ヒンメルはもういないじゃない【完結】   作:HAJI

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第五話 『宝箱』

「…………悪夢だわ」

 

 

知らずそんな独り言が口から零れてしまう。そう、夢なら覚めてほしい。何かの間違いであったならどれだけ良かったか。だが夢ではない。その証拠に台所で洗っている水の冷たさも、感触も本物だ。ふと目を向けた先にある光景も。

 

 

(何でこんなことに……!? 決まってるわ、あれもこれも全部このクソエルフのせいよ……!)

 

 

そこには一匹にエルフがいた。見間違いようのない、魔族にとっての天敵であり、私にとっては悪夢の具現のような存在。朝起きたらいなくなっているのではないか、そんな淡い期待はやはり叶わなかったらしい。

 

 

(起きてすぐこいつの顔を見るなんて、吐き気がするわぁ……)

 

 

きっと今の私は酷い顔をしているのだろう。思い出すのは十年以上前。勇者に服従させられ、散々振り回された挙句、寝不足で目覚めた記憶。あれが私の生きてきた中で最悪の目覚めだったのだが、まさかそれが更新されるなんて。悪夢でしかない。

 

 

(これならまだヒンメルの方がマシだったわね……)

 

 

ヒンメルには決して漏らせないが、内心舌打ちする。そう、これならまだヒンメルの方が百倍マシだった。自らの魔法によって服従させられ、人間たちの言いなりになり、家畜のように生き永らえる。大魔族のこの私が。耐えられない屈辱だったが、それでもこれまで耐え忍んできた。

 

だがやはり私は魔族、獣なのだろう。刷り込みだったか。どんな異常なことも、それがずっと続けば慣れてくる。当たり前になってくる。主人でもあるヒンメルの習性も、その周りの環境にも慣れてきた。人間社会における地位すらも私は獲得しつつある。私の存在に懐疑的だった王国の連中ですら例外ではない。だというのに

 

 

「昨日は眠れたかい、フリーレン?」

 

 

それが全く通じない、そして壊しかねないのがあのエルフだ。今まで私が十年かけてやってきたことを、築いてきたことを台無しにされてしまう。それがこの吐き気、いや嫌悪の理由だ。こいつ曰く、反吐が出るだったか。まさに言葉通りだろう。魔法を愚弄する卑怯者の魔法使いだからでも、エルフだからでもない。私は生理的にこいつを受け付けないのだ。

 

 

「まあね。そいつらを監視するのが面倒だったけど」

「よく言うわ。誰よりも早く間抜け面晒して眠ってた癖に」

 

 

そんな私の視線を感じ取ったのか。恥を晒しているエルフがそんな世迷言をほざいてくる。魔族でももっとマシな嘘をつくだろう。私たちを監視する名目で一緒に寝る羽目になったが、真っ先に間抜け面を晒して眠っていたのがこいつだ。まるで子供のような奴。思わず叩き起こしてやろうと思ったほど。その証拠にその髪はボサボサだ。寝起きそのままにここにやってきただろう。極めつけがお母さん呼びだ。こいつは私の神経を逆撫ですることしかできないのか。葬送にしてもやりすぎだ。

 

 

「まあいいじゃないか。フリーレンも無理しなくても大丈夫だよ。いざとなったら今まで通り僕が代わりに」

「必要ないよ。こいつを野放しにするわけにはいかない」

「残念だったわね、ヒンメル? こいつと一緒に寝れなくて」

「そ、そんなことはないさ。これまで十年一緒に旅してきた仲だからね。何の心配もいらないよ」

「よく言うわ。女も知らないくせに」

「そ、それは関係ないだろう?」

 

 

それとは対照的に絶好調、興奮している愚かなヒンメルに釘を刺す。本人は抑えようとしているようだが、言動の節々からそれがバレバレだ。元々こちらがうんざりするぐらいテンションが高い奴だが、その比ではない。まるで念願のおもちゃを手に入れた子供のよう。いや、子供なのは間違いではない。こいつの話が本当なら、ヒンメルは十年、こいつと寝食を共にしながら手を出していないのだから。妄想するのが精一杯だったに違いない。ハイターもアイゼンも呆れていたのだろう。だが

 

 

「……? よく分からないけど、気になるならヒンメルが出ていけばいいよ」

「え? 僕が? 僕の家なのに?」

 

 

一番の子供、お子様なのはこのエルフに違いない。薄情者どころではない。こいつには本当に人の心がないのだろう。魔族である私がそう感じてしまうほどに。十年以上待ちわびた、年上であり憧れの女性に家から出てけばいいと言われてしまう勇者様。それによって流石のヒンメルも動揺している。哀れでしかない。アイゼンの言葉を真似るなら、罪な女という奴なのか。いや、そもそもこいつは罪であることを気づいていないのかもしれない。本当に魔族みたいなやつだ。そんな混乱の中

