それは一方的な蹂躙だった。戦いですらない。何の抵抗もできない獣を狩るだけのもの。違うのは、魔族という捕食者と捕食される人類。その立場が逆転してしまっているということ。
「ハァッ……ハァッ……!」
追い詰められている獣。魔族であるアウラは息を切らしながら、屈辱を嚙み殺すように苦渋の表情を見せている。それを取り繕うこともできないほど、追い詰められてしまっている。満身創痍。纏っていた服も見るも無残な有様。それを前にして
「辛そうだね、アウラ。また命乞いでもしてみる?」
息一つ切らさず、傷一つ負わないまま。全く感情を感じさせない冷徹さでフリーレンは告げる。その瞳には一切の哀れみも慈悲もない。ただ魔族を殺す。それだけの存在。葬送の二つ名に相応しい魔法使い。その貌。
端から見ればどちらが化け物か分からない。それが今の二人の関係であり、戦いの惨状だった────
「…………」
その手にある杖を握り直しながら、目の前の魔族に向かい合う。そこにはただ逃げ惑い続けている手負いの獣がいた。断頭台のアウラ。とても七崩賢と呼ばれ、恐れられた大魔族とは思えないような醜態。いや、もはやこれは戦いですらない。ただの蹂躙だ。魔族が何の力も持たない人間を甚振るように。
(こいつ、一体何を考えてる……?)
戦いが始まってから、アウラは全くこちらを攻撃してこない。ただこちらが放った魔法を防ぎながら逃げ続けているだけ。いや、魔法を何度か使ってきたがそれは悉く私には届かなかった。ある物は空を切り、ある物は地に堕ちる。まるで私を狙うことができないかのように外してしまう。
(私を騙すための演技かと思ったけど……やっぱりおかしい。明らかに度が過ぎている)
その有様は私から見ても無様そのものだった。未熟な魔族の子供ですらもっとマシだろう。私を騙すためにそう振る舞い、隙を狙っているのか。いや、それはあり得ない。それは魔法使いの誇りを汚す戦法だ。こいつらにはできない。なら後考えられるのは
(不死の軍勢がいないから……? いや、あり得ない。こんなことをして、何の意味が……)
不死の軍勢という駒がないにしても、ここまで魔法使いとして未熟なはずがない。魔族はその名の通り、息を吐くように魔法を操る獣。歩くように飛行魔法を使うような連中だ。自分の魔法を使えなくても、並みの人間の魔法使いなど相手にならない。何よりもこいつは大魔族だ。手なんていくらでもあるはず。
「どうしたの。その手にある天秤は飾り?」
一切の油断も驕りもなく。言葉によってアウラを揺さぶる。魔族の典型的な手口。その逆。魔族にとって誇りでもある魔法を愚弄する言葉。それによってアウラの反応を、狙いを探るために。
「さあ、どうかしら? あんたこそいいの? 私を前にしてそんなに魔力を消費して」
だがそれにアウラは乗ってこない。どころかその手にある天秤を晒し、こちらを威嚇してくる。私の記憶にあるこいつなら、激昂してそのまま服従の魔法を使ってきてもおかしくないというのに。慎重で臆病な対応。それが嘘なのか本当なのか。魔族を前にして考えても無駄であることは分かっているが、これは戦い、命のやり取りだ。無視するわけにはいかない。
(私の魔力を消費させるため……か。確かに理には適ってる。だけど、それに行動が見合っていない。なら)
様子見はここまで。すぐさま魔力を込めながら、攻撃を再開する。
「っ!」
それを感知するや否や。アウラは一瞬で飛行魔法によって空高く飛び立っていく。誇りも何もない、ただの逃走。しかしそれは
「ちっ!」
アウラ自身の理解できない挙動によって終わりを告げる。アウラはまるでそこに見えない壁があるかのように、飛行を止めてしまう。それ以上先に進めないのか。結界でも張られているのか。だがそんな魔力は探知できない。不可解な行動。
