ヒンメルはもういないじゃない【完結】   作:HAJI

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第十話 「代弁」

「────ヒンメルはもういないじゃない」

 

 

その言葉に、頭が真っ白になる。その意味が理解できないからではない。理解できるからこそ。怒りを通り越してしまっている。こんなことは生まれて初めてだ。

 

やっぱり魔族は化け物だ。私達とは相容れない、言葉を話すだけの猛獣。だというのに

 

 

「どうしたの? てっきり襲い掛かってくると思ったのに」

「…………」

 

 

私は手を出せないでいた。動けないでいた。もはや言葉など無用。そもそも最初からこいつと話している時点で無駄だったのだ。他ならぬ、こいつ自身に言われたことでもある。だからこそ、私は冷静さを取り戻しつつあった。沸点から一気に凍てつくように。

 

ヒンメルはもういない。それは事実だ。魔族はもういない存在など気にしない。そんな無駄なことはしない。だからこそ、それに拘っている私の行動が理解できない。単純な言葉。いや疑問だ。けれど

 

 

(こいつ……まさか)

 

 

先の言葉にはそれ以上の何かが含まれていた。少なくとも私にはそう感じ取れた。そう、明確な私に対する悪意が。

 

魔族には悪意がない。罪悪感がない。今までの殺した人間のことも何とも思わない。嘘をつくことも。それは魔族にとって息をする、食べる、眠るのと同じように生きるために当たり前の行動で、意識することすらない。

 

だからこそあり得ない。先の言葉に、それが込められているなど。もしそうなら、こいつは魔族ではない。魔族を超えた何かだ。ある意味、魔族よりも恐ろしい存在。

 

ただの私の勘違い。魔族の声真似をそう勘違いし、騙されてしまっているだけ。その可能性の方がずっと高い。それでも、そのまま警戒したまま身構える。不用意に手は出せない。奇しくも、先のグラナト伯爵に言われたように。目の前のアウラを見定めるために。

 

 

「まただんまり? それとも黙秘のつもり? あんたもごっこ遊びが分かってきたじゃない」

 

 

そんな私の様子が可笑しかったのか。癪に障る笑みを浮かべながらアウラはこちらを見下している。明らかな挑発だ。私に先に手を出させたいのか。それともそう欺いているのか。分かるのは、こいつがこの状況を愉しんでいるということだけ。黙秘なんて言葉を使ってまで。本当に裁判ごっこをしているつもりらしい。

 

 

「でも面倒ね。服従の魔法(アゼリューゼ)が使えれば、簡単に自白させられるのに。嘘もつき放題ね」

 

 

だがそれもこいつにとっては勝手が違っていたらしい。その手にまるで天秤を持っているかのような真似をしながらアウラはそんなことを漏らしている。

 

そうか。こいつからすれば、裁判など本当にごっこ遊びなのだ。そもそもそんな物すら必要ない。服従の魔法(アゼリューゼ)を使えば、どんな嘘も暴くことができるのだから。魔族であるこいつが、人類の誰よりも公正な裁判が行えるという矛盾。こいつが聖都で女神扱いされていたのもそのせいだろう。本当に趣味が悪い。何よりも

 

 

「……お前、やっぱり知ってるんだね」

「? ああ、魔力の偽装のことね。当然よ。他ならぬ勇者一行の連中がばらしたのよ。仲間に恵まれてるわね、フリーレン? 嘘つきのあんたにはお似合いの小細工ね」

 

 

当たり前のように、私の魔力の偽装を看破していることを明かしてくるのだから。こいつにとっては隠すこともない、周知の事実なのだろう。それを漏らしたのが仲間たちだというのだから。それが嘘でないのは私にも分かる。どうせヒンメルあたりが口を滑らせたのだろう。本当に魔族相手に何をしてるのか。

 

 