 

 

「…………」

 

 

気配を消したまま、部屋の入り口で小動物のようにこちらの様子を窺っている、もう一匹の魔族がいた。

 

 

「……何?」

「…………」

 

 

さっきまでの醜態をなかったことにしながら、まるで空気が冷たくなるような視線と共にフリーレンは身を隠している魔族、リーニエを見据えている。この二面性がこいつの厄介さでもある。私たちに対する油断と驕りが見られない。付け入る隙も。騙すことができない人類がこんなにも厄介だとは。それはきっとリーニエも同じだろう。

 

 

「恥ずかしがってるのかな」

「どう見ても怯えてるだけじゃない」

 

 

やれやれとばかりに的外れなことを口にしているヒンメルに呆れるしかない。こいつはどこまで本気で言っているのか。そんなことをするのはリリーぐらいだ。いや、最近はもうそんなことはなくなったのだがそれはともかく。

 

それは間違いなく、魔族としてのリーニエの処世術だった。自らの安全、平穏な生活のためにヒンメルの庇護を得る。そのために人間の子供の振りをする。それによってここまでリーニエは生きてきたのだから。

 

しかしそれがこのエルフには、葬送のフリーレンには通用しない。しかもそれがヒンメルではなく、新たな主人になってしまったのだから。どう接したらいいのか分からないからこそ、ずっとそうやって身を隠しているのだろう。ようするに怯えているのだ。

 

 

「賢明だね。お前も見倣ったらどうなの?」

「そっくりそのままお返しするわぁ。魔族よりも魔族らしいあんたにはお似合いね」

「言葉には気をつけるんだね。自分が服従させられてるのを忘れたの? いつでもその首を落とされてもおかしくないんだから」

「やれるものならやってみなさい。その時はヒンメルも道連れよ。あんたに殺されるならこいつも喜ぶでしょうね」

「こらこら二人とも。リーニエの前だよ? 言葉には気を付けるように」

 

 

暗に私が魔族らしくないと馬鹿にしたのだろう。今の私にもそのぐらいは理解できる。だからこそそのまま言い返してやる。魔族に人間の振りを学んだらどうなのか。人間の真似だけならリーニエにも劣るくせに。それに対する反論が暴力なのだから救いようがない。人類が大好きな法も秩序もこいつにはないのだ。あるのは魔族への殺意だけ。

 

それに対してヒンメルを道連れ、盾に利用する。私が頼んだわけでもないのに命を懸けてくる変人だが、人質ぐらいにはなるだろう。もしかしたらそれが嬉しいのかもしれない。こいつに殺されるならきっとヒンメルも本望だろう。

 

 

「……ヒンメル。助けて」

「そうだね。じゃあ二人で逃げようか。僕たちは師弟だからね」

 

 

自らの身に危険が迫っていると察したのか。再びヒンメルを頼りにしているリーニエ。しかし悲しいかな。それとも分が悪いと瞬時に判断したのか。リーニエを唆しながらその場から撤退しようとしている臆病勇者。間違いない。こいつは旅の途中でもこうやって逃げ回っていたに違いない。本当に小癪な奴。

 

 

「本当にそいつを育ててるの? 魔族は子育てなんて必要ないのに」

 

 

私たちを言葉を話すだけの人食いの獣としか見ていない視線に、どこか懐かしさすら感じる。成人した、断頭台である私はともかく、子供のリーニエにもそれができるのはこいつぐらいだろう。歴戦の魔法使いでも難しいだろうに。

 

しかしその指摘に関しては同意せざるを得ない。私たちは魔族なのだから。人間とは違う。家族も、親子も私たちには分からない。無論、ヒンメルもそれは理解しているだろう。いつかの時に言っていた。償うことも、お母さんも、私たちには理解できないだろうと。でもそれでもいいと。

 

 

「子供じゃなくて弟子さ。どうだい、フリーレン。僕の一番弟子は?」

 

 

楽しいから。それがこいつに行動理念。こうして私と友達になるのも、リーニエを弟子にするのも。こいつが楽しいからそうしているだけ。そこに人間も魔族もない。何もかも違う価値観を持つ私たちが唯一共通する感情だろう。もっともそれがごっこ遊びだというのが本当に趣味が悪い。偽物がいつか本物に、なんて世迷言をまだ信じているのだろうか。

 

 

「悪い冗談だね。ただの魔族の命乞いだよ。本気にするなんて無駄だ。何なら命令して本音を吐かせてあげようか?」

 

 

