「――――おや、何やら揉めているようですね。お邪魔だったでしょうか?」
その男はどこか場違いな空気を纏いながらその場に現れた。にも関わらず、その場の全てが支配されてしまう。そうさせてしまう存在感がその男にはある。眼鏡をかけ、法衣を纏った、どこか温和な雰囲気を持つ男。
僧侶ハイター。
かつて勇者ヒンメルと共に魔王様を討伐したパーティーの一人。なのにどこか胡散臭さを感じてしまうのは私が魔族だからなのか。知らず息を飲み、体が震える。先程処刑されかけていたことなど忘れてしまうような寒気。それを抑えることができない。だがそれは魔族の条件反射、本能のようなもの。何故なら
(相変わらずふざけた魔力を持ってるわね……! これで僧侶ですって……? 何の冗談なのよ……!?)
目の前のハイターが、私に匹敵する魔力を放っていたからに他ならない。
もちろん私はそのことは知っていた。何故なら以前勇者一行と戦った時に直接それを目にしているのだから。それでも目の前でそれを見せつけられては焦燥を抱かずには、平静ではいられない。当たり前だ。ただの人間が、たかが三十そこらの年月しか生きていない人間が五百年の研鑽を積んでいる大魔族の自分に匹敵する魔力を有しているのだから。しかもその男は魔法使いではなく、僧侶なのだ。一体何の冗談なのか。
(やっぱりこいつもヒンメルと同じ……いいえ、南の勇者と同類の化け物なのね)
脳裏に浮かぶのはかつて戦った人類最強とされた南の勇者。それには劣るがヒンメルもその同類。人類の中で突然現れる突然変異のような存在。目の前にいるハイターもその同類なのだろう。にも関わらず全くその存在を探知できなかった。恐らくは魔力を隠匿していたに違いない。何故そんなことを。
(あのエルフよりも魔力量が多いなんて……よく一緒に旅なんてできたわね)
それよりも気になるのはあのエルフの方。魔法使いにとって魔力はそのまま強さに、誇りに直結する。なのに自分を遥かに超える魔力の僧侶と一緒に旅をするなんて屈辱でしかないはず。それを気にしないほど愚かだったのか、あきらめていたのか。確かにあのエルフは魔力そのものはそれほどではなかったが、優秀ではあった。なら勇者一行でも
(――いいえ、違うわね。そうじゃない。だとしたら何か……)
瞬間、自分の思考を正す。そう、そうではない。これは油断と驕り。
「心配しなくていいさ。あいつが来てくれたからにはもう大丈夫だ」
「……何でよ?」
「見てれば分かる」
私が黙り込んでいる理由を勘違いしたのか、ヒンメルはそう小さな声で囁いてくる。そこには先程までとは違う、今まで見たことのないような笑みを浮かべているヒンメルの姿。その視線の先はあの僧侶、ハイターがいる。どうやらそれでこの状況が何とかなると思っているらしい。一緒にこの場を逃亡する、という方向ではないのは私にも分かる。だがこの詰んでしまっている状況をどうにかできるとは思えない。勇者であるヒンメルの言葉ですら通じないのだ。ならどんな人間でも。
しかしすぐに私は知ることになる。ある意味で、勇者以上にあの僧侶が厄介であることを。何故僧侶でありながら生臭坊主なんて蔑称で呼ばれているのかを。
「僧侶ハイターか。何故お主がここに? 確か謁見の予定はなかったはずだが」
「いえ、勇者ヒンメルが王都にやってくると噂で耳にしまして。ちょうど私も王都に用がありましてね。久しぶりに親友に会おうと思ったのですが自宅にはおらず。聞けば王と謁見している、とのことだったのでこうして伺った次第でして」
頭を下げ、ハイターは困ったものですとばかりに国王に説明している。先程までのヒンメルではないにしても不敬だと言われかねない態度。しかしそれを周りは気にしていない。この男が僧侶だからなのか、それとも。
「しかし穏やかではありませんね。一体何事です? またヒンメルがため口でも聞いてしまったんでしょうか?」
