例外のリーニエ。
そう目の前の魔族は名乗ってきた。嘘ではないのだろう。その存在を、私は知っていた。
曰く、生まれてから一度も人間を食べたことがない。
曰く、生まれてからずっと魔力を制限し、欺きながら生きている。
曰く、魔族でありながら勇者の名を冠する偽物の剣を振るっている。
そんな、信じられないような断片的な話。リリーとシュトロから聞かされたもの。その全てを鵜呑みにしていたわけじゃない。私が魔族を嫌悪し、疑っているのを抜きにしても、信じられるような事柄ではなかったのだから。ただヒンメルがアウラ以外の魔族と一緒に暮らしていたのは事実だ。この目でその痕跡を確かめもした。
その幻が、お伽噺が目の前に存在する。否定することができない。ただ目を奪われてしまう。戦いの最中、魔族の少女の立ち振る舞いに。
それはまさに生き写しだった。いくら魔族が人間の真似をする種族だとしてもあり得ない。擬態の域を超えている。
『僕たちの記憶は君が連れて行ってくれる。そうだろう?』
フォル爺のいた村で、そう頼まれたのを覚えている。その時に見せられた、記憶に焼き付いている、醜態とも言えるような下らないポーズの数々。それが目の前で披露されている。あり得ない。精神魔法でもかけられている。そうとしか思えない。
その手にある剣もまたそれだ。見間違えるはずのない、勇者の剣。その偽物。勇者ヒンメルを、本物の勇者にした剣。それが偽物ではないのだと、誰よりも私は知っている。
(っ!? 感傷は後だ……今は目の前の魔族を……!)
らしくない感情に蓋をする。いかな理由があれ、相手は敵。魔族だ。ならすることは決まっている。間違えるわけにはいかない。意識を瞬時に葬送の私へと切り替える。
敵の戦力分析。その手に持っている剣から剣士であることが窺える。魔族は己の魔法を探求する生き物だが、中には武を極めんとする個体もいる。ならこいつは将軍なのか。いや、それはない。魔力が僅かしかない。将軍どころか、一般的な魔族にも大きく劣る。だからこそ剣で補っているのか。どうしてアウラはこんな魔族を。ヒンメルの真似を仕込んで、私をからかいたかっただけなのか。だが
「────」
それは、致命的な油断だった。死の気配を感じ取る。先のクヴァールとの戦いで感じたものを遥かに超える、断頭台の気配を。
死神。ようやく私は理解する。思い知る。目の前の存在がまさに、自らにとっての葬送であることを。
「────っ!」
声にならない声を上げながら。ただ全力で体を反らす。理由はない。気づけば体が動いていた。反射。偶然。直感。そういった、およそ説明できないものによって、私は命を繋ぎとめる。
刹那。目の前を、冷たい金属の刃が通り過ぎていく。まるで時間が圧縮されたような速度で。それが走馬灯のようなものであると、私が気づくことができたのは。迫る勇者の剣を紙一重のところで躱したのだと気づけた後だった。
(これ、は……ヒンメルの……!?)
