「どうぞこちらに。大したおもてなしはできませんが」
貴族、いやまるで執事のように振舞いながら、ファルシュによって私たちは応接室のような部屋へと案内される。あのまま城門の前で待ちぼうけさせるのは失礼だと思ったのか。それともそれ以外の配慮か。恐らくは後者だろう。
(私たち魔族が来ているなんて、公には認めたくないでしょうしね)
それが理由に違いない。あのまま見世物になっていれば、嫌でも住民にそれが伝わってしまうだろう。いらぬ混乱を招きかねない。もっとも私は魔力を包み隠してはいないので、魔法使いの連中には隠し通すことは難しいだろうが。
「そういえばどうやって私に操られているか確かめるの? 私の魔法を解除する方法があるのかしら?」
「それについてはお答えできません。ご容赦を」
「そう、残念だわ」
流れるように私に椅子を引いて勧めてくるファルシュにそう問い質す。もっとも正直に答えが返ってくるなんて思ってはいない。ただの戯れだ。あの生臭坊主曰く、外交の常套手段だったか。相手の出方を伺うための物。この場においては目の前のファルシュという一級魔法使いに刺激を与え、その習性と性質を観察するために。やっていることがソリテールの二番煎じなのは否めないが仕方ない。
その受け答え、所作でおおよそ掴めてきた。こいつはどうやら人間で言う真面目な気質らしい。この場を任されていることから、外交術に長けた存在なのだろう。私の挑発にも乗ってはこない。あいつのお気に入りなのだから、変わり者、変人しかないのかと思っていたがそうでもなかったのか。いや、まだ油断はできない。あいつの弟子がまともな連中なわけもないのだから。
(やっぱりどいつもこいつもふざけてるわね……人間の魔法使いの最高峰っていうのも、嘘ではなさそう)
その魔力こそが全てを物語っている。その大きさが、流れが、魔法使いの鍛錬の結晶であり誇りだ。体外に流れ出る魔力だけでそれだけの情報が手に入る。魔族でなくとも、それを隠している魔法使いなど片手に満たない。恐らくは世界中でも三人だけ。そのうちの二人がここオイサーストにいるのだから。
横目に自分の隣に控えているリュグナーに目をやる。ファルシュに負けず劣らずの礼節を見せているのは流石だろう。だがそれが偽り、偽装であることが私には分かる。その内心がどうであるかも手に取るように。最近は血液を操る魔法の応用で嘘をつくのがさらに上手くなったようだが、まだ甘い。私の目は誤魔化せない。その内心が乱れていることを。
当然だろう。ここにきてまだわずかだが、リュグナーにとっては自らの誇りが傷つけられているに等しいのだから。魔族として、魔法使いとして。自分よりも高みにいるであろう魔法使いを目の前にして。しかもそれが何人も。あろうことかそれは人間だ。耐えがたい屈辱だろう。しかしそれに耐え、欺いている。偽っているのだ。そうなるように私が教え、導いてきた。これまでのフリージアでの経験が実を結びつつある。
(懐かしいわね……私もそうだったかしら)
魔族に郷愁なんてものがあるのかは分からないが、感慨深くもある。私もまたそれは同じだった。魔力の大きさだけが全てだと驕っていた価値観を覆され、自らを超える魔力と技術を持つであろう存在に打ちのめされ、辛酸を舐めさせられた日々。魔法使いとしての誇りも、自らの魔法への自負も。全て失ったからこそ今の私がある。
(リュグナーにとってはこれが最後の試験かしらね)
大陸魔法協会に倣うわけではないが、もし魔族の一級試験があるとすればこれが最終試験になるのだろう。それが私ではなく、あの老害との面談であるのは皮肉だが。私の時は勇者一行という後ろ盾があったが、今は違う。リュグナーにとっての後ろ盾は私なのだ。それができるかという意味では私にとっても試験と言えるだろう。
(問題があるとすれば……)
椅子に腰掛け、足を組みふんぞり返りながら何とはなしに視線を向ける。そこにはこの場に残っているもう一人の一級魔法使い。ゲナウと呼ばれていた男がいた。ファルシュとは違い、言葉数の少ない男。しかしその目が、魔力が物語っていた。隠しているつもりなのか分からないが、魔族は人間よりもはるかに魔力に敏感だ。だからこそそれを騙しているあのエルフは異常なのだがそれはともかく。
