第一話 「最悪」
「大丈夫かい、アウラ?」
改めてこちらを気遣うような素振りをみせながら、ヒンメルが尋ねてくる。それは嘘ではないのだろう。そもそもこいつは私には嘘をつかないのだから。いや、嘘はつくだろうが、こういう時には、だったか。
鈍い痛みを我慢し、抑えながら自分の体を確認する。そこには大げさに包帯によってぐるぐる巻きにされた見るに堪えない私の姿。まるで瀕死の重傷でも負わされたかのよう。大袈裟な対応はリリーの仕業だ。本当にあの子は心配性なのだろう。いい迷惑だ。
「ええ、あんたに斬られた傷よりよっぽどマシね」
「なら安心だね」
そんなリリーの垢を煎じて飲ませてやりたいと思うほどの勇者の軽口に辟易させられる。分かって言っているのだろう。どこか楽しげでもある。
思い出すのは、かつてこいつによって負わされた古傷だ。私にとってはトラウマでもある。その深手によって私は撤退はおろか、魔力の回復のために潜伏まで余儀なくされたのだから。その時に比べれば雲泥の差だが、こいつにだけは言われたくない。
普段であればもっと悪態をつくところだが、今はそれどころではない。目下、対処しなければならない問題が山積みなのだから。それもこれも
「まるで罪人みたいね。似合ってるわよ?」
「…………」
目の前で拘束されてる一人の、いや一匹のエルフによるものだ。
そこにはまるで囚人のように椅子に座らされている、みすぼらしいエルフがいた。本物の囚人であれば、後ろ手に縛られ、口輪をさせられるのだろうが、こいつは違う。何も物理的には拘束されていない。されているのは魔法による拘束だ。それによって、捕らえられた囚人のような醜態を晒している。私にとっては聖都で見慣れた光景。こいつにはお似合いだろう。
クヴァールが封印されていた場所でこいつを捕獲した後、ヒンメルの提案で村の自宅まで連行してきた形。私としてはあのままでも良かったのだが、腐ってもヒンメルにとっては仲間なのだろう。拘束してしまっている後ろめたさがあったのか。それとも落ち着いた場所に移りたかったのか。私の怪我の治療という名目もあったのかもしれない。
とにもかくにも、念願の渡り鳥を捕まえたヒンメルはそのまま
『当然さ。よくこうして担いで逃げていたからね』
子供のような笑みを浮かべながらどこか自慢げに語るヒンメルはやはり変態なのだろう。当時を懐かしんでいるのか。何でもアイゼンはハイターが担いでいたらしい。どうでもいい。私は何を聞かされているのか。そもそもこいつらが逃げなくてはいけない相手とは一体何者なのか。私も逃げるしかなかったというのに。
きっと担いでいるヒンメルは気づけなかったのだろう。売られていく子牛のように運ばれているエルフが背中越しに凄まじい視線を向けていたことを。視線で人を殺せるのではと思うほど。きっと浮かれているのだろう。そんな中
「……お父さん」
逃げることができなかった、もう一匹の魔族が鳴き声を上げていた。
そこにはリーニエがいた。だがいつものような賑やかさ。人間たち曰く、天真爛漫さは欠片も見られない。魔族らしい感情が見て取れない無表情のまま、ヒンメルの後ろに隠れてその服の裾を掴んでいる。端から見れば父親に縋り付き、頼っている人間の子供そのもの。人間であれば騙されてしまうリーニエの擬態。
もっともこの場ではそれは無意味だ。何故なら今の場には、それで騙される者はいないのだから。だというのに
「まったく、困ったものだね」
わざわざ自分から騙されるような馬鹿は例外だった。ずっとリーニエにそうされていたからなのだろう。困った風な、気持ちの悪い顔を見せているが嘘がバレバレだ。私ですら分かるような拙い嘘でしかない。満更でもない、いや喜んでいるのだろう。声や空気からそれが滲み出ている。本当にこいつは嘘がつけないのだ。少しは魔族を見倣ったらどうなのか。
「下らない嘘は止めなさい。念願のお父さん呼びが叶ったからって」