首の皮一枚。もし一瞬でも遅れていれば、私の首と胴は泣き別れていただろう。そうならなかったのは、かつてのヒンメルの動きを知っていたからこそ。今も目に焼き付いている、勇者の剣技。それがあったから。まさかそれをこの身に受ける日が来るなんて。
同時に目の前の魔族、リーニエと目が合う。そこには何もなかった。さっきまでのふざけた名乗りは嘘だったのではないかと思えるような、感情のない、鏡のような瞳。ただ獲物を狩らんとする、猟犬のような、冷徹な視線。
(まずい……! この間合いは)
その窮地に背筋が凍り、戦慄する。間違いない。こいつは戦士だ。魔法使いでありながら、剣士でもあるのだ。その恐ろしさ。間合いに入られれば、魔法使いはそれに太刀打ちできない。魔法の発動が間に合わない。不意打ちされれば、何もできずに命を落としてしまう。だからこそ魔法使いには、パーティには前衛が必要となる。なのに私はそれと相対してしまっている。まさに死地にいるのと同じ。
「っ!?」
気づけば視界からリーニエが消えていた。まるで瞬間移動してしまったかのように。それを前にして魔力探知も何もかもかなぐりすて、形振り構わず防御魔法を全速、全力で展開する。全方位に。
「ぐっ……!」
同時に衝撃が背後から襲い掛かってくる。目で追えない。分かるのは、魔力の壁が悲鳴を上げ、金切り音のような物が響き渡っていること。自分の背中が斬られずに済んだことだけ。
安堵する間もなく、振り返った瞬間、再び死角から斬撃が襲い掛かってくる。四方八方。全方位から。ただそれに耐えるしかない。最初の一撃のように避けることなどできない。
(速い……! これじゃあまるで)
速い。ただ速かった。ただの戦士ではない。この速さ。ヒンメルを彷彿とさせるものがある。相手が魔法を使う前に斬ればいい。そんなふざけたことを口にし、実現していた化け物。その模倣なのか。その剣の威力はヒンメルには及ばないのだろう。もしそうなら防御魔法ごと切り裂かれていたに違いない。
だがそれだけだ。その動きを私は視認できない。この至近距離、戦士の間合いでは。その連撃によって防御魔法が魔力と共に削られていく。消耗させられてしまう。防御魔法の全面展開は凄まじい魔力を消費してしまう。いくら私でも長くは保たない。このままでは嬲り殺しにされてしまう。
(なら……!)
剣舞のわずかな隙間。それを必死に見極め、魔法を狙う。
魔法使いが戦士の間合いでは不利であるように、戦士もまた魔法使いの間合いでは不利なのだ。どちらの間合いで戦えるか。それが魔法使いと戦士の戦いの全てと言ってもいい。それを取り戻さんとするもそれは
まるで最初からそこにいたかのように、私が魔法を使おうとした瞬間に、先回りして剣を突き入れてくる例外によって瓦解した。
「────」
反射的に身を捩り、何とか体を貫かれるのを避けるも、その衝撃と冷たさに息を飲む。恐らくは、私が
そのまま防御魔法を強引に解除する。その余波によって、リーニエを吹き飛ばすために。同時に杖を向ける。守るためではなく、攻めるために。間合いの取り合いでは勝負にならない。守りに入れば勝機はない。なら強引にでも攻めること。刺し違える覚悟でなければ、こいつには対抗できない。
そのまま
だがその全てが躱されてしまう。まるで踊るように、一部の無駄もなく。こちらの攻撃を予知しているかのように。その悪夢のような光景に、ただ息を飲む。
それはまさに、かつてのヒンメルの再来だ。魔力探知ができないはずの、持たざる者の強さ。それとも他の理由なのか。何にせよ、私の魔法を見切られてしまっている。魔族を殺す魔法は空を切り、例外の魔族の刃が迫る。それを目前にして、使う魔法を切り替える。
瞬きにも似た時間の合間。自分に迫ってくる勇者の剣が届くよりも、刹那早く。
瞬く間に業火が辺りを飲み込んでいく。まるで暴発、魔法が失敗してしまったかのように。だが違う。それが私の狙いだった。
馬鹿正直に正面から狙っても、不意を突いても見切られてしまう。なら自分も巻き込む形で魔法を使うだけ。その角度と威力を、自分へのダメージが最小限に抑えられるようにコントロールしながら。
「……っ!」
それでも熱風は抑えきれない。それによって皮膚は火傷を負い、息ができない。目を開けるのも困難なほど。教会という屋内で使ってしまった弊害。それだけの被害を負ってなお
(無傷、か……分かってはいたけど、骨が折れるね)
