「クヴァール……やっぱりアウラに従わされていたのか」
一気に空気が凍てついていくのを感じる。いや、私自身が。目の前に現れた現実、悪夢に。
そこには一匹の魔族がいた。その姿はかつてと変わっていない。当たり前だ。魔族にとって八十年などあってないようなものなのだから。
だがこいつはただの魔族ではない。アウラと同じ、大魔族であり、七崩賢に匹敵する強さを持つ魔法使い。
『腐敗の賢老』クヴァール。
かつて中央諸国で悪逆の限りを尽くし、私たちが封印した魔族。
その魔力も、威風も。かつてのままだ。唯一違うところがあるとすれば
「見ての通りじゃのう。逆らえば首を落とされかねんからの」
「あら、人聞きが悪いわね。ちゃあんと自由意思は残してあげてるのに」
それが今、アウラに従っているということ。いや、従わされているのか。しかし不死の軍勢のような物言わぬ傀儡ではない。それを証明するように、主人であるはずのアウラに悪態をついている。だがそれすらも大きな問題ではない。
(嘘じゃなかったってことか……)
もう何度目だろうか。嘘であってほしいと願うことが。覚悟していた、予測していたこととはいえ、気が滅入る。あの村、リリーから聞かされたことに嘘はなかったのだ。私がここに訪れたのは、それを確かめるためでもあったのだから。最悪の事態だ。大魔族の二人が手を組んでいるのだから。大魔族は一人で都市一つを壊滅させるだけの力を持っている。まさしく怪物だ。それが二人。いかに私でも、大魔法使いでも敵わない。ゼーリエでもなければ。今の私にはかつての仲間はいないのだから。
加えてこの場には二人の護衛もいる。さらに私の予測が正しいとすれば、勝機などない。逃げる。撤退をしなければいけない場面。
「……
「別に人間に使うのと変わらないわ。ああ、違うのは首を落とせないことかしら。魔族は首を落としたら塵になって消えちゃうのよ」
周囲を観察し、気取られないように離脱の算段を立てる。先ほどまで、こいつの裁判ごっこによって乱れていた心とは関係なく、冷徹に。切り離したもう一人の私がいるかのように。
「クヴァール。お前はどう思っているの? アウラよりもお前の方が魔力は大きいのに」
その一環として、再会した大魔族に問う。それは揺さぶりだった。魔族は魔力の大きい方に従う習性がある。大魔族もその例に洩れない。事実、こいつらはかつて魔王に従い、支配されていた。だがアウラの魔力量はクヴァールに劣っている。クヴァールにとっては屈辱であるはず。そんな両者の不和を誘発するために。しかし
「さての。残念ながら儂はこやつに騙されてしまっての。服従か死かなら、服従するしかあるまい。あのまま石にされているよりは、こっちの方が幾分マシじゃしのう」
「あら、あんたも言うようになったわね。誰の真似かしら?」
どうやらそれは無駄だったらしい。どころか言い返されてしまう。封じるという意味では、私もアウラもやっていることは同じなのだろう。もっとも叛意を抱いたとしても、それすらも封じるのが服従の魔法だ。自由意思を残しているとはいっても、反逆を許すはずもない。しかし、唯一にそこに付け入る隙がある。私にはそれが成し得る。それを戦略に組み込まんとするも
「残念だけど、クヴァールの服従を解いても無駄よ、フリーレン。それでクヴァールがあんたの味方になるわけじゃないもの」
まるでそれを見通すかのような、恐ろしいタイミングでアウラはそうこちらを脅してきた。思わず息を飲む。精神魔法で心を読まれてしまっているのではと思えるほどに。
当然のように、私の解除の魔法も知られてしまっている。シュトロも知っているのだから当たり前だが、それでも自分の誇りである魔法が穢されているも同然だというのに、まるで気にしている風もない。とても魔族として成立している精神状態ではない。どころかこちらを脅し、牽制してくるなんて。
(こいつの言葉に踊らされるわけじゃないけど……これは悪手だね。リスクが高すぎる)
準備しかけた解呪魔法の術式を解除する。悔しいが、アウラの言うことの方が理がある。このままクヴァールの服従を解除するのはリスクが大きすぎる。それによる仲間割れを期待するのはあまりにも楽観的だ。こいつらにとって私が敵なのは変わらないのだから。そのままクヴァールが逃走してしまう危険もある。そうなれば取り逃がしてしまう。
業腹だが、アウラはクヴァールを封じ、縛っているのだ。ここフリージアに。その復活や悪行が広まっていないことからもそれが窺える。そしてそれはクヴァールに限った話ではない。つまり
