「おはようございます。リュグナー様」
「ええ。全てはアウラ様の天秤の下に」
住民に挨拶され、それに流れるように応じる。もはや習慣と化したもの。何も考えず、ただ魔族である自分に頭を下げている。自分たちが騙されていると考えもしないのだろう。アウラ様の嘘に。しかしそれは人間だけではない。私たち魔族も含まれる。奇しくもその言葉通り、私たちはアウラ様の天秤の下にあるのだから。
(何も問題はない……順調だな)
一通り見回りを済ませ、確認をする。アウラが不在の際の、ここフリージアの管理こそが神官であり、側近である自分の役目。もしアウラ様がおられない間に問題が起こればどうなるか。私の評価も地に堕ちてしまう。それだけは避けなければ。リーニエとは違うところを見せる意味で好機でもある。あの厄介者も、その妹扱いされているフェルンもこの場にはいない。久方ぶりに解放された気分だ。このまま帰ってこなければと思ってしまうほどには、ここ一週間は穏やかな時間を過ごせている。
「ここか……」
その足を止め、見上げるとそこには大きな建物があった。大聖堂には及ばないまでも、そこがフリージアにとって、ひいてはアウラ様にとって重要な施設であることを示すかのように。
魔法科。教典科に並ぶ、ここフリージアの中核をなす部門。しかし私にとってはそうではない。定例会議以外では訪れることがない場所。フェルンの教導の進捗具合を報告する煩わしさもあるが、それは私だけに限った話ではない。特に魔族の多くはこの場所を好ましく思っていないのだから。魔族として、いや魔法使いとして。
その場所にあえて足を踏み入れる。そこは所狭しと本が溢れている場所だった。人間の言う図書館だろうか。置かれているのはほとんどが魔導書だ。人間たちが書き記している、役に立たない魔法ばかり。それが魔族がここを毛嫌いし、見下している理由だ。魔法は誇りだ。それを探求し、己が物とすることに意味がある。だというのに、それを晒し、あろうことか共有するなど。辱めに等しい。
その証拠に、魔法科はそのほとんどが人間で構成されている。ようするに魔族に相手にされていないのだ。だというのに魔法科などと。そうずっと思っていた。しかしそれは間違っていたのだろう。いや古かったのか。見渡せば人間だけではない。ところどころに魔族の姿もある。同じように魔導書を読んでいたり、鍛錬場だろうか、魔法を駆使している者までいる。特に子供、第二世代の魔族が多い。それに目を奪われていると
「あ、もしかしてリュグナー様ですか? ここにおいで下さるとは!」
耳障りな声が響き渡ってくる。図書館だからか、周りが静かな分、余計に響いてくる。そこにはどこか慌てた様子でこちらに駆け寄ってくる人間の女の姿。眼鏡をかけた、お世辞にも清潔感を感じられない、ぼさぼさな髪をした魔法使い。見覚えがある。定例会議で何度か顔を合わせたことがあった。名前は確か
「お邪魔しています。ゾンダ様」
「っ! 私の名前を覚えておいでだったのですね。光栄です!」
どうやらそれで合っていたらしい。それがよほど嬉しかったのか。ペコペコと頭を下げてくる姿は情けないことのこの上ない。こいつに魔法使いとしての誇りはないのか。まあいいだろう。こうして名前を覚えてやるだけで、警戒されなくなる、騙しやすくなるのだから。本当に人間は愚かだ。
「何の御用でしょうか。フェルン様の教導の件でしょうか。それとも」
「いえ、ただの巡回です。アウラ様が留守にされているので神官としてですが」
偽りの笑みを浮かべながらそう嘘をつく。全てが嘘ではない。かつてアウラ様が教えて下さったように、嘘の中に真実を混ぜて。巡回自体は嘘ではないのだから。それにあっさり目の前の女は騙されてしまっている。私がここに来る理由が思いつかなかったからだろう。私がここに関わるのはフェルンの教導ぐらいしかないのだから。それも直接ここに来ることはほとんどない。
「なるほど。流石ですね。ああ、私などに敬語は必要ありません。そういうのは苦手なので」
「……ならそれに甘えるとしよう。実は噂を耳にしたのだ。魔族が自らの魔法を探求するのにここを利用していると。その真偽を確かめに来た」
見るからに敬語が苦手そうな風貌をしている。それに免じて、こちらも無駄を省くことにする。美しさに欠けるが、単刀直入に問い質す。時間を無駄にしないために。
『ただ騙すのではなく、利用しなさい。人間だけでなく、魔族も。あんたならそれができるはずよ。頼りにしてるわよ、リュグナー』
