ヒンメルはもういないじゃない【完結】   作:HAJI

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第三節 天国と地獄
第一話 「媚」


「おはよう、アウラ。今日もいい天気だね」

「今日は雨よ」

 

 

朝の開口一番。窓から見るまでもないほどの土砂降りの雨の中、こちらの気が滅入るようなふざけたことを口にしてくるヒンメル。本当に気づいていないのか冗談なのか。普段と変わらない鬱陶しさ。

 

 

「心の中の話さ。どうだい? 今日は一緒に出かけ」

「お断りよ。何が楽しくて雨の日に出かけなきゃいけないのよ。あのエルフでも誘いなさい」

「そ、そうか……」

 

 

どうやらそこまで耄碌したわけではなかったらしいが、違う意味で頭がおかしいのは変わらない。こいつはどういう精神構造をしているのか。前後の話が噛み合っていない。空回っている。だというのにそれに気づいていないのか。明らかに普段とは違っている。その理由に私には心あたりがあった。それは

 

 

(こいつ、私に媚びを売ってるってわけね……)

 

 

今のヒンメルが私に媚びを売っているということ。魔族で言うなら命乞いになるのだろう。違うのは私は別にヒンメルを脅していないのに、勝手に命乞いをされているということだろうか。

 

 

(本当に分かりやすい奴ね……)

 

 

いつにも増して挙動不審な勇者を横目に見ながら顔を洗いに行く。どうやら昨夜のことをまだ気にしているらしい。

 

満を持した、あの薄情者のエルフを口説くための逢瀬。それに私を巻き込もうなんて何を考えているのか。その下らなさに呆れ、ずっと苛ついていたのだが、ふと気づいた。

 

そう、それは私にとっては何も悪いことではなかったのだから。よくよく考えれば、最近はあのエルフに振り回されっぱなしで碌に自分の時間もなかった。加えて鬱陶しいほどこちらに構ってくるヒンメルもいない。一石二鳥、いや千載一遇か。一人きりになれるなんて、羽を伸ばせるなんていつ以来なのか。リーニエはいるがあの子は例外だ。

 

そうと気づけば今の内だとばかりに、あのエルフのせいでめちゃくちゃにされた書斎の整理を済ませ、久方ぶりに魔力の鍛錬か読書でもと思ったのも束の間。新たな来訪者によってそれは阻まれてしまった。

 

 

『私は姉さんの味方ですから!』

 

 

何故か突然やってきたリリー。だがいつもとは様子が違っていた。端的に言えば勢いがあった。大人しいこの子にしては珍しく。遠慮がちにやってきては私の時間を奪っていった頃が嘘のよう。そういう意味ではこの子も成長したのだろう。本当に人間の時間の流れは早い。リーニエと比べると一目瞭然だ。あの子の前では禁句だが。

 

そんなこんなで、よく分からない勢いに押されながらリリーに捕まってしまった。魔族を捕まえる魔法を使われたわけでもないのに。そして聞かされるのは身に覚えのない話。

 

 

(本当に人間っていうのは噂が好きな連中ね。他にすることがないのかしら)

 

 

ようするに、リリーはあのエルフがやってきたことによって、私がヒンメルに捨てられるかもと危惧していたらしい。何をどうすればそんな話になるのか。別に騙してもいないというのに、勝手に騙されている。いい迷惑でしかない。

 

だが火のない所に煙は立たない、だったか。そう誤解されてしまう要素があったのだろう。事実、あの勇者は当初は私をあのエルフと勘違いしたかのような言動をしていたのだから。今思い返せば、腸が煮えくり返りそうだがそれはともかく。

 

どうやらリリーはそれが心配で仕方がなかったらしい。別に頼んでもいないのに。勝手に味方になってくれている。私個人としては捨てられる、もとい興味を失くしてもらえればそれはそれで動きやすくなるので悪くはないのだが、この子に言っても通じないだろう。何故なら

 

 

(『お母さん』の次は『奥さん』ね……本当にいい迷惑だわ)

 

 

私はこの村ではどうやらヒンメルの『奥さん』として見られていたらしいのだから。

 

『奥さん』

 

それは人間の番、妻の別の呼び方だったか。そういえば何故か人間の番では女の方が上のことが多い。曰く、頭が上がらない、尻に敷かれるだったか。いつかハイターの奴も私とヒンメルを見ながらそう言っていたことがある。その時は理解できなかったのを覚えている。尻に敷かれて何が嬉しいのか。支配されるのが嬉しいのかと。今もなお、それは理解し切れていないのだが。

 

それはいいとして、元々村で私はそう見られていたらしい。別にそう装っていたわけではないのに。『お母さん』が落ち着いたと思えば今度は『奥さん』か。本当に人間たちは騙されやすい生き物だ。魔族が人間だとでも思っているのか。

 

だがそれは村人たちが愚かだからではない。ヒンメルのせいだ。あいつはあえてそう振舞っている節すらあったのだから。自分たちを理由に縁談を断り続けているヒンメルの自業自得でもある。頼りにしているなどと言いながら私たちを利用していた。なら私もそれを利用させてもらえばいい。

 

 

(ようするに、人間たちを魔法を使わずに操って利用すればいいってことね)

 

 

利用ではなく頼りにする、だったか。支配の方が正しいかもしれない。私の魔法の本質であり、魔族の本能でもある。

 