「嘘つきか……魔族のくせによく言うね」

「あらそう? 人間(あんた)たちの方がよっぽど嘘つきじゃない。数えきれないほど裁いてきたわ。私の前では嘘なんてつけないのに。本当に愚かよね。みんな最後には同じように命乞いしてくるのよ。魔族顔負けのね」

「………」

 

 

嘘つき。それは魔族を端的に表す言葉だ。なのに、そいつが言い返してくる。私たちの方が嘘つきなのだと。くすくすと気味の悪い笑みを浮かべながら。きっと今のように、人間たちを裁いてきたのだろう。違うのは、こいつの前では嘘がつけないということ。できるのは命乞いだけ。これではどちらが嘘つきか分からない。きっとこいつから見れば滑稽に見えたのだろう。それでも

 

 

「女神様にでもなったつもり? 悪趣味だね。反吐が出る」

 

 

こいつが悪趣味なのは変わらない。従えた者の首を落として、不死の軍勢なんてものを作っていたのと同じように。こいつは人間をごっこ遊びの道具ぐらいにしか思っていないのだ。それを女神のようだなんて。騙されている人間たちもどうかしている。

 

 

「酷いこと言うのねぇ。勘違いしないでくれる? 私はあんたたちが作った法に従っただけ。それを破ってるのはあんたたちよ。それに女神の奴は人間を裁いたりしないわ。あいつはお気に入りにしか興味がないのよ」

 

 

それにもっともらしい理屈で反論してくるアウラ。本当に以前のこいつとは別人のようだ。こんなに口が回るような奴じゃなかったのに。この八十年で学習したのか。人間の真似事に関しては先ほどの魔族を超えている。だがそれでも

 

 

「お前に罪なんてものが分かるわけがない」

 

 

所詮は偽物、真似事だ。罪が理解できないこいつらが、どんなに繕っても。同時に集中する。こいつの一言一句、その挙動を見逃さないために。

 

 

「当然でしょう? 魔族(わたし)たちに罪なんてないわ。どれだけ人間を殺そうと、騙そうと。魔族には悪意が、罪悪感がないんだから。ないものを裁くことなんてできない。それは人間が勝手に作った物差しでしかないわ」

「矛盾してるね。なら何でお前はここでそれをしているの?」

 

 

それに流れるように、窮することなくアウラは持論を述べてくる。理屈の通った詭弁を。恐らくは人間たちに考えさせたのだろう。問われることが多かったに違いない。それでも矛盾は誤魔化しきれていない。罪が理解できないのなら、それを裁くことなどできないというのに。それを

 

 

「その通りよ。矛盾しているのはフリージア、私の方。フリージアは私の嘘でできているのよ」

 

 

あっさりとアウラは認めた。悪びれもせず。繕うこともなく。嘘をついているのだと。魔族ならあり得ないこと。

 

 

「だからこれはごっこ遊びなのよ。ああ、最初に言っておくわ。私の天秤は公平じゃないのよ。勇者一行に対してはね」

 

 

だからこれは遊びなのだとアウラはのたまってくる。公平ではないのだと。もしこの場にフリージアの信徒がいれば卒倒してしまうようなことを。それを前にして、私はただ黙って聞き入ることしかできない。こいつを見定めるためもあったが、何よりも

 

 

「何だったかしら……そう、罪の話だったわね。偉そうに言ってたけど、あんたこそそれが分かってるわけ? 人間じゃないくせに」

「……何が言いたいの?」

 

 

こいつが何をしたいのか。企んでいるのか。それが見えてこなかったから。嘘には意味がある。魔族にとっては人間を食らうために。油断させるために。だが私にそれは通じない。こいつもそれは分かっているだろう。なのに何故こんなことをしているのか。

 

 

「初めに言ったでしょう? あんたを裁いてあげるって。あんたの罪を暴いてあげるわ。ここにはもういないあいつに代わって。代弁者のようなものね。裁判ではよくあることよ」

 

 

その答えを明かしてくる。この裁判ごっこが、こいつのやりたいことだったのだと。暇つぶし云々は嘘ではなかったのか。それでやることが私の罪を暴くこと。

 

