「────
その忌むべき名と共に魔法を打ち放つ。間髪入れず、不意打ちのように。言葉など不要。速攻こそが最適解。それにはこの魔法が一番適している。私情を挟まない、合理的判断。
私が持つ魔法の中で、これが最も速射性に優れた魔法だからだ。この魔法の成り立ちも、それを向ける相手も関係ない。この教会という閉鎖された空間で使用できる点も大きい。
何よりも、最速で、間を与えずに目の前の魔族を殺すために。
魔法は技術であり、理論だ。魔族はその魔力量を強さの判断基準にするが、そんなに単純な物ではない。技術に経験。相性が存在する。無数の手が存在する、極めて複雑なじゃんけんのようなもの。
何よりも、魔法はイメージだ。イメージできることは実現できる。逆を言えば、イメージできないことは実現できない。つまり、相手に勝てるイメージがなければ勝つことができないことを意味する。
私にとっては目の前の魔族がそれだ。私よりも魔力量が少なくても、勝てなかった魔法使いの一人。勇者一行として戦った八十年前も、封印するのが精いっぱいだった怪物。だからこそ、それに対抗するために私はこの魔法を研究、解析した。そのイメージを払拭するために。乗り越えるために。
その八十年の鍛錬の結晶。それが放たれる。不可避の速攻。いかなる防御も貫通する、史上初の貫通魔法。今は一般攻撃魔法と呼ばれている物。八十年の年月を重ねた、人類の魔法史を圧縮したそれは
同じく、人類の叡智によって生み出された盾によって防がれてしまった────
「────」
威風堂々。貫禄を見せながら、その場から動くことなく、腐敗の賢老は前面に魔力の盾を生み出している。クヴァールは不敵な笑みと共にこちらを見下ろしている。何の動揺も見られない。
「驚いた。まさかこれを防がれるなんてね」
それがあるのはこっちの方だ。未だに目の前の光景が信じられない。予測はしていたものの、受け入れがたいのは変わらない。当たってほしくない方ばかりに当たるのだから。
初見殺し。それが私のクヴァールへの対抗策だった。自らの魔法である
「それはこっちの台詞じゃのう。儂の生み出した
平静を装ってはいるものの、果たしてどこまで騙せているのか。クヴァールは手で顎をさすりながら、さながら研究者のように、私の魔法を解析している。とても魔法戦の、殺し合いの最中とは思えない振る舞い。
「たった一度見ただけでそこまで分かるのか。やっぱりお前は恐ろしいね。生かしておくわけにはいかない」
その姿に知らず息を飲み、背筋が冷たくなるのを感じる。これほどの緊張感はいつ以来か。八十年前の戦いの時以上かもしれない。私の嘘、魔法を瞬時に見抜かれてしまっている。たった一度見ただけで。己の魔法を奪われて、利用されているというのに。むしろ愉し気ですらある。自分の魔法の探求の成果が解析され、貶められるのをまさか実感させられるとは。ただただ恐ろしい。加えて
「それに驚いたのはそこだけじゃない。お前が防御魔法を使ったことだ。腐敗の賢老ともあろう者が、人類の魔法を使うなんてね。魔族の誇りはどこに行ったの?」
驚愕させられたのはそれだけではない。ある意味、私の魔法が解析されてしまったこと、通用しなかったことよりもそちらの方が問題だった。クヴァールがその手で弄っている魔法術式。それは防御魔法だ。人類の魔法でもある。それを魔族が、大魔族が使っているなど。魔族は人類の魔法を見下し、愚弄している。それほどまでに人類と魔族の魔法体系には大きな開きがある。
何よりも、クヴァールにとっては防御魔法は己の魔法を無力化した、殺した魔法と言っても過言ではない。嫌悪、忌避すべき物のはず。それを当然のように扱うなど。魔法使いとしても理解できない。
「まさかお前に魔族の何たるかを説かれるとは。立場が逆転してしまっておるのう。確かにその通りじゃ。たった数年で、それを忘れかけてしまうとは。やはり慣れというのは恐ろしいのう」
私の指摘でようやく思い出したかのようにクヴァールはそう吐露してくる。これではどちらが魔族か分からない。そんな皮肉めいた言葉と共に。そう、たった数年だ。八十年どころではない。私たちにとっては瞬きにも似た時間。たったそれだけの時間で、クヴァールは慣れてしまったと言っているのだ。魔族が。それがどれだけ異常なことか。
「簡単なことよ。この国ではそれが当たり前じゃからのう。教典と同じでの。フリージアの魔族はみな、アウラによって人類の魔法に精通することを強いられている。利用できる物なら何でも利用する、じゃったかのう?」
「さあ。どうだったかしら?」
