「どうして私のことが分かったの?」
被っているローブを脱ぐことも、手にしている杖を手放すこともなくそう問いかける。魔法使いとして、警戒を解くわけにはいかない。それを感じ取っているだろうに、目の前にいる老人、シュトロはそれを気にした風もなく自然体のまま。目の前の畑をいじっている。ここは街道から少し離れた森の中ではなく、その外れにある畑だった。何でもシュトロの趣味らしく、司祭の仕事をさぼってはここで農作業をしているらしい。どこから突っ込んでいいのか分からない。それでも、私はこいつを無視するわけにはいかなかった。
「リリーから手紙が来ましてな。もうすぐフリーレン様がフリージアにお越しになるので宜しくと。それでお迎えに上がったのですよ」
それが理由だ。突然の事態に混乱してしまったが、それはあり得ないことだったのだから。どうして私がフリージアに来ていることが分かったのか。しかしそれは一気に氷解する。どうやらリリーがその旨をフリージアに伝えていたらしい。
盲点だった。その可能性を考慮できていなかった。致命的な失態だ。きっとリリーもそんな気はなかったのだろうが、結果的に間諜のような働きを許してしまっている。知らず私もリリーを信用してしまっていたのだろう。それはいい。だがどうしても見逃せない、それだけでは説明がつかないことがあった。それは
「言い方を変えるよ。どうして私の居場所が分かったの?」
何故私の居場所を特定できたのか。その一点。確かにリリーによって私がフリージアに向かっているのは把握できたのだろう。それでも私がどこに隠れているかまで分かるわけがない。魔力の隠匿は完璧だったはず。痕跡も残していない。しかも目の前のシュトロは魔法使いでもなければ戦士でもない。戦う者ではない。一見して分かる。なのに何故迷うことなく森の中にいる私を見つけることができたのか。どう言い逃れをするのか、それを待ち構えるも
「姉さんのおかげです。姉さんはエルフを見つける魔法を使えるので」
それはシュトロの飄々とした、あまりにも自然な自白によって無駄になってしまった。
「────」
それを前にしてただ呆然としてしまう。ローブを被っていても、それは隠しきれていないに違いない。もしかしたら、口も開いたままだったかもしれないほどに。
「ああ、失礼。姉さんというのはアウラ様のことで」
「そんなことはいい。どうしてそんなことを私に明かすの?」
そんな私の困惑をどうやら勘違いしたのか。そんなどうでもいいことを気にしているシュトロ。ただ混乱するしかない。出会った時からだが、どうにも振り回されっぱなしだ。相性が良くないのか。
ただその明かされた事実には信憑性があった。エルフを見つける魔法。もしそれをアウラが使えるのだとしたらこの状況も納得できる。ただの魔力探知であればこちらも察知し、場合によっては逆探知もできるが、恐らくそれができない類の魔法なのだろう。高度な、もしかしたら伝説級の魔法に匹敵するものなのか。私も実際に見たことも聞いたこともない魔法だ。しかもエルフを見つけるだなんて、本当に限定的な用途にしか使えない魔法。明らかに私を狙っての物。
しかし、それを鵜呑みにはできない。当たり前だ。目の前の老人はフリージアの司祭を名乗っている。いわば魔族側の人間なのだから。こちらを騙そうとしている可能性の方が高い。しかし
「ふむ。そうですな。信じられないのであれば、解呪の魔法を使って頂いても構いませんが」
それすらも見越していたのか。まるでこちらの心を読んだかのようなタイミングでそんなことを提案してくる。それに思わず持っていた杖に力を込めてしまう。完全に手玉に取られてしまっている。たった百年も生きていない人間に。千年以上生きている私が。騙し合いで。
「……いい。どうせ魔力の無駄だ」
「でしょうな。姉さんもわざわざ魔法で私を従わせるなんて無駄なことはしないでしょう」
はっはっはっ、とこちらの気も知らずに笑っているシュトロに返す言葉もない。同時に、魔法で従わせるのが無駄、だなんてふざけたことを本気で言っている。魔族に、アウラにとってはその場で殺されておかしくないほどの侮辱だろうに。それが分かっていないのか。
