「アウラ、お前が儂の封印を解いたのか?」
「そうよ。私以外に誰がいるのよ」
互いに見つめ合いながら、警戒し合いながら向かい合う。そこに人間たちのような親交はない。同族だとしても、所詮は別の個体だ。次の瞬間には殺し合いが始まってもおかしくない。まさしく獣。その感覚がどこか心地いい。やはり私は魔族なのだ。どれだけ異端になろうと、それは変わらない。
それを思い出させるほど、目の前の大魔族、クヴァールは力を持っている。正確にはその魔力だ。五百年以上を生きている私を超えるもの。ソリテールには及ばないものの、大魔族に相応しい魔力量。魔族にとっては魔力の多寡こそが全て。だからこそクヴァールは私に平伏することはない。何よりも、私の魔法を知っているからこそ。もしそうでなければ、こうして話すことすらできなかっただろう。
「儂が封印されてから何年経った?」
「そうねぇ……大体八十年かしら」
「たった八十年か」
「そうね」
目に見えない、言葉にしない攻防とやり取りをしながらも、言葉では他愛のない世間話をする。こいつが封印されてからか。私がヒンメルに従わされてからは七十年だが、その前に封印されたのなら八十年ほどだろう。十年やそこらは魔族にとっては誤差にすらならない。それを証明するように、クヴァールはさして気にしていない。私もきっとそうだったのだろう。こいつのように石像にされていたのなら。
「魔王様は?」
「殺されたわ。勇者一行にね」
その名を耳にするのも久しぶりだ。こいつにとっては昨日のようなものなのだろうが。魔族の中にも、それを気にする者、覚えている者などほとんどいない。もういなくなった者などどうでもいいのだから。
しかしクヴァールにとってはそうではないのだろう。忠誠とまではいかずとも、思うところがあるのか。ソリテールほどの心酔ではないが、魔力以外の部分で魔王様は他の魔族とは一線を画していた。もしかしたら、魔王様こそが魔族の中で最も異端だったのかもしれない。それに対する敬意だろうか。敵討ちという概念は私たちにも分かるが、行動に起こす者はいないだろう。
「その勇者も二十年前に死んだわ。僧侶と戦士も老いぼれて使い物にならないし。残っているのは魔法使いだけね」
「フリーレンか」
「ええ。行方知れずだけど。感謝しなさい。あいつが先に来てたら、あんた殺されてたわよ」
それでも一応伝えてやる。勇者一行の末路を。時間という、生き物なら避けることができないもの。その前には勇者一行も敵わない。それに抗えるのはエルフぐらいだろう。その名はクヴァールも覚えていたらしい。それもそうか。自分を封じた魔法使いなのだから。なら私に感謝するといい。もしその順番が、気紛れがあればこいつは葬送されていたに違いないのだから。
「なるほどのう……それで? 何故儂を助けた?」
そんなことは知らないはずだが、クヴァールはその手を顎に当ててさすりながら問いかけてくる。その瞳が物語っている。疑っている。封印を解いた時から変わらぬもの。どうやら私を、この状況を訝しんでいるらしい。なるほど。二つ名の通りではある。こいつはやはり大魔族。他の魔族とは文字通り格が違う。
「簡単よ。私も勇者の奴に手酷くやられてね。あいつらに対抗するために仲間が欲しかったのよ」
こっちの内心を悟られぬように、そう嘘をつく。それはかつての、八十年前の私の理由。自らが生き残るために、勇者から逃れるためにこいつの封印を解こうとした時のもの。私にとっての過ちであり、始まりでもあった。
「仲間、のう……そういえばご自慢の不死の軍勢はどうした? 姿が見えぬが」
それで騙せたのかは分からないが、クヴァールはそう言いながら辺りを見渡している。なるほど。それで最初から周りを魔力探知していたのか。確かにそうだ。私を前にして、それを警戒しないなどあり得ない。かつてヒンメルに言われたことでもある。暗に私を臆病者扱いするもの。本当に癪に障る。古傷が疼くほどだ。
「……ああ、それなら置いてきたわ。人間共に見つかると厄介だしね。代わりにこの子を連れて来てるのよ」
その腕を抱きながら、視線でそれを伝える。そこには一人の魔族がいた。最初からそこにいたのに、その存在が感じ取れないほどの、卑怯者の魔族が。
「…………」
例外のリーニエは無言のまま、魔力を欺いたまま私の隣に控えている。もしフェルンがこの場にいれば、その擬態に、表情に、気配に驚いただろう。いや、こちらがこの子の本性でもある。私に敵対する者を排除する剣であり盾。その冷徹な瞳がクヴァールを捉えている。まるで葬送の魔法使いのように。
思い出すのはかつての、戦斧のグロースとの邂逅。その時と今の状況は似通っている。再現と言ってもいい。