白々しい態度を取りながら、その張本人は優雅に成り行きを見守っている。いや、観察しているのか。きっと、フリージアで支配されている魔族の連中は気づいていないに違いない。どんなに異常なことも、それが続けば、当たり前になれば日常になる。違和感を覚えなくなる。刷り込みと同じだ。違うのは、アウラのそれは服従の魔法による強制力があるということ。それに従わない、適応できない者は淘汰されていく。まさしく実験だろう。人間だけでなく、同族である魔族もまたアウラにとっては等しく実験対象でしかないに違いない。
「最初は思うところもあったが、存外これが面白くての。どうやら八十年は人間にとって相当長い時間らしい」
その結果がここにある。奇しくも、それが嚙み合ってしまった存在が。魔族においてなお、天才とされる賢老に、新たな知見を与えてしまった。それが何を意味するのか。人間にとっての、短命種にとっての八十年が長命種のそれとは違うということ。私もまた、理解し切れていない理を、大魔族が理解したとしたのならどうなってしまうのか。
「────では。今度はこちらのお披露目といこうかの」
宣言と共に、その掌をかざしながら、間髪入れずに魔力が、魔法が解き放たれる。
それはつい先ほどの再現、焼き回しだった。違うのはそれが鏡合わせのように真逆になってしまっているということ。
かつてグレーゼ地方の魔法使いの七割を葬った、黒い死の光が迫る。その速度も威力もかつての
それに合わせるように前面に防御魔法を展開する。現代の魔法戦の基礎でもある。魔法戦は防御の歴史でもある。
だが、何かが警鐘を鳴らしている。クヴァールと相対したからか。その時の記憶が、イメージが呼び起されたのか。いや、違う。それは可能性だった。魔法使いとしての、研究者としての私の予測。直感。
それによって知らず体が動いていた。無意識に。その刹那、
「──っ!」
気づけばそれが左腕を掠めていた。それによって服が破れ、負傷してしまう。痛みが襲い掛かってくるも、目は逸らせない。そのまま体を捻り、勢いを殺すように前方に転がり落ちる。何とか受け身を取れはしたものの、それだけだ。
すぐさま立ち上がり、杖を手にクヴァールに向かい合うも、どちらが優勢かなど誰が見ても明らかだ。
「流石じゃのう。今のを躱すとは。普通はそんなことはできぬのじゃが」
恐らくは必勝の魔法だったそれを躱されてしまったにもかかわらず、それを気にした風でもないクヴァール。どころかそれを感心されてしまう。油断と驕りではない。こいつは私がそれを躱すこともまた予測していたのだろう。でなければ説明がつかない。
「……なるほどね。防御魔法を貫通することに特化した物か。
息を整える時間を稼ぎながら、今度は私の解析を披露する。先の魔法の正体を。一瞬ではあったが、それは見て取れた。何よりも、その可能性を疑っていたからこそ。
「一度見ただけでそれを見抜くとは。他人のことは言えぬのう、フリーレン」
それはクヴァールの封印が解かれ、アウラに従わされていると知った時からの懸念だった。もしクヴァールが解き放たれ、現代に適応すればどうなるか。自らの魔法の現状を知ればどう動くか。決まっている。自分の奪われた魔法を取り戻そうとするだろう。
「これが儂の新しい魔法。『
それがこの魔法なのだ。かつての
「厄介な魔法だね。名前もね。趣味が悪い」
「名付けたのは儂ではない。文句を言われるのは筋違いじゃのう」
その名付け親はまるで気にした風もなくこちらを観戦している。この場はクヴァールに任せて自分は高みの見物を決め込んでいる。その両隣にいる護衛も動く気配はない。どうしたものか。魔法を使わせれば私の勝ちだのなんだとのたまっていたが、それを信じるほど私は愚かではない。かといってこの状況で勝機を見出すのも困難だ。
(とにかく今は目の前のクヴァールだね……何よりも、この魔法をどうするか)
思考を切り替える。今は目の前のクヴァールの対処が最優先だ。最低でもこいつだけは排除しなければならない。何よりもこの魔法だけは。これを放置するわけにはいかない。かつての
「アウラの真似ではないが、一つ教えておいてやろう。この魔法を知っておるのは一部の者だけ。決して外には洩れぬように徹底されておる」
他でもない、その魔法の生みの親によって否定されてしまった。
「……何でそんなことを私に教えるの?」
「また人類と一緒になって研究、解析されては敵わんからのう。今度はこの魔法を殺す魔法を生み出さなくてはならなくなる。終わらぬいたちごっこかのう」
思わずそう問いかけてしまった。およそ魔族からかけ離れた言葉の数々に。誰かの入れ知恵なのかそれとも。クヴァールはまるで見てきたかのようなことを口にしてくる。それは私に対する脅し、嫌みでしかない。自らの魔法を穢されたことに対する恨みなのか。