かつてのアウラの言葉であり啓示。アウラ様の不在に間に、何か一つでも成果を得るために。あの能無し、ドラートのように停滞するわけにはいかない。そのために利用できる何かがここにはある。そう目論んだ行動。しかしそれは
「そうですか。やはりアウラ様の仰る通りですね。全てはあのお方の御心のままですね。少々お待ちを」
やはり全て、アウラ様の天秤、掌の上だったのだと思い知らされることになる。
「どうぞこれを」
女はそのまま整理されていない倉庫の中から悪戦苦闘し、一冊の紙の束を見つけ出し、私に差し出してくる。それを警戒しながらも、受け取るしかない。理解できないことの連続だ。何故こんなことになっているのか。こんなものをよこせなど一言も言っていないというのに。だがそれは
「これは……?」
「アウラ様に、リュグナー様がここに興味をもって来られた時にお渡しするように命じられていた物です」
ここにはいない、アウラ様からの命令、いや施しだった。その言葉に目を丸くするしかない。当たり前だ。どうしてここにいないのに、そんなことができるのか。分かるのか。もしやどこからか魔法で私の動きを見張られているのか。それともシュラハト様のような未来予知なのか。
それに圧倒されながら、不審に思いながらも渡された紙の束に目を通す。それは人間で言う報告書のようなものだった。単純な言葉の羅列。しかし、それを読み進める内に、知らずその手に力が篭っていく。目は細まり、知らず歯ぎしりしてしまう。そのままその報告書を破り捨てたい衝動に駆られるも、寸でのところで踏み留まる。
(何なのだ、これは……!?)
それは私の魔法を凌辱するものだった。
だというのに、その名が記されているこの報告書には、それの詳細が記されていた。その能力から消費魔力まで。事細かく。私が意識していない事柄まで。能力の評価から、運用、活用方法まで。自らの強化に加えて、他者への能力の付与。私にはなかった、いや魔族ではあり得ない発想に基づくもの。治療魔法としての運用などがまさにそれだ。
それだけではない。私の誇り高き魔法を、相手への足止めや他者との連携に適しているなどと評している。侮辱でしかない。
極めつけがその結論だ。この魔法の行きつく果て。他者の血液の操作。イメージと消費魔力の問題があるが、そう結論づけられている。
それに言葉を失う。それは呆れではない。ただの嫉妬、いや憎悪だ。魔法使いとしての本能が、魔族としての探求心がそれを認めている。それこそが、私の魔法の行きつく先なのだと。それを先を越されてしまった、奪われてしまった感覚。
「アウラ様がこれを私に……? いつからだ?」
それに耐えながら、平静を何とか装いながらそう問いかける。今自分がどんな醜態を晒しているのか分からない。その生涯をかけて手に入れるはずの、答えを先に渡されてしまった気分だ。しかしそれがアウラ様の企みだという一点で踏み止まる。あの方は意味のないことはしない。ならこれにも意味があるのだ。ならそれを理解しなければ。
「ええと……確か十年以上前でしょうか。もちろん、他の魔族もそれは同じです。自らの意思で、興味でここを訪れた魔族には渡すようにと。リュグナー様については特に気に掛けられていたようです」
能天気にそんなことを明かしてくる女。なるほど。そういうことか。ならアウラ様はその時から、私がここに興味を持ってやってくることを予見していたのだろう。あえてそれまで待っていたのだ。もし強引に、命令されるがままにこれを渡されていれば、いかな私でも受け入れることはできなかっただろう。魔法使いの誇り故に。アウラ様は待っていたのだ。試していたのだ。遥か高みから。私がそれに見合うようになるまで。
私だけではない。ここフリージアの魔族の魔法がここには収められている。登録されている。それを研究し、開発し、さらに遥かな高みへと。人間共を利用して。群体としての強みだったか。かつて偉大な賢老の魔法、ゾルトラークが人類の魔法体系に取り込まれてしまったように。アウラ様は望んでいる、導かれているのだ。その知識を利用し、魔族がさらに高みへと至るのを。
「……確か共同で研究しているものがあると言っていたな。飛行魔法もそれだった気がするが」
「はい! リュグナー様のおかげで飛躍的に研究が進んでいます! 本当にありがとうございます! やはり魔族の方々は私たちよりも遥かに高みにいるのですね。驚かされてばかりです!」