意味が分からない。そんなことをして、こいつに何の得があるのか。そもそもそんなもの、こいつに理解できるはずがないのに。加えて、さらに理解できない単語が増えている。魔族どころか、人間でもおよそ口にすることのない、裁判でしか扱わないような言葉。

 

 

「代弁者……? 誰のこと?」

「決まってるじゃない。勇者ヒンメルのことよ」

「ヒンメルの……?」

 

 

さらにアウラの言葉が私を惑わしてくる。どうしてそこであいつの名前が出てくるのか。そもそも何でこいつがヒンメルの代弁などする必要があるのか。理解できないことの連続。でも知っている。私はこの感覚を覚えている。それは

 

 

「さて、どこから話したものかしらね……そもそもあんたがどこから知ってるか分からないし、最初からかしら。私は五十年間、あいつに服従させられてたのよ。私の魔法でね」

 

 

ほんの少し前。私の知らない、ヒンメルの後日譚を語ってくれた、リリーの姿。それと目の前のアウラが重なって見える。その姿かたちも、声色も、語り口も、何もかもが違うのに。

 

 

「本当に今思い出しても信じられないわ。まさかあんなことになるなんて。やっぱり勇者の連中は化け物ね」

 

 

私がそれに聞き入っているのが面白かったのか。それとも単に興が乗ってきたのか。アウラは語り始める。リリーから、シュトロから聞かされた、断片的な物ではない。こいつ自身の言葉で。

 

 

「それでもあいつは変わり者だったわ。私を殺すでもなく、家畜扱いしてきたの。いいえ、愛玩動物かしら? 笑い話よね?」 

 

 

心底おかしいと嗤いながら、アウラは醜態を明かしてくる。それに圧倒される。当たり前だ。それは、その事実はアウラにとっては耐えがたい、これ以上にない屈辱のはず。なのにそれを嗤いながら明かしてくるなんて。嘘をついているのではないかと、疑ってしまうほどに。

 

 

「知ってる? あいつは最初、私をあんたの代わりだと勘違いしてたのよ。魔法を仕込んで。魔導書を与えて。勇者が聞いて呆れるわね」

 

 

だがそれが真実であるのだと、他ならぬ私が確信する。その証拠を、私は目にしているのだから。あの村に、ヒンメルたちが住んでいた家にそれがあったのを。部屋から溢れるほどの魔導書の山を。見せられたのだから。それを囲んでいた、蒼い花畑を。なのに

 

 

「だから言ってやったのよ。私はフリーレンじゃないわよって。その時の勇者の顔は笑えたわ。ちょうど今のあんたみたいな顔をしてたわね」

 

 

こいつはそれが理解できないのだ。その時のヒンメルの顔が、目に浮かぶ。きっと無意識だったのだろうに。それを突き付けられた。悪意のない、魔族の言葉。人の心がない、化け物の鳴き真似。そんなもの、気にすることないだろうに。それでも、そうせざるを得ない。今の私のように。

 

もはや見定める必要もない。この聞くに堪えない、耳障りな声真似を止めさせんとするもそれは

 

 

「極めつけがこれね。あんたが言ってた、悪趣味なアクセサリ。これはね、あいつが私に贈ってきた物なのよ」

 

 

たった一つの、取るに足らないはずの何かの花のアクセサリによって、言葉によって止められてしまった────

 

 

「ちょうど村に行商人たちがやってきた日にね。いらないって言うのに、あいつは勝手に選んできたのよ。どれだけ待たされたかしら」

「────」

 

 

思い出しているのか、どこかこれみよがしにそれを晒しながら、アウラは話し続ける。それを前に、私は佇んだまま。身動き一つできない。まるで拘束魔法でもかけられてしまったかのように。

 

息が苦しい。体を動かしていないのに。首が何かに締め付けられているみたいだ。いや、違う。締め付けているのは

 

 

