ヒンメルはもういないじゃない【完結】   作:HAJI

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第四話 「悪夢」

「うーん……」

 

 

まどろむ意識の中。ゆっくりと体を起こす。まだまともに目も開けれない。ただ瞼の裏からでも、日が昇っていることは分かる。でもはっきりしない。今がいつで、ここがどこなのか。

 

そのままゆっくり起き上がり、手探りで何とか着替えをする。段々と目が慣れてくるが、やはりはっきりしない。見たことのない部屋だ。野宿ではなかったらしい。宿を取っただろうか。でも覚えがない。しょうがない。外に出れば思い出すだろう。

 

ふらふらした足取りで、見知らぬ階段を下りていく。髪はぼさぼさだが仕方ない。とりあえずはここがどこか確認しなくては。そんな夢心地な感覚は徐々に晴れてくる。

 

それは空気だった。いや匂いか。自分以外の誰かがいる。物音が、気配が。匂いがしてくる。気づかずにいた空腹感が刺激されるような、香ばしい香り。同時に、忘れかけていた、忘れようとしていた、記憶が蘇ってくる。あれは何だったか。

 

そうだ。千年以上前。まだ私が幼かった頃。いつも寝坊して起きてくる私を嗜めながら、台所で振り返りながら窘めてくる師匠(先生)の郷愁は────

 

 

 

「……ようやくお目覚め? 勇者一行の魔法使い様はいいご身分ね」

 

 

 

あり得ない。赤い魔族のエプロン姿によって木っ端微塵に砕かれてしまった────

 

 

「…………」

「何よ。気持ち悪い顔して」

 

 

まるで害獣でも見るかのような視線を向けられているが、そんなことはどうでもよかった。ただ思考が完全に停止してしまっている。こんなことは生まれて初めてだ。油断と驕りどころではない。言葉が出てこない。これでは魔族以下だ。でも仕方がない。

 

それほどまでに致命的なほどに似合っていない。生き物は目から入ってくる刺激に反応せざるを得ない。だが脳がそれを理解し切れていない。一体どこにエプロンをつけて、台所に立っている大魔族がいるというのか。

 

 

「おはようフリーレン。珍しいね。こんなに早く起きるなんて。ハイターがいればきっと褒めてくれただろうね」

「あいつは一体何なのよ」

 

 

そんな中、当たり前のように挨拶してくるヒンメル。そういえばいたんだっけ。すっかり忘れてしまっていた。でもしょうがない。目の前の光景に比べたらそんなことどうでもいい。いや、もしかしたらこれは夢なのかもしれない。なので

 

 

「ヒンメル……ちょっと耳を引っ張ってくれる?」

 

 

そうヒンメルにお願いする。もしかしたらこのヒンメルも夢かもしれないけど、いないよりマシだろう。

 

 

「え? どうしてそんな」

「いいから」

 

 

戸惑っているヒンメルに強引にそう告げる。事態は急を要する。そういえば前、私の耳を触りたそうにしているのを見たことがあった。ちょうどいい機会だろう。エルフの耳に触れる機会なんてそうあるものじゃない。ちょっとした加護があってもおかしくないほど。だが

 

 

「……痛い」

「だろうね。一応手加減したんだけど」

「馬鹿じゃないの」

 

 

私には何の加護もなかったらしい。痛かった。思わず泣いてしまうぐらい痛い。ヒンメルめ。あとで覚えているといい。

 

 

「夢かどうか確かめたかったんだよ。魔法で夢を見せられてるんじゃないかってね」

「そうか……目は覚めたかい?」

「そうだね。夢ならどれだけよかったか」

「奇遇だね。僕もまるで夢を見てるみたいだよ」

 

 

痛む耳をさすりながら、事情を白状するも何故か楽しそうに笑みを浮かべているヒンメル。他人事だと思って。そう愚痴を漏らすしかない。夢であってくれればどんなに良かったか。まだ精神魔法で幻覚を見せられている方がマシだっただろう。悪夢でしかない。頭痛がしてくる。それもこれも

 

 

「そういうお前は一体何をしてるの、アウラ?」

 

 

まるで私が魔族を見るような冷たい視線を向けてくる、大魔族であり、七崩賢の一人。断頭台のアウラが晒してきた奇行によるものだったのだから。

 

 

「見て分からないわけ? 家事よ。あんたたちで言う仕事だったかしら。勇者様に命令されて仕方なくね」

「言い方ひどくない?」

「事実でしょ」

 