それをリュグナーも感じ取っているのだろう。常に私とゲナウの間に陣取っている。護衛としては完璧だろう。褒めてやってもいい。その役目を担うはずのもう一人の護衛は弟子と一緒にきょろきょろと部屋を見渡している。呑気なものだ。だが咎める気はない。その必要もない。その瞬間になれば、この子は葬送に徹するのだから。
(部屋の周りにも魔法使いが控えている……脅しのつもりかしら。よくやるわね)
今、私たちは魔法の使用を禁じられている。それがここオイサーストに入るための、ゼーリエに謁見するための条件。それを破った瞬間、それは宣戦布告とみなされ、実力行使の対象となる。そのために一級魔法使いが複数ついているのだろう。それ以下の魔法使いたちも多く控えている。魔力探知で分かるほどに。隠す気もないのだろう。いわば私たちは籠の中の鳥。敵地に乗り込んでいるという意味ではレルネンの奴のことも言えない。
「どうぞ」
「わぁ……!」
そうとは知らず、純粋な姉妹は目の前に広げられたお菓子の山に目を輝かせている。最初からだが、観光気分なのだろう。それを諫めるような視線をリュグナーが向けていることにも気づけていない。夢中になってしまっている。まあいいだろう。これもある意味、騙し合いだ。
「これも一級魔法使いの仕事なわけ?」
「いえ、これは私の個人的な趣味です。お口に合えばいいのですが」
「ふごくおいひいよ! あうあ様!」
「いただきます、ファルシュ様」
「はしたないわよ、リーニエ。フェルン、あんたは食べ過ぎないようにしなさい」
「は、はい……」
どうやらこのお菓子や淹れられた紅茶はファルシュ自身が用意した物らしい。妙な趣味を持っているものだ。てっきりあの老害に命じられて仕方なくやっているのかと思ったが。いや、逆なのか。あの老害を喜ばせるためにこんなことをしているのかもしれない。レルネンがその最たるものだ。ようするに一級魔法使いの連中は物好きなのだ。あのエルフのどこがいいのかは欠片も理解できないが。
しかしそれは我が従者にとっては効果覿面だったらしい。もう完全に篭絡されてしまっている。リーニエはあきらめるにしてもフェルンもそれに負けず劣らず。両手を使ってそのお菓子を堪能している。放っておけばそのままお菓子を全て食べてしまいかねない。シュタルクが食べきれなかったジャンボベリースペシャルを全て平らげてしまった前科がある子だ。
内心はリュグナーも同じに違いない。だが私が喋っていることと、一級魔法使いを警戒しているからか。口を挟んではこない。そんな中
「随分騒がしいな。外まで聞こえているぞ」
いつの間にか、最後の一級魔法使いがどこか呆れながら戻ってきていた。気だるげな雰囲気を漂わせている、ゼンゼと呼ばれていた女の魔法使い。どうやら伝え聞いている通りの人間らしい。
「あ、ゼンゼおかえり! ゼンゼも食べる!?」
「……遠慮しておこう。それとそんなに近づかないでくれ」
「えー? 何で?」
まるで飼い主が戻ってきたのを歓迎するように、その口元に食べかすをつけたまま両手にお菓子を持って突撃していくリーニエ。それをどこか慣れた様子で髪を操り、押し戻しながら距離を取っているゼンゼ。まるで待てを命じられた子犬のようにリーニエは不満げにしながらも髪とじゃれている。そこだけ見れば毛玉に遊ばれている猫のよう。
「お二人はお知り合いなのですか?」
「うん! 前来た時に遊んでもらったの! ね、ゼンゼ?」
「そんなつもりはない。私は監視していただけだ」
「むぅ……」
フェルンの質問にリーニエは嬉しそうに答えるも、ゼンゼは対照的にどこか憂鬱気にしている。どうやら二人の間には認識に大きな齟齬があるらしい。
(この子を監視、ね……)
それは以前、リーニエがここに訪れた時のことだろう。リーニエから直接何度も聞かされたことがある。レルネンにくっついていく形でここを訪れたリーニエだったが、魔族は魔族。その監視の役目をゼンゼは押し付けられたらしい。恐らくはレルネンの仕業だろう。あの命知らずがやりそうなことだ。
