第二十三話 「同族嫌悪」
温かい日差しと鳥のさえずりの中。一人の少女が目を閉じたまま座している。その存在感はほとんど感じられない。周りと一体となっているような、そんな光景。それを示すように少女、フェルンの頭の上には小鳥がとまっている。卓越した魔力操作の技術の証明。人間よりも遥かに鋭い感覚を持っている鳥はもちろん、他の動物たちも全く警戒していない。だが何かに気づいたのか。小鳥は慌てたようにフェルンの頭から飛び立ってしまう。何故なら
「おはよう、フェルン。ごめん、邪魔しちゃったね」
もう一人の、エルフの魔法使いがこの場に現れたから。それがフリーレンとフェルン。仮の魔法使いの師弟の日常だった。
「いえ、おはようございますフリーレン様。珍しいですね、こんなに早く起きてこられるなんて」
「でしょ? 最近調子が良いんだよ。ハイターにも褒められたんだから」
むふー、と胸を張りながらそう誇示する。そう、私は最近調子が良い。一週間に一度はこうして早起きできるようになった。格段の進歩だろう。それを理解しているのか、朝からハイターに褒められてしまった。もちろん飴は断ったが。
「よいことでございますね。私もハイター様に褒めてもらえると嬉しいです」
「そうだね。でも頭を撫でてくるのは別かな。子供扱いされてる気がするしね」
それを察したのか、それともハイターの話題だったからなのか。修行を邪魔してしまったことを全く気にしたそぶりもなくフェルンも嬉しそうにしている。フェルンと私を同列に扱っているのは思うところがあるが仕方がない。千年以上生きている私を褒めてくる奴なんてハイター以外にいないのだから。頭を撫でてくるのだけは勘弁だが。
「それにしても驚いたよフェルン。たった一月でここまで成長するなんて」
「まだまだです。一番岩を打ち抜けていませんので」
「そう」
心からの称賛だったのだが、お世辞だと思ったのか。フェルンはそう謙遜している。一番岩を打ち砕き、一人前になるまではきっとずっとこうなのだろう。フェルンに魔法を教え始めてたった一か月。なのにその成長速度は目を見張るものがある。人間というのは本当に成長するのが早い。エルフの私からすれば瞬きするような時間で別人になってしまう。かつてゼーリエが言っていたように、私も研鑽を怠らないようにしなければ。
そんな中、ふと思い出す。ここ一月、中々機会がなかったので聞くことができていなかった事。今ならちょうどいいかもしれない。
「そういえばフェルンはあいつ……アウラから魔法は教わらなかったの? 一月はここにいたんでしょ?」
それは断頭台のアウラのこと。ちょうど一月前に知った事実。結局ハイターには煙に巻かれてしまい、何度か聞いてみたがのらりくらりとかわされてしまった。どうやら私に話す気はないらしい。ならあとはフェルンに聞くしかない。もっともフェルンも教えてくれるとは限らないのだが。
「はい。私の方からお願いしたのですが、断られてしまいました。魔族だから人間である私には魔法は教えられないと」
「そっか。まあそうかもね。私たちと魔族では魔法についての感覚が大きく違うから」
だがフェルンは素直にそれを教えてくれる。ハイターとは違って真っ当に育っているらしい。喜ばしいことだ。そして違う意味で真っ当なことを言っていたらしいアウラ。魔族と人間では魔法に関する認識も大きく異なっている。息をするように、歩くように飛行魔法を使う連中だ。そもそも同族同士で魔法を指南し合っているかどうかすら怪しい。もっとも魔族に魔法を教えてもらおうとしているフェルンが一番おかしいのだが、そこは子供なので仕方ないだろう。
「ですが私がきっと落ち込んでいるように見えたんでしょう。その時アウラ様は何も言わずにこの花畑を出す魔法を見せて下さったんです」
フェルンは鞄から取り出した一冊の魔導書を宝物のように抱えながらそう教えてくれる。花畑を出す魔法。きっとそれであの蒼月草の花畑を見せてもらったのだろう。だがその意図が分からない。フェルンを騙すためだったのだろうが、何故そんなことをする必要があったのか。同時に微かな違和感。何だろう。昔、何か似たようなことがあったような気がする。
「それがその魔導書?」
「はい。アウラ様に頂いた物です。こんな大事な物は頂けないと言ったのですが自分にはもう必要ない物だからと」
「ふぅん……アウラには似合わない魔法だね」
「? そうなのですか?」
「少なくとも私が知ってるアウラはそんな魔法を使うような奴じゃなかった。そもそも魔族は自らの魔法を探求することに固執するから、普通は人間の魔法を使ったりはしないんだけどね」
