「美味しいね」
そう言いながらお菓子に手を付ける。それはアップルパイだった。今、私はリリーに誘われて、その家でお茶会に参加している真っ最中。もっともお茶会と言ってもほとんど私が食べては飲んでを繰り返しているだけなのだが。そもそもお茶会なんて言えるような流れではない。
「よかったわ。それはお菓子では一番自信があるの。気に入ってもらえたのなら嬉しいわ」
だというのにそんな私の様子を本当に楽しそうに、嬉しそうに見守っているリリーに居心地の悪さを感じてしまう。これでは祖母に餌付けされてしまっている孫のよう。本当なら逆でなければいけないはずなのだが、そうなってしまう。そうさせてしまうほどリリーには母性があるのだろう。その自慢のアップルパイも格別だ。もしこんな機会でなければ、心行くまで堪能したいと思ってしまうほどには。
「いいの? 私と二人きりで。魔法を使われたのに」
「ええ。少し驚きましたけど、私も配慮が足りませんでした。フリーレン様からすれば当然でしょうから」
「……ごめん」
改めてそう謝罪するしかない。事のきっかけ。先のクヴァールの封印されていた場所での出来事。魔族であるアウラを姉と慕っている人間との遭遇。それを前にしての行動など決まっている。
目の前の女性、リリーもそれによって操られてしまっている。そう判断し、解呪の魔法を使ったのだが効果がなかった。私の魔法が不完全だったのかとも疑ったがそうではない。手ごたえすらなかった。つまり
(リリーは魔法で操られているわけじゃない……言葉で騙されている)
リリーは魔法ではなく、言葉で騙されてしまっているのだ。ある意味、魔族らしい騙し方。人の声真似をする習性、擬態によるもの。それによって騙されて命を落とした人間を数えきれないほど見てきた。それでも、リリーは、いやこの村は例外だろう。異常だと言ってもいい。話通りだとするなら、五十年以上、この村の住人はアウラに騙されているのだから。食べられることもなく。千年以上生きている私も聞いたことすらないような状況。
「でもこればっかりは譲れない。聞かせてくれる? ここで一体何があったのか」
だからこそ問い質すしかない。そのために私はここにやってきたのだから。本当ならこの村には立ち寄るべきではなかった。クヴァールが討伐された噂と同時に耳にした下らない噂話。それを信じたわけではないが、万が一ということもある。事実、この村の現状はそれだったのだから。魔族の罠の可能性もある。今こうしていることすらも危険だ。
魔族と話すなんて意味がないように、魔族に騙されている、操られているかもしれない人間と話すなんて無駄なことだというのに。そうしないではいられない。私もまた愚かなのだろう。
「……そうですね。後で姉さんに怒られてしまうけど、仕方ないわね」
そんな私の言葉をどう捉えたのか。一度目を閉じ、どこか困ったような顔をしながらリリーはそんなよく分からないことを口にしている。だがやはり違和感が凄まじい。姉さん、という言葉。およそ考え得る中でもあり得ない魔族の呼び方。鳥肌が立ってしまいそうだ。
「何の話?」
「下らない話ですよ。さて、何から話したものかしら。長くなるかもしれないけど」
「構わないよ。時間ならいくらでもあるから」
「そう。若いのね」
滅多に言われない言葉に思わず目を丸くしてしまう。確かに見た目はそうだろうが、生きた年月で言うなら私の方が遥かに年上だというのに。やはりエルフと人間の寿命はかけ離れている。これではどっちが年上か分からない。
それに甘えながらも、決して警戒を怠らないまま、聞き入ることになる。
クヴァールが封印された村でのアウラとの再会から始まる物語。かつてあきらめていた夢を思い出した魔王を倒した勇者とかつての七崩賢である断頭台。それが天秤に至るまでの物語。
私の知らない、魔王を倒した後の、
「…………ごめん。ちょっと耳を引っ張ってくれる?」
一体どれだけの時間が経ったのか。夢心地になってしまうような、どこかふらふらとした感覚に身を委ねながら、そう懇願する。それが精いっぱい。
「え? でもそれは」
「いいから」
それに戸惑っているリリーに、もう一度お願いする。きっと私が何を言っているのか分からないのだろう。当然だ。私も自分が何を言っているのか分からないのだから。まるで言葉が理解できなくなってしまったように。だがそんな現実逃避は
「…………痛い」