空は魔族にとっては独壇場であり、飛行戦は私を含めた人類の魔法使いにとっては不利な分野だ。魔族の飛行魔法の転用で真似事はできるが所詮は真似事。その制御も消費魔力も魔族には大きく劣る。実際、飛行魔法による逃走を許してしまうのが私にとっては最も恐れているケースだったのだから。
「──遅い」
だというのに、アウラはその強みを生かせていない。身を翻し、再びこちらに戻ってくるアウラに私の魔法が追い縋っていく。それを苦悶の表情を浮かべながら何とか迎撃しようとするもそれも叶わず、アウラは地へと落ちていく。もう何度目になるか分からない無駄なやり取り。
それが私が使っている魔法。かつて人類の魔法使いの多くを葬り去り、恐怖させた忌むべき魔法。だがそれは過去の物になりつつある。その唯一の欠点とでも言えるのがその術式構造の美しさだ。人類にでも理解可能なほどのそれが仇となり、人間の魔法使いたちもこぞってそれを扱い始めている。もちろんまだ解析過程であり、荒も多いがそれを上回る圧倒的な汎用性。
だがそれはアウラにも言えることだった。驚かされたのは、アウラもまたそれを使ってきたこと。魔族が自分以外の魔法を使うなんて。魔族は自らの魔法に固執する習性がある。アウラはそうではなかったのか。それとも魔族の魔法だからか。
しかしそれも扱えなくては宝の持ち腐れだ。その魔法は私には届かなかった。研究中の防御魔法を使うまでもない。まるで私を狙えないかのように。できるのは目くらましの真似事ぐらい。
何にせよ、それによってアウラを追い詰めていく。あらゆる防御魔法、耐性を貫通する魔法。それによってアウラはさらに傷を負っていく。魔族であっても十年足らずでは
意識とリズムを切り替え、豪雨を降り注がせる。雨水ではない、魔力光の雨。
「……なるほど。考えたね、アウラ」
「ふん……我が物顔で
汗を流し、息を切らしながらも不敵な笑みを浮かべながら、クヴァールを盾にしているアウラがいた。なるほど。どうやら闇雲に逃げ回っていたわけではないらしい。こいつらしい、臆病で卑怯な戦法。
「それ以上近づいたらクヴァールの封印を解くわよ?」
そんな私の反応に気を良くしたのか。アウラはそうこちらを脅してくる。魔族が魔族を人質にしてこちらを脅してくるなんて。本当に趣味が悪い。反吐が出る。だがそれは私にとっては有効な手ではあるだろう。
クヴァールの封印は物理的には解けない魔法だ。だが、魔法は違う。それによって刺激を与えれば、封印が解けてしまいかねない。だからこそ、私はその確認のためにここを訪れたのだから。しかし
「やってみたらいい。その前にお前を殺せばいいだけだ」
それはただの時間稼ぎにしかならない。大魔族のこいつであれば確かにクヴァールの封印は解けるかもしれないがそれだけだ。その隙を与えるほど私は甘くはない。
そもそもそれができるのなら、こいつは私が来る前にとっくに封印を解いていただろう。それをしていないということは、それができない理由があったから。魔族に仲間意識なんてものはない。あるのは魔力の多寡による主従関係だけ。こいつもまたクヴァールを恐れているのか。
そのまま確実に距離を詰める。鬼ごっこはここまで。いやかくれんぼなのか。いずれにせよ、この下らない、私たちの後始末を。アウラにとっては処刑。断頭台に送られるに等しいもの。それを前にして
「……本当に私を殺していいの? 私が死ねば、村人たちには自害するように命令してるわ」
被告はまるで悪びれることなく、そう命乞いをしてくる。その手にある天秤をかざしながら。その服従の魔法によって私の魂を取り出す気かと思ったが、そうではないらしい。そうするように仕向けてきたのだが、中々こいつは乗ってこない。どころかこんな手を使ってくるなんて。
いや、ある意味それは誰よりも魔族らしいのかもしれない。言葉によって人類を騙し、捕食する。それがこいつらの生態だ。事実、その嘘は効果的だっただろう。もし私以外なら、騙されてしまいかねない巧妙な罠。しかし私には通用しない。
