「五十年以上前、かつて起こしてしまった騒乱を悔い、その償いのためにアウラ様は我が国、魔族国家フリージアを建国されました。そして自由と平等。その天秤の下で我らを導いて下さっているのです。人類と魔族の共存を目指して」
その姿はまさに敬虔な信徒、いや神官そのものだった。まるで宣教師のように、その場の空気を支配しながら、どこか心地よさを感じるほどの穏やかさをもってリュグナーは嘘をつき続ける。目の前の人間たち、一級魔法使いを騙すために。
(償い、ね……よく言ったものだわ)
それを見守りながらも、思わず何かこそばゆいものを感じてしまう。かつての過ちを、醜態を晒されてる気分。自由と平等。そして共存。償いという理解できない、人間が好む概念。魔族である私たちからすれば蒙昧な戯言でしかないもの。
今リュグナーはその嘘を用いて、一級魔法使いに対している。正確にはゲナウという魔法使いに。私に対して明確な敵意をもって口を挟んできた者。ファルシュの制止を受けてもなお、ゲナウはその態度を改めることはなかった。曲がりなりにも国王である私に対しての不敬。外交という交渉の場においてはあってはならない失態。場合によってはそれによって全て決裂、台無しになってしまいかねないというのに。
それを瞬時に判断したのだろう。私に代わって、リュグナーが前に出て、そのままそれに応えている。私たちの目的が何であるか。それを欺くために。リーニエにはできない、リュグナーだからこそできること。
(こいつにはその内見抜かれてしまうかもしれないわね)
その演説さながらの内容に思わず感心してしまう。リュグナーからすれば私の嘘を代弁しているつもりなのだろうが、それは全くの逆だった。しかしそれに至れる時点でもはやただの魔族ではない。この調子なら、百年もしないうちに、私の、フリージアの嘘は見抜かれてしまうかもしれない。それに気づいた時、こいつはどう思うのか。どうするのか。それもまた私の楽しみだ。
「ゲナウ殿。我らには消えることのない遺恨があります。ですが、これ以上互いに血を流し、同じ悲しみを繰り返したくはないのです。そのために私たちはここまで来ました。私たちには言葉があります。どうか共に生きる道を選んではいただけないでしょうか?」
交渉と言う演説の締めをそう締めくくる。リュグナー自身が考えた嘘であり、私の本音。リュグナーに倣うなら、美しさすら感じる論理の組み立て。そのまま手を差し出す。握手という人間の友好を示す動作であり、騙す手段の一つ。この場においての勝利宣言。だというのに
「下らないな。本当にお前たちは嘘ばかりつく」
それはゲナウには通用しない。魔族を知る者には。
その瞳にある猜疑心は変わっていない。どこか冷めてすらいる。まるで動物の鳴き声を聞いているかのような空気すらある。それは目の前のゲナウが、数えきれないほどの魔族の嘘を聞き続けてきたことを意味している。私たちが言葉を話す猛獣であると知っている人間。多くの魔族を葬ってきた人間相手では、いかなリュグナーの嘘であっても欺くことはできない。
「ゲナウ」
「お前たちも分かっているはずだ。こいつらがどういう生き物かを」
流石に不敬が過ぎると判断したのか。ファルシュが再び制止するも、ゲナウはそれを改めることはない。ゼンゼは黙り込んだまま。しかしゲナウと気持ちは同じなのだろう。口出しすることはない。ファルシュも内心はそうに違いない。
(なるほどね……さて、どうしたものかしら)
そこでようやく確信する。ゲナウの狙いを。魔族に対する恨み。一級魔法使いなら当然だろう。ここ北部であるならなおのこと。しかしあの老害のお気に入りでもある一級魔法使いが、仮にも交渉の場でその相手に喧嘩を売るような真似をするとは考えにくい。そこまで愚かではないだろう。ならこれはわざとなのだ。その理由もおおよそ見当がついた。あとは私がどう応じるか。
(────ふふっ)
思わず悪癖が出てしまう。いけない。これではゲナウのことも言えない。だがそれを抑えきれない。今私は愉しんでいる。本当なら自分への不敬、侮辱に対して怒りを見せなければいけない場面だというのに。それが愉しい。本当に久方ぶりに肌で感じることができる。魔族への、人間のあるべき反応。私が魔族であると、心の底から思い出させてくれる。今の私に対してそれができる人間が一体どれほどいるというのか。