呆れながらその理由を指摘する。思い出すのはかつてリーニエを拾ったばかりの頃の記憶。それによる騒動と顛末。お母さんや家族という人間の習性に振り回された苦い思い出。それは今もなお続いているのだがそれはそれ。
『お父さん』
それがお母さんと対を為す、人間たちが頼りにする存在。ヒンメルが密かに……ではなく、あからさまにリーニエに刷り込ませたがっていた概念だ。残念ながらそれは叶わず、あの筋肉馬鹿に奪われてしまったが。
(私も勘違いしてたってわけね……やっぱり人間たちの考えてることは分からないわ)
その臆病者の言葉を思い出す。かつて私がした、何故お父さんではなくお母さんの方が人間は騙されるのかという疑問。役割の違い、優先順位の違いだったか。ようするに身の危険から守ってくれるのはお父さんの方なのだろう。人間は基本的に雄の方が強いというのもあるかもしれない。てっきり勇者の方が人間は好きなのかと思ったが、やはり人間は理解できない。無駄な奴らだ。
「リーニエ。あんたももう止めなさい。そんなことをしなくてもこいつはあんたを守ってくれるわ。私もね」
その無駄な行為を止めるようにリーニエに命ずる。いい加減目障りだったのもあるが、一番はヒンメルを喜ばせるのが癪に障ったからでもある。同時に今自分がしていることが、リーニエと同じであることに気づかされてしまったから。
何のことはない。私も結局は魔族なのだ。そんな当たり前のことを、またリーニエに見せつけられてしまった。まるでこのアクセサリを失くしてしまった時のように。
「……本当? アウラ様?」
そんなことは知る由もないリーニエはただ悪意なく私に問いかけてくる。疑ってくる。自らの安全を確保するために。ただ生き残るために。この子の根底は最初から変わっていないのだ。そのためにヒンメルに、私に庇護を求めている。こんなにも分かりやすいのに、人間たちはそれに騙されてしまう。
いや、それは私も同じか。この十年で、まるでこの子が人間のように見える時があるぐらいなのだから。
「ええ。あんたに嘘をついてどうするのよ」
それに嘘偽りなく答える。そう、魔族が魔族に嘘をつく必要なんてない。私たちが嘘をつくのは人間を騙すためだ。この子を騙しても何の意味もない。
「うん! アウラ様は頼りになる! ……あとヒンメルも」
「ひどくない?」
ならいいと、あっさりとヒンメルから乗り換え、私に縋り付いてくるリーニエ。どうやらお父さんごっこは終わってしまったらしい。利用できる、騙せたと判断したのだろう。それによって何故か寂しそうにしているヒンメル。短い夢だったのだろう。最初からリーニエにとってのお父さんは決まっているというのに。そんな下らない、いつものごっこ遊びは
「……それで? この茶番はいつまで続くの?」
冷たく冷え切った声と、絶対零度のような上目遣いの視線を向けてくるフリーレンによって中断することとなった。
「あら、喋れたのね。てっきり言葉を忘れたのかと思ったわ」
それを見下ろしながら、心からの本音を告げる。こいつは私に魔法で捕まってからここに運び込まれ、今に至るまで一言も喋らなかったのだから。この魔法で喋れなくなってしまったのかと思うほどに。何度もヒンメルが話しかけているのに、全く反応しない。口ではなく、耳が聞こえなくなってしまったのか。その無駄に大きい耳は飾りだったのか。
それでもとうとう耐えれなくなったらしい。それもそうか。仲間であり、勇者でもあるヒンメルが魔族に騙されてしまっているのだから。呆れて物も言えなかったのだろう。
「そうだね。本当ならこのまま泣き喚きたいところだ」
「っ!? そ、それは……」
ようやくフリーレンが口を開いたというのに、ヒンメルはそれによって見るからに狼狽し、あたふたしている。普段の醜態ではない、本気の焦りが見て取れる。一体何にそんなに怯えているのか。やはりこいつはエルフには頭が上がらないのだろう。まだ番でもないというのに。いや、こいつの中ではとっくにそうなっているのかもしれないが。なにせ子供の頃からそれを妄想しているような奴だ。年季が違う。