「嘘だね。お前の魔法は死後まで効力を発揮する魔法じゃない」
「……何でそんなことがあんたに分かるわけ?」
淡々とした私の言葉によって、騙そうとしているアウラの方が動揺している。表情を取り繕っているようだが、魔力まではそうはいかない。私の目は誤魔化せない。何故なら
「決まってる。お前の魔法を解析したからだ。見せてあげるよ」
私は■■一行の魔法使い。葬送のフリーレンなのだから。
宣言と共に、その魔法を解き放つ。同時に辺りは光に包まれる。クヴァールの封印の影に隠れても意味はない。
「────『
その名の通り、支配の魔法から全てを開放する魔法。断頭台のアウラの持つ、服従の魔法だけを解除するためにこの十年で私が解析し、生み出した魔法。
アウラを含めた七崩賢の大魔族の魔法は全て、人類では認識できない呪いの域の魔法だ。だがその原理を理解はできなくても、それを利用することはできる。それが私の戦い方。かつて不死なるベーゼの結界を解除したように。
何よりも、もう二度とヒンメルに怒られることがないように。かつて不死の軍勢にされてしまった英傑たちに対する、薄情者の私ができる唯一の罪滅ぼし。
「────
それによって、アウラの支配から全てを開放する。不死の軍勢がいようがいまいが関係ない。万が一、先のアウラの脅しが本当でもあってもだ。
この瞬間、服従の魔法は無力化された。村人たちも解放され、自由となった。アウラはこれによって全ての傀儡を失ったのだ。
一人では何もできない、他者を支配しなければ何もできない臆病者。その本性を曝け出してやった。同時に、魔法使いとしての魔族の尊厳を汚す、魔族にとってこれ以上にない屈辱。だというのに
「…………ふ、ふふ、あは、あははは────!!」
それを前にして、呆然としたのは束の間。先と同じように、いやそれ以上の狂気を見せながらアウラは耳障りな高笑いを始めてしまう。理解できない奇行。気が触れてしまったのではないかと思える醜態。
「本当に傑作よ! 私がこの十年、必死にやってきことをあっさりやってのけるんだから……本当に馬鹿みたいだわぁ!」
そんな自分の痴態すらおかしいとばかりに、アウラは腹を抱えながら、必死に笑いを堪えている。理解できないことを口走りながら。一体何を言っているのか。自らの魔法が人類の魔法使いに解除されてしまったことで狂ってしまったのか。まるでそれを喜んでいるような反応。こいつは本当に魔族なのか。
「? 何のこと?」
「あんたが言ってたじゃない。家畜だってね。それは私だったってこと。いいえ、奴隷、愛玩動物かしら? 友達が聞いて呆れるわ」
魔族ではない別のナニカなのでは。そう騙されてしまいかねないほどに。アウラの言動は常軌を逸している。人類が魔族の思考が理解できないからではない。千年、魔族を葬り続けてきた私から見ても、こいつは理解できない異端だった。その極めつけが
「……何のつもり?」
目の前の光景だった。眼下には、捨てられた天秤があった。見間違えるはずのない、服従の天秤が。カシャンと、無造作にそれが地面に落とされる。いや、捨てられた。他ならぬアウラの手によって。それによって私の方が呆然とし、意識を持っていかれてしまう。まるで天地がひっくり返ってしまったかのように。当たり前だ。
「見て分からない? 役に立たないから捨てたのよ。皮肉よね。解放されたせいで、あんたを騙すことができなくなったんだから。特権とやらもあてにはならないわ」
どこに、自らの魔法を捨てる魔法使いがいるというのか。私や
「あんたに服従させられるぐらいなら、死んだ方がマシね」
それは命乞いですらなかった。こいつは認めたのだ。自らの敗北を。これは自死だ。私に負けるぐらいながら、死を選ぶ。魔族という生き物ならあり得ない。人類のみが持つ、自らの尊厳を守る行為。
