「おはようアウラ! 今日もいい天気だね」
「…………」
開口一番。こっちはまだ頭も働いていないというのに、朝っぱらから目も覚めるような挨拶をかましてくるヒンメル。最悪の目覚めはあのエルフだが、こっちも負けず劣らずだ。いつもの賑やかさの五割り増し。それに加えてその格好も普段とは違っていた。思わずそれに目を奪われてしまう。そのせいで何を勘違いしたのか。
「どうしたんだい? もしかして僕のイケメンぶりに見惚れて」
「おっさんは黙ってなさい」
「はい」
待ってましたとばかりに格好をつけたポーズを取ろうとする前におっさんで黙らせる。ハイター曰く、四十前にもなってみっともない、だったか。人間の寿命で言えば今のヒンメルの振る舞いは見苦しい物らしい。私にとっては十年前からそうなのだが、やはり効果は覿面だ。明らかに大人しくなる。これでやっと平時だろう。
「朝から馬鹿みたいに騒がないで頂戴。頭が痛くなるわぁ」
「失礼な。僕はいつも通りさ」
「いつもはしない朝食を作りながら何言ってるのよ。リーニエも騙せないわね」
「たまたま早く目が覚めてね。最近は一階で寝泊まりしてるから早く起きてしまうのさ」
「文句は私じゃなくてあのエルフに言いなさい」
暗に自分が追いやられてしまっていることをアピールしたいのだろう。小賢しいことを。それについては私には何の関係もない。あのエルフに文句を言えばいい。何がいつも通りだ。いつもはしないエプロンをして朝食を作っているのがいい証拠だ。全く似合っていない。畑仕事の麦わら帽子といい勝負だろう。ようするに早起きして暇を持て余している気紛れだ。もしかしたらフリーレンに逃げられないように見張っていたのかもしれない。ご苦労なことだ。そんな中
「……おはよう」
目をこすりながら、抑揚のない声真似をしながら階段を下りてくる我が従者。主従揃って、ではないがこの子もまだ目が覚めきっていない。その証拠に髪もボサボサだ。きっと理由は私と同じだろう。久しぶりに安眠できた。ただそれだけ。あとで髪を整えさせなくては。
「おはよう、リーニエ。今日はちょっと寝坊したのかな」
「…………」
「え? 無視? 反抗期かな?」
それにさっきの私と同じように挨拶するも返事をしないリーニエ。一瞥はするものの、そのまま私と顔を見比べている。まともに相手にされないのはいつものことだが、少し勝手が違う。それは
「…………アウラ様、怒ってる?」
「何でよ?」
どうやら私が怒っていると思ったからだったらしい。何故そうなるのか。確かにさっきまではヒンメルと下らないやり取りをしていたが、この子は見ていなかったはず。そもそも別に私は特別怒ってはいない。呆れてはいたが。
「ヒンメルが料理してるから。怒られたんじゃないの?」
「え? どうしてそうなるのかな?」
それはヒンメルの下らない気紛れと格好のせいだったらしい。ようするに私に怒られたから機嫌取りのために、この子に倣うならヒンメルが命乞いをしていると思ったのだろう。普段から下らないことばかりしているからリーニエにそんな風に見られてしまっている。自業自得だろう。
「馬鹿なこと言ってないでさっさと顔を洗ってきなさい」
「……やっぱり怒ってる」
「リーニエ」
「……うん」
余計な一言で結局私を怒らせるのはやはり師弟だからなのか。嘘をつかないように命令している私のおかげか。そのままとぼとぼと洗面所へと向かっていくリーニエ。その後ろ姿にヒンメルの面影が見えてしまうほど。やはり育て方を間違えてしまっているのかもしれない。どうしたものか。
「そういえばフリーレンは? いつものように寝坊してるのかな」
「知らないわよ。結局寝るまで姿を見なかったもの。あのまま書斎に引き籠ってたんでしょ」
