第一話 「憂鬱」
勇者ヒンメルの死から二十四年後。
北側諸国。魔族国家フリージアにて。
「…………ふぅ」
自分以外誰もいない自室。そこで最後の一通の手紙を確認し、溜息を吐く。そのままそれを机に投げ捨てる。本来ならそんな扱いをしてはならない信書の類なのだが関係ない。その証拠に、机の上には同じように広げられた便箋の山。片手には羽ペン。ここに籠ってかれこれ半日だろうか。書類仕事。正確にはそれにサインすることが国王である私の重要な仕事でもある。つまらない、退屈な仕事ではあるが、国家である以上仕方ない。こればかりは他の連中に押し付けるわけにもいかない。しかし、私を憂鬱にさせているのは、また別のことだった。それは
(やっぱり見つからないわね……あのエルフ、本当は死んでるんじゃないの?)
今か今かと待ち構えている、獲物である葬送のフリーレンの所在が全く掴めないことにあった。
もっとも、すぐに見つけれられると楽観的に考えていたわけではない。結果論ではあるが、あの勇者ですらあの薄情者、もとい渡り鳥を捕まえることはできなかったのだから。手をこまねいていたわけでもない。それを誘き寄せる餌も、罠も仕掛けた。誘い出すための噂も流した。極めつけが国家権力の乱用だ。いや、私の国なのだからどう使おうが私の勝手なのだがそれはともかく。フリージアとして、あらゆる手を使ってあのエルフの情報を集めさせている。かつて勇者が決してしなかった、禁じ手でもある。
しかしそれを行使してもなお、あのエルフの影すら掴めない。一体どこにいるのか。人の噂も届かない森の奥底にでも引きこもっているのか。本当に野垂れ死んでいるのではないか。
(毎日手紙とにらめっこなんて……これじゃあヒンメルのことは言えないわね)
ふとそれに気づいて自己嫌悪するしかない。今の自分はまさにかつてのヒンメルそのもの。やってくる手紙に一喜一憂していた愚かな勇者の。あいつ風に言うなら、ラブレターだったか。今の私へのそれは、かつての勇者へのそれを超えているだろう。その全てに目を通していれば日が暮れてしまうぐらいには。何故私がこんなことで振り回されなければいけないのか。流石は最後の勇者一行だ。それを手に入れるためには、まだ足りないらしい。
(あいつらを従えてから三年……見通しが甘かったかしらね)
ペンを放り投げ、そのまま頬杖を突きながら思案する。三年。私があいつの日記を見つけて、勇者一行たちを従えてからの時間。たった三年なのか、もう三年なのか。そのどちらが正しいのかはもう私も判断がつかないが、目算が甘かったのは事実だろう。楽観していたのか。油断に驕り。それを極力排してきたつもりだが、やはり私は魔族なのだろう。
(私だけなら、別に何十年かかってもどうってことはないけど……)
そう、魔族である私にとっては数年も数十年もさして大きな差ではない。焦ることもない。遠からず、あいつはここにやってくるだろう。あいつは葬送のフリーレン。魔族だけではなく、勇者一行にとっても死神なのだから。しかし、それをあてにするのは甘かったのかもしれない。あいつを侮るわけにはいかない。何せ五十年間、手紙もよこさない薄情者なのだ。何よりも
(あの生臭坊主がどこまで保つかなんて分からない。そろそろ女神の奴がお迎えに来てもおかしくないわね……)
賢者を騙らせている、あの生臭坊主がいつ死んでもおかしくないのだから。本人は飄々として余生を満喫しているようだが、私の目は誤魔化せない。間違いなく弱ってきている。衰えてきている。生物として。教典科での仕事も休みがちになってきている。フェルンからも聞かされているので間違いないだろう。すぐにどうこうではないだろうが、元々人間の寿命で考えれば、いつくたばってもおかしくないのだから。酒は百薬の長とはよく言ったものだ。死んだらあのふざけた教義を残してやってもいいと思う程度には。もしかしたら、女神の奴がお気に入りを取られて嫉妬して、天国に来るのを拒んでいるのかもしれない。