そしてようやく気付く。自分にとっては本当に致命的な情報が洩れ、フリージア側に渡ってしまっていることに。私が、服従の魔法を解除できるという事実が。アウラに対抗するための最大の切り札とも言えるものが、まさかこんな形で漏洩しているなんて。これでは戦略を大幅に見直す必要がある。
私も焼きが回ったものだ。これだけの失態。一体どうしてしまったというのか。私の戦い方が、何もかも通用しない。裏目に出てしまっている。だというのに
「ですが……少し順番は入れ替わりますがいいでしょう。フリーレン様。私は貴方を騙してフリージアに誘い出すよう命じられてきたのです」
「────は?」
どうやらその悪夢は、まだ醒めてはくれないらしい。
「ごめん。良く聞こえなかった。なんて?」
「私は貴方を騙して連れていくためにここに来たのです。ああ、余計なことをせずにとも言われましたが。そういう意味では姉さんの命令には逆らってしまっていますね」
まるで言葉が理解できない。魔族と話しているような気すらする。それほどまでに、シュトロが何を言っているのか理解できない。分からない。こいつは嘘をつく、ということを知らないのだろうか。魔族を見倣った方がいい、と本気で心配になるほどに。
「……どうしてそんなことを私に話すの?」
「フリーレン様を騙すことはできないでしょうから。正直に話す方がきっとフリーレン様にはいいと思ったのです。妹の真似でしょうか」
そんな私の反応を楽しむかのように、シュトロはそうよく分からない言葉を続けてくる。私も何度同じことを聞いているのか。私を混乱させ、惑わすのが目的だとしたらそれはもう十分すぎるほど達成できただろう。それに何の意味があるのかは分からないが。正直に話す。嘘をつかない。それは嘘つきの常套句だ。信じる奴なんていない。子供にだって分かるようなことだ。
「そんなことをして、私が誘いに乗ると思ってるの?」
「さて。それは最後のお楽しみでしょうか。話が逸れましたな。少し私の昔話、独り言に付き合ってもらえれば」
私を誘い出す。それが目的だとすれば、もうそれはとっくに失敗してしまっている。こんな状況で付いて行く奴がいるわけがない。だというのに、気にした風もなく、シュトロは独り言を始めてしまう。昔話か。本当に私の話を聞いているのかどうかも怪しい。
「何から話したものですかな……そうですね。何を隠そう。姉さんの命乞いをしたのは私なのです」
当時に思いを馳せているのか。どこか恥ずかしそうに、懐かしそうにシュトロは語り始める。それは私の知らない物語。リリーからも聞かされてはいたものの、視点が違う。アウラによって服従されながらも、その命乞いをしてしまった愚かな少年から始まった勇者の後日譚。
「……ヒンメルらしいね」
「はい。出合い頭に服従させられたのはいい思い出ですな。それからのヒンメル様も。本当に風のようなお方でした」
恐らくは同じくヒンメルの姿を思い浮かべていたのだろう。服従させたとはいえ、大魔族であるアウラを子供の命乞いによって見逃してしまうのだから。本当にヒンメルらしい。それをいい思い出だなんて言えるこいつも変わっているが。風のような、か。確かに行動力の塊みたいなやつだった。それに何度振り回されたか覚えていないほどに。
「私もよく遊んでもらいまして。よく姉さんのスカートを捲ってはヒンメル様に怒られていました。ぶっ殺してやるとね」
「……そう。相変わらずだったんだね」
その光景も目に浮かぶようだ。ただ唯一、あのアウラがそれをされた時の絵面が思い浮かばないが。しかもそれに対してヒンメルが怒っていたのが意味が分からない。あいつは一体何をしていたのか。スカートなら何でもいいのか。大人げない、勇者とは思えない言動の数々。
「ヒンメルのこと、よく知ってるんだね」
「ええ。恥ずかしくて言ったことはありませんが、私にとってはヒンメル様は年上のお兄さんのようなものだったのですよ」