その諸悪の根源が何食わぬ顔で話題をすり替えてくる。小癪な奴だ。そもそもそんなこと私が知るわけもない。昨日、ヒンメルとリーニエによって騙されたあのエルフが書斎に飛び込んで行ってから一度も姿を見ていないのだから。食事にも降りてこない始末。私を監視するだのなんだのすら忘れたのか。夜も姿を見せなかった。本当にふざけた奴だ。
「流石はフリーレンだね。昔を思い出すよ。珍しい魔導書を手に入れるといつもこうだったからね。ハイターの二日酔いとフリーレンの寝坊が僕たちの冒険の最大の障害だったよ」
「よくそれで魔王城まで来れたわね」
「本当に下らない、いい思い出さ」
「あっそう」
いつものように楽しそうにそんな醜態を聞かされるこっちは堪ったものではない。どうやらこの程度はヒンメルにとっては日常茶飯事だったらしい。加えてあの生臭坊主の酒癖も。魔王様を倒したのもだが、それ以上にそこまで辿り着けた方が奇跡だろう。あいつらがいなければ二、三年で着いたのでは。いや、結局同じか。こいつはこいつで下らない人助けや寄り道ばかりする暇人だ。人のことは言えないに違いない。
「でもちょっとやりすぎかな。量が多すぎたかもね。本当は昨日の内に村を案内したかったんだけどできなかったし」
「鳥に餌を与えるみたいに言うんじゃないわよ」
「言い得て妙だね。仕掛けた甲斐があったかな」
「クズ勇者」
渡り鳥云々はアイゼンたちが言っていた例えだが、ヒンメルもそれに倣っているのだろう。この時のために巣に魔導書をため込んでいたのだが、やりすぎてしまったとようやく気付いたらしい。一体あのエルフはどういう扱いをされているのか。餌付けしているかのような物言いに呆れるしかない。ただのクズでしかない。
「だけど心配いらないさ。そのために君に魔法を覚えてもらったんだから」
「……ああ、あの妙な魔法ね」
だがそこはクズでも勇者なのだろう。準備は万端だったということか。十年以上、私で言えば百年以上か。執念深いというか何というか。昨日渡されて覚えさせられた魔法がその証拠だ。
『命懸けで宝物庫の扉を閉じる魔法』
大袈裟な名前の魔法だと思ったが、そうでもなかったらしい。伝説級ではないが、人類の民間魔法の中でもトップクラスの封印魔法だろう。この魔法で封印された扉は術者が死なない限り、開くことがないほどに。だがあのエルフは例外だ。あのベーゼの結界を破壊した奴だ。時間はかかるだろうが、突破されるのは間違いない。しかし
「よく考えたものね。あれを使ってあのエルフを書斎に閉じ込めて飼い殺しにしようっていうんだから。今からかけてきてあげましょうか?」
だからこそ、この魔法はあのエルフにとっては効果覿面だろう。書斎に閉じ込めてしまえば容易には出てこれない。逃がすことはない。まさに籠の中の鳥。生かすも殺すも思いのまま。魔法を解除するには私を殺すのが手っ取り早いがそんなことをすればヒンメルも道連れだ。よく考えられている。魔族も顔負けだ。そう珍しく賞賛してやるも
「……え? 何それ怖い」
「は?」
ヒンメルはまるで魔族を見るような、ドン引きした反応を見せてきた。一体私を何だと思っているのか。
「何言ってるのよ。あんたが渡してきたんでしょ? それ以外にどう使うのよ?」
「……なるほど、そういう使い方もできるのか。流石はアウラだね。
「馬鹿にしてるわけ?」
「褒めてるのさ。僕にはない発想だったからね。そう考えると本当にミミックみたいだ」
私に言われるまで本当に気づいていなかったのだろう。感心したようにこちらを褒めてくるヒンメルに苛立つしかない。魔族らしいと言われているのに、何故こんなに腹立たしいのか。本当に小癪な奴。
「ならあんたはどうしたかったのよ」