それを他でもない、勇者一行のかつての仲間が断じてくる。紛れもない、覆しようのない事実。もしリーニエに問い質せば、きっといつかと同じように答えるだろう。私は生き残りたいだけ、騙しているだけだと。本当に無駄なことだ。そんなことをしても意味なんてない。そんなこと、ヒンメルはとうに知っているのだから。そもそもこの子は偽ることができない。そう私に命じられているのだから。

 

だが同じ勇者一行でもここまで違うのか。それはヒンメルなら決してしないことだった。ヒンメルならそうした、がこいつらの習性だと思っていたのだが、こいつは例外だったのだろう。気をつけなくては。

 

 

「仕方ないね……これはとっておきだったんだけど。やるしかないかな。リーニエ?」

「……うん。分かった」

 

 

魔族としてフリーレンの習性と反応を観察していると、師弟のごっこ遊びはまだ続いていたらしい。こそこそと何やら相談している。どうせまた下らない悪巧みだろう。

 

 

「……何? また命乞いでもさせる気? 無駄だよ。二度も同じ手は通用しないよ」

 

 

それを前にして、フリーレンの反応もまた淡々としている。リーニエがまた命乞いをしてくると思っているのだろう。あの時はお父さんとお母さんの合わせ技だったか。それに後れを取ったのがよっぽど堪えたのか。警戒心を隠しきれていない。同じ間違いは繰り返さないとばかりに。

 

 

「当たらずとも遠からずかな。まあ見ていなよ」

 

 

そんなフリーレンの内心などお見通しだとばかりに、いつものように癪に障る笑みを見せながらヒンメルはそう告げる。同時に命令を待っていたかのように、リーニエがその場から、てててと駆けていく。まるでお使いに行くかのような足取りで。だがあっという間に戻ってくる。違うのは、両手で何かを抱えているということ。

 

 

「……これ」

 

 

どこか恐る恐る。まるで野生の動物に何かを差し出すかのように、リーニエはその抱えていた何かをフリーレンに向ける。そんな行動が予想外だったのか。どこかフリーレンは心ここにあらずと言った風。しかしそれは束の間。

 

 

「これは……?」

 

 

徐々にフリーレンの反応に変化が生じていく。まるで今まで寝ぼけていたのが覚めていくかのように。無意識だったのだろう。ゆっくりとその手で、リーニエが差し出している物を掴んでいる。その手が震えているような気がする。だが理解できない。何をそんなに動揺することがあるのか。きっとリーニエもそれは同じなのだろう。不思議そうな顔で、それを眺めているだけ。当たり前だ。何故なら

 

 

「『シロップを出す魔法』の魔導書さ」

 

 

ただの一冊の魔導書だったのだから。

 

 

「────」

 

 

ヒンメルの言葉によって、明らかにフリーレンの目の色が変わった。まるで魔族が人間を前にしたかのように。動物的な反応、習性なのか。受け取った魔導書に目を奪われている。シロップを出す魔法……確か私も覚えさせられていたが、役に立たない、価値のない魔法でしかなかったはず。伝説級の物でもない。なのにどうして。

 

 

「たまたま見つけてね。どうだい? リーニエの命乞いを聞いてくれるかい?」

「かい?」

 

 

どこか得意げな顔をしながら、自信満々といった風にヒンメルがそう問いかける。意味が分かっていないだろうにそれを真似している一番弟子。

 

それによって思い出す。それは勇者一行によって嫌になるほど聞かされた話、いや醜聞だった。あまりにも酷すぎて、聞き流していた下らないもの。

 

 

曰く、昼まで寝坊するのが当たり前。世話をしないといけない。

曰く、老人扱いすると三日三晩泣き喚く。

曰く、何度言っても魔導書欲しさにミミックに引っかかる。

 

 

寝坊云々は目の当たりにしたが、魔導書云々もまた事実だったのだろう。だが

 

 

「…………甘く見られたものだね。こんな魔導書一冊で私が魔族に絆されるなんて」

 

 

流石にそこまで馬鹿ではなかったらしい。こんな分かりやすい買収に絆されるなんて、子供以下だ。そう考えるも

 

 

「ああ、そうそう。実は君がやってきたら見せようと思って集めてた魔導書があってね。二階の書斎にそれが」

「命拾いしたね。ヒンメルに感謝するんだね」

 

 

まるで面白いようにヒンメルの掌の上で転がされながら、一匹のエルフはそのまま奇声を上げながら二階へと駆け上がって行ってしまった────

 

 

「…………」

 

 

声をかける間もない早業。リーニエから渡された魔導書も奪い取ったまま。残された私たちは嵐が去ってしまったように静まり返ってしまう。

 

 

「どうだい? 僕の完璧な作戦は?」

「やってることがハイターと同じじゃない」

「? 飴坊主はここにはいないよ、アウラ様?」

 