「すまない、フリーレン。どうしてもあのままじゃ話し合いができそうにはなかったからね」
一度咳払いし、仕切り直しながらヒンメルはそうフリーレンに話しかける。話し合いという、人間たちが大好きな言葉を餌にして。魔族としては理解できない、無駄な物。だからこそ、それを利用する魔族に付け込まれてしまう罠。
「話し合い? 魔族との? 本当に操られてるんだね、ヒンメル」
それを誰よりも理解しているからこそ、こいつには、葬送のフリーレンには言葉が通じない。魔族のように言葉が理解できないからではない。理解してもなお、それを聞き入れない。魔族に対する最適解。
だがここまで極まっているとは。欠片も理解できないが、その点のみは賞賛に値するだろう。私に操られている可能性があるとはいえ、ここまで仲間の言葉に耳を傾けないとは。私が学んできた人類の習性とはかけ離れている。とても人類の精神構造とは思えない。そもそも
「呆れるわね。自分の魔法も信じてないのね。ああ、あんたは自分の魔力も隠している卑怯者だったわね」
こいつは魔法使いですらない。自分の魔法すら信じていない、疑っているのだから。どころか誇りであるはずの魔力すら隠匿している。薄情者であり、卑怯者。
「……やっぱり知っていたのか」
私の言葉に刺激され、無視できなかったのか。そう反応し騙されるフリーレン。やはりこいつは人類なのだろう。魔族と話すなんて無駄なことだなんて言いながら、完全に無視できていない。まあ無理もないだろう。私が刺激したのは、こいつにとっては文字通り、自らの生き死にに直結する部分なのだから。
「ええ、仲間に恵まれたわね? 聞いてもいないのにぺらぺら喋ってくれたわよ?」
それにかこつけて、さらにこいつが興味を抱く話題を口にする。この十年、こいつを前にした時に、その動揺を誘うために考えていた謳い文句。仲間の裏切りを示唆するもの。もっともそれは嘘ではなく、事実なのだからさらに質が悪い。こいつらは本当に仲間なのか。
「違うよ。僕じゃなくてハイターの奴が……」
「どっちも同罪ね」
その一人であるはずのヒンメルもその罪を僧侶に擦り付けている。勇者にあるまじき醜態。実行犯はあの生臭坊主だったのかもしれないが、共犯のようなものだろう。弟子であるリーニエにそれを仕込もうとするぐらいなのだから。あの生臭坊主もこの場にいれば、同じようにヒンメルのせいにしたに違いない。愚かでしかない。私の天秤でも同罪だろう。
「……どっちにしろ同じだ。お前に操られている可能性がある以上、何も信用するわけにはいかない」
かつての仲間の仲間割れを目の当たりにしながらも、あくまでも動じないままフリーレンはそう結論付ける。私の魔法を知る者であれば、当然の判断。もっとも、それをここまで徹底できるのはこいつぐらいだろうが。
「そう? 心配しなくてもこいつは操られてなんかいないわ。最初からこうなのよ」
「それはありがたいけど……言い方がおかしくないかい?」
残念ながら私はこいつを従えてはいない。そもそもこいつは最初からこうなのだから。操られているかもと思われるような言動しかしていないのは私のせいではない。とんだ冤罪だろう。ヒンメルはそれに不満があるらしい。庇ってやっているというのに何が気に食わないのか。
「────いいわ。喜びなさい、ヒンメル。私があんたの無実を証明してやるわ」
これ以上無駄なやり取りに付き合うのも飽きてきたところだ。業腹だが、私が判決を下してやろう。議題はそう、ヒンメルが操られているか否か、か。笑い話だ。服従の魔法を持っている魔族の私が、こともあろうに勇者ヒンメルの無実を証明しなければならないのだから。これもある意味、命乞いか。
「証明……? 何を言ってるの? 裁判の真似事のつもり?」
「ええ。ただのごっこ遊びよ。こいつらに仕込まれた、ね」