例外のリーニエは健在だった。どころか服に汚れ一つ見られない。あの至近距離で同じように爆発を受けたはずなのに。恐らくは後方に飛んで、爆風を回避したのだろう。こっちはそれを受け流せなかったというのに。
それでも、最低限の収穫はあった。それは間合いだ。リーニエの間合いの、恐らくは一歩外に身を置くことができた。代償がそれに見合うかは別として。ようやく勝負ができる土台に上がれた、といったところ。
「…………」
本当にでたらめな奴だ。さっきまで一気にこちらを切り伏せる勢いだったのに、今はそれが嘘のようにこちらの様子を窺っている。まるでヒンメルを相手にしているかのよう。血の気が多いように見えて、ヒンメルもまた臨機応変だった。勝てない相手からは撤退をすぐさま選べるほどに。
まさか勇者を相手にする魔族の気分まで味わうことになるなんて。悪趣味にもほどがある。
すぐさま態勢を整え、体に纏わりついてくる煤を払いながら、再び勇者の偽物と向かい合わんとするもそれは
「すごいね! 初めてなのに、騙されないなんて! まるでレルネンみたい! 流石はフリーレンだね!」
「…………え?」
まるで憧れの人に出会えた子供のように、目を輝かせてこちらを賞賛してくる例外によって、肩透かしにあってしまった。
「それに私とお揃いだね。全然魔力の揺らぎが見えないもん。ヒンメルから聞いた通りだ! あ、そういえば会えたら聞いてみたかったことがあったの。どうして」
「そこまでになさい、リーニエ。お喋りは禁止よ」
「むぅ…………」
もう抑えきれないといった風に、次々にこちらを質問攻めにしようとリーニエが興奮しているのを、アウラが窘め、諫めている。それはまさに小さな子供同然だった。無邪気な、いや、無垢な子供。さっきまで殺し合いをしていたというのに。悪意が全くない。いや、当然だ。こいつには、魔族にはそんなものはないのだから。まるで嘘をつくことができないかのように。ただ思ったことを口にしているかのよう。
「……今度は家族ごっこってこと?」
「まさか。この子は従者。私は主人だもの。
極めつけがそんな二人のやり取りだった。まるでそう、親子のような。一体何の冗談なのか。嘘をつくにしても度が過ぎている。家族なんて概念、魔族にはないというのに。ごっこ遊びの延長なのか。それをアウラも否定してくる。主従なのだと。それが嘘か本当なのか。もはや私には見抜けない。その意味ももはやない。分かるのは
「どう? あいつの一番弟子は?」
『どうだい、フリーレン。僕の一番弟子は?』
この子、リーニエが間違いなく、勇者ヒンメルの一番弟子だということだけ。
「嬉しそうだね、アウラ。そんなにその子を見せびらかしたかったのか」
「ええ。あんたのその顔が見たかったのよ。それに見せびらかしたかったのは私じゃなくて、ヒンメルの奴でしょうね」
まるで、ヒンメルならそうしたかのように、その一番弟子を自慢してきているアウラ。こいつまでヒンメルの真似をしているのか。私が今どんな顔をしているかなんて、確かめるまでもない。こいつが愉しそうに嘲笑っているのが答えだ。
「この子にあんたの真似を仕込んだのもヒンメルよ。剣技を仕込んだのもね。勇者が魔族を一番弟子にするなんて、悪趣味よねぇ?」
そして明かされる、知りたくもなかった悪夢の数々。本当にあの勇者は一体何をしているのか。魔族を弟子にして、育てているなんて。どこまで見越していたのかは分からないが、きっと最初は思いつきだったに違いない。それをここまでにしてしまうなんて。あまつさえ、魔族にそれを揶揄されている。
「極めつけがその剣ね。本物の勇者が、偽物の勇者の剣を魔族に譲るなんて」
裁判ごっこではないが、それが何よりの物的証拠だ。あの剣は、ヒンメルにとっては魂も同然だった。半身と言ってもいい物。それを託している。それ以上の答えはない。違うのは
「違うよ、アウラ様。これは勇者の剣じゃなくて、ヒンメルの剣だって」
「命令違反ね。あとでお仕置きよ、覚えておきなさい」
「……うぉぉん」
その意味を、アウラも、リーニエも理解しているということ。譲る、という言葉。ただの剣ではなく、ヒンメルの剣であるということ。そのどれも、普通の魔族には理解できない、気づけない概念だ。
だというのに当の本人たちは、そんな下らないやり取りをしている。ごっこ遊びも、ここまですれば、もはや本物だろう。