(本当に癪だけど……あいつを利用するしかないかしらね)
何度目になるか分からない溜息が漏れてしまう。本当に憂鬱だ。考えるだけで嫌になってくる。何で私がこんなことを。
そう、私には一つ方法が、手段が残されていた。あのエルフを捕まえるのではない。見つける方法が。しかしそれは私にとってそれは屈辱でしかなかった。吐き気がする。やはり私はエルフが嫌いなのだ。あの薄情者だけではなく。
しかしそれは私の下らない拘りでしかない。油断と慢心。いつもリュグナーたちに言って聞かせていること。利用できるものは何でも利用する。それが今の私の生き方。ならすることは決まっている。ハイターたちを服従させた時と同じだ。欲しいものを手に入れるために。
あの時にはなかった力が今の私にはある。服従の魔法がなくとも、魔法の力に頼らなくとも、あの老害に対抗する力が。外交という名の脅迫。この二十年で手に入れた私の権力が。
その布石はもう打ってある。そろそろ返事があるはずだが。何にせよいい機会だ。
(あの子を見せびらかしに行く、いい機会ね)
それを想像して思わず笑みが零れてしまう。やはり三年は人間にとっては長い時間なのだろう。特に子供にとっては。フェルンもまた例外ではない。肉体的にも大きく成長し、背も追い抜かれてしまった。髪も伸び、手にしている杖も様になってきている。その体つきは女らしくなっている。特に胸が。リーニエ曰く、リンゴみたいに大きいだったか。リーニエとしては褒めているつもりなのだろう。本人としては嬉しくはないようだが。
(魔法使いとしては一人前……恩返しもできたってところかしら)
魔法使いとしても、個人としてもフェルンは夢を叶えたと言えるだろう。その大きな目標である一番岩を打ち抜いたのだから。あの子の血の滲むような鍛錬の成果。リュグナー曰く積み重ねの美しさ、だったか。リュグナー本人は認めはしないだろうが。今度白状させてやるのも面白いかもしれない。
打ち抜いた一番岩も偽物ではなく本物。ハイターの別荘に里帰りした際に、それを達成させた形。流石に遠出になるのでハイター本人は連れてはいけなかったが、代わりにその墓参りをしてやった。律儀にそれに付き合うあたりあの子もやはり変わっている。流石は私の弟子だ。生きている内に墓参りされるなんてあいつぐらいだろう。ついでにアイゼンの奴の墓参りをしてやろうかと思ったが止めた。作りかけの墓しかないのだから。そもそもあそこに用はない。シュタルクが帰りたいというなら付き合ってやってもいいが、今はそれどころではないのだろう。
(少しは戦士らしくなってきたのかしら……)
そのシュタルクもフェルンと同じように大きく成長している。いや、それ以上か。背はぐんぐん伸び、あっという間にアイゼンを追い越してしまった。男らしい体つきだろうか。もっとも中身が臆病なのは変わらないが。しかしようやく一人前になったのだろう。魔物とも戦えるようになったのだから。フェルンと一緒に討伐をさせたのが良かったのだろう。戦士とはそういうものだ、とはアイゼンの言だったか。
リーニエとリュグナーではないが、あの二人もよく行動を共にしている。一緒に討伐依頼をこなすほどに。これが弟子が独り立ちした師匠の気持ちという奴なのか。ヒンメルではないが、仮とはいえ免許皆伝とやらを認めてやってもいいかとよぎるも
「助けてくれよぉ、アウラぁ!」
「ふしだらです」
それはまだ十年は先だと思い知らされることになる。さっきまでの感慨を返してほしい。どこか既視感を覚える。そうか。これは村での日常だ。私の時間を悉く邪魔して奪っていた、シュトロとリリー。その再現。いやそれを超えるもの。
「うるさいわね……今度は何の騒ぎよ? 邪魔だからさっさと出ていきなさい」
「ひでえよ!? フェルンが怒ってどうにもならないんだよ。どうにかしてくれよ、師匠なんだろ!?」
