「相変わらず辛気臭い顔をしてるわね。たった八十年じゃ、そんなものかしら」
玉座に君臨している、一匹の魔族が告げてくる。八十年ぶりの再会。そこに感慨などない。私たちにとって八十年などあってないようなものなのだから。
一挙手一投足を見逃すまいと、その目を凝らす。集中する。そこには見間違うことなく、あいつがいた。大魔族であり七崩賢でもある、断頭台のアウラ。こちらを値踏みするように見下しながら足を組み、頬杖をついている。まさに傲慢不遜。
だが、その姿にゼーリエが重なる。その振る舞い、纏っている空気のせいか。あり得ない。あいつとは纏っている魔力も、種族も、在り方も、何もかも違うというのに。
「そういうお前は変わったね。女神様の真似事のつもり? 悪趣味だね。その服、全然似合っていないよ」
そんな気の迷いを払うように、そう言い返す。嘘偽りない私の本音。こいつが身に纏っている衣装。それに見覚えがある。ハイターと一緒に旅していた私にはそれが分かる。まるで僧侶が着ている法衣だった。小柄なこいつに合わせて新調された物なのか。
しかしその色合いは悪趣味そのものだった。紫を基調にした派手な物。とても女神様に仕える敬虔な信徒の物ではあり得ない。逆なのだろう。自らが女神だと言わんばかりの傲慢。ここフリージアで教祖を騙るための衣装、仮装でしかない。
「酷い言いようねぇ。これでも評判は良いのよ? これも去年、私の誕生日に信徒が献上してきた物だったのに」
こちらの悪意にも気づけないのだろう。くすくすと笑いながら、その献上品をこれ見よがしに披露してくるアウラ。油断と驕りか。その手には天秤すらない。こちらがいつでも対応できるように気を張っているというのに。あんな法衣を纏っていてはまともに動くこともできないだろうに。
「誕生日……? ふざけているの。お前たちが自分が生まれた日なんて覚えてるわけないでしょ」
「流石ね。その通りよ。勝手に私の誕生日を決められたのよ。本当にいい迷惑だわ」
極めつけが誕生日なんて言葉。そんなものが魔族の口から出てくるなんて。こいつらからは理解できない、もっとも縁遠いものだろうに。言われた言葉を、理解しないまま、そのまま使っているのだろう。献上か。こいつに騙された人間たちに、祭り上げられているということか。
「そう。物好きな奴もいたものだね。そのアクセサリも同じってことか。本当に趣味が悪いね」
そういう意味では、人間もさして変わらないのかもしれない。会ったことも、見たこともない女神様に救いを求めることも。死んだから無に還るという考えも。どちらでもいいとする諦観も。
だとするなら、あの首から下げているアクセサリもそうなのだろう。法衣以上に似合っていない、花のアクセサリ。あれがあいつの趣味でないことぐらいは、私にも分かる。本当に趣味が悪い。
「ふぅん……もしかしてとは思ってたけど、やっぱりそこからなのね。薄情者だっていうのも納得ね」
「……?」
だがそれに、アウラは思ってもいない反応を示している。いや、何かを確かめているのか。顎に手を当てながら、何やら思案している。一体何を言っているのか。
まるで獲物を確認するような視線が体を舐めまわしてくる。それが私の手元に集中している。左手だろうか。何を警戒しているのか。杖を握っているのは右手だというのに。
「そういうお前こそ、ご自慢の不死の軍勢はどうしたの? 臆病者のお前が護衛もつけないなんて」
理解できない、意味もないであろう視線を無視しながら改めて問い質す。握っている杖に力を込めながら。そう、それこそが私がここにやって来てからの違和感の正体。ここにはこいつしかいなかった。不死の軍勢も配下も見られない。あり得ないことだ。臆病者であるこいつが、護衛をつけないなんて。一体何を考えているのか。狙っているのか。だがそれは
「あら、そんなことないわよ。護衛ならいるわよ。最初からずっとね」
「っ!?」
こちらを甚振るような、愉し気なアウラの暴露によって明かされた。