「流石は親友と言うだけはあるの。その不敬を含めた反逆罪で拘束するところだ」
「反逆ですか。それは思ったよりも大事ですね。宜しければ経緯をお聞かせいただけますか?」
親友、というのは特に親しい友人のことだったか。それに偽りはないのだろう。ヒンメルのことは性格含めてよく分かっているらしい。そのことが恥ずかしかったのか、ヒンメルはどこか居心地が悪そうにしている。もしかしたらさっきまでの自分の行動を思い出して悶えているのかもしれない。そうこうしていると
「ハイター、貴様いきなりやってきて不敬であるぞ! 国王に向かってそのような」
「よい。儂から聞かせてやろう」
「痛み入ります」
さっきまでこちらを糾弾していた臣下の一人が今度はハイターに難癖をつけてくる。いや、不敬なのはその通りなのだがそれはともかく。しかし国王はそれに取り合うことなくハイターにこれまでの事情を説明することにしたらしい。心なしかその表情の険しさは和らいでいる。それが分かっているからなのか。ハイターも温和な空気を崩さない。
「――なるほど、大体事情は分かりました。中々困ったことになっていますね……」
事情を聞いた後、顎に手を当てながら本当に困っているのか、そのままハイターは私たちの方に視線を向けてくる。いや、正しくはヒンメルに向かって。その目が面倒なことをしてくれましたね、と告げている。魔族の私にも分かるのだ。当のヒンメルは目を逸らし、口を噤んだまま。それを前にしてやれやれとばかりに溜息を吐くハイター。間違いない。この二人はきっと旅の中でもこんなことが日常茶飯事だったに違いない。
「ふむ、なら私がヒンメルが操られていないということを証明しましょう」
少しの沈黙の後、それまでの空気が一変する。知らず背筋が伸び、息を飲む。それは私だけではない。その殺気、戦いに赴く僧侶の放つ空気にその場は支配されてしまう。衛兵たちですらその例外ではない。そのままハイターは聖典を開きながらこちらへと向かってくる。その光景に思わず私ですら後ずさってしまう。
「ハイター……?」
だがヒンメルはその場から動かず呆然としている。当たり前だ。かつての仲間が僧侶にとっては武器でもある聖典を持ったまま近づいてきているのだから。しかもその狙いは魔族である私ではなく己自身。
ハイターはそのまま魔法を解き放つ。反撃も回避も許さない騙し討ち。無慈悲な速攻。その魔力光が全てを包み込む。そして
「まぶしっ!? 何をするんだハイター!? こんなことをして、イケメンの僕が怪我でもしたらどうするんだ!?」
「はい。このナルシストっぷりは間違いなくヒンメルですね」
目がー! とその場を転げまわっているヒンメルとそれを呆れながら見つめているハイター。魔王を倒した勇者と僧侶は思えないような呆れた惨状にその場にいる全員が呆気にとられるしかなかった。
「どういうことだ、僧侶ハイター。さきほどの魔法で何をした?」
「今のは女神様の魔法で目覚めの解呪と言いまして。かけられた魔法や呪いを解除することができるのです。それをヒンメルに使ったのですよ。もっとも、何の手ごたえもなかったので最初から操られてはいなかったようですが」
聖典を閉じながらそう種明かしをするハイター。なるほど、先程の魔法にはそんな意味があったらしい。そうとは知らずに未だに蹲っているヒンメル。それ自体はどうでもいいので無視するとしても、妙手であるのは間違いない。
(目覚めの解呪……ね。本当なら私にとっても脅威だけど……恐らくは
目覚めの解呪。その名の通り眠りの呪いなどを対象から解除する魔法なのだろう。だが私の魔法はただの魔法ではない。大魔族であり七崩賢でもある私の魔法、
