかない。
そのリーニエはこいつを特別扱いしている。人間で言う妹のように。魔族には理解できない、家族という概念。アウラ様のよく言うごっこ遊び、戯れだろうか。勇者の真似事かもしれない。下らないことを。
「そちらこそエーヴィヒ殿は一緒ではないのですか?」
「はい。エーヴィヒ様ならもう教典科に行かれました。体調も良いようでしたので」
「それは何よりです」
意趣返しにそう聞き返してやるも、どうやら無駄だったらしい。いつも気持ち悪いぐらいに一緒にいるだろうに。その名で呼ぶことも慣れてしまった。魔族の習性だろうか。
僧侶ハイター。
一年前、こいつと一緒にここフリージアにやってきた厄介者。その名の通り、勇者一行の僧侶であった人間。もっとも今は死にかけの老人でしかない。アウラ様によって従わされている哀れな存在。聖都の司祭でもあったため、ここフリージアでは偽名を使っているのだが、もはやその意味も疑わしい。フリージアでは周知に事実となりつつある。当の本人は知らぬ存ぜぬだが。
しかし衰えてもなお、その魔力だけは脅威だ。その大きさはアウラ様に匹敵するほどの物。何故人間ごときが、魔法使いでもない女神の信徒ごときが。見慣れはしたものの、やはりそれに対する嫉妬、嫌悪感は未だに拭えない。
(何故アウラ様は奴らの首を落とさずに従えているのか……)
断頭台。それがかつてのアウラ様の二つ名でもある。天秤と呼ばれるようになった今でも、その名は知れ渡っている。しかし服従させたというのに、アウラ様は奴らの首を落とさずに自由意思を残している。見せしめにもなるだろうに、何故そんなことを。
(僧侶に関しては教典作りのためだろうが……戦士の方はどういうことなのか)
僧侶の方はまだ理解できる。元々この国の教典作成を担っていたのは奴なのだから。頭を落としては使い物にならないのだろう。
ここに来てからも教典科で何やらやっているのは目にしている。今は教典を魔族用に翻訳しているとか何とか。話の半分も理解できなかったが、それに付き合わされたこともある。何でも酒好きらしく、私がワインを嗜んでいると知るや否や絡んでくることも多くなった。鬱陶しいことこの上ない。
ここにはいない戦士アイゼンもそうだ。戦士アゴヒゲなどと意味が分からない偽名を使っているが無駄でしかない。
ドワーフだからなのか。そのデタラメぶりは目に余る。全盛期から程遠く、隠居していたらしいが欺いていただけなのではないか。その強さによって、人間だけでなく、魔族にもそれに倣う者が出る始末。魔法使いではなく、生物としての弱肉強食、強者に従っているのか。
(勇者一行というのはどいつもこいつも……)
人間の習性を理解できないのは魔族であるなら当たり前だが、勇者一行のそれはその比ではない。その影響力もまた同じだ。瞬く間にここフリージアを変えつつある。人間だけでなく、魔族まで。
アウラ様はそれすら見越していたというのか。利用しているのか。あの方なら有り得る。まるでかつての全知のシュラハトのように、未来予知じみた動きをされるのだから。
だとすれば、それに連れられているこいつもその例に漏れないのかもしれない。
「…………」
改めて目の前にいる人間の子供を見定める。洗練された魔力だ。この一年で魔力量も増え続けている。魔族と比べても遜色がない域。だがその魔力量も、コントロールも遥かに私の方が上だ。
しかしそれは現時点での話だ。この娘がここに来てから一年。たった一年でここまで成長してしまった。いくら人間が魔族よりも老いるのが早く、成長速度は速いとしてもあり得ない。このまま成長し続ければ一体どうなってしまうのか。
『よく見ていなさい、リュグナー。あの子は化け物……いいえ、天才なのよ』
天才。アウラ曰く化け物なのだと。勇者一行の系譜。それをまるでお気に入りの獲物、傀儡が手に入ったように、子供のように嗤いながらアウラ様はそう私に告げてきた。
『これは実験よ。魔族が人間の魔法使いを育てればどうなるか。あんたも協力しなさい。あの子はあんたにとっても利用価値があるわ』
あのお方の気紛れ、戯れかもと思ったがそうではなかった。実験。魔法科の連中が好き好んで使う言葉だったか。同じことを繰り返す理解できないこと。それをアウラ様も行おうとしているのか。人間の子供を使って。
曰く魔族の共犯、友人の真似事らしい。そんな変わり者の魔族がいるのかと気にはなったものの、そんなものは些事に過ぎない。何故ならそれは私にとって、リーニエと行動を共にするのと大差なかったのだから。いや、ある意味それを超える。
魔族が人間に魔法を教えるなど、育てるなど。聞いたこともない。そもそも魔法は誇りであり、それを探求することこそが生きる意味だ。人間の魔法使いのそれとは天と地ほどの差がある。教えたところで理解できるはずもない。つい最近まで空を飛ぶことすらできなかった下等な種族に何を。
だがその常識を、誇りを私は目の前の子供に覆されることになってしまった。文字通り、天地をひっくり返されてしまったのだ。
(アウラ様は、こいつの才能を見抜いておられたということか)
思えば最初から分かっておられたのだろう。基礎的な魔法や魔力のコントロールなどはアウラ様が指導されたのだから。それがどれだけ恐れ多いことかはともかく。私に預けられた時に既にこいつは未完成ながら、ほぼ完成されていた。