そこには二つの人影があった。蒼いフードを纏った二人。恐らくは魔法使いなのだろう。フードを纏っているせいで分かりにくいが、私やアウラとさほど体格は変わらないように見える。
しかしさしてそれは問題ではない。問題なのは、その存在を今の今まで感知できなかったことだ。ほぼ完璧に近い魔力の隠匿だ。いくらアウラの魔力が充満していたとはいえ、それに気づけないなんて。手練れに違いない。一気に警戒度を上げる。惑わされてはいけない。ここはいわばあいつの縄張りの中。腹の中なのだから。
「あんたと二人きりで会うわけないじゃない。いつ襲われるか分かったものじゃないわ。私はか弱いのよ。あんたと違ってね」
そんな私の反応がお気に召したのか。上機嫌になりながらアウラはそんな妄言を吐き散らしてくる。その言葉に、さっきの魔族がちらつく。まるで私の方が猛獣であるかのような物言い。その姿は見られない。てっきり背後から私を挟撃するつもりかと警戒していたのに。それとも身を潜めているのか。魔族の魔法使いとしての誇りからすれば、考えづらいのだが。
「か弱い、か。魔族のくせに嘘もつけなくなったのか。答えろ、アウラ。何で私をわざわざここまで誘い込んだ?」
「おかしなこと聞くのねぇ……そんなの、あんたがここに乗り込んできたのと同じに決まってるじゃない」
何がか弱い、だ。人食いの化け物のくせに。もっとマシな嘘がつけないのか。それにこれ以上付き合いきれない。時間の無駄だ。そう判断し、単刀直入に切り出すも、まともに答える気がないのだろう。返ってくるのは煽りだけ。
「下らない嘘は止めろ。お前はこんな回りくどいことはしてこない。そんなことをするぐらいなら、不死の軍勢をけしかけてくるでしょ」
それを見抜けないほど、私は愚かではない。千年、魔族を葬ってきた、その嘘を聞かされてきた私には。その中でもこいつは典型的な魔族だった。搦手など使ってこない。そんなことをするぐらいなら、不死の軍勢をけしかけてくるだろう。かつての戦いのように。同時に、ここまで見聞きしてきたこいつの噂とは似ても似つかない真逆の物。
「驚いたわ。あんたはそこまで
それに本当に感心しているのか、驚いたのか。まるで賞賛するかのようにアウラは口にする。全く悪意も何もない、純粋な反応。少なくとも私にはそう見えた。
「確かにそれも悪くないわ。でもそれは最終手段ね。愉しみは最後まで取っておきたい主義なの。力押しなんて馬鹿のすることよ?」
しかしそれに続いたのは、やはりこいつらしくない答えだった。いや、ある意味こいつらしいのか。一層の嗜虐的な笑みを浮かべながらそう囁いてくる。獲物を前に舌なめずりする獣のそれ。どこか矛盾を孕んだもの。それに既視感を覚える。
「その言葉……そうか。やっぱりあの魔族の言っていたことは、お前の入れ知恵だったのか」
それが答えだ。間違いない。あの魔族が口にしていた言葉は、こいつの真似だったのだ。魔族が魔族の真似をする、か。真似をするなら相手が人間でなくてもいいのか。理解できない。
「あの魔族……ああ、リュグナーのことね。駄目じゃない。ちゃんと名前で呼んであげなくちゃ。その様子じゃあ、あいつに良いようにやられたみたいね」
「……躾がなっていないね」
「ふふっ、最近は私にも口答えするようになってね、いい迷惑だわ」
何が面白いのか。鼻を鳴らして笑いながらどこか満足げな表情を見せているアウラ。それを前にして、徐々に言いようのない感覚に包まれていくのを感じる。ここに来た瞬間から、いやこの国に足を踏み入れた時から纏わりついてくる、嫌な感覚。
その最たるものが目の前の魔族だ。そう、魔族なのだ。なのに、それに違和感を覚えてしまう。何か騙されている。そんな感覚。
「なら今度は私の方から聞いてあげる。あんたこそ、ここに何しに来たわけ?」
「愚問だね。お前を殺すために決まってる」
それを悟られまいとしながら、アウラの問いにもならない問いに答える。先の焼き回し。私がここに来る理由なんてそれ以外にない。こいつが私を始末するためにここに誘い出したように。だというのに