 

私の問いかけに、逆に何をこいつは言っているのかと言わんばかりに返してくるアウラ。そこに違和感はない。振る舞いどころか魔力にも揺らぎはない。ごくごく自然なもの。それがいかに異常なことであるか気づけていない。何よりも

 

 

「何でそんなことをする必要があるの? お前はもうヒンメルに従わされていないのに」

 

 

そんな命令、もう聞く必要がないことに。だってそうだ。もうこいつはヒンメルに従わされていないのだから。代わりに私が従えることになってしまったが、そんな命令は下していない。なのに何でそんな無駄なことをしているのか。理解ができない。

 

 

「────」

 

 

どうやら本当にこいつは気づいていなかったらしい。目を丸くして、その場に立ち尽くしている。愚かでしかない。言葉を話す魔物でも、ここまで愚かではないだろう。

 

 

「そういえばそうだったね。すっかり忘れてたよ」

「……ヒンメル。あんた」

 

 

だがヒンメルはきっと気づいていたのだろう。そのうえで、きっと黙っていたに違いない。良い性格をしている。してやったりといった笑みを浮かべているヒンメルをアウラは凄まじい形相で睨みつけている。だが手に持っているのが天秤ではなく調理器具なので威厳も何もあったものではない。

 

 

「随分飼い慣らしてたみたいだね。趣味が悪いね」

「全くだわ。いい迷惑ね」

「何だろう? 僕、何か悪いことをしたかな?」

 

 

目を回しかねない下らない情報を何とか処理しながら、そう結論づける。ようするにこれは全てヒンメルの趣味だったのだ。人間が動物を飼って芸を仕込むのと同じ。飼い慣らされてしまっている。それを魔族にするのはヒンメルぐらいだろうが。仕込むにしてももっとマシな芸があるだろうに。本当に趣味が悪い。その点においてはアウラと一致してしまったらしい。反吐が出る……と言いかけるも何とか抑え込む。本当に質が悪い。

 

 

「それよりも朝食はどうだい? 僕たちはもう済ませてしまったけど」

 

 

このままでは分が悪いと悟ったのか。露骨に話題を変えてくる小賢しさ。そういえばヒンメルはこういう奴だった。そのままあれよあれよという間にテーブルに着かされ、目の前に料理が運ばれてくる。

 

 

「何これ?」

「アップルパイさ。アウラ特製のね。我が家での定番なんだ」

「……そう」

 

 

もはや突っ込む気すら起きない。何を言っても不毛な言い合いになるのは分かり切っている。受け入れるしかない。まるで楽しい冒険譚を話す子供のように自慢してくるヒンメルを前にあきらめてしまった。アウラもそれは同じなのか。無言でこちらを流し見しているだけ。

 

 

「…………」

「どうだい? フリーレン。感想は?」

「毒は入ってないみたいだね」

 

 

もくもくと出されたアップルパイを咀嚼しながら、悟られないように忌憚のない意見を述べる。本当なら口にするのも嫌なのだが仕方ない。それもこれもヒンメルのせいなのだから。こんな物を作れるようになるまで、こいつを躾けていたのか。

 

 

(まさか服従の魔法(アゼリューゼ)にこんな使い方があったなんてね‥‥…)

 

 

食事をしながら、自らとアウラの間にできている魔力の流れ、繋がりを感じ取る。お互いの魂を天秤に乗せ、魔力が多い方に隷属させる。やはり魔族の魔法はとんでもない。呪いの域にある、人類では到達できないほどの高みだ。それでも魔法にはリスクが、イメージが付き纏う。その結果がこれだ。まさか私が魔族を使役することになるなんて。夢にも思っていなかったが。ようやく思い出せた。

 

それはあの後の顛末。アウラを服従させた後のこと。服従の三原則と呼ばれる、ヒンメルがアウラに強いていた命令を、そのまま引き継いだ形。それ以外にも細かな命令もあったが、それには少なからず感心させられた。

 

それは相手の自由意思を残しながら従わせるためのもの。アウラのように物言わぬ完全な傀儡にするのではなく、自発的に動かすための。それが洗練されていた。無駄がない。食人衝動すらコントロールしている。魔族が人間社会に適応せざるを得ない仕組み。これはきっとヒンメルだけではない。ハイターも一枚嚙んでいるのだろう。

 

 

(こいつが言っていた家畜云々は本当だったってことか……)

 

 

