ヒンメルはもういないじゃない【完結】   作:HAJI

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第二話 「学習」

「お久しぶりです、アウラ様」

 

 

それは年老いた男性だった。前に会ったのは十年ほど前だったか。変わらぬその所作が、その人間がただ者ではないことを示している。何よりも纏っている魔力が、魔族である私にはそれが一目で分かる。大魔族である私でも、侮ることができない魔法使いであることの証。

 

 

貫禄を感じさせる所作でそいつは私に頭を下げてくる。真似事ではない、本物の礼節。何故ならこいつは魔族ではなく、人間なのだから。熟練の老魔法使い。そう表現するのが正しい。

 

 

「十年ぶりくらいかしら……また老けたわね、レルネン」

 

 

それを眺めながらそう本音を告げる。初めての一級魔法使いにして生ける魔導書と呼ばれるゼーリエの一番弟子。前に会ったのは確か十年ほど前か。リーニエをお使いに行かせたのは覚えている。それからたった十年だが、やはり人間にとっては長い月日なのだろう。あの時よりもさらに年老いてしまっている。アイゼンに倣うなら貫禄がついてきた、だろうか。

 

しかし魔法使いとしてそれを侮ることなどできない。その身に纏っている魔力はさらに研ぎ澄まされている。間違いなくこいつは現代における、人間の魔法使いの最高峰なのだ。魔力量は基本的に生きた年月に比例する。それは魔族も人間も変わらない。

 

だがそれ以上に違うのが老い、老化だ。いくら魔力量が増えたとしても、肉体が老いてしまっては魔法使いとしては劣化してしまう。肉体としての全盛期を考えれば、レルネンはとうにそれを過ぎ去ってしまっているのだろう。だがそれだけではない、経験という名の武器がこいつにはある。老獪さだろうか。

 

それを肌で感じ取っているのだろう。隣に控えているリュグナーはその鋭い視線を向けている。警戒しているのだろう。私を守るためでもある。魔法使いとしては間違いなくリュグナーよりも高みにいる存在。しかも人間の。内心は穏やかではないのだろうが、それをおくびにも出していない。偽装している。及第点だろう。

 

 

「ゼーリエ様にも老い先短いとよく言われます。燃え滓になる前にやることをやっておけ、とも」

 

 

私の発言をどう受け取ったのか。そんな自虐とも言えることをのたまっているレルネン。こいつはやはり変わらない。謙虚というか何というか。魔法使いとしてあるまじきもの。それ以上に、以前と変わらぬあの老害の物言いに。およそ人の心がない、魔族でもできない悪意に満ちた言葉。いや、そもそもあいつはエルフだったか。

 

 

「燃え滓、ね……あいつらしいわね。嘘つきなのは変わっていないのね」

「アウラ様と同じですね」

「……私はゼーリエじゃないわよ」

 

 

あいつは何も変わっていないのだろう。燃え滓なんて言葉をあえて使って、レルネンを焚きつけているのだから。それがあいつなりの弟子との接し方なのだろう。面倒臭いことこの上ない。しかしそれはもう弟子に見抜かれてしまっているらしい。どこか楽しげにしながら、こっちに飛び火させてくる始末。嘘つきなのは魔族なので当然だが、あいつと一緒にされるなんて御免だ。侮辱でしかない。

 

 

「あんたが燃え滓なら、他の連中はどうなるのかしら。単身でここに乗り込んでくる人間の魔法使いなんてあんたぐらいよ」

「そんなことは。私は臆病者ですから。おかげでここまで生き永らえています」

「とんだ臆病者もいたものね」

 

 

いつから臆病者の意味が変わったのか。こいつとは真逆の言葉だろう。ここにいればシュタルクに見倣わせてやりたいほど。

 

蛮勇でもない。こいつは生き残る、負けない戦い方に特化している。若い頃はどうか知らないが、老獪さに磨きがかかっているのだろう。油断や驕りとは対極にある。とてもあの老害の弟子とは思えない。こいつが逃げに徹すれば、大魔族でも手に余るに違いない。魔道具でもあるゴーレムも合わせれば厄介さは随一だ。

 

 

「アウラ様は以前よりも壮健そうで何よりです。お噂はかねがね」

「そうね。見ての通りよ」

 

 

そんな私の思考をよそに、そんなありふれた社交辞令をしてくるレルネン。しかし以前とは違うのはその評価。人間であれば、私を前にすれば変わらないまま、美しいままなどとお世辞を口にしてくるのだが。あの頃と今の私の変化を、こいつには見抜かれているのかもしれない。やはり侮れない。あいつの一番弟子なだけはあるのだろう。

 

 