その結果は見ての通り。何でもレルネンとの模擬戦にも何度も巻き込んだらしい。その際思わずゼンゼの髪を切ってしまったこと。それを謝る意味でも一緒の髪の手入れを手伝ったこと。そのせいで苦手意識があるのだろう。明らかにゼンゼには困惑が見て取れる。それに気づいていないのはリーニエだけ。
「とりあえずレルネンは問題なかった。今はゼーリエ様のところに報告に行っている。じきに戻ってくるだろう」
「分かりました。失礼しました、アウラ様。もう少々お待ちください」
「構わないわ。今頃あの老害に叱られて喜んでるでしょうね」
「よくお分かりで。最近は特にゼーリエ様を困らせてばかりでして。誰に入れ知恵されたのか」
その相手を片手間ならぬ髪の間に、ゼンゼはそう報告をしてくる。どうやらレルネンは拘束から解放されたらしい。本人は反省どころか楽しんでいたような気がするが。今はゼーリエのところでお説教されているところらしい。いや、それはあいつにとっては褒美かもしれない。こんなことばかりではあの老害も嫌でも忘れらないに違いない。面倒な師弟だ。入れ知恵云々など知らない。あいつが勝手にやっていることだ。
「やっぱり甘い匂いがするね。食べてもいい?」
「やめてくれ。手入れが大変なんだ」
「私も触らせてもらっていいですか?」
そしていつの間にかレルネンのように簀巻きにされてしまっているリーニエ。構いきれなくなったのだろう。しかしそれすらも楽しみにながら、リーニエはくんくんと髪を嗅ぎながらあろうことかそのまま噛みつこうとしている。それを本気で嫌がっているゼンゼ。いくら魔法で操っているとはいえ、髪は体の一部。痛くはないだろうが、髪は痛み、よだれにまみれてしまう。ある意味、ゼンゼの魔法にとっての一番の侮辱だ。しかしフェルンにとっては興味の対象でしかないのだろう。姉の真似をする妹のようにゼンゼの髪の毛を触りに行っている。
「美味しそうです」
「でしょ?」
「何なんだ、君たちは……」
仕方なく髪の毛で都合もう一人の子供をあやしているゼンゼ。フェルンもまたリーニエと意見は同じらしい。いつ自分の髪が食べられてしまうか分からない恐怖と困惑でゼンゼは振り回されてしまっている。
「随分懐かれてるわね。気を悪くしないで頂戴。悪意はないのよ」
「…………」
一応その主人であり保護者としてそう弁明する。リーニエに悪意がないのは魔族なので当たり前だが、フェルンもそれは同じだ。ただ子供なだけだ。しかし、私が声をかけた瞬間、ゼンゼの視線が変わった。長い前髪で表情は見えづらいが、それは感じ取れる。リーニエたちを相手にしている時とは違う、魔法使いとしての反応。
「そんなに警戒しなくても取って食ったりしないわ」
「……魔族がよく言う。私は貴方を信用していない」
「当然ね。でもその割にはほかの二人に比べると随分不用心じゃない? 魔力で丸わかりよ?」
「…………」
大魔族である私を前にした、一級魔法使いとしての警戒心。それを誇示するように、そう宣言してくる。それにどこか安堵すらしてしまう。どうやらその線引きはできているらしい。それもそうか。見た目は幼くとも、目の前にいるのはあの老害に認められた一級魔法使い。魔族がどんな存在かなど身をもって知っているに違いない。それでも他の二人に比べれば甘いところがありそうだが。
もっともそれは間違いなくリーニエのせいだろう。つまり私のせいでもある、なので釘を刺しておくことにする。余計なお世話、迷惑でしかないだろうが。そんな私の言動を不審に思っているのか、それとも図星だったからか。ゼンゼは黙り込んでしまう。それはまるで
「本当に都合が悪くなるとだんまりなのね。リーニエにそっくりね」
私に叱られて、黙り込んでしまうリーニエの姿に瓜二つだった。その仕草から何まで。だがそれは
「違うよアウラ様? 私がゼンゼの真似してるの」