その醜態、下らない話は枚挙にいとまがない。魔王を討伐しても、ヒンメルはヒンメルのままだったのだろう。私の知らないヒンメルの話。そんなヒンメルはシュトロにとっては兄のようなものだったのだと。そして姉は魔族であるアウラなのか。一体何の冗談なのか。それに呆れるも
「フリーレン様は、村のヒンメル様の銅像をご覧になりましたか?」
まるでこちらの心臓を鷲掴みにするような言葉を、こいつは口にしてきた。
「……ああ、あの似合わない髭をした奴でしょ」
一拍置き、すぐに思い出せなかったように装いながら、どうでもいいように答える。どうしてそんなことをしているのか。理解できないまま。
「そうです。フリーレン様にもそう言われてしまうとは、きっとヒンメル様も気を落とすでしょう」
「自業自得だね。銅像ばかり建てさせるんだから」
そう、自業自得だ。事あるごとに、旅の中で銅像ばかり建てさせていたのだから。自意識過剰な勇者様。それにどれだけ付き合わされたか。エルフである私ですら音を上げるほど。そう誤魔化そうとするも
「ですがあれは、姉さんのために建てられた銅像なのです」
「…………」
それを見抜いていたかのように、はっきりと、私に聞こえるようにシュトロは真実を告げてきた。
「あの銅像があれば姉さんが一人ぼっちにならないだろうと、できた時に私に教えてくれたんです。内緒話としてね」
私の反応を確かめることなく、まるで本当に独り言を喋るようにシュトロは続けていく。誰も聞いていないのに、聞きたくないことを。嫌でも脳裏に蘇る。在りし日のヒンメルの戯言。
「……どうしてそんな話を私にするの?」
「いえ、もしかしたらフリーレン様は、ヒンメル様が銅像を残した理由をご存知ないかもしれないと思いまして」
もう何度目になるか分からない問いかけ。でもそれは嘘だった。言い訳だった。目の前のクソガキが、私に何を言おうとしてるのか。伝えようとしているのか。
そう、魔族は孤独を当たり前とする生物で、家族という概念すら存在しない。なのに、そんな無駄な、意味のないことをするなんて。まるで
「……知ってるよ。ヒンメルに直接言われたから」
仕方なくそれを白状する。忘れてはいない、忘れられない思い出。その時は理解できなかった、勇者の置き土産。それは今も残っている。旅先で何度も目にするほどに。あと千年は忘れたくても忘れられないだろう。
「そうですか。それは余計なお節介でしたな。老婆心のようなものです。歳をとるといけませんな」
「お前は男でしょ」
小癪な老人にそう苦言を呈する。本当に油断ならない奴だ。そう、さっきのはアウラの命乞いだったのだ。私が銅像の意味を知っているかどうかを確かめるのと同時に。その手練手管には舌を巻くしかない。気づくのが遅すぎた。間違いない。こいつは、私にとっては天敵に違いない。
「少し長くなりましたな。これ以上は叱られそうなのでそろそろ本題に入りましょうか」
そう言いながら、改めてこちらへと向き合ってくるシュトロ。それから逃れることができない。まるで拘束魔法にかかってしまったように、目を離せない。
「フリーレン様。ぜひフリージアにお越しになりませんか?」
魔族の国の司祭は再び私を誘惑してくる。嘘偽りなく、馬鹿正直に。それがこちらを騙すものであると分かっていても、耳を傾けてしまう。それが言葉である以上、私は意味を理解しようとしてしまう。人間を騙す、魔族の典型的な手口。
「……正気なの? 私は葬送のフリーレンだよ」
「だからこそです。直接目にして頂きたいのです。フリーレン様が知らない八十年で、何が変わったのか」
それを駆使しながら、他でもない人間が私を誘ってくる。私の知らない、知りたい時間を知っている少年が。私が、ずっと追い求めてきた答えがそこにはあるのだと。
「魔族の国にのこのこ乗り込むほど、私は愚かじゃないよ」
その甘言に、ぎりぎりのところで踏み止まる。葬送として、魔法使いとして。
『くだらねぇ。とんだ馬鹿だな』
思い出す。不遜に、死にかけている私に向かって、無慈悲にかけられた言葉を。
『どうして正面から戦いたがるかね。逃げる、隠れる、不意打ちする。いくらでも選択肢はあるだろうが』