一度大きく深呼吸し、怒りを鎮める。奇しくも自らの魔法によって血流をコントロールすることによって。一気に思考が晴れた気がする。なるほど。これが私の魔法の真価でもあるのか。もしこれを他者にも応用できれば、無限の可能性がある。それに心が躍っている自分がいる。魔族としての、魔法使いとしての自分の側面。
それに気づくことなく、能天気に話を捲し立ててくる女。この女が魔法科を取り仕切っているとはとても思えない。しかしだとすれば、この研究書も、この女が取りまとめたものなのだろう。だとすれば侮ることはできない。我々とは全く違う才能なのか。
そういえば飛行魔法の研究の時もそうだった。こいつは一つの魔法に固執していない。人類の魔法も魔族の魔法も等しいかのように扱っている。魔法そのものに興味があるのか。理解できない。そんなことをして自分に一体何の得があるのか。
「飛行魔法以外にも研究しているものがあるのか?」
「もちろんです。優先順位だったり、かかるであろう時間でまだ取り組めていない物もありますけど。えっと、あったあった。これですね」
自分の研究成果を見せびらかしたかったのか。それとも私が興味を示したからか。さらに饒舌になりながら女は奥から研究書を引っ張り出して喋り出す。今、魔法科で共同研究、開発を行っている魔法の数々を。
短期、中期、長期。主に三つの分類に分けられている。短期は十年単位。中期は百年単位。長期はそれ以上らしい。人間たちの時間感覚に合わせられたもの。同時に百年単位でかかるものについては魔族の協力が不可欠になるのだと。
その一つが魔族への防御魔法の一般化だった。人類では基礎となっている防御魔法を、魔族にも取り入れる。人間にできることは魔族にもできる。私たちが歩くように飛行魔法を使うように、身構えるだけで防御魔法を使えるようにするために。魔力の消費も抑えられるように。特に第二世代の魔族にはそれが功を成しつつあるらしい。まだ魔族としての誇りも、拘りも薄い内に教え込めるからか。生まれた時からあって当たり前、使って当たり前の技術、本能にするために。
そう、ようやく理解した。ここでの研究は、そのままフリージアの、アウラ様の利益になるのだ。全てが巡り巡って、そこに帰結している。そのために、アウラ様はこの魔法科を作り上げ、利用されている。
だがそれすらも些事でしかない。極めつけがこれだ。
それは、服従の魔法の代わりとなる精神魔法の研究だった。それはアウラ様自身が指示したものらしい。あり得ない。自らの魔法の代替を、それも死後を考えての物。自らの魔法すらも道具としか見做していない。魔族としてあり得ない、理解できない思考。
(あのお方は、一体どこまで……)
人間でも魔族でもない。あのお方は、魔族を超えようとしているのだ。それに対する恐怖と畏敬。魔力の多寡だけではない。天才だからではない。化け物なのだ。化け物は自分が化け物だと気づけないに違いない。
「ああ、そういえばちょうど魔法科と教導科で合同の訓練をしているんです。ご覧になっていかれますか?」
その意味に気づけていないのだろう。子供のような無邪気さで私は誘われる。
そこは魔法科に隣接している鍛錬場だった。そこに人間共と混じって教導をしている戦士たちがいた。魔法使いたちの姿もある。異なる職種同士の連携。人間と魔族の連携、訓練が行われている。かつて何度か目にした、リーニエが指導していた鍛錬の延長。泥臭い、美しさの欠片もない野蛮なもの。
だが、これは選別なのだ。先の魔法科でのこともそうだ。適応できなければ置いて行かれる。淘汰される。否、それにすら気づけないに違いない。なら私はどうするべきか。そう思案していると
「む、リュグナーか。珍しいな。リーニエならいないぞ」
いつからそこにいたのか。足元からそんなみすぼらしい声がかけられる。声だけではない。その姿もまたみすぼらしい。古臭い甲冑にマントを纏ったドワーフ。かつての勇者一行の戦士とは思えないような老いぼれがそこにはいた。
「ご心配なく。それは存じています。相変わらず精が出ますね」
それに対して敬意を払わなければいけないのは屈辱だが致し方ない。ここには他の者の目もある。業腹だが、ここフリージアではこいつは一定の支持を得ている。魔族でも魔法使いでもないというのに。忌まわしい。何よりも私がリーニエを探してここに来たと勘違いしている。これ以上ない侮辱だ。反吐が出る。
「こき使われているだけだ。逆らうとアウラが怖いからな。お前こそ大丈夫か? あいつに無理難題を押し付けられているんじゃないのか?」
「そのようなことは……」