恐らくは千年、魔族を葬ってきたこいつでも、魔族からそんな言葉を聞くのは初めてだったに違いない。明らかに困惑が見て取れる。徐々にではあるが、こいつの習性も理解できてきた。タイプとしてはアイゼンに近い。一見すれば無表情で感情が見て取れないが、実際はそうではない。本当は逆なのかもしれない。
ともあれ、今はごっこ遊びだ。この場合は裁判ごっこか。この十年、こいつらに仕込まれた私の芸だ。きっかけは私の戯れだったが、存外人間たちには受けが良かったのだろう。今では私目当てで集まってくる人間がいるほどの見世物小屋。あの偽物の司教には良いように利用されている気がするがまあいい。それを披露してやろう。奇しくもそれは、あの僧侶ハイターの模倣でもあるのだから。
「簡単なことよ。あんたがこうして生きていること。それがその証拠よ」
その手に偽、ではなく本物の服従の天秤を見せながらそう告げる。それによってさらにフリーレンの目が鋭くなるが無視する。私にはこいつを服従させることはできないのだから。いや、失敗だった。ここでこれをこいつに見せるべきではなかったか。興が乗りすぎた。仕方ない。悟られないように進行することとしよう。
長々と供述を取る必要もない。自白させる必要も。そもそも最初から分かり切っているのだ。これはあの時の、王都でも謁見の時と同じ。なら、あの時乱入してきて場を治めた、ハイターの真似をすればいいだけなのだから。
「本当にヒンメルが私の物だったのなら、とっくにあんたの首を落とさせてるもの。そうでしょう?」
それが答えだ。そもそもヒンメルを我が物としていたのなら、わざわざこいつを捕まえた上でこんな無駄なことをする必要なんてない。とっととその目障りな頭を落としているだろう。服従させる気なんて毛頭ない。
そうなっていない時点で、ヒンメルは私に操られていない。少し考えれば分かるようなことなのに、どうして人間は理解できないのか。もしかしたら、分かっていて認められないのかもしれない。人間たちが持つ不条理。不合理性。案外それが魔族と人類の違い。悪意の有無なのかもしれない。
「……お前」
「反論できないでしょう? これもあんたのお仲間の入れ知恵よ。あれで聖職者なんて、魔族も顔負けね」
それを他でもない、魔族である私に突き付けられたからか。それともこの口八丁、手練手管に思い当たる節があったのか。さっきまでとは違う意味でフリーレンは黙り込んでしまう。まるで私に叱られてしまったリーニエのようだ。さっきまで黙り込んでいたのも、ただの子供の癇癪だったのかもしれない。
だが反論できない時点で私の勝ちだ。その内容は下らないものだがいい気味だ。騙し合いで、あの生臭坊主に勝てる奴なんて魔族はおろか、人類ですらいないに違いない。あいつの前では子供同然だろう。
「フリーレン。僕たちには言葉がある。信じてほしい。あの時とは違う。そのために君の力も貸してほしいんだ」
頃合いを見計らっていたのか。それとも自らの無実が証明されたからか。屈み、視線を合わせながらヒンメルはフリーレンにそう乞うている。先ほどまでのふざけた空気は微塵もない。こちらが引き込まれてしまうような、魔力ではない感覚。この十年で散々体感し、見せつけられてきたヒンメルが勇者と呼ばれる所以。誰かさん曰く、人誑しだったか。
それを前にして、フリーレンの気配が和らいでいくのを感じる。魔力には微塵に乱れもないが、空気が変わっていく。まるで獰猛な獣を手懐けるように。そういえばそうだった。こいつは紛れもなく勇者一行のリーダー。あの一癖も二癖もある、化け物連中をまとめていた怪物なのだから。
「……今の内に殺しておかないと後悔するよ」
それはきっと、あきらめの言葉だったのだろう。一度目を閉じながら、溜息を吐くようにフリーレンは呟く。恨み言にも似た何か。私にとっては冗談では済まない内容。
「アウラ、魔法を解いてあげてくれ」
