ヒンメルはもういないじゃない【完結】   作:HAJI

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第十八話 「閉廷」

「どうしたの? 女神の奴に命乞いでもしてるのかしら?」

 

 

変わらず、玉座から私を見下ろしながら天秤が告げてくる。ただ黙ってそれを聞くことしかできない。命乞い、か。こいつらしい言い方だ。祈っているの方が正しいだろう。

 

今私は膝を地面に着いたまま、首を垂れているのだから。手には杖もない。そのまま両手を結べば、祈りを捧げる信徒のように見えるのだろう。

 

それは決してこいつに下ったからではない。ただ、知らずそうなってしまっていた。身体的にも、精神的にも限界だったのか。それを超えてしまったからか。

 

だがこの感覚を、私は知っている。ヒンメルが私を連れ出してくれる前の、怠惰な空虚感。心が折れ、あきらめてしまっていた頃。どうやら、また私はそうなってしまったらしい。

 

 

「…………魔族にするよりはマシかな」

「ふぅん……まだ減らず口を叩ける元気はあるみたいね」

 

 

再び杖を手にする気も、立ち上がる気も起きない。動かせるのはこの口ぐらいか。それほどまでに

 

 

「どう? 人間に負けた気分は?」

 

 

私は、こいつに完膚なきまでに負けてしまったのだから。

 

 

「……今までも人間の魔法使いに負けたことはある」

「そう。何の自慢にもなってないわね。負け惜しみかしら?」

「…………」

 

 

それを口にしたくなくて、みっともなく言い訳するも通用しない。嘘は言っていない。私はこれまでの人生で、自分より魔力の低い魔法使いに十一回負けたことがある。そのうちの六人は人間だった。それが更新されただけ。けれども、ここまで完膚なきまでに負けたことはなかった。ゼーリエの奴の戯言を思い出してしまうほどに。

 

 

「それで? その子は何?」

 

 

それが目の前にいる人間の女の子だった。今私が生きているのはこの子の気紛れだ。あのまま打ち抜かれていれば私は命を落としていたのだから。だがその不可視の一撃は、私を貫くことはなかった。ようするに見逃されたのだ。

 

改めて見ても、洗練された魔力だ。この年で、どれだけの研鑽を積んだのか。才覚だけではあり得ない。

 

そのまま少女は杖を構えたまま、何を言うでもなく立ち尽くしている。いや、アウラの命令を待っているのか。

 

 

「そういえばあんたは知らなかったのね。いいわ、名乗ってあげなさい」

「?」

 

 

それが下される。どうやら私はこの子の正体を知っていてもおかしくなかったらしい。名乗るように催促されているだけなのに、少女はどこか戸惑うような様子を見せている。一体何を気にする必要があるのか。そう疑問を抱くもそれは

 

 

「私は天秤のアウラの一番弟子にして、例外のリーニエの妹! 蒼月のフェルン……です」

 

 

そんな、本日二度目になる勇者から継承されている名乗りによって解消される。

 

意を決したように、その杖を振り回し、変なポーズを取ったまま、震える声でフェルンは名乗りを上げる。リーニエとは違って初々しい、たどたどしいもの。その証拠に、顔を真っ赤にし、体を震わせている。格好をつけるために。

 

それに呆気に取られている私よりも、その後ろに控えている誰かにフェルンは視線を向けている。一体誰なのか。それは

 

 

「格好良いよ、フェルン! それに凄かったよ! フリーレンを倒しちゃうんだから!」

「いえ……姉さんも格好良かったです。怪我はないのですか?」

「うん。平気だよ。フェルンは心配性なんだから」

 

 

まるで妹の晴れ舞台を前にした姉のように、目を輝かせ、手をパチパチと叩きながら喜んでいるリーニエを気にしてのことだったらしい。間違いない。リーニエが、この子、フェルンにそれを仕込んだに違いない。ヒンメルがそれをリーニエに教え込んだように。

 

それが上手くいったからか、無事を安堵したからか。二人の少女は楽しそうにおしゃべりしている。まるで仲の良い姉妹のように。きっと二人にとってはそれが当たり前の日常なのだろう。

 

 

「魔族が人間の子を一番弟子にするなんて。趣味が悪いね」

「あらそう? それは魔族の子を一番弟子にしてるあいつに言ってやるのね」

「…………」

 

 

精一杯の悪態だったのに、それも言い返されてしまう。藪蛇でしかない。ようするに、全部ヒンメルのせいなのだ。本当にあのお人好しの勇者は。私が未来に記憶を連れていくまでもない。もうそれは繋がっている。

 

 

「止めを刺さないの?」

 

 

そんな浮ついた空気に水を差すように、あえてそう告げる。そう、まだこの裁判ごっこは終わっていない。閉廷には至っていない。その判決を下すのは他ならぬ天秤なのだから。だが

 

 

「それを決めるのはこの子よ。この子は南側の戦災孤児でね。ハイターの奴が拾って育ててたのよ」

 

