ヒンメルはもういないじゃない【完結】   作:HAJI

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第四節 勇者一行の後始末
第一話 「帰郷」


「二人とも早く早く!」

「そんなに慌てなくても逃げやしないわよ」

 

 

逸る気持ちが抑えきれないのか。こちらを急かしてくる我が従者。それに呆れながらも、引っ張られていく感覚。どこか懐かしさすら感じる。そういえばあの時も同じようなやり取りをしていたか。

 

目の前には生い茂った木々と、険しい山道がある。もっとも人間たちによって整備はされているので、獣道とまでは行かないが。その中をまるで散歩に行くような身軽さで、コルセットドレスを纏ったまま突き進んでいくリーニエには、同じ魔族である自分でも呆れるしかない。お揃いの赤いローブもそれだ。

 

何もかもが、あの時と同じだった。私たちの見た目も全く変わっていない。たった二十年程度、あってないようなものだ。違うのは剣の代わりに杖を突いて、悪態をつきながら三本足で歩いていた勇者がいたこと。それはもういない。振り返れば、もしかしたらそこにいるのではと思えるほど。違うのは

 

 

「フェルン、まだ歩ける?」

「はい。大丈夫です」

 

 

ヒンメルの代わりに、フェルンがいることだった。

 

私の言葉に気丈に振舞ってはいるものの、やはり堪えてはいるのだろう。明らかにやせ我慢しているのはこの子らしい。まだまだ身の丈に合っていない杖を抱えながら山道を進むのは子供には骨が折れるだろうに。代わりに持ってやろうかと思ったが止めておく。言っても聞かないだろう。どうしても無理そうなら無理やり取り上げればいい。最悪魔法で杖ごと運んでやろう。

 

今私たちはフリージアから出発し、村へと向かっている最中。フェルンに伝えたように遠出だろうか。無論、最初から徒歩でやってきたわけではない。私たちは魔法使いなのだから。その名の通り、空を飛べることが理由でもある。何よりもこれはフェルンにとっては飛行魔法の訓練も兼ねていた。

 

魔族の飛行魔法を、人間が扱える魔法にまで貶める。

 

それが今、フリージアの魔法科で取り組んでいる課題であり、その第一人者、実験対象がフェルンだ。リュグナーがその教導を行ったことで、魔族の使っている飛行魔法の解析が進み、今までのような流用ではない、人間の魔法使いでも扱える術式に変わりつつある。ゾルトラークが人類の魔法体系に組み込まれたように。

 

人類でも理解し、扱えるほど洗練された美しい術式構造をしているとはソリテールの言だったか。欠点だとも言っていたが、それに比べれば、飛行魔法の完成にはまだ時間がかかるだろう。

 

しかしそれはあくまで人類の、一般的な魔法使いの話。この子は特別な、天才と呼ばれる化け物側なのだから。

 

その証拠に、人間の魔法使いなら魔法の消費で飛べなくなるような距離の飛行をこなしながらも、魔力切れを起こしていない。飛行魔法の改良もあるだろうが、この子の魔力コントロールの賜物だろう。本当に末恐ろしい子だ。同じ魔法使いとして嫉妬してしまうのを私ですら感じる。それを教導しているリュグナーはその比ではないだろう。

 

本当ならそのまま飛んで目的地まで行くことまでできたのだが、私たちはわざわざ降下し、山道を進んでいた。何のことはない。

 

 

『だってその方が冒険みたいで楽しいから! ヒンメルもそう言ってたよ?』

 

 

勇者一行の一番弟子の提案、我が儘によって。姉の言うことに、妹は逆らえないのだろう。いや、この場合は逆なのか。とにもかくも、私たちは無駄な道草をすることになった。まるであいつらの下らない旅のように。だがそれを馬鹿にすることは私にはできない。同じことを、私もかつてしていたのだから。ヒンメルの真似をして。

 

 

(どうかしてたわね……私も)