どうやら全く逆だったらしい。まるでそれを当たり前のように、悪びれることなくリーニエは暴露する。嘘をつけない魔族だからこそ。そこに悪意はない。いや、そもそも悪いことだと思っていない。この子は模倣の魔法を探求する魔族なのだから。
「前遊びに来た時に、ゼンゼがゼーリエに怒られてたの。その時にゼンゼがこうしてたから。私、嘘がつけないからすごく助かったの!」
「そう。あんたが原因だったのね。いい迷惑だわ」
「……私のせいにされても困る」
自分の醜態を晒される羽目になったからか、その飛び火によってゼンゼは目を逸らしながら呟いている。そこにリーニエの面影を見てしまう。いや逆か。これでようやく分かった。リーニエの悪癖の理由が。もしかしたら私が気づいていないだけで、この子は色々な相手の真似をしているのかもしれない。
「あ、そうだ思い出した! ゼンゼに渡さないといけないものがあったんだった!」
「私に……?」
その気まずい空気を読んだわけではないのだろうが、リーニエは思い出したかのようにゴソゴソと自分の荷物を漁っている。見ればその中にははちきれんばかりにリンゴが入っている。どれだけ持ってきているのか。しかしお目当てはそれではないらしい。それがいつまで続いたのか
「うん! はいこれ、ゾンダから! ゼンゼに渡してほしいって頼まれたの!」
「ゾンダから……そうか」
ようやく見つけた一通の手紙を勢いよくリーニエはゼンゼに手渡す。残念ながら手紙はくしゃくしゃになってしまっているが、破れていないだけマシだろう。しかしそれはゼンゼにとってはどうでもよかったのだろう。その手紙、いやその手紙の主の方が重要だったに違いない。その証拠に、ゼンゼの纏っている空気が和らいでいる。
「ゾンダ……確か、あなたと一緒に二級魔法使いの試験を受けた方でしたか」
「ああ。知り合いだよ。あいつは結局受からなかったが、今はフリージアの魔法科で働いている。変わり者だ」
「そうなの? ゾンダはゼンゼのこと友達だって言ってたけど」
「…………」
リーニエがその悪意のない言葉で再びゼンゼを黙り込ませてしまう。いや、黙り込むしかないのだ。この子を前に嘘をつくことはできないのだから。ゼンゼはそれを知っているだけ。
「ふぅん……心配しなくても元気でやってるわよ。今は魔法科を取り仕切ってるわ。思わぬ拾い者ね。残念ながらあいつのお眼鏡には敵わなかったみたいだけど」
それに助け舟を出すわけではないが、教えてやる。ゾンダの現状を。あの子がフリージアにやってきたのは十年以上前だったか。今でも覚えている。謁見の最中、魔法科で働かせてほしいと懇願してきた姿を。
それは私の気紛れだった。ゾンダの魔力量は人並み以下であり、その実力も平凡そのもの。才能と呼べるものは見当たらなかった。ただその探求心、好奇心は常軌を逸するものがあった。フリージアにやってきた理由も魔族の魔法に興味があるからだと。そんな人間がどこにいるのか。その姿にどこかの研究者もどきがよぎってしまった。ただそれだけ。
ゾンダが大陸魔法協会の試験に落ちていたことを知ったのはその後のことだった。何でもゼンゼとは知り合い、人間で言う同期にあたるらしいということも。同じ試験を受けながらも、そのまま最高峰である一級魔法使いとなったゼンゼ。片やそれに認められず、魔族の国で魔法を研究することになったゾンダ。ある意味対照的な二人だろう。
それがあの老害の功罪でもある。戦うこと以外の才能を持つものは、大陸魔法協会の試験では振るい落とされてしまう。直接面談すればまた違ったかもしれないが。あいつ曰く直感だったか。もっともゾンダなら特権などいらないと答えるだろう。あの子は魔法が好きなだけなのだから。
私が言わんとしたことを察したのだろう。ファルシュもどこか居心地が悪そうにしながら眼鏡を上げ直している。ゼンゼもまた髪の毛をいじっている。そんな中
「えっとそれとね、これあげる! ゼンゼ欲しがってたでしょ?」
お待たせしましたとばかりにリーニエは背中で隠していた何かを満を持してゼンゼに渡す。そちらが本命だったのだろう。反射だったのか、ゼンゼは思わずそれを髪で受け取ってしまう。しかしその動きが固まってしまう。
「これは……」