ゾルトラーク。人間たちの間では一般攻撃魔法だったか。それと防御魔法を主にした、何の面白みもない、平凡なスタイル。何故人を殺す魔法を魔族が人間に教えなければならないのか。偉大な腐敗の賢老クヴァールも嘆くに違いない。
しかしそこにはある種の美しさがあった。無駄を削ぎ落した、魔法使いの基礎。裏を返せばこの娘はこれから如何ようにでも育てられるのだ。
今は一番岩なる物を模した物を打ち抜くのを当面の目標にしているが、それだけではない。実戦的な動きや、飛行魔法の指導を担当している。しかし理解できない。何故私なのか。
『リーニエには無理なのよ。感覚ではなく、理論で魔法を教え込みなさい。あんたにしかできないことよ、リュグナー』
それがアウラ様の仰る理由だった。感覚ではなく理論。確かにリーニエとはもっとも程遠いものだろう。しかしそれは私にとっても容易いものではない。どうやって飛んでいるかなど口で簡単に説明できるはずもない。そも考えたこともない。新たな魔法を覚えるよりも遥かに難しい。しかもそれを他者に、人間どもに与えなければならないのだから。
四苦八苦しながらそれをこいつに教え、魔法科の連中にも伝えたが、何やら興奮していた。何をそんなに喜ぶことがあるのか。本当に人間の魔法使いは愚かなのだろう。
「リュグナー様。もしお時間があれば、またご指導いただけますか」
そんな私の胸中など知る由もなく、いつものようにこいつは私を利用しようとしてくる。見た目とは裏腹に、本当に図太い奴だ。どこかリーニエを彷彿とさせられてしまう。姉妹云々は冗談だけにしてほしい。
そのどこか鏡のような、水面に映る月のような瞳に魅入られてしまう。
天才は嫌いだ。だが目の前の子供はそれだけではない。血の滲むような研鑽を積んでいる。積み重ねの美しさが。いや、あり得ない。
魔法使いとしての尊厳。それが揺らぐのを感じる。認めるわけにはいかない。天才は嫌いだ。積み重ねの美しさがない。だがもし仮に、積み重ねた天才がいればどうなってしまうのか────
「……フェルン。貴方はなぜそこまで魔法を探求するのですか」
知らずそんな下らない質問が口から出てしまった。魔族であるなら問うまでもない、当たり前の、答えのない問いかけ。しかも目の前にいるこいつは人間だ。なのに何故そこまで魔法に拘るのか。探求するのか。矛盾した疑問。それに
「それは……ハイター様に恩返しがしたいからです」
少しの間を置きながら、こいつはそう答えてくる。恩返し。人間が好む、他者の行動を自分のための物だと勘違いすること。魔族もよく利用する人間の習性。
あの老いぼれのためか。偽名すら忘れてしまっている。下らない。救われたから、か。利用されたの間違い。ただの気紛れだろうに。人間の愚かな習性でしかない。魔法は己のためのもの。他者のためなどではない。だというのに
「でも今は違います。私は、アウラ様のお役にも立ちたいと思っています」
「────」
それに、私は言葉を失ってしまった。天地がひっくり返ってしまったかのような感覚。何故なら今この娘が口にした理由は、私のそれと同じだったのだから。いや、似て非なるものなのか。人間と魔族。その違いか。
こいつもまたアウラ様に従っているのだ。それは私の忠誠と何が違うのか。そんならしくもない戯言が脳裏に浮かびかけるも
「っ! リュグナー様! 良かった……どうかお力をお貸しください」
それをかき消すように、耳障りな声が辺りに響き渡ってくる。見ればそこにはこちらに縋りつこうとしている人間の女がいた。見覚えがあるような気がするが誰かは分からない。人間どもの顔と名前など逐一憶えてなどられない。
「どうされたのですか。そんなに慌てて」
その煩わしさから腕を振り払いたい衝動に駆られるが自制する。私はこの国の神官。哀れな人間どもを導く存在なのだから。そう欺きながら、穏やかな振る舞いで受け答えをする。厄介事なのは間違いない。加えて隣にはこいつもいる。万が一私の失態をアウラ様に告げ口でもされれば面倒だ。忌々しい。
「それが……娘が魔族の子供と遊んでいたのですが」
それに騙された人間の女が事態を明かそうとしてくるも、要領を得ない。脳なしめ。辟易としながら、仕方なくその場所へと向かうことになってしまう。神官の煩わしさでもある。それを演じなければならない。
そこは公園だった。この時間であれば人間の番や子供が集まっている場所。そこに二匹の子供がいた。
「うぅ……ぐすっ、ひん……」
片方は人間の女の子供。私に助けを求めてきた女の子供だろう。無様に泣き喚いている。魔族のような命乞いではないが、そうしていれば誰かが助けてくれると理解しているからこその行動だろう。そういう意味では鳴き真似と言えなくもない。
「…………」
対してもう片方。魔族の子供はそんな泣いている人間の子供を前にして立ち尽くしている。無感情のまま。観察しているのか。
一瞬、人間の子供を傷つけたのかと思ったがそれはあり得ない。ここフリージアでは魔族は人間を食べることはおろか、傷つけることもできない。生まればかりの魔族の子供であっても、アウラ様の祝福という名の支配を刻まれるのだから。それが許されるのはアウラ様に認められた者のみ。なら何故。
その理由を、リュグナーは理解することができない。気づくことができない。魔族であるが故に。人間の母もまたそれは同じ。人間であるが故に。
この場でそれを察することができるのは、たった一人だけ。蒼月草を受け継ぐ者のみ。
公園で、すすり泣く人間の幼子の鳴き声が響き渡る。その掌の中には、一羽の鳥の死骸があった────