しっしと手を振りながら退室を促すも全く聞く耳を持たない。この子たちはここを、私を誰だと思っているのか。もしや本当に私をお母さんだと思っているのか。騙しているわけでも、命乞いをしているわけでもないというのに。
見れば図体だけは大きくなった勇者一行の戦士の一番弟子が涙目になって縋り付いてくる。鬱陶しいことこの上ない。それをまるでゴミのように見下している我が一番弟子。末恐ろしい子だ。シュタルクには感じ取れないだろうが、魔力が研ぎ澄まされている。二つ名を蒼月ではなく、氷結にするべきだったか。
「私は怒っていません。シュタルク様がふしだらなだけです。リーニエ姉さんと一緒に着替えをするなんて、ふしだらです」
「あれは姉ちゃんが勝手に……姉ちゃんも何とか言ってくれよ!?」
「…………」
見ればリーニエも一緒に連れてこられている。現行犯だったのだろう。神官が捕まって連行されるなんて何の冗談なのか。当の本人は黙り込んだまま。黙秘権を行使している。自分が悪いと分かっているのだろう。何よりも嘘をつくことがこの子にはできないのだから。目を逸らし、口をへの字にしている。最近悪化しているこの子の悪癖。特に二人が大きくなってからはそれが顕著だ。
「リーニエ、あんたお姉ちゃんじゃなかったの?」
「…………だって」
私に叱られると思っているのだろう。しかし以前ならあたふたしていたのだが、ここ最近は違う。まるで拗ねるように誤魔化すリーニエ。口答えをするようになってしまっている。この子も独り立ちし始めている証。しかしそれ以上にリーニエには二人が何故喧嘩をしているのかが分からないのだ。魔族として、人間としての習性が。
「……大丈夫だよ、シュタルクのはフェルンと違って小さかったから」
「何の話だよ!?」
「ふしだらです。シュタルク様」
「なんで俺!?」
それが問題だと思ったのだろう。何でもないことのようにさらっとシュタルクの尊厳を破壊するリーニエ。葬送もかくやという不意打ち。それによって流れ弾を食らっているシュタルク。フェルンにとってはふしだらなのはシュタルクだけなのだろう。それはある意味間違ってはいない。何故なら
「分かんないなー……一緒に水浴びするのは止めたのに。フェルンは私と水浴びするのが嫌なの?」
「そ、そんなことは……」
「じゃあなんでシュタルクは駄目なの? 姉弟みたいなものなのに」
リーニエにとっては二人とも自分の妹、弟なのだから。そもそもこの子には人の男女間の機微など理解できない。模倣したことがないのだから。そもそも種族が違うのだから、シュタルクを異性としてなど見ていない。人間が動物の前で着替えても、素肌を晒しても何も感じないように。
シュタルクもそれは同じだ。理由はこの子が子供なだけだが。フェルン曰くガキだったか。愚痴を聞かされるのは日常茶飯事。なのでそんな二人にフェルンは空回ってしまっている。さらにリーニエの魔族としての疑問に言葉を詰まらせてしまっている。この子ほど魔族との会話に優れている人間はフリージアでも数えるほどいないだろうに、やはり姉であるリーニエ相手では勝手が違うのだろう。
「フェルンはシュタルクに裸を見られるのが嫌なの?」
「あ、当たり前です。私たちはもう子供じゃありませんから」
リーニエの人間の幼子のような、単純な疑問に、たどたどしく反論するフェルン。その証拠とばかりに、その大きな胸を張って自分がもう大人だと主張している。しかし混乱してしまっていたのだろう。油断と驕りか。忘れてしまっている。目の前にいる魔族が何者であるか。嘘をつかない例外の魔族。それを前にして反論する危険性を。何故なら
「────どうしてそんな嘘つくの?」
リーニエは神官。嘘を見抜く目を持つ審判者でもあるのだから。
「~~?!?!」
「え? どういうこと?」