「……分からぬのう。何故そんな魔族を。役に立つとは思えぬが」
だからこそ、その反応も必然だった。いや、驚きはあの時以上か。分かってはいたが、やはりこうなるのか。将軍はおろか、大魔族の中でも賢者と呼ばれるほどのクヴァールの目すら欺くとは。
そう。今こいつはリーニエに騙されてしまっている。その魔力制限によって。それによって相手の強さを誤認してしまっている。魔族の、魔法使い同士の戦いにおいてそれは致命的な隙を生み出す。
魔族が言葉で人間を欺くように、魔力で魔族を欺き殺す。それがあのエルフ、葬送のフリーレンの戦い方。それをリーニエも受け継いでいる。いや、模倣している。それが今、ここで完成したと言えるだろう。偽物が本物になったのだ。
「そう。あんたでもそう思うのね。なら免許皆伝ね」
「何の話をしておる?」
「別に。ただの戯言よ。私たちには理解できない類のね」
ヒンメルの言葉を借りるなら免許皆伝だったか。何にせよ、私にとっては僥倖だ。奇しくも先ほど口にした通り。この子は私にとっては不死の軍勢に勝る従者であり力なのだから。ヒンメルからすれば私を守るためだの何だの囀っていたようだが、せいぜい利用してやろう。
「話が逸れたわね。実は今、ちょっとした暇潰しをしてるの。実験かしら。国を興したの。魔族と人類を共存させるための、ね」
戯れはここまで。いや、これからの間違いか。私に目覚めさせられたのが運の尽きだろう。クヴァールには付き合ってもらうことにする。魔族国家フリージア。私の嘘の国について。ヒンメルに服従させられていた件は伏せながら。それまで含めていれば無駄に時間がかかってしまう。もしかしたらそれを明かすのを躊躇ったのか。
「────そこで魔法の研究をしててね。それにあんたの力を借りたいのよ。得意でしょう? 腐敗の賢老と呼ばれるあんたなら」
できるだけ簡潔にまとめながら、結論を告げる。それが私がここにやってきた理由。ヒンメルとの約束を守り、破るため。いや、あいつのことだ。私がそうすることまで見抜かれていても不思議ではない。
「……なるほど。なるほどのう。少し見ぬ間に、随分変わったようじゃの。人類との共存か。まるで魔王様のようなことを言う」
「そうねぇ……でも一緒にされたら困るわ。私は魔王様のような間違いは犯さないわ。かつての魔王軍のような力押しもね。あんなのは馬鹿のすることよ」
魔族と人類の共存。かつて魔王様が、勇者が夢見た絵空事。それをクヴァールも覚えていたのだろう。それを私が真似ているのだから、その戸惑いはもっともだろう。私だってそうなのだから。
しかし私とヒンメルのそれは、魔王様のそれとは異なる。同じ轍を踏むつもりはない。あんなのは
「本当にお前はアウラか? グラオザームが化けているのではないか」
「酷い言いようねぇ。頑張って国を作ってるのに」
だがそれは人間に限った話ではない。どうやら少しやりすぎたらしい。クヴァールの言葉にかつてのアイゼンの戯言が重なる。ようするに私が偽物ではないかと疑っているのだ。
だがそれも無理もない話だ。かつての、断頭台の頃の私を知っている者たちからすれば。事実、建国した当時はそうだったのだから。今も北部では私は断頭台の頃のままだ。それでも、この二十年でそれは薄れつつある。忘れられつつある。本当に人間は忘れる生き物だ。
国を作るなら、魔王様の真似をしたいのなら、人類と魔族の共存なんて無駄なことをする必要はない。私の魔法で服従させればいいだけ。かつての私ならそうしていたはずだ。きっとソリテールあたりにも同じことを言われるだろう。
「ふむ。覚えていないか。儂はかつてお前に言ったことがある。服従の魔法で人間どもを操れば簡単に仲間割れさせることができると。その方がずっと効率がいいとのう」
「そうだったかしら。覚えてないわ。私、何て答えてた?」
「その方が楽しいから、だったか。簡単だからとも」
「……そう。覚えてないけど、あんたがそう言うならそうだったんでしょうね」
どうやら私も人間たちのことは言えないらしい。全く覚えていない。忘れてしまっていたらしい。魔族の性だろうか。興味のないことは覚えることが難しい。いや、何も考えていなかったのか。その時々の本能、快不快、気紛れで動くのが私たちだ。当時の私は人間を食料として、傀儡としか見ていなかった。この魔法の真価に気づかされたのは、勇者に服従させられてからだったのだから。
だとすれば、やはり目の前のクヴァールはやはり魔族としても異端、いや優れているのだろう。私の魔法の利用価値を見抜いていたのだから。恐らくはソリテールも。きっと愚かな魔族だと観察していたに違いない。虫唾が走る。
