(魔族の心を操る魔道具……? そんな物があるわけ……)
ヒンメルがこれみよがしに見せびらかしている腕輪。支配の石環とか言うらしいが、どうにも嘘臭い。魔族と人間はそもそも精神構造からして別物だ。書物でも読んだことがある。人類にも精神魔法と呼ばれる相手を操る魔法があるらしいが、それは人類か、それに近い生物にしか通用しないのだとか。
当然だ。人類の心や習性を推測することは出来ても、共感することができないのと同じだ。とても信用できるものではない。そもそもそんな物があるなら、どうして今まで隠していたのか。あまりにも都合が良すぎる。だが
「支配の石環……賢者エーヴィヒが作り上げた魔道具か。術式も刻まれている。まさか実在してたなんて」
「すごいだろう? ハイターの奴がたまたま手に入れてね。僕に贈ってくれたのさ。こういう時のためにね」
まるでシュトロがおもちゃを見せびらかすように、ヒンメルにそれを見せられているフリーレンの反応によって確信する。それが偽物ではなく、本物であるのだと。腐っても勇者一行の魔法使いだ。見間違うことなどないだろう。その作った奴の名前にも聞き覚えがあった。
(エーヴィヒ……確か大昔の魔法使いだったわね。フランメと同じ天才だったってことかしら)
賢者エーヴィヒ。大昔の人間の魔法使いだったか。恐らくはあの大魔法使いフランメと同じような天才だったのだろう。あの忌々しい防護結界のように、魔族ですら及ばない魔法を操る化け物。その名を騙る書物は私の書斎にもあるが、その全てが偽物だ。フランメの書物もそうだ。どうしてそんな物を作るのか。人間の考えることは理解できない。そういえばこのエルフはそんな偽物が好きだったか。そんなことはどうでもいいとして、ようやく話が見えてきた。ようするに
(そういうこと……あの生臭坊主が考えそうなことね)
これはヒンメルではなく、ハイターの企みだったのだろう。その腕輪があれば、万が一、私が解放されたとしても操ることができる。人間で言えば、保険のようなものか。本当に小癪な奴だ。私のことを信じているなんて言いながら、裏では手を打っているのだから。
何にせよ、それは私にとっては己の命を左右する物だ。原理は違うが、私の服従の魔法を魔道具にしたようなものなのだから。本当にこんなことばかりだ。服従の魔法を使う、大魔族であるこの私が、支配に振りまわされているなんて。一体何の冗談なのか。
落ち着け。とにかく今は、今の私にとっての最善を。その腕輪で操られるのと、フリーレンに服従させられるのと、どちらがマシなのか。それを見極めなければ。
そんな魔法使いとしての誇りと、生存本能を天秤にかけながら必死に頭を回すもそれは
「……というのは嘘なんだ」
何も悪びれることなく、嘘を白状する偽勇者によって無駄に終わってしまった。
「……あんたね」
「さっき騙してくれたお返しさ。すっかり騙されただろう?」
私の反応がお気に召したのだろう。どうだい? と言わんばかりにご満悦のヒンメル。本当にこいつは勇者なのか。偽物なのはこいつの方だろう。私には嘘をつかないなんて偉そうに言っておきながら。本当は私に騙されていたのが気に食わなかったのかもしれない。
勇者に騙されたという点では同じなのか。フリーレンもどこか訝しむような視線をヒンメルに向けている。仲間にすら疑われるなんて。こんなことばかりしているから操られていると思われるのだろう。だが
「でもただの嘘じゃない。これは本物なんだ。違うのは、魔族の心ではなく、人間の心を操る魔道具だってことさ」
それには続きがあったらしい。ややこしい言い回しで、ヒンメルはそう明かしてくる。どうして人間はこうなのか。しかしそれ以上に、理解ができなかった。何故なら
「はぁ? ならそれに何の意味があるのよ?」
それが本当なら、その腕輪は何の役に立たないガラクタでしかないのだから。確かにエーヴィヒとかいう奴が作った物には違いないのだろうが、この場では何の意味もない。私を操ることができないのなら、何故そんな物を取り出したのか。私の魔法には遠く及ばないだろうが、人間たちにとっては価値のある物かもしれない。それでもヒンメルには必要ない物だろう。どう考えても辻褄が合わない。