 

 

それを思い出して、呆れるしかない。あり得ない。この私が。流星を見た一月後。同じように歩きながら、足を使いながら村へと向かっていたあの時。きっと浮足立っていたのだろう。今思い出してもあり得ない。これではリーニエのことは言えない。

 

 

「でも魔物が出ないなー、せっかくフェルンにかっこいいところ見せたかったのに……」

 

 

そのリーニエはその手にヒンメルの剣を持ちながらも、不満げに頬を膨らませている。どうやら魔物の討伐をフェルンに見せたかったのに、当てが外れてしまったらしい。その理由もどこかで聞いた勇者のそれと同じだ。あいつも自分の活躍を見せたかったのに、それができずに不満を漏らしていた。だが残念ながら魔物も魔族も寄ってはこない。私の絶大な魔力が、魔物はおろか魔族すら寄せ付けないのだから。あいつに虫除けならぬ魔除け扱いされたのは一度や二度ではない。侮辱でしかない。

 

討伐依頼の類であれば、魔力を制限してもいいが、今回はそうではない。わざわざそんなことのために魔力を制限する気も起きない。フェルンの実戦にしても、まだ早い。一番岩を打ち抜けるようになってからだろう。

 

 

(そうね……フリージアの一番岩を打ち抜けたら、里帰りさせてもいいかもしれないわね)

 

 

弱音を吐かずに、必死に自分についてくるフェルンを横目にそう思いつく。フリージアにある一番岩は偽物だ。もっともその距離も、岩も本物に劣らない、アイゼンが用意して作り上げた物だが、この子にとっての一番岩はやはりハイターの家があった森の物なのだ。それを打ち抜くことが、この子にとっては一人前になった証であり、ハイターへの恩返し。ならそれを叶えてやるのも悪くない。今はまだ早いが、あと数年も経てば叶うだろう。あっという間だ。

 

シュタルクについては……まあいいだろう。戦士の村への墓参りならアイゼンの領分だ。自分の弟子のことぐらい自分でさせなければ。リーニエが一年に一度は頼りに行っていたが、その必要もなくなった。そもそもアイゼンの家には何もない。あるのはあいつの家族の墓と、作りかけの墓ぐらいだ。あいつが死んだらあの墓を使ってやればいい。手間が省ける。

 

シュタルクはもちろん、ハイターもアイゼンもこの場にはいない。フリージアで留守番中だ。シュタルクは羽を伸ばしているに違いない。アイゼンたちは私がどこに行く気か察していたのだろう。ヒンメルに宜しくと言われてしまった。馬に蹴られたくないだの、罪な女だの言いたい放題。本気で服従させてやろうかと思うほど。本当に食えない奴らだ。

 

 

「残念だったわね。代わりに道案内をしっかりなさい。お姉さんなんでしょ?」

「っ! うん! ちょっと先を見てくるね!」

 

 

下らないことを考えながらも、リーニエにそう命じる。従者として、フェルンの姉として。効果覿面だったのだろう。やる気を漲らせながらリーニエは先へと進んでいく。我が子ながら単純な子だ。フェルンと比べるとそれがさらに際立つ。まるでリリーたちと一緒に暮らしていた頃のように。魔族と人間の時間の差だろうか。

 

 

「リーニエ姉さんは、本当に勇者ヒンメル様の一番弟子なのですね」

 

 

いつの間にか私の隣で、同じようにリーニエの後姿を見守っているフェルン。これではどっちが姉か分かったものではない。そんなフェルンから見ても、リーニエはあいつの一番弟子に見えるらしい。会ったこともないというのに。きっとハイターやアイゼンから聞かされているのだろう。英雄譚ではなく、本物の下らない醜態を。

 

 

「普通は信じないわね。嘘をつかない魔族とどっちがマシかしら」

 

 