引っ張られた耳の感覚によって呼び覚まされる。痛い。すごく痛い。嘘ではない痛みがある。思わず涙目になってしまうぐらいに。いや、耳だけではない、違う何かが、胸が痛い。最近はそっちの方が多い。何かの病気だろうか。
「夢かどうか確かめたかったんだよ。魔法で夢を見せられてるんじゃないかってね」
「そうなの……目は覚めたかしら?」
「そうだね。夢ならどれだけよかったか」
そんな私の醜態を見かねたのか。心配してくれるリリーにそう愚痴を漏らすしかない。夢であってくれればどんなに良かったか。まだ精神魔法で幻覚を見せられている方がマシだっただろう。悪夢でしかない。頭痛がしてくる。それもこれも
「流石はヒンメル様ですね。こうして亡くなられても、フリーレン様を驚かせているんですから」
「そうだね……ヒンメルがいたらきっと逃げ出してるだろうね」
全て、ここにはいないヒンメルのせいなのだから。一体私がいない間に、魔王を倒した後に何をしているのか。もしこの場にいれば、きっと逃げ出しているに違いない。勝てない相手から逃げるのはしょっちゅうだったのだから。恐ろしく判断が早かった。
(噂は本当だったってことだね……)
痛む耳をさすりながら、現状を確認する。
まず噂が本当であったこと。噂自体は私も何度も耳にしていた。曰く、北に人間と魔族が共存する楽園のような国があるのだと。人間の作った下らない噂話だと切り捨てていたが、そうではなかったらしい。誰がそんな話を信じるというのか。同時に、魔族に勇者が篭絡されただの何だのという噂も満更嘘ではなかったのだろう。火のないところに煙は立たないように。この場合、火どころではないだろうが。
(ヒンメルとあいつが、五十年も一緒に暮らしてた……か)
アウラがヒンメルに封印されていた村。それがここだった。噂では天秤のアウラの聖地だの何だの言われているらしい。何の冗談なのか。悪趣味すぎる。根城の間違いだろう。
そう、ただの間違いでしかない。例え五十年一緒に暮らしたとしても、魔族は変わらない。飼い慣らせるわけもない。犬や猫ではないのだ。枷を外せば、気を許せば次の瞬間、欺き、食われてしまう。
人の言葉を話すだけの猛獣。それが魔族だ。それと共存しようだなんて。いくらヒンメルでもできることとできないことがある。それは魔王を倒すよりも困難ことだ。
騙されてしまったのか。絆されてしまったのか。お人好しの勇者なのは、魔王を倒しても変わらないらしい。あり得ないお伽噺。でもそれを否定できない。ヒンメルならやりかねない。そう思ってしまう、
恐らくアウラも五十年、ヒンメルを、人間を騙し続けたのだろう。それによってヒンメルはその服従を解いてしまった。自由にしてしまった。従えなくなるのなら、その前に自害を命じるべきだろうに。
その結果がこれだ。アウラは断頭台から、天秤を名乗り、魔族の国を興すまでに至ってしまった。話通りなら、第二の魔王にも等しい、人類の脅威へと。
アイゼンもハイターも騙されてしまっていたのか。血の気の多いヒンメルとアイゼンならまだ分かる。旅立ちの前に、王様にため口をきいて、処刑されそうになる奴ら。でもあの生臭坊主までもが。
揃いも揃って忘れてしまったのか。あの日のことを。魔族の子供が起こした悲劇を。
それは旅を始めて間もなくの頃。魔族の子供を見逃したことで起こってしまった悲劇。私たちにとって、ヒンメルにとって忘れることができない過ち。あの時、もっと私が強く反対していれば、問答無用で魔族を殺していればあんなことは起きなかった。今もあの日を悔やまないことはない。
なのに、またそれを繰り返そうとしている。何でそんなことに協力しているのか。今はまだ何も起きていないのかもしれない。でもそれは騙されているだけ。魔族は必ず人間を欺いてくる。その時になってからでは遅いのに。
「ヒンメルは、アウラを信じていたの?」
知らず、そんな言葉が漏れていた。ここにはいない、ヒンメルに問いかけるように。
「はい。きっとそうだと思います。私たちも信じています。嘘つきなのも含めて姉さんなので」
代わりに、それを知るリリーが答えてくる。私の知らない時間を、みんなを見てきた誰かが。その言葉の意味が理解できない。まるで魔族と話しているのではないかと思うほどに。
「フリーレン様は、姉さんを討伐されるおつもりですか……?」
意を決したように、静かにリリーはそう今度は私に問い質してくる。きっとそれが一番聞きたかったことなのだろう。魔法を放ってくる相手をお茶会になんて誘うわけがない。なら答えは一つだけ。アウラの身を案じていたからこそ。それを確認するために。