それを微笑みながら聞き遂げた後、こちらを向きながらヒンメルはそう告げてくる。そのタイミングをずっと窺っていたのだろう。本当に抜け目のない奴。これだからこいつは油断できない。
「命令かしら? 残念だけどもう私には効かないわよ」
「いいや、お願いさ。いつもそう言ってるだろう?」
「ふぅん……でもいいの? 解いた瞬間に殺されたら敵わないわ」
「大丈夫さ。それに僕は約束を守るよ。そのフリージアに誓ってね」
「……そう。騙されていないことを願うわ」
暗にフリーレンが騙し討ちをしてくるのではないか、そう問いかけるもヒンメルは迷いなくそう返してくる。いつものような、自意識過剰なナルシストっぷり。本当に私のことを友達だと思っているのだろう。もう主従関係は解消されてしまっているというのに。手綱がなくなった人食いの猛獣と話している。本当に物好きな奴だ。ご丁寧に言葉だけではなく、物まで使って。
まあいいだろう。こいつが大丈夫だというのなら、そうなのだろう。かつてのゼーリエとの面談の時と同じだ。こいつはエルフが性癖なのだから。魔法を解いた瞬間殺される、という最悪の事態にはならないはず。そんなことになれば、本当の仲間割れになりかねない。それが理解できないほどこのエルフも馬鹿ではないだろう。もっとも、最悪は避けられただけ。あとはその一歩手前にならないようにしなければ。
「……それは何の魔法だったの? 魔族の魔法じゃないね」
「エルフを捕まえる魔法よ。あんたにお似合いの魔法でしょう? 同じエルフの老害から押し付けられたのよ。良い師に恵まれたわね、フリーレン?」
「…………ゼーリエか。あいつ、何を考えて」
得も知れない緊張感。まるで服従させた不死の軍勢を解放するかのような感覚のまま、フリーレンを解放する。もしかしたら、私は千載一遇の機会を失ってしまったのかもしれない。そう思うほどには、こいつの存在は脅威だ。その数少ない対抗策でもあったエルフを捕まえる魔法も晒してしまった。同じ手はもう通用しないだろう。
その意趣返しに、その贈り主を教えてやる。こうなることまで予見していたのか。生ける魔導書なんて二つ名で呼ばれていたエルフの大魔法使い。やはり仲が悪かったのだろう。フリーレンはあからさまに嫌そうな顔をしている。あの老害と同じように。似た者同士に違いない。特権だったか。仰々しいと思っていたが案外そうではなかったのかもしれない。結果的に、私はそれによって命乞いをすることができたのだから。フリーレンからすれば嫌がらせでしかないだろうが。師というのは弟子に嫌がらせする生き物なのか。
「本当に良かったわけ、ヒンメル? あのまま封印して石像にしてやればもう逃げられることはないわよ?」
「お前こそ、クヴァールの隣に並べてやるよ。その頭を落としてね」
「二人とも? 言葉があるって言ってもそういう意味じゃないからね?」
売り言葉に買い言葉。手は出していないが、口は出してくるらしい。負け惜しみなのか。いつか口にした提案をヒンメルにするも、どうやらお気に召さなかったらしい。残念だ。そうすればいちいちこのエルフの銅像を見て思い出す必要もなくなると思ったのだが。それに対するフリーレンの返しも流石だ。とても人類の感性とは思えない。魔族も顔負けだ。そんな私たちを呆れながらもそわそわしながら仲裁してくるヒンメル。本当に癪に障る奴だ。さっきまでの勇者はどこに行ったのか。
「でもこうしていると最初の頃を思い出すね、アウラ? 懐かしいよ。あの時もこんな感じだった」
そんな私たちの様子に何を感じたのか。話題を変えたかったのか。急にそんな世迷言を口走ってくるヒンメル。最初の頃、私が服従させられてここに連行されてきた時のことか。私にとっては恥辱でしかない。思い出したくない悪夢。そういえばあの時もこいつはまるで子供のようにこっちを振り回してきてくれた。村人の服を着させて、使えもしない魔導書を騙して私に仕込んでくるほどに。今思い出しても腸が煮えくり返りそうだ。なので