「フリージアの民もそれは同じよ。あいつらは私の魔法で操っているわけじゃない。私に従っているのよ。そんなことをすれば、逆にあんたが狙われるでしょうね。あんたにとってはクヴァールを相手にするよりも厄介でしょうね」
アウラにこの魔法を使って、服従を解除しても無意味なのだ。ここフリージアの民は、アウラの魔法に縛られているだけではない。自ら望んでそれを受け入れているのだから。呪いを祝福として。人間は信仰を。魔族は忠誠を。
そんなアウラに魔法を向ければ、その全てが敵に回るだろう。それを相手にするのは不可能だ。特に人間相手は困難を極める。人質と戦うことになるようなものなのだから。不死の軍勢を吹き飛ばすのとは違う。ヒンメルに怒られるだけでは済まない。
事ここに至って悟る。私のこの八十年で生み出した、この魔法が、アウラには通用しないのだと。どころか使えば、自分の首を絞めることになる。空恐ろしさすら感じる。恐ろしく上手く考えられている。魔法を使わずに、ここまでのことができるのか。
「……それで? どうしてフランメなんて名前を騙っているの?」
「私が名乗らせてるのよ。こいつは今、フリージアで魔法を教えさせてるの。お似合いの名前でしょう?」
「…………」
思考を切り替えるため、時間を稼ぐために話題を振る。まるで命乞いのようだ。まさか私がこんなことをするなんて。それもまた、私の感情を揺さぶってくるもの。ここまで徹底されては、賞賛してやってもいい。
「どうしたの? 大好きな師匠が愚弄されてるのに、怒りもしないの?」
「お前こそ分かってないね。あの人はそんなことは気にしない。きっと笑い飛ばすだろうね」
やはりこいつは魔族なのだ。何も分かってはいない。あの人がそんなことを気にするような性格ではないことを。むしろ知れば、面白がって笑い飛ばすだろう。もっとも魔族が相手ならそんな無駄なことをする間もなく、葬り去るだろうが。
「ふぅん……やっぱり師弟なのね、あんたたち。気持ち悪いぐらいだわ」
それすらも、こいつにとっては期待通りだったのか。気味の悪い笑みを浮かべてこちらを見定めている。本当に良い性格をしている。
「余興はこのぐらいにしようかしら。どう? せっかくかつて封印したクヴァールを復活させられた気分は」
「最悪だね。反吐が出る」
きっとそれが一番の目的だったのだろう。嫌がらせでしかない。まるで新しいおもちゃを見せびらかすそうに、そんなことを問いかけてくる。私のことを実験動物か何かだと思っているのだろう。その反応を見て面白がっているだけ。
「いいのよ? このまま逃げても。勝ち目がないのはあんたなら分かるでしょう? 誰も臆病者なんて言わないわ」
しかしそれだけではないから始末に悪い。油断と驕り。それがあって然るべきだろうに。的確にこちらの狙いを見透かされている。まるであいつのように、全てを見通す直感のように。真似事だけでは辿り着けないもの。
「ただ薄情者なのは変わらないわね。あんたがさっさと約束を守らなかったからこうなっただけ。早い者勝ちね」
そいつが告げてくる。さっきの続きだろうか。知らず唇を噛む。クヴァールの封印。それが解かれてしまったこと。
間違いない。それが私にとって何を意味するのか。こいつには分かっているのだ。
「ヒンメルのせいでもあるわね。私たちを利用すれば、さっさと始末できたのに。そうしなかったんだから。どうしてかしら。あんたなら分かる、フリーレン?」
アウラが問い質してくる。問い立ててくる。私にそれが分かるのかと。ヒンメルがどうしてそうしたのか。ヒンメルならそうするであろうことを。あり得ない。これでは立場があべこべだ。こいつは一体どこまで
「ふむ……中々に興味深いが、やはり分からぬのう。アウラ。儂をここに呼び出したのは何のためじゃ? 証人だの何だの言っておったが」
そんな思考を断ち切るように、クヴァールがそう呟いてくる。その存在を忘れかけてしまうほどに、アウラに翻弄されてしまっている。いけない。このままこいつの調子に巻き込まれていては思う壺だ。冷静さを欠いてどうにかできるほど、こいつらは甘くない。
「そうねぇ。証人というより、ある意味被害者かしら? あんたがフリーレンに奪われたものについての裁判よ。心当たりはない?」
私が先の詰問に答える気がないと判断したのか。それとも本来のごっこ遊びを思い出したのか。再び裁判官の真似事を始めるアウラ。証人に被害者。およそ魔族とは無縁の言葉を用いながら。本当に意味を理解しながら使っているのかも疑わしい。しかし
「なるほど……
この二人の間であれば、それは意味を成すらしい。騙すだけの鳴き真似ではなく、意志疎通の手段として。魔族には悪意がない。故に相手の言葉をそのまま受け取ってしまう。なのにこいつらは理解しているのだ。その裏にある意図。遠回しな言い換えを。