「見ての通り、余計なことばかり教え込んでくれてね。さっきの名乗りもそうよ。どうしてあんな下らないことばかりこだわるのかしら」
余計なことを言って、意気消沈してしまっているリーニエを前にして、そんな言葉を漏らしているアウラ。まるで子育てに翻弄されているお母さんのような有様。それすら、もう当たり前のことなのだろう。だからこそ気づけていないのだろう。
「そんなの決まってる。格好いいから。ヒンメルならそう言うだろうね」
『格好いいからに決まってるじゃないか!』
勇者が、戦士が名乗りを上げる理由なんて、他にあるわけがないのだから。
「────いいわ。認めてあげる。あんたは勇者一行の魔法使いよ、フリーレン」
何がお気に召したのか。それともまた何か嫌がらせを思いついたのか。アウラは気味の悪い笑みを浮かべながら、そんなことを口にしてくる。ある意味、罵倒されるよりもよっぽど気味が悪い言葉。
「気持ち悪いね。何のこと? 裁判ごっこは終わったんじゃなかったの?」
「そうだったわね。なら人形遊びもそろそろ終わりにしようかしら」
自分が言っていたことをもう忘れてしまっている。散々私のことを馬鹿にしておいて、一体何様のつもりなのか。同時に、ようやく遊びも終わりだとばかりに、アウラはその手に魔力を込め始める。それを前にして、こちらも身構えるもそれは
一面を埋め尽くさんばかりの、紫の花によって目を奪われてしまった────
先程までの戦いで、荒廃してしまっている教会の床一面に、花畑が生まれている。魔力の調整を間違えたのでは思えるほどの、満開の花たちが。戦いの場であっても、それを忘れてしまうような美しさと共に。
「……何のつもり?」
「見ての通り。花畑を出す魔法よ。あんたのせいで私も使えるようになった魔法よ」
「私は関係ない。それはヒンメルのせいだ。一緒にするな」
そんな私の反応をどう捉えたのか。今度は怖気が走るようなことを口走ってくる。冗談じゃない。魔族に魔法を教えるなんて、死んでも御免だ。ましてやこの魔法を。私にとっては侮辱でしかない。一体何度、私はこれを見せられるのか。魔法に罪はないが、この魔法が嫌いになってしまいそうだ。
「同じようなものよ。この花もね。これはあんたへの手向けの花よ」
だがそれすらも、利用するのがこいつらしさなのだろう。まさかそんな悪意を込めた行動だったとは。同じ花でも、使い方によってはそうも利用できるのか。言わば宣戦布告。いや、最終通告なのか。趣味が悪い。
この花もまた知らない花だ。蒼月草ではない。どこかで見たような気はするが。考えるだけ無駄だろう。どうせ碌でもない意味が込められているに違いない。
「次の一手であんたを服従させるわ。命乞いをするなら聞いてあげるわよ? 私はあんたと違って命乞いには耳を傾ける主義なの」
それはまるで予言だった。まるでゼーリエのように。未来を見通せるかのような振る舞い。いや、こいつにとってはこれはチェスのようなものなのだろう。私たちを駒に見立てて、遊んでいる。なら私はチェックをかけられた、魔法使いの駒か。侮られたものだ。本当に、女神様にでもなったつもりらしい。
「よく言うね。シュトロの命乞いで助かったくせに」
「そうね。あいつは年老いてもクソガキのままよ。いい迷惑ね」
命乞いなんて、する気もない。きっとこれから先もずっと。もうそれは聞き飽きている。それをする気なんて起きない。無駄なのだから。それが通用するのはきっと、お人好しの誰かぐらい。私には、もっとも縁遠い話だ。
「……本当に負けず嫌いね、あんたは。いいえ、頑固者かしら。仕方ないわね。あんたたち、引導を渡してやりなさい」
その天秤をかざしながら、天秤は最後の命令を駒へと告げる。盤面は整った。あとは、詰めるだけだと示すように。
「うん! 行くよ、お爺ちゃん!」
「ふむ。主従揃って老人を酷使しよる。よかろう。好きに動くがいい。後は儂が合わせるとしよう」
それに駒たちは応える。その掌の上で。踊るように。
葬送もまたそれに対する。自身そのものでもある、魔法使いの駒を動かしながら。最後の攻防を制するために。
だが葬送は知らない。気づけない。自分が相手にしているのが誰であるのか。これはごっこ遊びでも、ゲームでも、もはや勝負ですらない。ただの騙し合いであることに。
紫の
長くなりましたが、番外編も残り三話になります。最後まで楽しんでもらえると嬉しいです。では。