「たった十年前でしょ。ああ、思い出したわ。子供の勇者様は興奮してその夜、私を寝かせてくれなかったものね」
これ以上にない、ヒンメルにとって最大級の嫌がらせで返してやることにする。かつての再現でもある。嘘をつかずに嘘をつくという高等技術。何よりも、妄想するほど待ち焦がれた想い人を前にしてその不貞を暴かれるという、人間社会においては死を意味するほどの、ヒンメルを殺す魔法の言葉。だがそれは
「当然だね。いつ寝首をかかれるか分かったものじゃない」
目の前のぽんこつエルフには、全く通用しないものだった────
「流石フリーレンだね。どうだい、アウラ。僕の自慢の仲間は?」
「…………そう。私が馬鹿だったわ」
「?」
それが分かっていたのだろう。いつもなら慌てるはずのヒンメルはどこか自信満々に格好をつけている。どうやら仲間を見せびらかしているつもりらしい。対してその言葉の意味を理解していないフリーレンは頭の上に疑問符を浮かべている。本当に愚かでしかない。
勇者一行のどいつかが言っていた。フリーレンは薄情で無垢なのだと。だがそれは大きな間違いだ。こいつは無知なのだ。魔法使いとしてではない。人類として。魔族と変わらない、いやもしかしたらそれ以上に。
同時にヒンメルもまた馬鹿なのだ。想い人に番としてどころか、異性としてすら見られていないというのに。どこに喜ぶ要素があるのか。まだリーニエの方がマシかもしれない。
「……まあいいわ。あとは二人で乳繰り合うなり盛るなり好きにしなさい」
「っ!? アウラ、僕たちはそんな」
「ちち? お父さん? おっぱいのこと? でもフリーレンにはおっぱいないよ」
「り、リーニエ……!?」
戯れもここまで。これ以上こいつらのごっこ遊びに付き合う義理もない。あとは勝手にすればいい。そんな度胸があれば、そもそもこんな面倒なことにはなっていないのだがそれはそれ。私の知ったことではない。いい加減、疲労も傷の痛みも増してきた。
そんな私の言葉を真に受けた、本当の意味で純粋無垢な我が従者。その悪意がない言葉によって、あのエルフの女としての尊厳を破壊している。
それによって慌てふためいているのはヒンメルの方だった。まるで父親のように。だがそれはリーニエの言葉を認めているも同然。
当の本人は無言のまま。微動だにしていない。魔族の言葉だからなのか。しかしその耳が微かに動いたのを私は見逃さなかった。あの葬送のフリーレンを刺激するとは、例外の二つ名の面目躍如だろう。何よりも、この騒がしさは私にとっては好都合だ。
「私は疲れたからリリーのところにでも行くわ。付いてきなさい、リーニエ」
「うん」
それを利用しながら、その場を後にする。あとは二人で好きにすればいい。積もり積もった話もあるだろう。主にヒンメルの方だろうが。
明らかに浮足立っている。浮かれている。平静を装っているようだが、私の目は誤魔化せない。私たちがいればそれもできない。邪魔になるのだから。何もおかしいことはない。あいつらが何をしようが私にはどうでもいいことだ。この苛つきも何もかも。
私がすべきことは一つだけ。ヒンメルに悲願があったように、私にもそれはある。そのために無駄のない、本能に従うだけ。魔族として。目の前のリーニエのように。
それに倣い、立ち返るようにその場を後にしようとするも
「────そこまでだ」
『────そこまでだ』
そんな、あり得ない、忘れることができない言葉が背中から突き立てられた。
あの時と違うのは、それが勇者ではなく、魔法使いからの制止だったということ。向けられているのが、剣ではなく杖だということ。
────天秤になりきれていない断頭台は思い知る。葬送のフリーレンが自らにとっていかなる存在か。それを騙すことが、覆すことがいかに困難か。
断頭台は歯噛みする。それは知っていたから。それによってもたらされるであろう。最悪の一歩手前の自らの未来を────