「嘘ね。いいえ、嘘じゃないけど、本当のことも言っていない。そうでしょ?」
それが嘘であると、目の前の魔族が告げてくる。その瞳に知らず魅入られる。生まれて初めての感覚。
「どうしてお前にそんなことが」
「簡単よ。こうして私と話していること。それが答えよ。本当に私を殺しに来たんなら、あんたは言葉なんて交わさない。問答無用で殺しにかかってくる。葬送のフリーレンだものね?」
それをこれ以上にない形で証明、論破されてしまう。そう、それは私が相手だからこそ成り立つ論理。同時に魔族であるアウラに、葬送の私を理解され、見抜かれていることに他ならない。それに反論する術を私は持たない。それは矛盾、私を否定することに他ならないのだから。
「大方グラナトの連中に焚きつけられたんでしょうけど。私を見定めてきてほしいとでも言われたんじゃない? いいように利用されてるわね」
「…………」
まるで見てきたかのように、こちらの事情を見通してくるアウラ。それを前にして、先ほどまでとは違う理由で言葉を失ってしまう。噤んでしまう。間違いない。こいつは最初からそれが分かっていたのだ。分かった上で、私を追い詰めて遊んでいる。その手練手管はまるで
「都合が悪くなるとだんまり? 誰かさんにそっくりね」
もっと反応してくれなければつまらないとばかりに、アウラはそうこちらを煽ってくる。まるで大人が子供を嗜めるように。この場合、どちらがどちらになるのか。脳裏に浮かぶのは、先の魔族の言葉。あれは何だったか。
「まあいいわ……そうそう、私があんたをここに招き入れた理由だったわね。なんてことはないわ。あんたにごっこ遊びに付き合ってもらおうと思ったのよ」
「ごっこ遊び……?」
思わず、そう反芻してしまう。およそこいつの口から出てくるとは思えないような言葉、単語だった。まさに、子供の遊びそのもの。お母さんという名の命乞いの方がまだ理解できただろう。
「ええ。ここ最近の私の趣味よ。このフリージアもその一つね。退屈しのぎかしら? あんたが下らない魔導書を集めて回っているのと同じよ」
こちらをその指で差しながら、天秤を持たぬ断頭台が告げてくる。自分とお前が同じだと。それが趣味なのだと。この魔族国家フリージアを建国したのも、私をここに誘ったのも。退屈しのぎでしかないのだと。私のそれと何も変わらないのだと。それに反論することができない。理解が及ばない。こいつは本当に
「今回は裁判ごっこね。これでも自信はあるのよ? なにせ八十年、人間たちに付き合わされた遊びよ。本物にも劣らない偽物よ」
そんな相手に、ごっこ遊びに誘われてしまう。裁判ごっこという名の遊びに。まるで子供のように、もう記憶の彼方に忘却してしまったいつかのように。まるでそう、友達を遊びに誘うように。
そう、それが私の感じている違和感の正体なのだ。こいつには、■■がない。そもそも私を■■だと思っていないかのような────
「……下らないね。私がそんなことに付き合う理由なんて」
「怖いの? 私に負けるのが?」
それを否定しようとするも、それすら敵わない。思わずそれに反応してしまう。反射的に。それを抑えることができない。
「…………」
「そんなに怯える必要ないわ。所詮は獣の声真似よ。気にするだけ無駄。そうでしょう?」
まるでこちらの心を読んでいるかのようなタイミングで、そう囁いてくる。まるで詐欺師のように、魔族のように、私を騙すために。そんな抜け道を、言い訳を用意して。紛れもなく、私自身が口にしていること。言葉を喋るだけの猛獣なら、気にする必要はない。動物の鳴き声と何ら変わらない。それが魔族なのだから。
「気に入らないのならその杖を抜けばいいわ。いつでも構わないわよ。心配しなくても
「────お前」
それだけでは足りないと思ったのか。どこまで私を侮っているのか。自らの魔法すらも必要ないとアウラはのたまってくる。それに思わず反応してしまうのを抑えられない。それは、魔法使いである私に対する最大級の侮辱だ。そんな誇りなんて、とうの昔に捨てたはずなのに。