魔族は皆、生涯一つの魔法を探求する生物。一般的な魔法についてはその限りではないだろうが、人間の民間魔法のような類の魔法は見下し使用しないことがほとんどだ。アウラもその例には漏れないはず。一体何があったのか。
「……そうですか。ですがアウラ様は他にも色々な魔法を知っておられるようで、これ以外にも魔導書をたくさん下さったのです」
「他にも?」
「はい。ここにおられる時にはこの魔導書しか持っていなかったらしいのですが、ここを発たれてからしばらくした後にたくさんの魔導書を贈って下さりました」
「贈り物……か。思ったよりも厄介なことになってるみたいだ」
ますます疑念が深まっていく。贈り物。魔族が人間に。あり得ない。だが現実にそれが起こっている。そしてその効果は覿面だろう。その証拠に目の前にいるフェルンは完全にアウラを信用し切ってしまっている。魔族の思う壺。けれどフェルンは決して愚かではない。歳からは考えられないほど聡い子だ。それをここまで騙すなんて。一体どれだけ人間の心理を理解しているのか。これまで出会ってきた魔族の中でも際立っている。そもそもアウラはそういったタイプの魔族ではなかったはず。アウラに限らず大魔族の連中はそんな手を使わずとも人間を捕食できるのだから。逆に言えばそんな大魔族がいるとすれば人類にとってはとんでもない脅威になりかねない。
「……フリーレン様?」
「ごめん、ちょっと考え事してた。それで、他にはどんな魔導書をもらったの?」
知らず思考に耽ってしまっていたのか。不思議そうにこちらを窺っているフェルン。それを誤魔化すようにそう尋ねる。特に意図したわけではない繋ぎの質問。だがそれによって
「そうですね……確か服を乾かす魔法や髪を乾かす魔法、あとはお酒からアルコールだけを抜く魔法でしょうか。他にもたくさんあったのですが、どれも役に立ちそうなものばかりでした」
「っ!? 服と髪を乾かす魔法……!?」
私はただ驚愕の声を上げてしまう。先のアウラの件に匹敵しかねない衝撃。
「? はい。珍しい魔法なのですか?」
「珍しいなんてものじゃないよ。それは神話の時代から存在したとされる伝説級の魔法だよ。ずっと探してたのに、そうかあいつが持ってたのか……」
知らず悔しさで指を嚙んでしまう。服と髪を乾かす魔法。それは私がずっと探していた魔導書だった。伝説級の魔法と呼ばれるだけはあり、この数百年探しても見つけられていなかった代物。手に入れるにはゼーリエにでも教えてもらうしかないとあきらめていたのだがまさかこんなところで。しかも持っていたのがあのアウラ。驚くしかない。
「そんな貴重な物だったのですね。本当に申し訳ないです。でも、間違えたのでしょうか。一冊だけ役に立たない変な魔導書が混ざっていて」
「……どんな魔法?」
「シロップを出す魔法です。そんな物を出してどうするんでしょうか?」
「――――」
今度は言葉を失ってしまう。夢でも見ているのか。どうして今日に限って自分が探し求めていた魔法ばかり見つかるのか。役に立たないなんてとんでもない。それは私にとって伝説級と言っても過言ではない魔法。その真価はかき氷を出す魔法と組み合わせることで発揮される。それがあればハイターにあの時できなかった完全なかき氷を食べさせることができる。アイゼンを見返してやることも夢ではない。
「……フリーレン様?」
「ごめん、また考え事してた。そういえば私もフェルンに聞いておきたいことがあったんだ」
「聞きたいこと、ですか?」
「そう。アウラのことなんだけど……どう感じた? ここに一月はいたんでしょ? どんな感じだったか教えてもらえると助かるんだけど」
「どう感じたか……ですか」
興奮を抑えながら話題を変える。仮とは言え私はフェルンの師匠。情けないところは見せられない。何よりもアウラのことを知る必要があった。フェルンはもちろん、ハイターの話から今のアウラが私が知っているアウラとは違うのは明らか。ならそれを知っておかなければ戦う際には致命的な間違いに繋がりかねない。そう思っての質問は
「……お母さん」
「え?」
「お母さんみたいだな……と思いました」
全く理解できないフェルンの解答によって、完全に無意味と化してしまった。
「……? お母さん……? あいつ、フェルンに命乞いでもしてきたの?」
「……? 何でアウラ様がそんなことをするんですか?」
「え?」
「え?」
鏡合わせのように、互いが互いを見つめ合いながら呆然とするしかない。お互い何を言っているのか分からない。相手が魔族であってもここまで齟齬は起きないだろう。だが私は間違っていないはず。お母さん。それは魔族が命乞いの時に発する言葉であり常套手段。成人した魔族であるアウラが使うにしては似つかわしくない。しかもそれをフェルンにするのは不可解すぎる。一体どういう状況になったらそうなるのか。