「────そういえば言い忘れてたわ。実は私も勇者の奴に服従させられてたのよ。あんたと同じように、五十年間ね。自分の魔法でよ? 笑えるでしょう?」
その八つ当たりに、気紛れにそう囁く。ただの笑い話。愉快でしかない。人間よりも遥かに優れているはずの魔族の、大魔族の私たちが封じられ、そしてここでまた下らない話をしている。己の魔法に裏切られながら。奪われながら。本当に運命とやらは面白い。女神の奴の仕業なら、本当にいい性格をしている。流石はあの生臭坊主を気に入るだけはあるだろう。
「────」
だがそれは。目の前の魔族にとってはそうではなかったらしい。それは明確な敵意だった。空気が張り詰める。魔力を感知できないはずの鳥たちが、一斉に羽ばたき逃げ去っていく。まるで地震でも起きてしまったかのように。
「────嘘よ。本気にするんじゃないわよ。
「よく言ったものじゃのう。魔族が魔族に嘘をつくとは。気づいておるか、アウラ。まるで人間のようじゃぞ」
その手にある天秤を見せつけながら威嚇する。指摘する。挑発する。どうやら少しからかいすぎてしまったらしい。最近の悪い癖だ。嗜虐的になりすぎてしまうきらいがある。魔族としての欲求、性だろう。それをあろうことか、人間のようだと言われてしまった。本当に笑い話だ。
「────当然でしょう? 私たちは人間の真似をする、言葉を話す猛獣よ」
それこそが魔族だろうに。八十年封印されていたことで、魔族が何たるかを忘れてしまっているに違いない。賢老ともあろう者が。
「なるほどのう。自覚しておるということか。実験といい、ソリテールが今のお前を知ればさぞ喜ぶじゃろう」
「心配ないわ。とっくに知ってるもの。国を作るのにも利用してやったのよ」
「ほう。驚いた。それで、聞かせてもらおうかのう。儂をどうしたいのか」
そこでソリテールが出てくるあたり、クヴァールもあいつのことを理解しているのだろう。そういえばあいつもクヴァールには一目置いていたか。同じ研究者だからとか何とか。私のことを勝手に研究者扱いし、友達を自称する変わり者の魔族。私にとってはただの共犯者でしかない。利害関係。それこそが私たちに相応しい。
「さっき言った通りよ。あんたを利用したいのよ。私の国のためにね。あんたも魔法の研究ができるし、人間たちに狙われることもなくなる。悪くない条件だと思うけど」
だからこそ、それを提示する。さながら宣教師のように。詐欺師のように。魔族を、フリージアに誘き寄せるための常套手段。自らの欲求、人間で言う三大欲求だったか。それを満たすことができることを条件に。魔族だけではない、人間たちもまたそれに騙されてやってくる。利用されているとも知らずに。しかし
「魔法の研究に人間を利用する、か。確かにそれは興味深い。だがそれ以上に疑わしい。アウラ、お前自身がな。騙されているような気がするのう」
それは目の前の大魔族には通用しなかった。癖なのだろう。顎をさすりながら、疑いの眼差しをこちらに向けてくる。自らの欲求に縛られてる、愚かな獣ではあり得ない反応。
「流石ね。それに気づけた魔族はあんたが二人目よ」
それに最大級の賛辞を贈る。私の企みに、フリージアの嘘に気づけた魔族はこいつが二人目だ。最初の一人目については例外だろう。あいつは共犯者なのだから。知っていて、知らない振りをしている。騙された振りをしているのだろう。
「なら仕方ないわね。あんたたちに分かりやすく伝えてあげる」
天秤の真似事はここまで。こいつを前にそれは意味がない。騙せないのだから。言葉が通じないのだから。ならすることは一つだけ。
「────私に従いなさい。そうすれば命だけは助けてあげるわ」
服従か死か。
獲物を前にして、舌なめずりするような笑みを浮かべながら単純な二択を突き付ける。かつての断頭台のように。教典も、自由も、平等も関係ない。ただ従えるために。支配するために。服従させるために。
「────ようやく
それを前にして、賢老もまた笑みで応じる。その二つ名で呼ばれるほどの大魔族であっても、その性からは逃れないように。その同族が本性を見せたことを喜ぶように。
そう、これこそが魔族。人を食らうために、言葉を覚えた魔物。その名の通り、魔法に執着する者たち。他者などどうでもいい。究極の個人主義者たち。だが賢老は知らなかった。目の前にいる魔族が、その中にあって異端であることを。
「知ってる? 八十年は人間にとって、とてつもなく長いのよ。教えてあげるわ」
魔族を教え、導く存在になりつつあることを。
賢老は思い知ることになる。今から己が挑むのが、人類の魔法の歴史そのものであることを。
これから始まるのが戦いではなく、教導。騙し合いであることを────