それが私の原点だった。私を救ってくれた、導いてくれた、育ててくれた師の。それが間違っているとは思わない。それは正しい。そのおかげで今の私がある。それでも
「そうでしょうか? ヒンメル様はよく仰っていました。フリーレン様は血の気が多くて先走って大変だったと」
それだけではないのだ。それだけでは、私は魔王を倒すことはできなかった。きっと今も、森の中で一人、無為に時間を浪費していたのだろう。そう、私は
「それにヒンメル様ならきっと正面から乗り込むでしょうね。その方がワクワクするからと。違いますか?」
『その方がワクワクするじゃないか。ダンジョン攻略はこうでなくちゃ』
勇者一行の魔法使いなのだから。例え私以外のみんながいなくなっても。その記憶を未来に連れていく。そう約束した仲間がいた。
きっとヒンメルもそう言うに違いない。
「……知った風なことを言うね」
「はい。まだ私も忘れてはいませんので。たった五十年一緒に暮らしただけですが」
まさかそれを、自分の十分の一も生きていない人間に教えられるなんて。知らず私は忘れてしまっていたのだろう。まだヒンメルがいなくなってから三十年も経っていないのに。まるでそれを見越したような皮肉まで。
「本当に口が減らないクソガキだね。まるでハイターみたいだ」
「よく言われます。これでも元神父でして。ハイター様にはお世話になっているのですよ」
「……生臭坊主め」
その理由にようやく至る。どうやらこれもあの生臭坊主のせいだったらしい。ならこいつはあいつの弟子のようなものなのだろう。死んでも厄介な奴だ。口であいつに適う奴なんているわけない。その弟子ならなおのことか。
「いいよ。誘いに乗ってやる。どうなっても知らないからね」
「それはそれは。責任重大ですな。ではご案内いたします」
ならそれに乗ってやろう。こいつの口車に乗って。騙されていても構わない。ヒンメルたちならそうしたように、ダンジョンを攻略するように。勝てないのなら逃げればいい。それが私たちの戦い方なのだから────
「────」
そこはまさに楽園だった。
その門をくぐった瞬間に、視界から溢れるほどの花畑に目を奪われた。その鮮やかさに、彩に心を奪われる。入国した者がこれを目にすればきっとすぐに騙されるのだろう。この国、フリージアがその噂に違わないものであると。何よりも私にとってはかつての記憶を蘇らせるもの。
「いかかですか? 国でも評判でして。今では観光名所でもあるのですよ。これは──」
「言わなくても分かるよ。あいつが出した花畑でしょ。趣味が悪いね」
説明されるよりも先に答えを口にしてやる。さっきまでのちょっとした意趣返しだ。聞かされるまでもない。これを見せられるのは何度目か。魔法に罪はないが、この魔法が嫌いになってしまいそうだ。本当に趣味が悪い。人間を騙すためにこれ以上の魔法はないだろう。だが
「いえ、以前はそうだったのですが……ふむ。フリーレン様にそう言っていただけるなら、あの子も間違いなく一人前でしょうな」
「? 何のこと?」
「いえ、こちらの話です。恐らくすぐにお分かりになるかと」
シュトロはそうよく分からないことを口にしながら一人納得している。また私には理解できない、知らない事柄なのだろう。段々とそれにも慣れてきた。もう何が起きても動じないほどには。
「おや、どうやら待たせてしまっていたようです」
「え?」
だがそれはまだ甘かったらしい。油断と驕り。魔族にとっての弱点が、自分にも言えるのだと。
「────お待ちしておりました。フリーレン様」
そこには一人の、一匹の魔族がいた。花畑の中にあっても、失われない存在感。整えられた、執事のような出で立ちをした男。それが私たちに、いや私に向かって頭を下げてくる。目を奪われるほどの、人間のそれを超えるほどの礼節の真似事で。
「リュグナーと言います。以後お見知りおきを。僭越ながら、ここからは私がご案内させていただきます」
私は、魔族の国を、魔族によって案内されることになるのだった────