そう。まだ私は分かっていなかったのだ。たった十年一緒に暮らしただけ。
私は何も知らなかったのだ。ただ分かった気になっていただけ。
「意味ならあるさ。ここにはちゃんと人間がいるんだから」
目の前の人間が、
「っ!? ヒンメル!?」
私よりも早くそれを理解したのか。フリーレンが焦った様子でヒンメルを制止する。これまでで一番の慌てよう。こいつもこんな顔をするのかと思えるほどには。でも間に合わない。こいつを止めることなんて、きっと女神の奴でも無理だろう。
「『君が死ぬことがあれば、僕も一緒だ』」
それは宣誓であり、呪いだった。目を閉じ、女神に祈りを捧げるように、ヒンメルはその腕輪を自らの左腕に嵌める。それが一体何を意味するのか。理解した上での行動。
「────」
ただ呆然と立ち尽くしかない。私だけではない。フリーレンもまたそれは同じだ。馬鹿みたいに、その場に突っ立っているだけ。
「あんた……一体何を考えてるわけ……?」
そう漏らすのが精一杯だった。呆れを通り越してしまっていた。これはもはや恐怖だ。目の前にいるのは本当に生き物なのか。人間を理解できないは当たり前だ。だがこれは違う。こいつは、そんな枠では計り知れない。何かが根本的に違うのだ。
こいつは自分の命を人質にしたのだ。何のために。決まってる。私の命を守るために。あり得ない。まだ自死の方が理解できる。一蓮托生、だったか。それを本当に実行する奴がいるなんて。頼んでもいないのに、自分で自分に服従の魔法をかけるぐらい、理解できない狂行。
「王都で王様に誓っただろう、アウラ? 死ぬまでだってね。魔族と友達になったんだ。このぐらいは当然さ」
それがヒンメルなのだ。思い出すのは、王都での謁見。国王との問答。もし私に騙されたら、逃げ出したらどうするのか。
その答えがこれなのだろう。本当に私は早まったのだ。後悔しても、もう遅い。
「その代わり、フリーレンの条件を飲んでほしい。心配ないよ。僕も一緒さ」
それがこいつと友達になるということなのだ。気づくのが遅すぎた、もうとっくにあの時、私はこいつに服従してしまっていたのだから。
「フリーレン、お願いがあるんだ」
「……何?」
私の沈黙を肯定と受け取ったのか。今度はヒンメルはフリーレンへと向かい合っている。心なしか、フリーレンはそっけなくなっている。いや、あれは拗ねているのか。もしかしたら、あきらめているのか。呆れとも取れるような態度。
「僕が死んだら、アウラを解放してあげてほしいんだ」
それを見ながら、いつものように自分が死んだ後のことを口にしているヒンメル。本当に物好きな奴だ。そんなに死にたいのか。自分がいなくなった後のことなんて、考えても無駄だろうに。
「……そんな約束、私が守ると思う?」
「もちろん。君は寝坊することはあっても、ちゃんと約束は守ってくれる奴だからね」
「…………」
薄情者のこいつでも、情はあったのか。それとも寝坊云々は思い当たる節があったのか。目に見えてフリーレンは大人しくなっていく。もしかしたら、同じようなお願いをされたことがあったのかもしれない。
「
それがきっとフリーレンへの口説き文句、殺し文句だったのだろう。きっとこの十年、説得するために温めていたに違いない。一度ではなく、二度言うあたり、経験が生きているのだろう。分かるのは一つだけ。
「…………どうなっても知らないからね」
私もこいつも、どうあっても勇者には敵わないという、今更な事実だけだった────
(やれやれ……一応これで一段落かな? やっぱり嘘をつくのは性に合わないな)
まるで大きな荷物を下ろしたような感覚だ。溜息を吐くのを我慢するので精一杯。それもそうか。溜まりにたまったツケが一気にやってきたようなものだったのだから。
そのまま、自分の左腕に嵌められた腕輪に触れる。まだ違和感はあるが、それも今だけだ。きっとすぐに慣れてしまうに違いない。嘘をついていることとは違って。
何故なら、この支配の石環は偽物なのだから。正確にはレプリカ。違うのは効力は発揮しないが、術式は忠実に再現されていること。そのおかげもあって、フリーレンの目も誤魔化すことができたらしい。
元々はハイターが、アウラが何かの拍子で解放されてしまった時の保険として僕に渡してきた物。流石は生臭坊主だ。僕にはできないことを、代わりに被ってくれる。