それによって、フェルンは顔をリンゴのように真っ赤にしながら口をパクパクさせている。完全に墓穴を掘り、自らがふしだらであることを突き付けられてしまったからこそ。私の天秤ですら明かすことはないであろう恥辱。そもそもその意味が理解できないシュタルクは頭に疑問符を浮かべている。フェルンにとってはそれは救いではあるのだろう。
「痴話喧嘩なら他でやりなさい。迷惑よ」
下らない見世物はここまで。その手に天秤を顕現させ、鐘のように鳴らしながら閉廷を告げる。ここ最近の痴話喧嘩の仲裁の形。もっとも最近は付き合いきれないのでただの厄介払いの合図でしかないが。
「っ!? 私たちは恋人じゃありません!」
「そう? 私は魔族だから分からないのよ」
「私も分かんないよ? どういうこと?」
ばんっと机に両手を突きながら異議を申し立ててくるフェルンにそう反論する。これ以上にない私の理論武装。それはリーニエも同じだった。その理解度はシュタルクといい勝負だ。リーニエからすればフェルンがどうしてそんな嘘をついているのか分からないのだろう。
「もう知りません!」
そのままずんずんと退室していくフェルン。完全に拗ねてしまっている。小さい頃の方が大人だったぐらいだ。
(面倒な年頃になったわね……先が思いやられるわ)
新たな頭痛の種を前に憂鬱になるしかない。そういえばリリーの時もそうだったか。いや、あの子はここまでひどくはなかった気がする。やはり個体差だろう。魔法使いとして育てるよりもよっぽど難しい。魔族が人間の子供を育てるなんて土台無理な話なのだ。なので周りを利用してやろう。まだあの保護者は生きているのだから。女神に連れていかれる前に娘の情操教育ぐらいはさせなくては。あの生臭坊主のことだ。このまま死に逃げしかねない。
「何やってるの。さっさと追いかけてきなさい。戦士でしょ」
「…………はい」
「そうだよ、シュタルク」
「あんたもよ、リーニエ」
「…………うん」
私の命令に同じような反応を示す戦士の姉弟。きっと二人ともどうしてフェルンが怒っているのか分からないのだろう。それでもそのままではいけないと分かってるのか。二人してとぼとぼとフェルンを追いかけていく。もっとも
「何でフェルンはあんなに怒ってるのかな……私の胸、そんなに大きくないのに」
「だよな。フェルンの方がずっと大きいのに。知ってる姉ちゃん? 前に膝枕してもらったんだけど、空が見えないぐらいでかいんだぜ?」
「ほんと? 今度してもらわなくちゃ!」
どうやら仲直りは、痴話喧嘩は当分収まりそうにはなかったのだが。聞かなかったことにしよう。これ以上は付き合いきれない。あとはお父さん、もといアゴヒゲに丸投げしてやる。
「失礼します、アウラ様……今の騒ぎは一体?」
気づけばいつの間にかリュグナーが入室していた。きっと入れ替わりだったのだろう。私も焼きが回ったものだ。
「……気にしないでいいわ。ただの痴話喧嘩よ」
「なるほど。発情期ですか」
「…………あんた、フェルンの前でそれを口にするんじゃないわよ」
「心得ています」
全てを台無しにしかねないリュグナーの発言に違う意味で背筋が凍ってしまう。魔族らしい、身も蓋もない表現。フェルンの耳に入れば憤死しかねない。見ればどこか意味ありげな笑みを浮かべている
「下らない話はもういいわ。それで、何の用?」
人間の家族ごっこはここまで。ここからは国王としての、魔族としての私の時間だ。それを感じ取ったのか。リュグナーもまたそれに倣ってくる。魔力が室内を支配する。その最中
「はい。大陸魔法協会から使者がやってきています。一級魔法使いのレルネンという人間の魔法使いです。いかがなさいますか?」
その一報が届く。忘れた頃にやってくる、あの老害の一番弟子。しかし今回はそうではない。何故ならそれは、私が招いたものだったのだから
「────いいわ。通しなさい。丁重にね」
それは魔族らしく、人間らしく。エルフらしく。相手の腹を探り合う騙し合いの始まりだった────