「……ゲナウ殿。私たちは」
「いいわ。リュグナー。よくやったわ。後は私に任せなさい。リーニエ、あんたもよ」
「……仰せのままに」
「うん」
なら戯れだ。相手をしてやろう。なおもゲナウを騙そうとしているリュグナーを制してそう下がらせる。十分に合格だろう。普通の魔族ならもう実力行使に出ていておかしくないのだから。褒美を取らせてやってもいい。なら、見せてやろう。魔族を知る者を騙す術を。奇しくも、リーニエに倣う形になる、私の嘘のつき方。その本人には口を閉じさせながら。この子の出番にはまだ早い。楽しみは取っておかなくては。
「それで? 何が聞きたいわけ?」
椅子に座り直し、顎に手を当てながらそう問い質す。挑発する。魔力をもって。いかな一級魔法使いと言えども、逃れることができないほどの殺気を込めて。魔族であればすぐさま跪いてしまうに違いないもの。
「最初に言ったはずだ。お前たちの目的は一体何だ?」
それに平伏することなく、平静を装いながら淡々とそう聞き返してくるゲナウ。なるほど。これが一級魔法使い。最高峰の魔法使いと言われるだけはある。歴戦の魔法使い。レルネンほどではないだろうが、それに準ずる力があるのだろう。だがまだ若い。少なくとも、私とやり合うには五十年は早いだろう。何故なら
「おかしなことを言うのね。私たちは嘘つきよ。そんなことしても意味ないわ。私たちと話してる時点で思う壺よ?」
私は八十年近く、人間たちに同じように問い質され続けてきたのだから。飽きもせず、同じことばかり聞いてくる愚かな者たちに。そもそもそれが間違いなのだ。嘘をつく以前の話。魔族に話しかけている時点で、もう騙されてしまっているのだから。
「…………」
「まあいいわ。その愚かさに免じて許してあげるわ。正直に答えてやるから早くしなさい」
挨拶代わりの皮肉だったが、思ったよりも効果があったのか。ゲナウはそのまま黙り込んでしまう。虚を突かれたのか、それとも思い当たる節があったのか。愚か者は自分が愚かだとは気づけない。魔族がそうであるように。私も例外ではない。
なので機会を与えてやろう。嘘をつかない魔族を育てた魔族として。真偽を問わないように。騙らずに、真実を口にしてやることを。私の
「どうしたの。こんな機会めったにないわよ。フリージアの連中なら泣いて喜ぶでしょうね」
その手に空の天秤を振ってゲナウに迫る。ようやく気付いたのだろう。自分がとっくに、私の裁判に巻き込まれていることに。これが裁判という名のごっこ遊びなのだと。魔法に頼らずとも、私にはそれができる。私がこの八十年間、演じてきた、倣ってきた、本物に勝るとも劣らない偽物を見せてやろうというのだ。
「…………」
「だんまりね。ゼンゼと変わらないわね。あんたたちはどう? 私に聞きたいことがあるんじゃないの?」
私が天秤を晒しているからか。それとも不穏さを感じ取っているのか。ゲナウはもちろん、ファルシュとゼンゼもそれを前にして口を閉ざしてしまっている。一触即発。紛れが起これば、そのまま実力行使になっておかしくない緊張感。
「揃いも揃って似た者同士ね……そんなに私が怖いのかしら。まあいいわ。ならあんたたちが一番聞きたいことを当ててあげましょうか? ちょっとした予言ね」
少しやりすぎただろうか。興に乗ってしまったかもしれない。最近の私の悪癖だ。ほどほどにしなければ身を滅ぼしかねない。
放つ魔力を抑えながら、それでも天秤を手にしたまま予言する。いや、模倣する。ここにはいない、こいつらが良く知っている者の真似を。予言ではなく、直感だったか。どっちも似たような物だろう。何故なら
「私たち魔族が今まで殺した人間のことをどう思っているか、どうして人間を殺すのか。そうでしょう?」
人間が魔族に問い質したいことなど、皆揃って同じなのだから。
図星だったのか。三人の魔力が、視線が揺らぐ。ようやく気付いたのだろう。自分たちが罠に嵌まってしまっていることに。だがそれから逃れる術はない。
そう。これは私たちが、魔族が人間を騙すためのもの。言葉を使い、動揺を誘う典型的な
「感謝しなさい。魔族からそれが聞けるなんて。きっとこれから一生ないわよ」