「それゆえに、この魔法を使うにはルールが決められている。この魔法を見せた相手を生かして返してはならぬという命令がの」
だというのに、本当に愉しそうにクヴァールは笑みを浮かべている。獲物を前にした獣のように。競い合う相手を前にした魔法使いのように。その命令もまたアウラによるものなのだろう。この魔法を独占するために。漏らさないために。クヴァールにとっては再びこの魔法を奪われ、貶められないために。何よりも
「では。儂の
その元凶でもある私、その屈辱を晴らす方法は一つだけ。魔法を以てして自らを証明する。盗んだ者と盗まれた者。偽物と本物。その差を分からせることだけ。
瞬間、無数の黒い極光が襲い掛かってきた。先のような直線、最短距離ではない。全方位を囲むような軌道を描いた無数の
これまでにないほど、飛行魔法に魔力を叩き込みながら高速移動を行う。だが屋内である以上、飛行には制限がかかってしまう。それを見越していたかのように、死の光が追い縋ってくる。まるで猟犬のように。どれか一つでも受けてしまえば、貫通され破壊されてしまう。
その過去が追い縋ってくる。魔法戦の歴史を変えた、強すぎた禁忌の魔法が蘇ってきたかのように。
それに抗う術はなかっただろう。これが八十年前であったのなら。
建物の隅。逃げ場のない場所に追い詰められながらも反転して着地する。そう、ここなら攻撃の方向を限定できる。同時に床に手を置き、魔法を発動させる。それに呼応するように隠されていた大地が隆起し、巨大な壁となる。
それによって、全てを貫通するはずの魔法はその力を失い、霧散していく。爪痕を残しながらも、それは私には届かない。
(やっぱりそうか……この魔法は防御魔法を貫通することだけに特化している。未完成なんだ)
念のために防御魔法を展開する準備を整えながらも、どうやら自分の見立ては間違ってはいなかったらしい。それは先の攻防で見抜いた新しいゾルトラークの歪さだ。
かつての
もちろんそれだけでも恐ろしい脅威だ。もしこの魔法を知らなければ、一般攻撃魔法だと思って防御魔法で受ければ、その瞬間、肉体を破壊されてしまう。現代の魔法使いにとっては最悪の不意打ち、騙し討ちになるだろう。
だが、そうと分かっているのなら対処は可能だ。戦い方を、以前に戻せばいい。防御魔法が存在しなかった魔法戦の意識へと。物質の防御が主流であった時代に。
「なるほど。過去の魔法戦の応用か。考えたのう」
そんなこちらの思惑など瞬時に見抜いたのだろう。本当に恐ろしい奴だ。現代の魔法戦すらも熟知してしまっているに違いない。違うのは、現代では圧倒的な質量での攻撃で防御魔法を破るのが定石となっているが、今私が行っているのはその真逆。質量による防御を主にしているということ。時代が逆行してしまっている。
いや、そうではない。進んでいるのだ。歴史が。クヴァールという魔族の天才が生み出した新たな魔法によって。
「ならこれならどうかのう」
だがそれすらも、腐敗の賢老には追いつけなかった。
(っ! これは……!?)
再び襲い掛かってくるゾルトラークを大地を操る魔法で防がんとするも、瞬間それは無数の穴だらけになって崩壊してしまう。大地を貫通してきた光が顔を掠め、頬が切り裂かれる。
その死の感覚に抗うように、防御魔法を展開するも、それもまた無造作に貫通され、今度は足を掠めていく。打ち抜かれなかったのはただの運だ。
そのままただ逃げ惑う。回避と防御に集中するも、クヴァールの攻撃を捌き切ることができない。何故なら
(二つのゾルトラークを織り交ぜている……!?)
クヴァールは過去と現在。二つの
必然的に、その両方を強いられてしまう。防御魔法も展開せざるを得ない。瞬時にそれを見抜き、応用してくる。
それが賢老とまで呼ばれる、魔法使いとしてのクヴァールの恐ろしさ。人類であれば、大魔法使いと称されるであろう、私よりも高みにいる魔法使いの力。
それによる魔力量の消費は膨大だ。私はクヴァールよりも魔力量は上回っているが、このままでは削り取られてしまう。アウラが控えている前でそれは自殺行為。あいつは魔法を使う気はないだと何だの言っていたが、嘘つきだ。いつ服従させられてしまう分からない。
(消耗戦になれば勝ち目はない……なら)
このままではジリ貧。勝機はない。だとすれば賭けに出るしかない。
そのまま一際大きな大地の盾を生み出す。私の姿が視認できないほどの。それによってクヴァールはかつてのゾルトラークによってそれを打ち抜いてくる。それを前にして、あえて防御魔法を展開しないことを選択する。これは賭けだ。その間に、魔力を込める。その身を晒しながら。
(────ここだ!)