「リーニエ様はご一緒ではないのですか? 姿が見えませんが」

「ああ、ただの喧嘩の仲裁よ。すぐに戻ってくるわ。あとで会ってやって頂戴。あの子も喜ぶわ」

「分かりました。私もリーニエ様とお会いできるのを楽しみにしていたので。老い先短い私の楽しみの一つです」

「相変わらずね、あんたも」

 

 

その好戦ぶりも変わっていないらしい。臆病者が聞いて呆れる。年老いてなお、それを楽しみにしているなど。ここにリーニエがいればきっと目を輝かせてレルネンを連れ出そうとしただろう。あの子にとってもこいつはお気に入りなのだから。魔法使いとしての競争相手、好敵手でもある。歳が近いのもあるだろう。人間と魔族の年月の違いもありながら、リーニエは未だにレルネンに勝ち越せていない。それだけでレルネンが天才、化け物側なのは明白だ。やはり化け物は自分では化け物だと気づけないのだろう。横目で見れば、リュグナーがわずかに目を細めている。何を考えているか丸わかりだ。

 

 

「それで? 手紙はどうだった? どうせ破り捨ててたんでしょ?」

 

 

さて、これから本題だ。足を組み替え、顎に手を当てながらそう問い質す。思わず含み笑いをしてしまうのを抑えられない。あいつに倣うなら直感だろうか。その光景が目に浮かぶようだ。

 

それは私があいつに送った信書という名の脅迫状について。表向きは魔族国家フリージアの国王として、大陸魔法協会の長への要請なのだが、個人的な嫌がらせでもある。仕返しと言ってもいい。かつて私が南側で箱庭の真似事をしていた時に、あいつが送ってきた脅迫状を模した物。

 

 

「はい。仰る通りです。あれほど不機嫌そうなゼーリエ様を見たのは初めてです」

「そう。いい気味ね」

 

 

どうやらその効果は覿面だったらしい。その行動も予測通りだ。本当に子供のような奴。そんな師匠の醜態を嬉しそうに語る弟子も弟子だが。二十年越しで溜飲が下がる思いだ。いい気味だ。

 

 

「でもこうしてあんたが来たってことは、その気があるってことでいいのかしら?」

 

 

聞く限りはその時点で交渉は決裂なのだが、こうしてレルネンが使者としてやってきている以上はそれに応じる気はあるのだろう。腐ってもあれだけ大きな組織の長だ。個人的な感情だけで動くほど愚かではないだろうとは思っていたが。しかしそれは

 

 

「はい。ゼーリエ様からは何も言われていませんが」

 

 

どうやら私の買い被りだったらしい。思わずこっちが面食らってしまうことを、何でもないことのようにレルネンは暴露してきた。

 

 

「……あんた、勝手に来たってこと?」

「フリージアに行くことはお伝えしています。あれは私にアウラ様に会ってこいという意味なので。ゼーリエ様ならそうされたでしょうから」

 

 

呆れ返るしかない。エルフというのはこんな奴らばかりなのか。あの薄情者がおかしいだけかと思ったが何のことはない。エルフという種族そのものがおかしいのだろう。本当に言葉を喋れているのかも怪しい。どっちが師匠か分かったものではない。こいつもこいつでおかしいのだが。

 

 

「本当に子供みたいなやつね。てっきり前みたいに脅しに来たかと思ったのに」

「その節は申し訳ありませんでした。ですがそのようなことは決して」

 

 

子供みたいな奴。それに尽きるだろう。こうして弟子に世話してもらっているのだから。神話の時代から生きているだのなんだの豪語しているくせに、無駄に生きている時間が長いだけなのか。こっちは前回のようにこちらを脅してくるものだと思って準備していたというのに、肩透かしを食らった、期待外れだった気分だ。

 

 

「よく言うわよ。あんたたちも、色んな国から私たちを討伐するように依頼されてるでしょうに」

 

 

当然のように嘘をつくこいつはやはり一級魔法使いなのだろう。大陸魔法協会ができてから半世紀以上。人間たちの管理する魔法使いの団体である大陸魔法協会の力、影響力は強大だ。国ではないものの、私たちフリージアにとっては帝国に次ぐ最大の仮想敵でもある。

 

箱庭時代、奇しくも同じように脅され、南側諸国の戦争の平定に協力することを条件に停戦を結んでいるが、公式な物ではない。あってないようなもの。口約束程度のものでしかない。グラナトを始めとする敵対国から私たちの討伐依頼、協力要請がなされてることは想像に難くない。

 

 

「アウラ様には隠し事はできませんね。確かにこの国を敵視し、我々に働きかけてくる者たちは多くいます。ですがゼーリエ様はそれについては放っておくように、とのことでしたから。私も同じ意見でしたので」

 

 