「そんな私の気も知らずに、嬉しそうにこれを首からかけてきたの。意味が分からないわよね。こんな物を贈って何の意味があるのか。ただの金属でしかないのに」

 

 

あり得ない、幻を見る。それが想像できる。だって私はそれを知っている。覚えている。違うのに、同じ何かを。

 

 

共感する。嫌悪する。こいつに。私が。どうして。こんなアクセサリに何の意味があるのか。魔導書の方が良かったのに。

 

 

「だから聞いたのよ。他の人間たちに。そしたら教えてくれたわ。花には花言葉なんてものがあるんだって。星座と似たような物よ。そんな無駄なことを考えるなんて人間ぐらいよね。本当に暇な奴らね」

 

 

でも違った。こいつは私とは違ったのだ。それに教えられる。花には花言葉があるのだと。そんな当たり前のことを。なら、こいつが持っている花のアクセサリにも意味があったのか。いや、きっと違う。

 

 

きっとヒンメルも花言葉なんて知らなかったに違いない。だってあれは、私が勝手に選んだもので

 

 

「それがあいつの、ヒンメルの罪ね。言葉で伝えればいいのに、わざわざそんな面倒なことをして。格好をつけたかったんでしょうけど」

 

 

でもヒンメルなのだ。あの格好つけた勇者様なら、やりかねない。そうだ。私の下らない、花畑の魔法が好きだと言ってくれるような奴なのだ。なら、知っていてもおかしくない。言葉で伝えるのが恥ずかしいから、そんなことをして。

 

 

「それもできなくなったんでしょうね。観念したのか、白状してきたわ」

 

 

こいつがそれを問い詰めたのか。それとも。ヒンメルはそれを、こいつに教えたらしい。言葉にして。私にはしてくれなかったこと。

 

 

「『親愛』それがこの花、フリージアの花言葉よ。あいつは私と友達になりたかったらしいわ。本当に癪な奴ね。いい迷惑だわ」

 

 

それがその銀の花の花言葉。親愛。友達になりたいという、勇者の願い。そしてこの国の名の由来。悪趣味、なんてどころではない。魔族と友達になりたいなんて、あいつぐらいだろう。何よりも

 

 

「もっと癪なのはそれが、誰かさんの二番煎じだったことかしら」

 

 

それすら知らなかった、私の滑稽さ。それをこいつは暴いてくる。偉そうに言っていた、していたことの、何一つ、意味がなかったのだと。

 

 

「聞いたわよ。あんたもあいつから指輪を贈ってもらったらしいわね。花の意匠のついた。それが何の花か知ってる?」

 

 

────覚えている。あの姿を。あの声を。あの眼差しを。

 

 

私が適当に選んだ指輪を、とても大切そうにしながら。

 

 

────忘れることはない。忘れたりしない。私だけは。私だけが。

 

 

膝をつきながら、忠誠を誓う騎士のように、格好をつけて。私の指に嵌めてくれたことを。

 

 

でも、今それは私の手にはない。指にはない。置いてきてしまっていた。いくら探しても、意味はない。なのに、みっともなく、その手をさする。この場において、杖よりも何よりも、手にしておかなくてはいけない物だったのに。

 

 

「鏡蓮華。それがその花の名前よ。花言葉は『久遠の愛情』あれは恋人に贈る物なのよ」

 

 

ついにそれが明かされる。他でもない、魔族によって。

 

 

それに言い訳することができない。私はそれを知らないことを、もう自白してしまっているのだから。

 

 

私が自分で見つけなければ、知らなければいけなかった答え。それを突き付けられる。ヒンメルの代わりに。いいや、違う。私の代わりに。

 

 

ただ願う。それが嘘であってほしいと。生まれて初めて、魔族に嘘をついてほしいと。

 

 

それは判決だった。魔族であるこいつが、間違いなく悪意を持っていることの証明。そして

 

 

「無知。それがあんたの罪よ、フリーレン」

 

 

私が犯した、知らなかった、ずっと知らない振りをしてきた罪の形だった────

 

 

 

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