「下らないね。こんな茶番を見せるために、わざわざ私を呼び寄せたのか」
「盗人猛々しいわねぇ。他人の魔法を盗んでおいて。魔法使いにとっては許しがたい侮辱よ。あんたの魔力の制限といい勝負ね」
そんなやり取りを前にして吐き捨てる。茶番でしかない。私に盗みの罪があるとでも言いたいのだろう。魔族にとってはそれは罪だろう。いや、魔法使いにとっては、か。だがそんなもの、私は当の昔に捨て去っている。魔力の偽装を身に着けた時から。魔族に復讐を誓った日から。誇り高き魔法を愚弄した、卑怯で最低の魔法使い。それが私だ。なのに
「誤魔化すことないわ。あんたももう気づいてるんでしょう? 自分が何の罪に問われているか」
そんな私でも認められない、誤魔化してる罪があることを、目の前の魔法使いに突き付けられてしまった。
「
その魔法術式をあえて見せつけ、愉しげに笑いながらアウラはそう告げてくる。この魔法の成り立ちを。元々は魔族の魔法であったものだが、それは人類の魔法体系に組み込まれている。強すぎる魔法であったが故に。それを私は誰よりも知っている。言われるまでもない。それが何をもたらしてしまったのかも。何故なら
「人類の
それによってゾルトラークは最も人類を殺した魔法となってしまった。クヴァールの手ではなく、人類自身の手によって。これ以上にない皮肉。悪意がない魔族ではなく、悪意がある人間だからこそ、起きてしまった悲劇。過ち。それに加担してしまった私自身の功罪でもある。
『いいか、フリーレン。歴史に名を残そうなんて考えるなよ。目立たず生きろ。お前が歴史に名を残すのは、魔王をぶっ殺す時だ』
そんな、あの人らしい言葉を思い出す。思えば、あれは私への忠告でもあったのだ。あの人の言う通り、私は目立たず生きた。魔王を倒して、歴史に名を残した。でも、その先があったのだ。違う形でも、私は名を残すことになってしまった。その意味を知ることなく。悪意なく。魔族のように。
「……まるで見てきたみたいに言うね」
「ええ。見てきたわ。ちょうど南側で実験をしてたのよ。小さな村を作ってね。人間たちから暴力を奪ったらどうなるのか。箱庭みたいなものね。面白いぐらいに人間たちが群がってきたわ。戦争から逃げるためにね。戦争孤児も大勢いたわ。今もフリージアにやってくるぐらいよ」
自分でも怖いぐらいに、落ち着いていた。さっきまで、ヒンメルのことでざわついていたのが嘘のように。同時に、違う感覚に陥っていく。深い、深い落とし穴に堕ちていくような感覚。浮遊感。自分の足元がなくなっていくような、不安と恐怖。
「本当に人間たちは愚かね。魔族たちが大人しくなったら今度は人間同士で殺し合いを始めるんだから。良かったわね。おかげで
それはこれ以上にない皮肉だったのだろう。私は、私自身の手で、魔族の魔法を完成させてしまったのだから。それを、本人の前で明かされる。まるでこのためにクヴァールを復活させたのかと疑ってしまうほどに。
「あんたからも何かないわけ、クヴァール?」
「生憎儂にはお前が言っていることの半分も理解できぬからのう。ただアウラ、お前が楽しそうだということだけは分かるがの」
「そう。良かったわね。あんたも楽しそうよ」
その当人は、手で顎をさすりながら笑みを浮かべている。こいつにとってはそれはもはや過去なのだろう。魔族は過去にも未来もない、現在があるだけ。まるで悪巧みをする悪友のように、アウラとクヴァールは笑い合っている。それがどこまで本気なのか。どれだけ異常なことか。だがそれすらも今の私にはどうでもいいことだった。
「何か反論はないわけ? あんたは黙秘ばっかりね」
「…………」
それに返す言葉を私は持たない。黙秘、というのも違う。どう言葉にしていいか、私には分からないのだ。知らないのだ。
「ならいいわ。私が判決を下してあげる」
それを前にして、女神の真似事をしている魔族が審判を下す。断頭台に手をかけるように。それを甘んじて受けんとするも
「────あんたは無罪よ。フリーレン」
それは、真逆の判決によって覆されてしまった────
「何を言っている……?」
「だからあんたは無罪だって言ってるのよ。あんたには何の罪もないわ。私が認めてあげる。良かったわねぇ?」
ただ呆然として聞き返す。無罪という、本来なら喜ばなければならない判決を前にして。それを疑っているのだから。そんな私の醜態がお気に召したのか。それまで以上に、妖艶な笑みを浮かべながら天秤が告げてくる。認めてくる。私には、罪などないのだと。