だというのに、まるで世間話をするような気軽さで、その内情を暴露するレルネン。それにこっちの毒気が抜かれてしまう。どうやらこいつは私と腹芸を、騙し合いをする気がないらしい。いや、もしかしたらゼーリエに対する嫌がらせなのか。そっちの方が十分あり得る。日頃こき使われてる分、意趣返しのつもりなのだろう。弟子に恵まれたものだ。

 

放っておくように、か。あの老害らしい。魔法の発展以外には興味がないのだろう。それとも私を侮っているのか。どちらにせよこちらにとっては好都合なのだが、油断はできない。腐ってもあいつは人類最高の魔法使いなのだから。

 

 

「師弟揃って似た者同士なのね」

「ありがとうございます。そういえば、アウラ様も、何でも人間のお弟子さんを取られたとか。まるでゼーリエ様のようですね。驚きました」

「あんた……わざと言ってるわね」

 

 

それは弟子であるこいつも同じだ。耳ざといやつだ。どこでそれを耳にしたのか。いや、フリージアでそれを知らぬ者はいない。噂ぐらい流れても不思議ではない。きっとゼーリエの奴にも同じように接しているに違いない。癪に障る奴だ。

 

 

「ぜひ一級魔法使いの試験を受けられてはどうでしょう? ちょうどもうすぐその時期ですので」

 

 

嘘か本気か。そんなことを提案してくるレルネン。いや、勧誘なのか。無駄のない奴だ。こちらの威力偵察でありながら、懐柔策でもあるのだろう。伊達に歳を取っているわけではないということか。

 

 

「一級……? いきなり一級が受けれるわけ?」

「本来なら五級以上の魔法使いの資格が必要ですが心配いりません。私が推薦しますので」

「いい性格しているわね、あんたも。どこかの生臭坊主といい勝負だわ」

「勇者一行様に比べれば私など。恐れ多いです」

「直接言ってやりなさい。最近は勇者一行だったことも忘れられかけてるからちょうどいいわ。試験については気が向いたらね」

「お待ちしております」

 

 

そう保留するも、それも織り込み済みだったのだろう。してやられた感すらある。こいつも自分の権力を上手く利用している。本人曰く、政争には疎く、かつて帝国、宮廷から追い出されたとのことだったがどこまで本当なのか怪しいものだ。

 

 

(一級魔法使いの試験ね……確か、三年毎だったかしら)

 

 

レルネンの推薦云々は別として、一級かどうかは関係なく、いずれフェルンにはそれを受けさせる気ではいた。対外的に、大陸魔法協会の資格は人間の魔法使いにとっては有用だ。フェルンにとっては試験自体がいい経験になるだろう。ここフリージアで、魔族に育てられてばかりではあの子のためにも良くない。常識知らずになりかねない。

 

あとはタイミングだろう。あの子も旅を、冒険をさせてもいい年頃だ。もう少しフリージアの魔法使いとして鍛える必要はあるだろうが。一つ案を考えてはいるが、何にせよ時期尚早だろう。

 

 

「試験なんて聞こえはいいけど、結局あの老害の道楽ね。聞いたわよ。古臭い魔法使いを求めてるとか。そっちで落ちた連中がこっちに流れてきてるわ。いい迷惑ね」

 

 

だがその試験自体の悪評もよく耳に入ってくる。完全な実力主義。あいつ曰く、才ある者以外に魔法を教える気はない、だったか。それを形にしたような試験形式。報告は受けているが、一級魔法使いについてはそれが顕著だ。合格者が出ない年も珍しくはない。

 

あいつはきっと魔王軍との戦争時代の、洗練された魔法使い。レルネンが言っていた戦いしか知らないような魔法使いを求めているのだろう。そのために特権なんて餌をぶら下げて獲物を誘き寄せている。やっていることは魔族のそれとそう変わらない。それが声真似かどうかの違いぐらいだろう。

 

そのお気に入りの連中がこいつを始めとした一級魔法使いと呼ばれる魔法使い。謳い文句が人間の魔法使いの最高峰、不可能を可能にする存在だったか。仰々しいことこの上ない。自由と平等を謳い文句にしている私の国といい勝負だろう。

 

だからこそ、弊害も大きい。ゼーリエの奴が求めているのは強い魔法使いだ。戦う力。魔族における魔力の多寡と変わらない。そのせいで評価されず、燻ぶってしまっている魔法使いたちも多くいる。いや、そちらの方が圧倒的に多いだろう。

 

 

(人間の魔法使いというだけで利用価値があるのに……あいつには見えてないのかしらね)

 

 

ならそれを利用しない手はない。魔法は戦うためだけではない。それ以外にも利用できる。農作業から、製造、流通まで。労働力としての役割が。働かざる者、食うべからず、だったか。かつて私が身をもって経験させられたことでもある。一人の魔法使いはそうではない人間の何十、何百倍の価値がある。それを利用することで、経済という見えない魔法を支配することができる。魔法使いはレルネンのように血の気が多い者ばかりではなく、探求、研究を得意とする者もいる。ようするに適材適所。者は使いようなのだ。