いや、そんなわけがない。そう演じているだけ。欺いているだけ。騙されてはいけない。そう戒めなければ、信じてしまいそうなほどに、今のアウラは真に迫っている。その敵意が私に向けられている。
そもそも何故あきらめるのか。まだ服従の魔法を使ってもいないのに。解放の魔法を使われていたとしても、それはまだ残っているのに。
いや違う。何故こいつは私に服従させられると思っているのか。私にはそんな魔法はないのに。違う。こいつは分かっているのか。それを使えば自分がどうなるのか。だとすれば説明がつく。問題はどうしてこいつがそれを。そんなこちらの思考をかき乱すように、さらなる奇行をアウラは見せてくる。そこには
「何の真似……?」
手に何かを握りしめたまま、膝を地面についているアウラの姿があった。
「見て分からないの? 祈っているのよ。私たちで言うなら命乞いね」
思わずその場に立ち尽くしてしまう。当たり前だ。どこに祈る魔族がいるというのか。この状況で。あのアウラがこんなことを。一体何の意味が。目的があるのか。
「魔族が女神様に? 悪い冗談だね」
「まさか。知らないの? 女神の奴はお気に入りにしか興味がないのよ」
アウラ自身もそれは理解しているのだろう。女神の加護が魔族になどあるわけがないことを。どころかその加護を受けている僧侶をお気に入り扱い。不敬にもほどがあるだろう。いや、それを理解していることこそがあり得ない。信仰という、魔族には理解できないはずの概念を。
「そもそもそれはただのネックレスだ。何の意味もない。そんなことも分からないの?」
「本当にそうね。この私がこんな物に頼るなんて。でもあんたにだけは言われたくないわぁ」
だが所詮それは真似事だ。その手に握りしめているのはただのネックレスだ。十字架でもなければ、魔道具でもない。そんなことをしても意味などないのに。私を騙すこともできやしない。アウラはそんな私の反応を愉しげに見つめている。命乞いをしなければいけないこの状況で。
「あいにくだけど、私が祈っているのは別のものよ。人間がお母さんの次に大好きなものにね。あんたに分かるかしら。フリーレン?」
それは問いかけだった。私に分かるはずもないと言わんばかりに。『お母さん』という、魔族にとっての魔法の言葉。それが私に通じないからこそ。それに次ぐものを利用しようとしているのか。だがそれが何を指しているのか分からない。そもそもそれ自体が無意味だ。魔族の言葉に意味なんてない。それに踊らされてしまっている時点で、騙されているようなものなのだから。
もう言いたいことは終わったのか。アウラは物言わぬまま、両手でネックレスを握りしめたまま目を閉じている。まるで敬虔な信者のように、女神に祈りを捧げるような空気がそこにはあった。真に迫る何かが。偽物もここまで行けば本物だろう。
「終わりだ。アウラ」
その一点のみを認め、判決を下す。断頭台の二つ名の通り、それに相応しい最期。その首を討ち落とす。数えきれないほどの英傑の、人類の首を落とし、その尊厳を踏みにじってきた魔族に相応しい罰を。
『
一陣の風によって空を切ってしまった────
「────」
ただその光景に言葉を失い、目を奪われてしまった。それは知っていたから。
たった十年ほど前。たった十年の間だったとしても、忘れることがないであろう絶技。魔力を持たざる者の強さ。
それに在りし日の光景が重なる。私にとっては忘れたくても忘れられない記憶。
魔族の子から、人間の子を抱きながらその手から救い出した■■の光景。ただ違うのは
「────間一髪だったみたいだね、アウラ」
今、■■が抱えているのは魔族だったということ。その抱き抱え方はまるでお伽噺の、姫を救い出す■■そのもの。お姫様抱っこだったのだから。
『勇者』
それがアウラの問いかけの答え。そしてアウラにとっては『お母さん』という魔法の言葉よりも頼りにしている、魔法の存在だった────