ない、と言いかけるも思わず言い淀んでしまう。嘘ではないというのに。何より、こいつの物言いが癪に障る。まるでアウラ様と旧知の間柄であるかのように気安くその名を口にすることが。服従させられているくせに、何故ここまで堂々としていられるのか。
「あいつは気に入った相手を甚振る癖があるからな。気をつけることだ……何をやっているシュタルク。さっさと立て。倒れることだけは許さんと言っているだろう」
「勘弁してくれよぉ、師匠……せっかく姉ちゃんがいないってのにさ……」
「だからこそだ。帰ってきたら言いつけるぞ」
「クソ親父……あれ? 誰このおっさん」
そのまま戦士はその場に倒れ込んでいる子供をそう叩き起こしている。赤い髪をした小さな子供。確かこいつの弟子だったか。年の頃はフェルンと同じぐらいだろうか。そういえばそんな話を聞いた覚えがある。こんな原始的な鍛錬に何の意味があるのか。
「リュグナーだ。フェルンに魔法を教えている魔族だ」
「そういえば見たことある気がする……そのおっさんがここに何の用? まさか……また教導に参加する奴が増えるのかよ?」
「それもいいかもしれん。どうだ、リュグナー? お前も参加していくか。人間も魔族も、戦士でも魔法使いでも体が基本だ。鍛えて損はないぞ」
あろうことか、そのままその下らない訓練に私を誘ってくる始末。そのみすぼらしい腕を晒しながら妙なポーズを取っている。まるでリーニエのように。冗談ではない。こんな野蛮な争いに加わるほど私は暇ではない。だというのに
「これはこれは珍しい組み合わせですね。一体何の催しですか?」
また新たな厄介者がやってくる。どうなっているのか。こいつらは勝手に集まる習性でもあるのか。魔力探知しているわけでもあるまいに。戦士よりもさらに老いぼれている、白髪にまみれた死に損ない。偉そうに法衣を纏っている。何よりも気に入らないのはその魔力だ。分かっていても気に障る。
「ハイターか。お前こそ珍しいな。こんなところに来るとは。教典科で司祭の真似事をするのはどうした?」
「こらこら、私はエーヴィヒですよ、アゴヒゲ。それと司祭ではありません。それはシュトロの役目ですから」
「そうだったな。忘れるところだった。それで、結局何しに来た?」
「いえ、少し羽を伸ばしにでしょうか。こうしてたまにサボって色んなところを見て回っているのですよ」
「いいご身分だな」
「ええ。こんな余生を送ることになるなんて思ってもいませんでした。アウラ様様ですね」
「まったくだ」
かつての勇者一行の戦士と僧侶が揃って下らないやり取りをしている。悪夢でしかない。ここ魔族国家ではあってはならないような光景。何故アウラ様はこんな奴らを。その影響力は認めるが、何故自由意思を残しているのか。何度聞いても教えてはくださらなかった。何か深いお考えがあるのだろうか。
「これは失礼。リュグナー殿も来られていたのですね。ちょうど良かった。いいワインが手に入ったのですよ。どうですか、今夜でも一杯」
「いえ、私は……」
ようやく私の存在に気づいたのか。笑みを浮かべながらそんなことをのたまってくる僧侶。理解できない。僧侶というのは飲酒などを禁じている側だったはず。だというのにそれを勧めてくるなど。私がそれを嗜んでいるのは食人欲求を抑えるためだというのに。こいつとは違う。同族と思われているなどあってはならない。そう断ろうとするも
「アウラに怒られるぞ」
「今はいませんから。ちゃんとアルコールは抜いてもらっています」
「生臭坊主め……そうだな。なら俺も行こう。シュタルク、お前も来い」
「え? 夜更かししたらいけないんじゃないのかよ」
「今日は特別だ。お母さんがいないからな。ジャンボベリースペシャルも買って帰るとしよう」
「マジかよ。でもバレたらフェルンに殺されちまうよ」
「そっちの方が怖いのか。罪な女たちだ」
「尻に敷かれることになりそうですね」
その暇すらない。また理解できない下らないやり取りを延々と始めてしまう。細かくは理解できないが、ようするにアウラ様がいない間に好き放題しようとしているらしい。不敬でしかない。烏合のように耳障りだ。こいつらと一緒に暮らしていたリーニエがあんな風になってしまうのも納得するしかない。
「これは失礼。お見苦しい所を。アウラを呼び捨てにしてしまって申し訳ない。そう命じられているので見逃してもらえれば」
自覚はあったのか。そう弁明してくる僧侶。アウラ様を呼び捨てにするのはこいつらぐらいだろう。本人がそれを命じているというのも妙な話だ。様付けに意味がないと感じているのかそれとも。