(嘘をつかない、か……僕たちの方がよっぽど嘘つきかもね)
いつかの誓いを、約束を思い出す。それをこんなに早く破ることになるなんて。思いもしなかった。
本来、これはアウラに嵌めて使うはずの物だった。人間を傷つけてはいけないと命じた上で。それを破れば命を落とすという安全装置。実際に効力はないものの、行えば死んでしまうかもしれない行為を試すことなどできない。いわば偽物の枷だ。応急措置に近いような物。いつ噓がバレてしまうかも分からない。
だからこそ、僕は違う使い方を選択した。自分自身にその腕輪をすることで。自分自身を人質にするように。魔族であるアウラにも、僕の覚悟が伝わるように。きっとこのぐらいしなければ、通じないだろうから。ただ、もう一人を騙すことができたかどうかは分からない。
(まさかこんなに早くフリーレンがやってくるなんて……こういうのを嬉しい誤算って言うのかな)
彼女は葬送のフリーレン。最高の魔法使い。僕たちの仲間なのだから。もしかしたら途中からは分かっていて合わせてくれていたのかもしれない。いや、あきらめたのかも。
なぜなら、この腕輪に誓ったことは本当なのだから。例えこれが偽物でも、あの誓いは本物だ。魔法の力ではない。僕がそう決めたからこそ。薄情なフリーレンでも、それを汲み取ってくれたのだと信じたい。
(ハイターに何て言われるか……アイゼンにはきっと罪な男だって言われるんだろうけど)
こんなことがバレたら、あいつらに何て言われるか分からない。でも仕方ない。僕はいくつになっても僕のままだ。子供の頃も、大人になった今も、老人になっても。
フリーレンに、アウラと主従関係になってもらうのも、本当は少し悔しいけど仕方ない。何よりも、それは僕にとっても喜ばしいことだからだ。
あの日願った、誰にも明かすことができていない夢を叶えるために。僕が彼女と友達になれたのなら、きっと。そんな夢物語。ようやく訪れたその第一歩は
「…………」
「…………」
ご覧の有様だった。
「二人とも、いつまでそうやってるつもりだい?」
「お腹すいた」
そこにはまるで微動だにせず、互いに睨み合っている僕の仲間と友達の姿。端的に言って修羅場だった。いつかハイターが言っていた戯言が現実になった形。もう小一時間は経つだろうか。いつの間にか夕方になってしまっている。飽きたのか、それとも空腹が堪えたのか、リーニエも音を上げてしまっている。
「それはそいつに言うんだね。いつまで経っても魔法を使わないんだから」
「あんたこそ、魔力が乱れてるわよ。服従させられるかもしれなくて怯えてるんじゃない?」
でも二人にはそうではないらしい。アウラはその手に天秤を持ちながらも、魔法をかけるのを渋っている。対してフリーレンはそれを不満げに見据えているだけ。まさに犬猿の仲だろう。それもそうだ。魔族と葬送の魔法使い。怨敵であり天敵同士。それが向かい合っているのだから。
正直言えば僕も逃げ出したい。でもそれは叶わない。思わず体が震えてしまいそうだ。アイゼンのことも言えない。
「これは嫌悪だ。お前の魔法は最低に趣味が悪いからね。反吐が出る」
「奇遇ね。私もあんたの顔を見るだけで反吐が出るわぁ」
互いに互いを罵り合う。言葉の間違った使い方。口が裂けても言えないが、きっと似た者同士なのだろう。そんな二人が主従になり、一緒に暮らすことになる。僕も一緒に。友達として、二人に友達になってもらうために。
それはもしかしたら、魔王を倒すよりも困難かもしれない。でもワクワクする自分がいる。そうだ。困難は大きければ大きいほどいい。何故なら
(後日譚じゃなくて……新しい冒険譚の始まりかもしれないね)
僕は冒険が大好きなのだから。終わったはずの僕たちの冒険が、もう一度始まるのだから。きっと自伝を書いている暇もないに違いない。でもその前に
「ヒンメル。へどって何?」
「リーニエは知らなくていい言葉だよ。間違っても口にしないようにね。リリーにも叱られてしまうから」
「うん。反吐が出る」
「……リーニエ、ちょっと向こうでお話ししようか」
もう一人の、我が一番弟子に悪影響が出ないようにするところから始めるとしよう────