でも、これは違う。こいつは、今明かしてきたのだ。私の魔力の制限を知っているのだと。それをどこで知ったのか。それともカマをかけたのかは分からない。分かるのはたった一つ。こいつは黙っていれば私を服従させられたかもしれない、一番の手札をあっさり晒して捨てたのだ。狂気の沙汰だ。人間も魔族も関係ない。こいつは一体
「まず何から始めようかしら。そうねぇ……」
腕を組みながら、まるでおもちゃを選ぶかのように考えに耽ってしまっている。その姿は隙だらけだ。いつでも不意打ち、騙し討ちできるほどに。護衛がついているとしてもあり得ないような姿。だがそれを前にして動くことができない。どう動くのが正解なのか、導き出せない。できるのはただ、こいつの裁判ごっこに付き合うことだけ。そんな中
「────あんた、鏡蓮華の意味は分かったの?」
そんな問いが投げかけられる。それに思わず身が震える。先ほどまでとは明らかに違う。その瞳が、声が。何かの魔法にかけられてしまったかのように。
裁判ごっこ。それは嘘ではなかったのだろう。ならこの場面においては、私は裁かれる側。被告にあたるらしい。それに倣っているわけではないのに、それに聞き入ってしまう。そうしてしまうほどの何かが、今のアウラにはある。されど
「鏡蓮華……?」
その意味が理解できない。それが何なのか分からない。言葉の響きからして、何かの花の名前なのか。どうしてそんなことをこいつが私に聞いてくるのか。
「…………そう。聞いた私が馬鹿だったわ。哀れね」
そんな私に、アウラは僅かに目を伏せながら、そう零す。およそ理解できない言葉と共に。いや、言葉自体は知っている。理解している。なのに、それが理解できない。それが自分を指しているものだということが。
哀れだというのか。この私が。憐れんでいるというのか。こいつが私を。魔族にはそもそもそんなことできないはずなのに。
何一つ理解できない。目の前の魔族が。そもそも本当に目の前にいるのは魔族なのか。
精神性が魔族のものとはかけ離れている。人の形をして、人の言葉を話しているのに、こいつを全く理解できない。どちらが■■か分からない。
でも私は知っている。それが何なのか。このやり取りが何を意味しているのか。
そう。これは魔族が人間を騙すためのもの。言葉を使い、動揺を誘う典型的な魔族の手法。それが言葉であるが故に、私たちの脳はその意味を理解しようとしてしまう。
「────聞いたわよ。人の心を知るために、あちこち旅してるらしいわね」
事ここに至ってようやく気付く。本当に私は愚かだったのだろう。気づくのが遅すぎた。
これは会話ではなかったのだ。ただの観察。観測。この魔族は、檻の中の動物に刺激を与えて反応を見ているだけ。私という動物に。
知らず背筋が凍り付く。震えがこみ上げてくる。汗が滲んでいく。
落ち着け。冷静になれ。これは罠だ。反応してはいけない。
「…………それがどうしたの」
なのにその言葉に、反応せざるを得なかった。
震える声で、そう言い返すのが精いっぱいだった。今自分がどんな表情をしているのか分からない。
それはまるで反射に近いもの。知らず杖を固く握ってしまっていた。それが震えているのを隠すように。取られまいとするかのように。みっともなく、無様に。
────動悸がする。眩暈がする。立ち眩みがする。
「どうしてそんな無駄なことをしているの?」
言わせるな。その先を言わせてはいけない。それを言われたら私は
「────ヒンメルはもういないじゃない」
それはあり得た未来において、『断頭台』から『葬送』に告げられた言葉。
それが今、『天秤』から『葬送』へと突き立てられる。
全く同じ言葉。違うのはたった一つ。裁判において、判決に関わる重要な要素。
そこに悪意があったのか否か。ただそれだけ。それでも。葬送にとっても、魔族にとっても、天地がひっくり返るほどの差異。
それが『天秤』による『葬送』の裁判の開廷の合図だった────