しかしそれはこの場においてさしたる問題ではない。ここにいるのは魔法に疎い者たちばかり。人類の魔法と女神の魔法の違いが分かる者がいるのかどうかも怪しい。なによりも相手は勇者一行の、世界最高の僧侶であるハイター。その言葉を疑うことなどできるわけがない。
「……相変わらずだな、ハイター。懲りずに昼から酒でも飲んでいるんじゃないか、生臭坊主」
「失礼。やはり操られているのかもしれません」
いつのまに復活したのか。ヒンメルの悪態に飄々と応じているハイター。確か僧侶は酒を飲んではいけないとどこかで読んだが一体どういうことなのか。色々な意味であの僧侶もヒンメル同様規格外なのかもしれない。そんな中
「し、しかし王よ! 例えそうであったとしてもハイターが操られている可能性があります。鵜呑みにされるのは危険ではないかと」
苦し紛れなのが丸わかりな指摘を臣下の一人が行ってくる。どうやら違う方向で話を戻そうとしているらしい。それは私たちにとって最も覆すことが難しい証明でもある。だが
「確かにその通りですね。しかしそれを証明するのは悪魔の、いえ魔族の証明とでも言いましょうか。誰にもできません。それを言えば、王を含めて臣下の皆さんも自分が操られていないことを証明できないではないですか」
「そ、それは……だがしかし」
それすらも既にお見通しだったのか。間を置かず、まるで子供を窘めるように穏やかにハイターは応えていく。説諭、説法も僧侶の仕事だと聞くがあながち間違いでもなかったらしい。もっとも目の前の僧侶からはそれ以外の空気も感じるが。
「ですので図らずも先程そこの断頭台のアウラが言った通りです。もし彼女が本当にヒンメルを操っていたのだとしたらもうそこで終わってしまっています。こうして私たちが会話できていること。それ自体がヒンメルの言っていることが真実である証明なのですから」
やはり最初から隠れて謁見の様子を盗み聞きしていたのだろう。止めとばかりに私の言葉まで引用しながらハイターは完封する。天秤は既に私の側に傾いている。それを覆す術を臣下たちは持ちえない。判決はもはや誰の目にも明らかだった。
(なるほど……ヒンメルの奴が信用するわけね。本当に生臭坊主だわ)
その手際に素直に感心するしかない。同時にヒンメル以上にこの僧侶を敵に回してはいけないことも。生臭坊主だと言われる所以を目の当たりにした形。
「勇者ヒンメルの不敬をお許しください、王よ。彼は本当にお人好しの勇者ですから。自らが救った命を見捨てることができなかったのです。例えそれが魔族であったとしても。そんなヒンメルだからこそ魔王を倒すという誰も成し遂げられなかった偉業を成し遂げることができたのです」
だがそれだけでは終わらない。最初のヒンメルのように頭を下げ、片膝をつきながらハイターはそう告げる。そう、例え臣下たちを説き伏せても国王を納得させなければ意味がない。この場における裁判官は国王なのだから。そのためにハイターはヒンメルの偉業をあげる。それを前にして、否と言える者などいるはずがない。勇者にのみ許される威光。
「アウラの件については私も尽力しましょう。これまで通りヒンメルに託してよいかと。そうすればヒンメルも彼女もこれまで以上に国のため、人類のために働いてくれるはずです」
それすらも利用しながらハイターは提案する。国王とヒンメル。双方にとって最もいい妥協点を。奇しくもそれは最初、二人が至ろうとした結論でもあった。
「彼女の不敬については不問でいいかと。何せ彼女は魔族ですから。心にもないことを言っただけでしょう」
ついでとばかりに私の不敬についても触れてくる。そういえばすっかり忘れてしまっていた。確かに
「申し訳ありませんでした、王様。全てはこの身の未熟さによるもの。どうかお許しください」
「……ください」
そう呆れかえっていたほんの束の間。いつの間にかヒンメルによって頭を押さえられ、その場に跪かされてしまう。その勢いと力に抗うことはできない。どうやらヒンメルも生き残ることに必死らしい。業腹だがそれに私も従うしかない。できるのは絞り出すように声真似をすることだけ。