「よく分かりませんが……アウラ様はここにおられる間、家事を全てしてくださったのです。お客様にそんなことをさせるわけにはいかないと言ったのですが、暇だからと。それによく叱られてしまいました。もっと子供らしくしろと。何だかお母さんみたいですよね」
「お母さん……家事……?」
いつから言葉の概念が変わったのか。お母さんに家事。今この場において最も似つかわしくない言葉。それによって頭に浮かび上がるエプロンをして料理や洗濯をする断頭台のアウラの幻。あり得ない。そんなことを信じるならまだ魔王が復活したと言われた方が信じられる。悪夢でしかない。だが
「それにリーニエ様もいらっしゃいましたから。お二人がおられる間は本当に賑やかでした」
「リーニエ……? それってアウラの付き人ってやつ?」
「はい。コルセットドレスを着られた可愛らしい女性の方です。よく遊んでいただきました。なんでも勇者ヒンメル様の一番弟子だと。凄い方なのですね」
「え?」
「え?」
悪夢はまだ終わらない。いや、もしかしたらもう私は夢の中なのかもしれない。リーニエ。ハイターも言っていたアウラと一緒に来ていたというもう一人の魔族。
「ヒンメルの一番弟子……? 誰が?」
「もちろんリーニエ様です。ヒンメル様が使っていたという勇者の剣も見せていただきました。ヒンメル様にもらったのだと嬉しそうに話されていて……ハイター様も知っておられたようでしたが、違うのですか?」
「わかんない」
どうやらそいつはヒンメルの一番弟子だったらしい。しかも勇者の剣を持ってもいるらしい。意味が分からない。そもそもアイゼンならともかく、ヒンメルは弟子を育てられるようなタイプじゃない。百歩譲って弟子がいたとしても何でそれが魔族なのか。しかも女性の。もしや魔族に篭絡された云々の噂は本当だったのか。訳が分からない。
「フェルン……ちょっと杖で私の頭を叩いてくれる? 何か思い出すかも」
「え、お断りします。これはハイター様から頂いた大切な物なので」
「私のことも大事にしてよ」
まるで取られないように大事そうに杖を抱えているフェルン。どうやら私は杖以下らしい。ちょっとした冗談だったのに。でも知らない間に私だけ精神魔法でもかけられてしまったのだろうか。耐性はあるはずなのに一体どうして。
「それはともかく……ハイターからも聞いてるだろうけど、魔族の言葉は信用しちゃダメだよ。騙されたら命取りになるからね」
必死に自分を取り繕いながらも、大事なことをフェルンに伝える。何度目になるか分からない忠告。真実。なのにこの状況ではまるで私の方が嘘を言っているみたいだ。でも言わないと。嫌われてもいい。フェルンをこの先、危険な目に会わせないために。
だがそんな私を見ながら、フェルンは何故か微笑んでいる。一体どうしたのか。
「……? 何がおかしいの、フェルン?」
「いえ、やっぱりフリーレン様とアウラ様は似ていらっしゃるなと思いまして」
「私とあいつが? どうして?」
今日何度目になるか分からない、そして一番理解できないことをフェルンは告げてくる。一体何を言っているのか。私とあいつは何もかもが違う。種族も、在り方も。同じなのは魔法使いであることぐらい。なのに
「アウラ様も全く同じことを仰っていたんです。
フェルンはそう、嬉しそうに話してくる。魔族でありながらそれを信じるなと忠告する魔族。あり得ない。狙ってやっているのだとしたら魔族すら超えている。常に私の想像を超えるような存在。本当に何が本当で何が嘘なのか、私にも分からない。
ただ分かるのは、フェルンが私のことを杖と同じぐらいには思ってくれているらしいことだけ。
「……とにかく私はちゃんと教えたからね。用事を思い出したから、私は先に帰るよ」
「はい。私もお昼には一度家に戻ります」
そのまま踵を返す。決して恥ずかしかったわけではない。一刻も早くあの生臭坊主を問い質さなくては。約束を果たすまでは、と思っていたがそんなことは言っていられない。手には杖を。いよいよとなったら実力行使も辞さない。だが
「そうだ、聞き忘れてた」
「……? 何でしょうか?」
話に夢中ですっかり忘れてしまっていた。最後に聞いておかなくてはいけなかった一番大事なこと。
「さっき言ってた魔導書って……どこにあるの?」
「…………」
それを聞いた瞬間、心なしかフェルンの視線が冷たくなったような気がするが、きっと気のせいだろう。
それがフェルンが初めて、この人の面倒は自分が見ないといけないと悟った瞬間だった――――