「アウラは貴方に期待しているのですよ。嘘つきなので、正直には言わないでしょうが。そうですね、利用価値があると評価しているのです。ぜひ応えてあげて下さい。これから先は長いですから。私たちは老い先短い身ですから」
「お迎えにはまだ早いぞ。死神も来ていないからな」
「そうでしたね。では楽しみに待つとしましょう」
恐れ多くも、アウラ様の御心を代弁してくる人間の僧侶。不敬にもほどがある。そんなことは言われなくても百も承知だ。私はあのお方の側近であり、片腕なのだから。こいつらとは違う。あと五十年もすればいなくなるであろう、こいつらなどあてにはしていない。全てはアウラ様の御心のままに。
騒々しい勇者一行の成れの果てにいつまでも付き合ってはいられない。そのままその場を後にする。私にはまだまだすることが山積みなのだから────
「ただいまリュグナー! おみやげいっぱいもらってきたよ!」
「今戻ったわ、リュグナー。変わりはない?」
「は。滞りなく。ご帰還お待ちしておりました」
首を垂れ、忠誠を誓う。目の前には帰還されたアウラ様の姿。予定よりは早まったが、それを見過ごすことなどあり得ない。大魔族であるこのお方の魔力が全てを物語っている。魔族としての本能が刺激されるのを感じる。やはり私はこのお方の配下なのだ。だというのに
「あ、そうだ! 見てみてリュグナー! 新しい仲間ができたんだよ! 私のお爺ちゃんなんだから!」
同じ配下であり、従者であるはずのリーニエは何も変わっていない。魔族が変わらないのは当たり前だが、こいつに限ってはそれは害でしかない。
見れば、上機嫌に見たことのない魔族の肩に乗ってはしゃいでいる。まるで枝に留まっている鳥のようだ。アウラ様がまた新たな魔族を従えてこられたのだろう。討伐依頼などでは珍しいことでもない。人型ではない巨躯した魔族。
お爺ちゃん……確か年老いた男の人間を指す言葉だったか。相も変わらず人間の習性の真似をしているのか。
「もう少しお淑やかにしたらどうです、リーニエ。貴方は神官なのですから」
「むぅ……」
それを抜きにしてもその振る舞いは神官には相応しくない。美しくない。端的に言ってふしだらだった。ぶらぶらとしている足元からはスカートの中が見えてしまいかねない。魔族としても、人間の模倣としても失格だろう。
「それにあなたもです。魔力を制限するなど……アウラ様の御前ですよ。不敬にあたります」
それに良いようにされている新参の魔族にも苦言を呈する。ある意味リーニエに倣っているのか。その纏っている魔力に揺らぎがある。私の目は欺けない。リーニエの擬態には遠く及ばない付け焼刃なのだろう。何よりもアウラ様の前でそんなことをするなど。不敬でしかない。だというのに
「だ、そうよ? さっさとそのごっこ遊びを止めなさい。クヴァール」
「────は?」
アウラのそんな言葉によって、私は言葉を失ってしまう。言葉だけではない。それは魔力だった。私の苦言に合わせるように、それがこの場を支配する。アウラ様すら超える、圧倒的な魔力によって。体が震え、身動きが取れない。できるのは何とかその場に踏み止まることだけ。
そう、その名を私は知っていた。魔族でも知らぬ者はいないであろう偉大な魔族の名を。
「ね、役に立つでしょ、お爺ちゃん? みんな簡単に騙されるんだから!」
「なるほどのう。参考にさせてもらおう」
だというのに、全く気にした風もなくリーニエは気安くそう話しかけている。あり得ない。魔族としても、従者としても。そのお方も、どこか興味深げに私を観察されている。その目が合ってしまう。蛇ににらまれた蛙同然。私にはそれに抗うことができない。
「アウラ様……このお方は……?」
それでも、何とか口にする。問うべきではない、問うまでもないことを。そこには普段と変わらないアウラ様がいた。こちらを試すような、甚振るような、ご満悦な笑みを浮かべて私を弄んでいる天秤が。やはり、先の戦士の言葉が正しかったのだ。
「腐敗の賢老クヴァールよ。従えてきたわ。立場的にはあんたの副官になるかしら。ちゃんと指導なさい」
「…………仰せのままに」
リュグナーはただ平伏する。自らの常識すら覆し、翻弄する主に従うために。新たに身につけた魔法で自分を落ち着かせながら。これから先、自らの身に何が起こるのかを予見しながら────
今回で第四節は終了となりまります。次話からは第五節「生ける魔導書の憂鬱」になります。お楽しみに。