「そうだね。
それにそう答える。一切の逡巡もなく淡々と。千年間変わらない、葬送としての私の答え。魔族のように嘘をつく理由もない。一切の嘘偽りなく、冷徹に。
「そうですか……」
そのこともきっと分かっていたのだろう。動揺することも、困惑することもなくリリーは口を噤んでしまう。もしかしたら私の二つ名も知っているのかもしれない。だからこそこんなことを聞いてきたのだろう。アウラの身を案じていたからこそ。きっとリリーだけではなく、この村の住民全てなのだろう。本当に馬鹿げている。呆れるしかない。魔王が討伐されてから八十年。変わらず魔族に騙されてしまっている人間の愚かさに。
「止めないの? 私はアウラを殺そうとしてるのに」
だからこそ意外だった。それ以上、何も言ってこないリリーに。きっと私を騙して、あいつの命乞いをしてくると思ったのに。それに
「はい。私にはそんな力はありませんから。それができるのはきっとヒンメル様だけでしょうから。本当に罪なお方です」
「────」
リリーはそんな答えを告げてきた。思わずそれに聞き入ってしまう。脳裏に、それが浮かんでくる。
ヒンメルならそうしたから、と。
私だけではない、ハイターも、アイゼンもそうであろう、あいつの残した道標。それはきっと私達だけではない。勇者に関わった者たちがみんな、受け継いでいるのだろう。
でも、今の私には分からない。何が本当で、何が嘘なのか。ヒンメルならどうしたのか。
だってそうだ。私はヒンメルのことを何も知らない。たった十年、一緒に旅しただけで。だから私は、それを知るために。なのにどうして
「…………フリーレン様。旅立たれる前に、ヒンメル様たちが住んでいた家へ行ってみられてはどうでしょう?」
知らず黙り込んでしまっていた私に、リリーがそんな提案をしてくる。すぐに顔を上げることができない。自分がどんな顔をしているのか分からない。でもきっと、いつもと同じなのだろう。ヒンメルの葬儀で、悲しい顔一つしなかったように。
「……それってどこにあるの?」
「一目見れば分かります。庭に蒼月草が植えられているので」
オウム返しのように、そのまま聞き返す。決してそこに行きたかったわけではない。あいつがヒンメルと一緒に暮らしていた場所なんて見たくもない。それを見たら、認めるしかなくなる。噂が、嘘が本当だったのだと。それでも、聞かずにはいられない。まるで宝箱を前にしたように。だが
「蒼月草……? それってヒンメルが好きだって言ってた花のこと? どんな花なの?」
その手がかり、道標に首を傾げるしかない。蒼月草。そう、聞き覚えがある。それはヒンメルの故郷の花だ。とても綺麗で、いつか私に見せたいと言っていた、ヒンメルとの約束。でもそれがどんな花か私は知らない。それを尋ねるも
「…………フリーレン様は、本当に何もご存知ないのですね」
リリーは、不思議な笑みを浮かべながらそれを教えてはくれなかった。ただ私を見つめている。その視線。何だろう。私はそれに覚えがある。なのに思い出せない。
「そうだね。だからそれを知ろうとしてるんだ。もうヒンメルたちはいないから。勇者一行は私だけだからね」
だけど私は知らなくては。嫌なことは早めに終わらせたいから。何よりも、もう私しか勇者一行はいないのだから。また新しい魔王が現れたのなら、私が。みんなが残してくれた平和な時代のために。連れていくために。
「それは……」
「どうしたの?」
それを前にして、リリーは何かを言いかけるも、口を噤んでしまう。さっきの私みたいに。さっきからそうだ。私とリリーには、大きな壁がある。
言葉が通じない。届かない。まるで魔族になってしまったように。いや、私は最初から嘘つきだ。魔法を貶める卑怯者。薄情者。だからきっと、正直な人間とは言葉が通じないのだ。魔族に騙されてしまうような、優しいお人好しの人間とは。
「…………いいえ。直接ご覧になった方がいいかもしれません。今のフリーレン様に必要なのは、きっと言葉ではありませんから」
それがリリーから私へ贈られた言葉だった。それが必要ないと言いながらも、まるで女神様に祈りを捧げるような顔をしながら。
そこでようやく思い出した。さっきのリリーの笑み。似ていないはずなのに、それに面影を感じたのだ。ヒンメルに思い出してもいいと教えてもらった。今は亡き、
それに誘われながら、葬送の魔法使いは訪れることになる。
天秤によって葬送された、勇者が眠る聖地へと────