「逆だよ。フリーレンが入れないように書斎を封じてほしかったのさ」
「そんなことして何の意味があるのよ?」
「それは」
ならさぞ高尚な使い方があるのだろうとふっかけるも、返ってきたのは理解できない、真逆の答え。ある意味この魔法の本来の使い方。だからこそ分からない。そんなことして何の意味があるのか。あのエルフに魔導書を見せびらかしたかっただけなのか。その答えを聞くより早く
「アウラ様。終わった」
「そう。さっさと席に着きなさい。ヒンメルが朝っぱらからルフオムレツを作ってるわよ」
「リンゴの方がいい」
「リンゴも剝いてるよ。いらないかな?」
「いる。ヒンメルはイケメン」
「照れるね」
「仕込んでんじゃないわよ」
命令を遂行してきたリーニエが帰ってくる。そのままちょこんと自分の席に着き、好き勝手に振舞っている魔族の申し子。それを良いように仕込んでいる勇者。恥ずかしくないのか。勇者の風上にも置けない奴。
「それじゃあアウラ。お昼から出かけるから準備しておいてくれ」
「どこによ?」
「決まってるだろう? フリーレンに村を案内しないといけないからね。流石に今日は連れて行かないと」
「そう。好きにすればいいわ」
朝から重たい物を食べさせられて胸焼けさせられながらも朝食が終わり、ようやく一日が始まる。あのエルフの顔を見なくて済んだのだから何でもいい。張り切りながら、聞いてもいないのに今日の予定を喋り出すヒンメルに辟易する。そういえばそんなことを昨日も言っていたか。好きにすればいい。私も好きにさせてもらう。そう動き出そうとするも
「そうは行かないよ。君も一緒なんだから」
「え?」
「え?」
思わずヒンメルと顔を見合わせてしまう。馬鹿みたいに突っ立ったまま。聞き違いだろうか。まるで言葉が理解できない魔物になった気分。きっとヒンメルも同じなのだろう。見るに堪えない不細工な顔を晒している。
「何で私が行かなきゃいけないのよ?」
「友達だから」
「殺すわよ」
「ごめん」
条件反射のように謝罪を言葉を口にしてくるクズ勇者。こいつは一体何を考えているのか。友達を魔法の言葉だとでも勘違いしているのか。まだ魔族のお母さんの方がマシだろう。思わず胸のアクセサリを投げつけてやろうかと思ったほど。
「いいじゃないか。君とフリーレンが争ったことは村のみんなも知ってるからね。仲直りしたってことを伝える意味でも」
「お断りするわ。何を勘違いしているか知らないけど、私とあいつは友達でも何でもないわ。どう思われようが知ったことじゃないわ」
最初からそう白状すればいいだろうに。リーニエを見倣ったらどうなのか。その理由も実に下らない物。ようするに先日の騒動を村の連中に説明しに行きたいらしい。いや、フリーレンを紹介して回る方が本命なのだろう。なおさら私には何の関係もない。こいつは私とあいつが友達か何かだと勘違いしているのか。反吐が出る。それならまだ人間扱いされる方がマシだろう。
「…………」
「何よ?」
「いや、道のりは長そうだと思ってね。ワクワクしてたのさ」
「いつもの病気ね。それに白々しい嘘は止めなさい。フリーレンと二人きりで行きたくなかっただけでしょう?」
「ゔっ……そんなことはないさ。僕は君たちのことが心配で」
「ヒンメル、どうしてそんな嘘つくの?」
「っ!? リ、リーニエ……」
気色が悪い視線を向けてくるのが癪に障ったのでそう言い返してやる。嘘を見破ってやる。私の目は誤魔化せない。この十年、嘘をつき続ける人間たちを裁く遊びをしてきたのだから。こいつの嘘を見抜くなんて造作もない。