だがそれに感謝してほしいぐらいだ。きっと歴史上でも数えるほどしかない体験をさせてやるのだから。魔族から、魔族について、嘘偽りなく聞けるなど。私の魔法でなければ実現できない奇跡だろう。
「魔族は殺した人間のことなんて何とも思ってないわ。人間は食糧だもの。そもそもいなくなった物なんて気にすることはない。私もそうよ。そうね……でもそれを聞いてきた人間は覚えてるわ」
それは演説でも説諭でもない。ただの論文だった。ゾンダが得意としているもの。その真似事。かつて私自身が経験したことをそのまま語っている無駄話。思い浮かぶのは二人の聖職者。生臭坊主でも腐っても僧侶だったのだろう。その答えは今も変わっていない。私は覚えていない。自分が食べた、殺してきた人間のことなど。覚えているのは、それが人間にとって不快であるということ。そしてそれを問い質してきた者たちのことだけ。
「人間を殺すのも同じ。魔族は食べなくても人間を殺すわ。理由なんてない。そうしたいからそうしているだけ」
『────どうして、魔族は村を襲ったんでしょうか』
脳裏に浮かぶのは、光を失った少年の独白。それを覚えている。戦士の一番弟子もまた、同じことを問うてきた。それに対する答えを私は持っていなかった。そこに理由なんてない。魔族である私にも分からないのだから。そんなもの最初からないのだと。
「でも不思議だったのよ。ならどうして人間も同じことをしてるのかって。あんなにも自由だ、平等だって騒いでるくせに、自分たちも同じことをしているのか」
でもそうではなかったのだ。それは疑問だった。魔族をあんなにも憎悪し、嫌悪している人間が何故魔族と同じ所業を犯すのか。聖都で、王都で、フリージアで。数えきれない裁判の中で私は目の当たりにした。魔族など可愛いと思えるような、その悪行を。悪意がない魔族ですら、恐れおののくであろう行いを。
「南側の戦争を見たことがある? 酷い有様だったわ。魔王軍との戦いの方がマシだって言ってる人間もいたぐらいよ。それがどうしてか、最近ようやく分かったの」
その最たるものが南側諸国の戦争だった。魔族が相手ですらない、人間同士の終わりのない殺し合い。地獄だと誰かが言っていたが、まさにそうなのだろう。魔族も同族で争うことはあるが、魔力によって従う習性がある分、人間よりはマシだろう。魔族も、人間も同じなのだ。ともに愚かな生き物でしかない。
ならその行動原理も同じなのだ。人間の真似をする魔族だけではない。エルフも、ドワーフも。数えきれない種族も。答えはたった一つ、単純なもの。
「楽しいからよ。ただそうするのが楽しいからそうしているだけ。魔族も人間も関係ないわ。どう? 分かりやすいでしょ? そんな当たり前のことにずっと気づけなかったの」
『────僕はね、本当に楽しかったんだ。あの時、君を手にかけないで本当に良かった』
楽しいから。ただそれだけ。それはあいつの生き方でもあった。それだけの理由で、魔族と友達になるだなんて。本当に癪な奴。
それを、私はあいつの日記を読んだことで、ようやく気付いた。人間が自由や平等を欲しがりながら、支配や争いを求めるのも。魔族が魔法を探求するのも。魔族が人間を襲うのも。愛し合うのも。殺し合うのも。食べるのも。喋るのも。騙すのも。信じるのも。
「私がフリージアを作ったのもそれが理由よ。他人を支配するのが楽しいからよ。こうしてあんたたちを支配するのも。あんたたちに分かりやすく言うなら、暇潰し。趣味かしら?」
だから私はこうしている。楽しんでいるのだ。天秤として。愉しんでいる。断頭台として。あいつの夢だからだけじゃない。私が楽しいからこそ。国を興し、支配している。勇者一行を従え、その弟子を取り、己が物としている。退屈しないために。魔族が、エルフが魔法を探求し続けるように。それが
「────私はごっこ遊びが趣味なのよ」
私の生きる意味。趣味なのだ。誰に強制されることもない、自由の証。子供のようなごっこ遊び。
「……悪趣味なことだ」
「ええ。ゼーリエの奴には負けるけどね。年季が違うわ」
その答えがお気に召さなかったのか。明らかに不機嫌そうな魔力を隠すこともなく、ゲナウはそうつぶやく。悪趣味か。魔族である私にはこれ以上にない誉め言葉だろう。もっともあの老害や、名無しには遠く及ばないだろうが。
ちょうどそれで思い出す。巡り巡って、質問に答えていなかったことに。私がここに来た理由。それは