「臣下の方々もそうですよね? まさか本気で先程までの暴言をヒンメルに浴びせていたわけではないでしょう?」
「そ、それは……」
ここぞとばかりに、もしかしたらそれが一番の目的だったのか。ハイターは改めてその場にいる臣下に目を向けながらそう告げる。その声色とは違い、目は全く笑っていない。その意味するところを悟ったのか、臣下たちは黙り込んでしまう。完全に立場が逆転してしまっている。なるほど、人心掌握とはこうするものなのかと感心するほど。だが
「……私のは心からの本音よ」
「こらこら空気を読みなさい」
思わず心からの本音が小さく漏れてしまう。それを横から窘めてくるヒンメル。こいつと一蓮托生なのは本当に心臓に悪い。早く解放してくれないだろうか。
「……よかろう。これまでの不敬を含めて不問とする。その代わりこれまで以上の働きを期待する。アウラの件についても同様だ。定期的に報告を上げるように。よいな?」
どこか安堵した風な国王の宣言によって、この裁判は閉廷する。それが一年越しに行われた王都での謁見の終わり、とりあえずは私が一命を取り留めた瞬間だった――――
「久しぶりだな、ハイター。おかげで助かったよ。まさか来てるなんて思ってなかったからね」
「おや、手紙に書いていたではありませんか。見ていなかったんですか?」
「あれは行けたら行く、でしかないだろ。あれを信じる奴なんていない。特にお前の言うことだからね。とっくに来ていたのに外で様子を窺っている生臭坊主なんだから」
王城からヒンメルの自宅までの帰り道。二人は私の前を並んで歩いている。それに少し遅れる形で付いて行っている私。当然のように並んで歩くあの二人に挟まって歩くのは居心地が悪い。何やら話しているが私には理解できない内容も多い。仕方なくそのまま何とはなしに周りを眺める。村とは比べ物にならない建物の数と大きさ。何よりも多くの人間の数。その喧騒に圧倒される。
「気づかれていましたか。いやはやお恥ずかしい。勇者であるあなたの大立ち回りを邪魔するのが忍びなかっただけですよ。本当はもう少し見ていたかったのですがあのままでは私も逃避行に巻き込まれかねなかったので。まだお尋ね者になるのは勘弁ですから。アイゼンなら喜んで協力してくれそうですが」
これから私はどうなるのか。とりあえずあのヒンメルの自宅に連れていかれることになるのだろう。それだけではない。あの僧侶、ハイターも少なからず一緒になるはず。どうしてこう勇者の関係者と関わることになるのか。このままでは全員を網羅することになりかねない。
「悪かったよ…………ちなみにフリーレンならどうなったと思う?」
「それこそ語るまでもありません。彼女は葬送のフリーレンですよ。違う修羅場になっていたでしょう。そうなったら私はさっさと逃げますので覚えておいてください」
「そうだね……どうしたものか」
例えそうでもあのエルフだけは回避しなければならない。今回の謁見を見れば分かる。私とエルフが出会えばどうなるか、それは火を見るよりも明らか。あのエルフの前ではヒンメルが何の役にも立たないのは間違いないのだから。
「……何よ?」
気づけば二人そろって足を止め、じろじろとこちらを見つめている。一体何なのか。それがいつまで続いたのか。
「ヒンメル、やっぱり元いた場所に帰してきなさい」
「お母さんかな」
「何なのよ、こいつ。失礼な奴ね」
まるで人のことを捨て猫か犬のように言ってくる生臭坊主。それに乗っかる色ボケ勇者。本当に勇者一行と言うのは私の神経を逆撫でする連中らしい。
それがこの再会の結末。これからヒンメルよりも長い付き合いになる、断頭台のアウラと僧侶ハイターの腐れ縁の始まりだった――――