そのままいつの間にか追加されていたパイを食べながら思い出す。あの時のアウラとのやり取り。今ならその意味が分かる。そう、あれは皮肉、いや自虐だったのだ。今の自分が家畜であり、愛玩動物であるのだと。多くの英傑たちの魂を汚してきたこいつに相応しい末路でもある。もっとも、それとはまったく釣り合っていない罰だが。そもそもこいつら魔族には罪や罰なんて概念はない。いなくなった、殺した人間のことなどどうでもいい。ヒンメルのことだ。きっと絆されて、償いをさせようなんて考えているんだろう。そんなことをしても無駄なのに。

 

 

「何だい、フリーレン? 久しぶりに会った僕のイケメンぶりに目を奪われてるのかな」

 

 

そんな私の視線をどう勘違いしたのか。髪をかき上げながら、いつものように格好をつけ始めてしまうヒンメル。その動きには覚えがあった。確かイケメンポーズ集だったか。忘れたくても忘れられない、下らない記憶。あれは本当に長かった。こんな物を未来に持っていくなんて約束しなければよかったかもしれない。ここで返してしまおうか。

 

 

「……?」

 

 

そんな中、ふと気づく。昨日から何となく感じていた違和感。あんな再会だったのもあってか、気のせいかもと思っていたこと。

 

 

「えぇー……何?」

 

 

それを確かめるために、ヒンメルの顔を掴んで凝視する。うん。間違いなく実体だ。ではなく。

 

 

「フリーレン。イケメンの僕にもっと触れたいって気持ちは分かるけど、大胆っていうか……」

 

 

何を嬉しがっているのか。イケメン云々をようやく私が認めたのだと勘違いしたのか。そんなよく分からないことを口にしているヒンメルを無視しながら確認する。やはり間違いない。

 

 

「ヒンメル、もしかして老けた?」

 

 

老けている。老いている。それが違和感の正体だ。遠目に見ればそうでもないが、やっぱりそうだ。たった十年しか経っていないのに。

 

 

「────」

 

 

その瞬間、掴んでいたヒンメルの動きが固まってしまう。その顔が引きつってしまっている。どうしたのか。拘束魔法をかけたわけでもないのに。

 

 

「今いくつなの?」

「……もうすぐ四十だよ」

「うん。おっさんだね」

「ひどくない?」

 

 

今にも泣きそうな、情けない顔になっているがそのしわやたるみは誤魔化しきれていない。そういえば王都でもハイターもおっさんになってしまったと言っていたが、自分もそうだと気づけていなかったのか。そういえば、ヒンメルとハイターは同じ年だったか。ならきっとハイターもさらにおっさんになっているに違いない。変わらないのはアイゼンぐらいだろう。そんなことを考えながら、涙を流しているヒンメルの顔を弄っていると

 

 

 

「────下らないことやってないでさっさと食事を終わらせなさい。あんたと違って暇じゃないのよ」

 

 

まだいたのか、まるで食器を割らんばかりの勢いで洗い物をしているアウラがそんな耳障りな声で囀ってくる。そんなことする必要なんてないと指摘したばかりだというのに。無意識なのか。それともこれも新手の命乞いなのか。

 

 

「お母さんにでもなったつもり? 全然似合ってないよ」

 

 

自分がお母さんにでもなったつもりなのか。鳴き真似ができない年齢だからそう装っているのか。何にせよ最低に趣味が悪い。服従の魔法といい勝負だ。それに

 

 

「────」

 

 

アウラはもちろん、ヒンメルも言葉を失ってしまっている。二人して、目をぱちくりさせて顔を見合わせている。もうヒンメルは主人ではないと指摘してやった時よりずっと驚いている。分からない。そんなに私はおかしなことを言っただろうか。おかしいのは二人だろうに。

 

 

「ふっ……はは、ははは! 君にもそう言われるなんて、流石だねアウラ?」

「……笑うんじゃないわよ。殺すわよ」

「……?」

 

 

さっきまでのこの世の終わりのような情けない顔はどこに行ったのか。ヒンメルはそのままフリーレンの掌に挟まれたまま笑い始めてしまう。そんなヒンメルをどこか恨めしそうに、言葉通り殺気を放っているアウラ。

 

 

フリーレンは知らない。二人が何故笑っているのか。怒っているのか。

 

 

フリーレンは知ることになる。否応なく。それが何をもたらすことになるのか知らぬまま。

 

 

それがフリーレンとアウラにとっての悪夢。ヒンメルにとっては夢の始まりとなる朝の一幕だった────

 

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