 

その権利をアウラは放棄する。いや譲渡する。目の前の少女、フェルンに。その資格がこの子にはあるのだと。

 

南側の戦災孤児。それだけで十分だった。なるほど。それで証人か。二人目の証人云々はこの子のことだったのか。本当に用意周到な奴だ。もしあの場でこの子を呼び出していれば、その時点で私は敗訴していたほどの切り札だろうに。あえてそれを切らなかったのだから。

 

 

「あいつもヒンメルと同じで、私をあんたと勘違いしてね。この子を私に押し付けようとしてきたのよ。私に従うのを条件に引き受けてやったってわけ。いい迷惑ね」

 

 

同時に、フェルンがハイターの秘蔵っ子だったことも。ハイターが子供を預かっていたのは私も聖都で聞かされていたが、まさかこの子だったとは。それを私の代わりにアウラに預けようとしていたということか。アウラではないが、私も文句の一つも言いたくなる。こいつと私を一緒くたにするなんて。

 

なら、この子はもしかしたら私が預かっていたかもしれなかったのか。いや、それはないだろう。ハイターの預かっている子を、魔法使いの私が連れて行けるわけがない。そもそも私に子育てなんてできるわけがないのだから。

 

 

「さっき言った通りよ。こいつをどうするかはあんたが決めなさい、フェルン」

 

 

まるで母親のように、アウラはそうフェルンに言いつける。先の戦いの際と同じように。あれは、フェルンに向けた言葉だったのだ。

 

それによってフェルンは改めて私を見つめてくる。目を背けたくなるような視線と共に。いや、それは私だけなのか。フェルンはその瞳を閉じながら。

 

 

「私は何も。それはアウラ様が決めてください。私はフリーレン様を恨んだりはしていません。私の家族を、故郷を奪ったのはフリーレン様ではありませんから」

 

 

そう判決を下す。ある意味で、当たり前の真理。それでも、人間であるなら抗えない悪意を退ける、人間としてのこの子の強さと優しさ。

 

 

「そう。つまらないわね。シュタルクと同じ答えってわけね。似た者同士お似合いよ」

「どうしてそこでシュタルク様が出てくるんですか?」

「さあ、どうしてかしらね」

 

 

きっとアウラはそれが分かっていたのだろう。それでもつまらなさげにしながら、フェルンを弄っている。それによって年相応、いや、幼い子供のように頬を膨らませてむすっとしてしまうフェルン。まるで親子のようなやり取り。本当に似合っていない。鳥肌が立ってしまいそうだ。夢なら覚めてほしい。

 

 

「まあいいわ。それであんたは従う気になった? 何なら今度は私が相手をしてやってもいいわよ?」

 

 

一通り満足したのか。今度はその手にある天秤を振りながら、私を煽ってくる。その笑みは嗜虐に満ちている。さっきまでのお母さんごっこが嘘のように。いや、もしかしたらどっちが嘘なのか、もう分かっていないだけなのかもしれないが。分かるのはただ

 

 

「好きにすればいい。服従の魔法(アゼリューゼ)でも何でも使えばいい。私はお前に負けた。それだけだ」

 

 

私は魔法使いとして、こいつには敵わないということだけ。

 

それは最初から分かっていたことだ。あの青い花、蒼月草の花畑を見た時から。

 

魔法はイメージだ。イメージできないことは実現できない。私はこいつの魔法には敵わないと思ってしまった。それが答えだ。

 

加えて、こいつにあいつの、ゼーリエの面影すら見てしまった。あいつに勝つイメージは未だに持てていない。なら、この結果は必然だった。

 

それを認められなくて。こんなことをしていただけ。子供の駄々のようなもの。それでも、抗わずにはいられなかった。何故なら

 

 

「嘘ね。あんたが今考えていることを当ててあげる。仲間がいれば負けなかった。そうでしょう?」

 

 

私が負けたのは、仲間が、みんながいなかったから負けたのだと思われたくなかったから。

 

 

「……そうだ。みんながいれば、お前なんかに負けたりはしなかった」

 

 

それを無様に見抜かれながら、ただ正直に告白する。懺悔する。ここでは嘘はつけない。それだけは。みっともなくても、負け惜しみだとしても、それだけは嘘ではない。

 

ヒンメルが、ハイターが、アイゼンが、私が。みんながいたから魔王を倒せた。誰か一人でも欠けていたら成し遂げられなかった。だから、それが欠けてしまった今、こいつに勝てなかったのは当然だ。

 

勇者一行が負けたわけじゃない。みんながいれば、どんな相手にも負けたりしない。絶対のイメージ。それが私の最高の魔法だ。なのに

 

 

「だ、そうよ? 良かったわね、あんたたち。生きている間に薄情者の本音が聞けて」

「え?」

 

 

その魔法すら、アウラには通用しなかった。

 

 