 

自らの目論見が全て上手くいったからか。気持ち悪いしたり顔でそれをアピールしてくるヒンメル。鬱陶しいことこの上ない。やっていることはリーニエに飴をあげるハイターと同じだった。いや、それよりもみっともない。

 

 

「そうね。私たちの命は魔導書以下ってことよ」

「ヒンメル、私、上手くできてた?」

「流石は僕の一番弟子だね。ちゃんとフリーレンを騙せていたよ」

「騙したって認めたわね、あんた……」

 

 

自分たちの命が魔導書以下だと証明されたことに呆れながらも、ヒンメルの開き直りっぷりにも辟易させられる。リーニエにも分かるように伝えたつもりなのだろうが、フリーレンが聞けば卒倒しかねない。やり口が生臭坊主のそれだ。こいつらは本当に仲間なのか。

 

 

「本当にあんたは気持ちが悪いぐらいあいつのことを知ってるのね」

「それほどでも。フリーレンにとって魔導書はミミックのようなものだからね」

「人の書斎を罠扱いするんじゃないわよ。そんな物に引っかかるのはあのエルフぐらいね」

 

 

だがあのエルフの習性を誰よりも理解しているのは間違いないだろう。これだけ手玉に取っているのだから。あのエルフが単純なだけなのかもしれないが。雛に餌をやるようなもの。いつかアイゼンたちが言っていたミミック作戦の応用か。まさかそれを見越して書斎を作ったというのか。こいつならあり得る。この家そのものがフリーレンにとってはミミックような罠だったというのことか。馬鹿なのか。

 

 

「そういえばアウラ、君にお願いがあるんだ」

 

 

そんな中、唐突にヒンメルがそんな、いつものようなことを口にしてきた。本当に脈絡のない奴。

 

 

「私がそんな命令きくと思ってるの? もうあんたにそんな権利はないわよ」

「もちろん分かってるさ。だからこれは命令じゃなくて願いなのさ。僕たちはもう主従じゃなくてただの友達だからね」

「……それ、本気で言ってるわけ?」

「もちろんさ。だって今もそのアクセサリをしてくれているだろう? だからそう思ってたんだけど、違ったかな?」

「…………いちいちそんなこと言わなくてもいいわ。馬鹿じゃないの」

「どこかの誰かさんに言われたからね。言葉で言わないと伝わらないって。それから僕もそうしてるんだよ」

 

 

ああ言えばこう言う。この図太さは主従が解消されても変わらない。いや、さらに酷くなってしまっているぐらいだ。一々私が口にしたことを蒸し返して。本当に気持ちが悪いぐらい私を見ている奴だ。私でこれなのだ。あのエルフはその比ではないに違いない。こいつに狙われてしまったという点では、あのエルフが逃げ回っていたのは正解だったのかもしれない。

 

 

「……もういいわ。さっさと要件を言いなさい。下らないことじゃないでしょうね?」

 

 

これ以上続けても不毛でしかないのでそうあきらめる。主従関係ではなくなったとしても、あのエルフと関わる以上、こいつとは離れられない。リーニエに倣うだけではないが、あのエルフに対抗するためにヒンメルを頼りにする必要がある。そう結論付けるも

 

 

「簡単なことさ。君にこの魔法を覚えてほしいんだ」

 

 

まるでさっきのリーニエの真似のように、一冊の魔導書をヒンメルは私に差し出してきた。

 

 

「私に……? 何で今更そんなこと」

 

 

それに思わず私はフリーレンではないと言葉が出かかるも寸でのところで飲み込み、それを受け取る。だが困惑は隠し切れない。まるでそう、最初の頃を思い出すようなやり取り。今度は私に一体何を仕込もうというのか。もうフリーレンはいるというのに。

 

 

「きっとこれから必要になるからね。君にとっても悪い話じゃない。さっき言っただろう? あそこはフリーレンにとってはミミック、宝箱なんだ」

「……?」

 

 

それに楽しそうに、遠回しな言い方でしか答えないヒンメル。まるでお楽しみとばかりの笑顔を見せている。こいつには見えているのだろう。これから何が起きるかが。本当に気持ち悪いぐらい、こいつはあのエルフのことを知っているのだろう。それに巻き込まれるこっちは本当にいい迷惑だ。

 

残ったアップルパイを盗み食いしているリーニエを嗜めながら、洗い物に戻ることにする。する必要のない命令に従いながら。テーブルの上に残された魔導書の表紙にはこう綴られていた。

 

 

『命懸けで宝物庫の扉を閉じる魔法』

 

 

アウラはまだ知らない。それが『エルフを捕まえる魔法』以上に、フリーレンに対抗できる魔法になることに────

 

 

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