何よりもその弟子であるリーニエの眼を欺くことも。この子は人間の嘘を見抜くことができるのだから。例外はない。もっともそのせいで違う問題も生じているのだがそれはそれ。悪意のない魔族に嘘を暴かれた嘘つき勇者はそのまま黙り込んでしまう。それがいつまで続いたのか。
「…………怖いんだ」
「はぁ?」
ヒンメルはぽつりと、そんな意味が分からない本音を漏らした。
「村のみんなの視線がだよ。それが何だか冷たくなってるんだ。だから君にも一緒に来てほしくて」
「リーニエ。さっさとあの引きこもりを叩き起こしてきなさい」
間違いなく今までで一番情けない理由を勇者が吐露してくる。見れば顔は青く、体は震えている。どうやら本当らしい。心の底から呆れるしかない。本当にこいつは勇者なのか。なんにせよこれ以上付き合ってはいられない。無視しながらそうリーニエに新たな命令をする。さっさとこいつらをここから追い出すために。
「聞いてくれ、アウラ!? これは君にとっても他人事じゃないんだ。少しぐらい協力してくれてもいいじゃないか!」
「ただのクズじゃない」
「くず? ふたまたじゃないの?」
「っ!? リーニエ、そんな言葉どこで覚えたんだい……?」
「シュトロが言ってた。他の人も。聞いても教えてくれなかった。アウラ様、どういう意味?」
「知らないわ。そこのクズに聞いてみなさい」
「地獄かな?」
みっともなく縋り付いてくるヒンメルにリーニエが悪意のない言葉を突き立てている。さしずめ
これがリーニエの恐ろしさだ。悪意のない混乱を巻き起こす。それが村中から冷たい視線を向けられている理由だったのだろう。そして十年以上それに付き合っているはずなのにまだ学べていないヒンメルとシュトロ。シュトロに関してはヒンメルに殺されないように気をつけるよう助言してやらなくては。
「うん。なら本当に残念だけど、僕だけで行ってこようかな。君に教えてもらったことを実践してくるよ」
「何の話よ?」
閑話休題。さっきまで死んだような目をしてうなだれていたのにもう復活したのか。あきらめたのか。未練たらたらにそんな意味不明なことを囀ってくるヒンメル。何の話なのか。いい加減鬱陶しくなってきた。それに
「言葉で伝えるってやつさ。フリーレンにここに残ってもらえるようにね」
どこか自慢げに私に聞かせてくる。なるほど。結局それが言いたかったわけか。いつか気紛れに言った私の言葉。すっかり忘れてしまっていた。本当に下らないことばかり覚えているのだから。加えて
「………そう。相変わらず無駄なことをしようとしてるのね」
「? どうしてだい? 無駄なんてことは」
それが無駄なことだと気づけていない。他者のことには恐ろしく察しがいいくせに、自分のことになるとからっきしなのだ。この人間は。十年ぽっちではそれは変わらないのだろう。
「それよりも指輪の意味を伝えてきたらどうなのよ?」
「そ、それは……まだ再会したばかりだし、そんな急には」
「好きにすればいいわ。流星とどっちが早いか見物ね」
いや、それは五十年でも足りないのかもしれない。この調子では、先に流星を見ることになりかねない。知ったことではないが、結局それに巻き込まれるのは分かり切っているのだから。本当にいい迷惑だ。みっともなく慌てふためいているヒンメルをどうでもよさげに眺めていると
「リーニエ? どうしたのよ」
とてとてとリーニエが二階から戻ってくる。それも一人で。あのエルフを起こしてくるよう命じたはずなのに。それとも起こすことができなかったのか。ヒンメルと二人して顔を見合わせるも
「フリーレンが死んでる」
淡々と、どうでもいいことのようにリーニエは報告してくる。嘘のような本当のこと。
その後、書斎で魔導書の山と本棚によって埋もれ、気を失ったまま。ミミックに食われたようにお尻を突き出したままのフリーレンが発見されたのだった────