 

戦いはここフリージアでは魔族の役割だ。フェルンなどは例外だが、それで開花した連中もいる。そういった意味で、数年前から大陸魔法協会とは真逆の理念でフリージアは人間の魔法使いを受け入れている。既にその効果も表れてきている。流石はあの生臭坊主だ。人を騙すことにかけてあいつの右に出る者はいないだろう。従者にしても厄介な奴だ。

 

 

「耳が痛い限りです。ぜひゼーリエ様に直接仰っていただければ」

「自分で言いなさい。子供じゃないんだから」

「恐縮です。まるで亡くなった母に叱られた気分です」

「それは私じゃなくてゼーリエに言ってやりなさい」

 

 

身に覚えはあったのか。それともそれを私が口にしたからか。今度はこいつの方が子供のようなことを言い出す始末。一体こいつはここに何をしに来たのか。お母さんはもう間に合っている。それはあいつに言ってやればいい。きっと手紙を破り捨てた時以上の醜態を拝むことができるだろう。お母さんというよりはお婆ちゃんだろうが。

 

 

「なら覚えていてもらえるようにゴーレムでも贈ったらどう? 嫌でも思い出すわよ」

「────なるほど。それもいいかもしれませんね」

 

 

ふと思い出し、そう提案する。こいつは前に会った時にそんな無駄なことを考えていたはず。師弟揃って不器用な奴らだ。ヒンメルを倣って物でも贈ってやればいい。こいつならゴーレムか。以前渡された試作品はまだ使ってはいないが、それなら嫌でも思い出すだろう。もっともそんな物がなくてもあのエルフは向こう千年は忘れはしないだろうが。

 

 

「下らない話はここまでね。交渉は私が直接出向くわ。一週間ほど準備にかかるけど、構わないわね?」

「はい。もちろんです」

「その間はここで観光でもしてなさい。残念ながら流星は見れないけど……そうね、次はあの老害と一緒に見てやればいいわ。何回見たことがあるか聞いてやりなさい」

 

 

半ばただの世間話になってしまっているものを切り上げる。何にせよこいつが使者としてやってきた。それだけで十分だ。後は直接あのエルフと交渉することになるだろう。いつもなら、私は交渉の場には赴けないのだが、今回は例外だ。他の者に任せるわけにはいかない。そもそも私の魔法を気にする必要もない。あいつに私の魔法は通用しないのだから。

 

準備の間はレルネンはここに滞在させることになるが、まあいいだろう。内情視察の意味合いもあるだろうが、なら見せてやればいい。その方が交渉材料が増えるというものだ。あの時のように流星は見えないだろうが、それはあの老害と一緒に見てやればいい。後三十年ほどだが、こいつならそのぐらい生き延びられるだろう。

 

 

「聞いての通りよ。リュグナー。一週間後にオイサーストに向かうわ。準備なさい」

 

 

そう隣に控えているリュグナーに命じる。ここ最近はなかった、私自身が赴く事態。流石にこのまま明日明後日に出かけるわけにはいかない。私はこの国の王なのだから。

 

 

「御意に。裁判と祝福の日程を調整させます。留守はお任せください」

 

 

既にそれを察していたのだろう。淀みなく、流れるようにそう答えてくるリュグナー。側近も板についてきたものだ。ここ数年でこいつも大きく変わってきている。成長していると言ってもいいだろう。だが

 

 

「何勘違いしてるの? あんたも来るのよ」

「────は?」

 

 

まだまだ油断と驕りを排し切れていない。甘いのだ。私の言葉に目を丸くしてしまっている。ここ最近は見る機会が少なくなってしまっている表情に嗜虐心がくすぐられる。やはりこうでなくてはいけない。先のフェルンの件の意趣返しでもある。私を言い負かそうなんて百年早い。文字通り年季が違うのだから。

 

 

「ああ、それとそいつの面倒もあんたの役目よ。失礼がないようにね」

 

 

何事も経験だ。私がヒンメルに従わされていた五十年で得た経験を、こいつにも叩き込む。今回もそのいい機会になるだろう。魔族としての尊厳を、常識を覆されること。それに耐え、学習することがフリージアで、この先この世界で魔族として生きていく上で必要なことなのだから。主人として、配下にそれを強いる。それが私の役割であり、愉しみでもある。

 

 

「…………仰せのままに」

「ご迷惑をおかけします。リュグナー様」

 

 

それを前にして、リュグナーは私に従う。天秤を使うまでもない。きっとその内は、己が魔法によって平静を保とうとしているに違いないだろう────

 

 

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