「話が逸れたわね。私がここに来た目的なんてたった一つよ。命乞いするためよ。ゼーリエに、いいえ、あんたたち人間にかしら」
ただの命乞いなのだから。国王だの外交だの騙ってはいるが、ようはただの命乞いでしかない。自らの身の安全を守るために。生き延びるために。魔族だろうが、人間だろうが変わらない唯一の欲求。
『私はその時が来たら、泣きながら命乞いをしようと思っているの。貴方はどうかしら、アウラ?』
「どう? 魔族らしい目的でしょう?」
いつかのソリテールの言葉を思い出す。自らの最期を興味深げに語っていた変わり者の共犯者。それに対する私の答え。
「……随分偉そうな命乞いもあったものだ」
「そうね。だからあんまり苛めないで頂戴。私たちはか弱いのよ」
口角を吊り上げながらそう命乞いする。嘘偽りない私の本音。魔族は人間には敵わないのだから。収斂進化なんてものをしなければならないぐらいに。その真偽をゲナウは見抜くことはできない。それは人間相手でも同じだろう。それができるのは私の魔法か、リーニエの眼ぐらいだろう。
「……もういい。少し外の空気を吸ってくる」
呆れたのか、飽きたのか。ゲナウはそのままその場を去っていく。ようやく魔族と話すことの意味のなさに気づけたのか。なら僥倖だろう。同じように魔族と話すようになってしまっては本末転倒。フリージアの魔族以外にそんなことをしても、意味はないのだから。騙されてしまうに違いないだろう────
「……ふぅ」
ドアを背に、知らずため息が漏れる。これ以上にない失態だ。これでは子供同然だ。未熟者でしかない。一級魔法使いが聞いて呆れる。魔族にいいようにあしらわれるなど。だが、不思議と悪い気分ではなかった。溜まっていた物を吐き出せたからか。それとも。そんな虚脱感に身を委ねかけるも
「……レルネンか。こんなところで何をしている」
「入るタイミングを逃してしまってね」
それはどうやら許されないらしい。いつからそこにいたのか。気づけば目の前にレルネンがいた。ゼーリエ様のところから戻ってきていたのか。いや、そうではない。その証拠に、その魔力を隠匿している。おかげですぐに気づくことができなかった。それはつまり
「盗み聞きか。いい趣味をしている」
こいつはさっきまで、部屋の中の様子を盗み聞きしていたに違いない。本当にいい趣味をしている。魔族も顔負けだろう。元々そういうやつではあったが、最近はそれが特に悪化している。老い先短いだろうに、誰よりも人生を謳歌しているに違いない。
「損な役割をさせてしまったね」
「何のことだ」
知った風なことを口にしてくるレルネン。それに応える気はない。何のことはない。あれは自分が勝手にしたことだ。他の連中は関係ない。俺がしていなければ、誰かが代わりにしていただけだろう。
そのままその場を後にする。レルネンが来たのなら、自分がここに留まる意味はない。あの魔族が手を出すことはないだろう。そこまで愚かな魔族ではない。しかしそれは
「もう少しここで盗み聞きをしないかい? きっと面白い話が聞けるからね」
子供のように楽しんでいる、最初の一級魔法使いの悪事の誘いによって引き止められてしまった────
「ゲナウが失礼をしました。お許しを」
「構わないわ。私も楽しめたしね。私にあんな風に言える奴なんて久しぶりだったから」
ゲナウが退室してから、改めてそう謝罪してくるファルシュに偽りなく答える。私にとってはただの戯れだ。むしろ余興とも言える。あの老害を前にしての準備運動だろうか。大魔族であり、国王でもある私に意見できる存在というのはむしろ面白、ではなく貴重でもある。
「そう仰ってもらえると助かります。加えて恐縮なのですが、私からも一つお聞きしてもよろしいでしょうか?」
「あんたも? 何よ?」
だが思っていない方向から話が続いてしまう。私が何でも正直に答えると言ったことか。ゲナウに遠慮していたのか、それとも今思いついたのか。こいつも私に聞きたいことがあったらしい。まあいいだろう。物はついでだ。付き合ってやろう。だがそれを、私はすぐに後悔することになる。何故ならそれは
「アウラ様が、ゼーリエ様から特権を与えられたというのは本当なのでしょうか?」
私にとっても、恐らくはあの老害にとっても、なかったことにしたい愚行だったのだから────