「そう言われると照れるな」

「ですね。ヒンメルにも聞かせてあげたかったですね」

 

 

聞き覚えのある声が、耳に響いてくる。空耳かと思うような声。でも間違いない。私は覚えている。それを忘れたりはしない。だからこそ、信じられない。

 

 

「ハイター……アイゼン……?」

 

 

知らずその名を口にしてしまっていた。耳だけではない。目もおかしくなってしまったのか。

 

そこには、見慣れた二人の姿があった。白髪になってしまった、年老いた生臭坊主に、外套で衰えた肉体を隠している、臆病な戦士。

 

 

「おや、そう呼ばれるのは久しぶりですね。ここでは私はエーヴィヒなので」

「俺はアゴヒゲだ」

 

 

そんなこっちの気も知らないで。記憶の通り、何でもないように、飄々とした態度を取っている二人。私が見ている夢にしても、もう少しマシにならなかったのか。言っていることの何一つ理解できない。

 

 

「……どうやら全く気づいていなかったようだな」

「私の魔法もまだまだ捨てたものではありませんね」

 

 

そのまま固まってしまっている私にようやく気付いたのか。二人とも顔を見合わせている。徐々に私の頭も動き始める。目の前の状況に適応するために。

 

そこでようやく気付く。二人がまるで最初からそこにいたかのように現れたことに。同時にハイターの手にした教典と魔力に。思い出す。それが女神様の隠密魔法であることに。冒険したての頃、よく使っていた手段。それはつまり

 

 

「死んじゃったんじゃなかったの……?」

 

 

目の前の二人が、幻でも何でもなく、生きたまま姿を隠していたということ。

 

 

「見ての通りですよ。格好をつけて死ぬというのも難しいですね。やはり酒は百薬の長だったのでしょう」

「お迎えが来る前に教典は直しておけ、ハイター」

 

 

悪戯がバレてしまったかのように、罰が悪い顔をしながらも、そんないつものように聖職者とは思えないようなことを口にしている生臭坊主。それに呆れているアイゼン。きっとヒンメルがいれば、それに加わっているに違いない。そんな、つい最近まであったはずの、懐かしいやり取り。

 

 

「久しぶりですね。フリーレン。あなたにとっては最近かもしれませんが」

「ハイター、甘やかしすぎだぞ」

「おや、あなたがそれを言いますか。見ているだけなのが我慢できずにそわそわしていたようですが」

「違う。あれは怖くて震えていただけだ」

「どうしてそんな嘘つくの、アイゼン?」

 

 

それが、こんなにも嬉しい。思い出す。そうだ。これがこいつらだった。本当に下らない、それでも楽しかった旅。私はもう忘れ始めていたのだ。それに気づけていなかった。

 

 

「どうして……」

 

 

もう何度目になるか分からない言葉。何故。どうして。何も知らない、私の口癖。そのままに、知らず縋るようにアウラへと目を向ける。踏ん反り返りながら、どこか愉し気にこちらを見下ろしながら、傲慢、不遜に振舞っている天秤。

 

 

「────言ったはずよ。私は魔族(嘘つき)なのよ。あんたと違ってね」

 

 

それが宣告する。嘘を告白する。子供でも分かるような、当たり前のことを。私は最初から、こいつに騙されてしまっていたのだ。何が葬送だ。こんな子供騙しにも引っかかるなんて。森があったら篭りたい。

 

 

「────っ」

 

 

言いたいこと、聞きたいこと。文句も山ほどある。それでも。それが言葉にならなかった。出るのは、自分の物とは思えない、嗚咽だけ。

 

みんなの寿命は短いって分かっていたのに、なんでもっと知ろうと思わなかったんだろう。

 

取り返しがつかない過ち。それを繰り返さずに済んだ。みんなと、また会うことができた。ただそれだけ。

 

 

「────ゔっ」

 

 

口の中が苦くて酸っぱい。まるで玉ねぎを食べてしまったみたいに。苦い薬を飲んだみたいに。それは涙だった。最近よく流していた涙ではない。悲しいからではない。それは

 

 

 

『どうして人間はいつも、嬉しいのに涙を流すのかな』

 

『君は流したことがないのかい、フリーレン?』

 

『ないよ。みんなに年寄り扱いされて泣いたことはあるけど』

 

『そ、それはまた別かな。ちなみに僕は言ってないからね』

 

『でもきっと君にも分かる時が来るさ』

 

『どうして?』

 

『君はそういう奴だからだ』

 

 

 

生まれて初めて流す、嬉し涙。

 

生まれて初めて、魔族に泣かされることによって。

 

 

「────」

 

 

それがこの長かったエルフ狩りという名の裁判の閉廷。アウラが勇者一行を再会させた(手に入れた)瞬間だった────

 

 

 

 

 

 

それから七日七晩、エルフの泣き声がフリージア中に響き渡ることになるのだった────

 

 




次話で最終話となります。お楽しみに。
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