「だってそうでしょう? あんたは誰も殺してないもの。人間が勝手に殺し合っただけ。あんたは何の関係もない」
それは悪魔の、いや魔族の囁きだった。
そう。それは正しい。それは人類の問題だ。私には何の関係もない。私は直接手を下していない。なのにどうしてそれが罪になるのか。魔族には理解できないもの。魔族の論理。なのに、どうして私はそれを正しいと感じてしまっているのか。気にしているのか。拘っているのか。
「研究開発だってそうね。元々人類はこぞってそれをしていた。あんたがいようがいまいが、遅かれ早かれ同じことになってたわ。それが百年やそこら早まっても、何も変わらないわ」
そう。私は研究、解析しただけだ。大魔族の魔法を解析することが、私の戦い方。不死なるベーゼの結界も。断頭台のアウラの服従も。黄金のマハトの呪いも。それと同じように、賢老の魔法を解析しただけ。
そこに悪意はなかった。その魔法で殺される人間を増やさないために。復活したクヴァールを討伐するために。でも私は分かっていなかったのだ。知らなかったのだ。
人間の、人類の悪意を。それが一体何をもたらすのか。
それを知ったのは、全てが終わった後だった。いや、知っていてもどうにもできなかっただろう。魔王を倒しても、それは変わらなかった。私たちのしたことは決して無駄ではない。でも、それで全てが上手くいくほど、世界は単純じゃなかった。ただそれだけ。
こいつが言うように、私がいなくても、きっと同じことになっていただろう。それに私の罪なんてない。そこまで傲慢ではない。それでも
「────違う。それは私の罪だ。魔族には理解できないもの。お前には何の関係もない」
それは、私の、私だけの罪だ。私が私を許さないのだから。
眉一つ動かさず、顔色一つ変えずに冷徹に言い返す。お前には関係ないと。何の感情も容赦もなく。みんなから薄情者だと言われる所以。
それによってその場が静まり返る。まるで時間が止まったかのように。それがいつまで続いたのか。
(何だ……? これは、魔力信号……?)
魔力の波を感じ取る。それは魔力信号だった。発する魔力の波長で魔法使い同士で交信するための物。アウラの横に控えている蒼いフードを被った護衛の一人からそれが発せられている。恐らくはアウラに向けたものなのだろう。一体何のために。もしや攻撃を仕掛けてくる合図なのか。そう身構えるも
「……そう。良かったわね。あんたは一応人類らしいわよ」
喜悦でも、憐憫でも、呆れでもない。それまでとは違う、形容しがたい笑みを浮かべながらアウラはそう理解できないことを告げてくる。一体何のことを言っているのか。
「何のこと……?」
「さあ? 感謝しなさい。いよいよとなれば、もう一人の証人を呼ばなきゃいけなかったんだから」
それを教えるつもりなど最初からなかったのだろう。一人勝手に納得しているアウラを前にして、ただ戸惑うしかない。分かるのはただ、こいつにとってはそれも織り込み済みだったということだけ。
「とりあえず、これで裁判ごっこは終りね。あんたが言ってた通りよ。魔族に人類を裁くことなんてできない。その逆もね。あんたを裁く者がいるとすれば、それは女神か、人間だけよ」
まるで飽きた子供のように、アウラはそう宣言する。自分から始めたくせに、どういうつもりなのか。同時に、どこかもっともらしいことを口にしている。しかし、知らずそれに聞き覚えがあった。どこかで、似たようなことを言われた気がする。
「だからそれはあんたに任せるわ。好きになさい」
「……?」
目を閉じながら、アウラはそう締めくくる。私ではない誰かに言い聞かせているかのように。それはまるで師の真似事のよう。
「結局お前は何がしたかったんだ、アウラ?」
「言ったでしょう? ただの暇潰しよ。私は嘘つきなのよ。あんたと同じでね」
理解できない言動の連続。いや、魔族の言動なんて理解できるほうがおかしいのか。そんな私であってもこいつの行動は予測不可能。気紛れなのか、それとも計算づくなのか。考えれば考えるほど、ドツボに嵌まっていく気がする。言葉、騙し合いでは埒が明かない。だとすればやはり
「なら今度はあんたにも分かりやすい遊びにしようかしら?」
「…………今度はどんな悪趣味な遊びをする気なの?」
足を組み直し、頬杖を突きながらアウラは愉し気に提案してくる。こいつ曰く、遊びに誘っているのか。そんなに遊びたいなら一人遊びでもしていればいい。そんな私の悪意に
「あんたもよく知っているでしょ?
葬送は知ることになる。これまでの遊びが、天秤の戯れだったこと。そしてこれから始まるのが、かつての断頭台の続きであることを────