自らの体を打ち抜かんとする光の弾丸を横目に、その姿を捉え、打ち放つ。ただの
たった一枚の、防御魔法の壁によって防がれてしまった────
「なるほどのう。魔力を圧縮した、防御魔法を貫通するゾルトラークか。やはり同じ魔法使い同士。行きつく所は同じじゃのう」
私の切り札を難なく防いだにもかかわらず、それを誇ることもなく、どころか賞賛してくる。どこまでもこいつは魔法が好きなのだろう。それを前にして、らしくなく私もそう思ってしまうぐらいには。
「よく言うね。その先にもういるくせに。自分の魔法を殺す魔法をもう生み出しているなんて。誰の入れ知恵?」
激しい魔法戦によってボロボロになってしまっている体を庇いながら、そう悪態をつくしかない。恐れを通り越してもはや賞賛するしかない。確かに私もこいつも、辿り着いた結論は同じなのだろう。形は違えど、防御魔法を貫通する魔法を目指したのだから。その方法論も完成度も私は及ばないが。
何よりもこいつはさらに先に行っているのだ。それすらも防ぎ切る防御魔法。自分の魔法を防ぐ魔法を。こちらの方が
「さての。儂らにはない発想なのは確かじゃのう。新しいゾルトラークも、この防御魔法も、フリージアにいる人間の魔法使いたちを利用して開発した物。協力と言った方がいいかのう」
それもまた、人類によって生み出されたものだった。これはかつて、私たち人類が通った道の再現なのだ。違うのは、魔族が人類を利用してそれをやってのけているということ。こいつらは、フリージアは人類よりも何十年も先の魔法の未来に生きている。
これではどっちが封印されていたのか分かったものではない。鍛錬を怠ったつもりはない。それでも、人類の集合知と魔族の天才の前には霞んでしまう。人類の恐ろしさを、私が思い知らされてしまっている。
(このままじゃ勝機はない。戦い方を変えないと……)
このままの攻防。魔法戦の行きつくところは、いかに相手より効率的に防御し、相手の隙を突くかにかかっている。単純に、魔法使いとしての技量の差が、そのまま勝敗に直結するということ。
それでは勝ち目が薄い。正面からの魔法戦では。魔力の偽装による騙し討ちもできない。
何よりもゾルトラークの応酬では、どうしても対処に隙が生じる。ゾルトラークは
だがクヴァールにそれはない。この魔法を誰よりも知っているのだから。そしてその遅れはクヴァールを前にしては致命的なものだ。
なら外的要因を巻き込むしかない。ゾルトラークだけではない、大規模な魔法戦。乱戦に持ち込む。逃げる、隠れる、不意打ちする。クヴァール本人ではなく、アウラを狙う。魔族であるクヴァールがそれで動じるかどうかは分からないが、隙を生み出すことはできるかもしれない。何にせよ、この状況を打破するために新たな手を。そんな私の思考は
「そろそろ頃合いね。時間切れよ、クヴァール。魔法使いごっこはここまでよ」
そんなアウラの横やりによってかき消されてしまう。それによって機先を制される。この場の空気が、一気に支配されてしまう。私にとっては、まさに最悪とも言えるような嫌なタイミングで。
「ふむ。できればもう少し楽しみたかったのだが」
「それは今度にしなさい。どうせ嫌でもさせられるわ」
それはクヴァールにとっても同じだったのか。それとも最初から予想していたのか。そんなよく分からないやり取りを二人が交わしている。分かるのはただ、これまでのクヴァールとの魔法戦もまた、アウラにとっては余興であったということ。それはつまり
「────待たせたわね。もういいわよ。『お姉ちゃん』」
これからが、アウラにとっての、私にとっての本番でもあるということ。
「………え?」
ただ困惑するしかない。お姉ちゃんという言葉に。お母さんでもない。命乞いにもならないであろう、理解できない言葉。
「うん! 任せてアウラ様!」
それに呼応するように、この場に似つかわしくない幼い声が教会に響き渡る。同時に、その護衛は蒼いローブを脱ぎ捨て、その姿を露わにする。
ただそれに目を奪われてしまう。分かっていても、それから目が離せない。時間が止まってしまったかのように。私とそう変わらない背格好の魔族の少女だからでも、その身に纏っている場違いなコルセットドレスのせいでもない。
ただその剣が、動きが瓜二つだったからだ。忘れたくても忘れられない。今は亡き勇者の記憶。それが呼び覚まされる。何故なら
「私は天秤のアウラの従者にして、蒼月のフェルンの姉! じゃなくって、勇者ヒンメルの一番弟子! 『例外』のリーニエ!」
その名乗りは、紛れもない、格好をつけた勇者そのものだったのだから────