それは一冊の魔導書だった。しかもただの魔導書ではない。
『髪を乾かす魔法』
神話の時代から存在するとされる、伝説級の魔導書の一冊だった。
「……こんな貴重な物はもらえない」
「大丈夫だよ? ちゃんとアウラ様にもらったんだもん! だから今は私の物だから」
目を見開き、驚きながらそれを慌てて突き返してくるゼンゼに当たり前のようにリーニエは応える。ある意味魔族らしい答え。
そう、その魔導書はリーニエの物だ。三年前、里帰りした際、フェルンに好きな魔導書を選ぶように伝えた時。リーニエもまたこの魔導書が欲しいと言ってきたのだ。今まで聞いたことのないリーニエのお願いに驚いたものだ。この子は魔導書を欲しがったことなどなかったのだから。しかもその魔法が使いたいからではない。誰かに、ゼンゼにあげたいからだと。
それはきっとヒンメルの真似なのだ。事あるごとに、私に贈り物をしてきたあの勇者の。
同時に、リーニエにとってはもう一つの意味を持つもの。憧れでもある。奇しくも先ほどリーニエが口にしたもの。
ゼンゼと友達になりたい。きっとそれがこの子の願望なのだ。いつもならリンゴだろうに、わざわざゼンゼが喜びそうな魔導書を選んでいるのがその証拠だ。
それだけ、この子にとっては友達というのは特別なものなのだ。いつもならしつこいぐらい口に出すのにそれをしないのも。きっと相手からそう言ってほしいのだ。かつてヴィルにそうしてもらったように。リーニエにとってあの子が初めての友達。残念ながら魔族の友達になりたいリュグナーからは袖にされてしまっているが。
「なら余計にもらうわけにはいかない。私は一級魔法使いだ」
それが伝わっているのか分からないが、ゼンゼはそれを受け取ることはない。一級魔法使いとして、人間として。敵国でもあるフリージアの魔族から贈り物をもらうわけにはいかないと。収賄だったか賄賂だったか。人間の悪意がもたらすもの。しかしそれは無駄な心配だ。魔族に、リーニエにそんなものはない。なので
「なら私からの贈り物にしてやるわ。まさか国王からの贈り物を無下にはしないわよね?」
代わりに私がそれを請け負ってやることにする。
「……卑怯なことを言う。そんなことを言われたら断れないと分かっているだろうに」
「私は魔族よ。卑怯なのは当たり前よ。心配しなくても特権みたいに面倒なことは言わないわ」
どこか恨めしそうにこちらを睨んでくるゼンゼにそう返す。卑怯に狡猾。大いに結構だ。私にとっては誉め言葉でしかない。ついでに逃げ場を塞いでおく。私はゼーリエのようにケチなことは言わない。特権のように一つと言わず褒美ならいくらでもくれてやる。私にとって利用価値があるのなら。
何よりその魔導書は元々リーニエの物だからだ。あの子の髪を乾かすために、ヒンメルが探し出して私に押し付けた物。ならリーニエがあげたいというになら好きにすればいい。ヒンメルもきっとそうするだろう。
「……なら頂くことにしよう。感謝する」
「そういう時はありがとうって言うんだよ、ゼンゼ?」
「……ありがとう」
まるでフェルンにそうするように促す言葉にゼンゼはか細い声で答えるのが精いっぱいらしい。それでも髪の毛ではなく、その両手で魔導書を受け取っている。
やはりこの子は魔族なのだろう。人間を、魔族を知っている人間を騙すことにかけては右に出る者はいない。欺かないことが、逆に欺くことになる。私がそう育てた、偽物でありながら本物の魔族。
「ゼンゼ様は髪が長いですから、きっと役に立ちます。手入れも大変なのでは?」
「手入れ? 地獄だよ」
それをきっと感じ取ってるのだろう。それに騙されているフェルンもまたゼンゼに声をかけている。同じように髪が長い者同士だからというのもあるだろう。だがそれは
「────そのぐらいにしておけ、ゼンゼ。時間の無駄だ」
もう一人の一級魔法使いには通用しなかった。嘘をつかない、例外の魔族であっても、欺くことができない魔法使い。腕を組み、壁に寄りかかっていた男が口を挟んでくる。もう見るに堪えないとばかりに。
「騙し合いはうんざりだ。何の目的でここに来た、断頭台?」