それを無視しても、誰もそんなことは信じないだろう。勇者の一番弟子が魔族だなんて。それが嘘をつかない魔族だなどと。魔族でももっとマシな嘘をつくだろう。まさしく例外か。知らず笑みが零れてしまう。それを前にしたあのエルフがどんな反応を示すのか。想像しただけで愉快だ。きっと魔族が魔力の偽装に騙される以上に効果があるに違いない。

 

 

「リーニエ姉さんらしいです。姉さんは、本当にヒンメル様が好きだったんですね」

 

 

どうやら私の魔族の性は見られなかったようだが、今度は違う意味で呆気に取られてしまう。フェルンの、まるで当たり前のような言葉に。たった一言。好きという言葉。魔族にもある好悪の感情。人間のそれとは基準も何もかもが違う物。それでも

 

 

「────そうね。扱いは雑だったけど、あいつはリーニエには甘かったから」

 

 

リーニエは、きっとヒンメルが好きだったと迷わず答えるのだろう。私とは違って。問い質したことはないが間違いない。

 

 

「あ! 二人だけで内緒話してる! 私も混ぜて! 何の話?」

 

 

それを聞きつけたのか。めざとく戻ってくるリーニエ。今もこの子は魔族らしいままなのだろう。それでも、少しずつ変わっているのだ。騙しながら、欺きながら。ヒンメルとの約束を守りながら。

 

 

「あんたがヒンメルの鼻っ柱を折ったって話よ」

「え? 私そんなことしてないよ? する前に死んじゃったし」

「? えっと……何のことですか?」

 

 

ついぞ果たすことができなかった約束、目標もあるのだが。される前に逃げることができたのだけはヒンメルにとっては幸運だったのだろう。物理的に鼻っ柱を折られることがなかったのだから。事情が分からないフェルンは首を傾げるしかない。

 

そんな騒がしさのまま、歩を進める。二十年前に勝るとも劣らない、下らない旅路。あいつに倣うなら冒険か。

 

 

でもそれにも終わりが訪れようとする。見慣れた光景が広がっていく。二十年経っても変わらないもの。

 

 

でもそれが続く度に、私の足取りが重くなっていく。まるで拘束魔法をかけられてしまったかのように。

 

 

────動悸がする。眩暈がする。立ち眩みがする。

 

 

久方ぶりの感覚。それによって、私の足は動かなくなってしまう。まるで歩くことを忘れてしまったように。

 

 

思い出す。思い出したくないことを。そうだ。あの時もそうだった。同じように、あの場所に辿り着いた時。あいつはそこにいなかった。約束を守ってはくれなかった。あの時の感覚を覚えている。その事実が、記憶が私を縛っている。服従させられている。

 

 

笑い話だ。あいつの日記を見つけて、とっくにそんな物から解放されたと思っていたのに。この体たらく。やはり私は愚かな魔族のまま。そのまま、あの時と同じように目を逸らし、俯きかけた時

 

 

「────早く帰ろう、アウラ様!」

 

 

リーニエの手が、私に向かって差し伸べられた。疑うことのない、私の道標。あいつの忘れ形見。

 

 

その言葉でようやく気付く。あの時、ヒンメルが呆気に取られていた理由が。

 

 

そうか。私は忘れてしまっていたのだ。これが旅でも冒険でもなく、帰り道だったことを。そんな当たり前のことを、ヒンメルも私も忘れてしまっていた。気づくことができなかった。知らず、共存し、友達になってしまっていたように。

 

 

「……思い出してもいいんだと思います」

『────思い出していいんだ、アウラ』

 

 

それに合わせるように、聞いたことのない、聞こえるはずのないあいつの声が聞こえた気がした。

 

 

「フェルン……?」

「私もシュタルク様も、リーニエ姉さんにそう教えてもらいました。悲しいことだけじゃない。嬉しいことも思い出せるんだと。きっと、ヒンメル様もそう仰られると思います」

 

 

静かに微笑みながら、どこか遠慮気味にフェルンはそう私に告げてくる。様子がおかしい私を気遣ってのものだろう。きっと、ハイターやアイゼンから事情を聞かされていたに違いない。もしかしたらリーニエが口を滑らせたのか。

 

フェルンはその胸にある形見のブローチを握りしめながら、そう私に教えてくれる。フェルンにとっての家族の形見。シュタルクもそれは同じだったのだろう。リーニエは、二人にそう教えたのだ。形見の意味を。それが悲しいことだけではない。嬉しかったことや楽しかったことを思い出せるものなのだと。思い出していいのだと。

 

同じように、胸にある親愛の花を手に取る。自分のことを覚えてもらうために、なんて嘘をついて。本当にあいつは最後まで嘘つきだった。全然似合ってないだろうに。

 

 

「────そうね。違いないわ。会ったことのないあんたにそう言われるなんてね」

 

 

きっとあいつがいれば、同じことを言ったに違いない。いつものように、格好をつけながら。会ったことのない、フェルンにまでそう言わせるなんて。やっぱりあいつは勇者だったのだろう。

 

 

「すみません……」

「褒めてるのよ」

 

 

本当に、死んでもあいつは癪な奴だ────

 

 

 

森中に響くような元気な声と共に、変わらないドレス姿の娘が駆けていく。天真爛漫が形になったような勇者の一番弟子であり、私の娘が。新しくできた妹を見せびらかすように、私の一番弟子の手を引きながら。

 

 

それを待ち望んでいたように、村の入り口でそれを見守っている老女。すっかり老けてしまっている。それでも、その瞳は、笑顔は変わっていない。それに続くように、進んでいく。帰ってきた。この場所に。昔のように。

 

 

見ればその目には涙が溢れていた。この子は本当に変わらない。知らず私の視界がぼやけるが気のせいだろう。雨はもう降っていないのだから。

 

 

「────おかえりなさい。姉さん」

「────ええ。ただいまリリー。遅くなったわ」

 

 

ただいま、と言葉を告げる。私の妹に。ここにはいない、ここではないどこかで見ているであろう私の友達に向かって────

 

 

 

 

 

「……? どうしたの。挨拶なさい」

「…………」

 

 

はしゃぐリーニエを何とか大人しくさせ、一通りリリーと話し込んだ後、すっかり黙り込んでしまっているフェルンにそう促す。そういえば、村についてからずっと静か、どころか黙り込んでしまっていた。確かにこの子は人見知りだが、ここまでだっただろうか。まるで初めて出会った時のように服の裾を握って縮こまってしまっている。

 

リリーもそれが気になったのか、私と顔を見合わせてしまう。唯一違っていたのがリーニエだった。まるで今か今かと何かを待ち望んでいるかのような雰囲気。そこでようやく悟る。それが何なのか。今から何が始まるのか。それは

 

 

 

「私は……天秤のアウラの一番弟子にして、例外のリーニエの妹! 蒼月のフェルン…………です」

 

 

 

二つ名を持った魔法使いに課せられる、二つ名の名乗りだった。意を決したように、その杖を振り回し、変なポーズを取ったまま、震える声でフェルンは名乗りを上げる。初々しい、たどたどしいもの。その証拠に、フェルンは顔を真っ赤にし、体を震わせている。格好をつけるために。

 

それを前にしてリーニエは手を叩きながら目を輝かせている。きっとこの時のために、必死に練習させたに違いない。

 

今も記憶に残っている、下らない勇者のイケメンポーズ。二つ名の、勇者の功罪。その全てを察したのだろう。リリーもまた優しくそれを見守っている。

 

 

「どう? 私の一番弟子は?」

 

 

きっとさしものあいつも予想できなかったに違いない。私が弟子を取るなど。それが人間の女の子だなんて。きっと女神であっても同じだろう────

 

 

勇者ヒンメルの死から二十一年後。

 

中央諸国グレーゼ森林にある故郷にて。

 

 

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