人間たちの価値観では、複数の番を持つことは忌避されるらしい。繁殖なんて好きにすればいいだろうに。それに照らし合わせれば、今のヒンメルは番である私を蔑ろにして、新しい雌に鞍替えしようとしているクズに見えるらしい。なるほど。ヒンメルらしい。それであんなに怯えていたのか。強さだけでは測れない、人間社会の不条理さ。地位と言う、この十年で私が獲得したものでもある。

 

 

(なら今の私がするべきことは……)

 

 

周りの人間たちを騙し、フリーレンを排除する。それが理想。力押しではなく、言葉で、人間たちを利用して。それが人類の弱点でもある。魔力の多寡が、強さが全ての魔族の摂理からはかけ離れたもの。

 

だが問題はそれがフリーレンに通用するかは分からないということ。なにせ私の不死の軍勢を容赦なく吹き飛ばしていた人でなしだ。周りの目なんて気にする奴ではないかもしれない。

 

しかし、それでもヒンメルは例外なのだろう。それはこの短い時間でも見て取れた。勇者一行の習性だろうか。何故あいつらが勇者一行と呼ばれているのか。その理由。

 

 

(それにしてもこの魔法にあんな使い方があったなんて……本当に人間が考えることは分からないわぁ)

 

 

顔を洗い終え、髪を結んだ掌に魔法の術式を浮かび上がらせる。つい最近覚えた『命懸けで宝物庫の扉を閉じる魔法』だ。

 

きっかけはヒンメルの企みだったが、それは想像以上だった。正しくはその応用か。書斎ではなく、この家そのものを対象にしてそこに籠城する。外敵の侵入を防ぐ。本来の用途ではない使い方。服従の魔法(アゼリューゼ)の時もそうだが、その発想にはもはや感嘆する他ない。人間は魔法を誇りだと思っていないに違いない。

 

その証拠に、それを提案してきたのは他ならぬリリーだったのだから。何でもシュトロにもよくしているのだとか。経験者は語る、か。姉弟喧嘩から痴話喧嘩。今は夫婦喧嘩だったか。あの子たちも変わらない。どうやらシュトロも尻に敷かれているのだろう。やはりスカート捲りという同じ性癖を持つ者同士、似通うのだろうか。

 

だがその効果は絶大だった。昨夜の顛末を思い出す。それは言い訳と言う名の命乞いだった。聞くに堪えないような情けなさの極み。面倒臭くなったのでそのまま放置しようとしたのだが、その騒がしさのせいでせっかく寝かしつけたリーニエが起きてしまったので仕方なく聞いてやることにした形。そういえば結局指輪のことは言えなかったらしい。一体何をしに行ったのか。無駄でしかない。

 

 

(こいつに媚びを、ねぇ……)

 

 

そのまま台所に戻り、ふとあいつに視線を向ける。そう、結局私は従者、奴隷でしかない。どんなに騙っても、その事実は変わらない。やりすぎてはいけない。本来は私が媚びを売らなければいけない立場なのだ。

 

良くも悪くも全てはヒンメル次第。主があのエルフに代わってもそうだ。あのエルフも何だかんだでヒンメルに従っている。なら私はフリーレンとヒンメルを取り合うことになるのか。最悪だ。想像しただけで反吐が出る。そんなことを考えていると

 

 

「────」

 

 

私以上に、心ここにあらずと言った風にこちらに目を奪われているヒンメルの間抜け面があった。口が開きっぱなしになっている。

 

 

「……何よ。私の顔に何かついてる?」

「っ! いや……その、何でもないさ」

 

 

それを訝しみながら指摘するも、ヒンメルは我に返りながら何やら要領を得ない生返事をするだけ。まるで何かを聞きたくても聞けない、そんなもどかしさを感じる所作。だがすぐに気づく。その理由を。その視線は私の胸元に向けられていたのだから。何故なら

 

 

(ふぅん……効果覿面ってことね。あの子も中々強かね。誰に教わったのかしら)

 

 

今の私は、わざとフリージアのアクセサリを着けていなかったのだから。

 

これもまた、リリーの入れ知恵だ。そうすればきっとヒンメルが気にかけてくれるからと。どうやらそれは嘘ではなかったらしい。どころか効果は覿面だ。ただでさえこっちの僅かな変化を察する奴だ。私がそれを忘れているのではなく、わざとしていないのにも気づいたに違いない。それによってそわそわしているヒンメル。花言葉を逆手に取った形。リリー曰く、なんでもいつもそれを身に着けている私がそれをしないということは、逆のことを意味するのだと。

 

どうやら言葉にしない方がヒンメルには通じるらしい。ある意味こいつらしい。既にリーニエには口止め済み。あの子からこの嘘がバレることはない。

 

 

「────ふふっ」 

【挿絵表示】

 

 

 

それによって目に見えて狼狽しながら必死に取り繕っているヒンメルを前に、思わず笑みが零れそうになる。嗜虐される。獲物を甚振る、獣の本能。

 

本当に不思議だ。暴力で解決できない、このクソったれな現状を、私は堪らなく愉しいと思っている。所詮私は猛獣。それがバレないように隠さなくては。例えそれがこいつの前では無駄だとしても。そんなことを考えていると

 

 

「アウラ様。フリーレンを起こしてきた」

「そう。よくやったわ」

「うん!」

 

 

もう一匹の獣がやってくる。私に従う魔族の子。この子はずっと変わらない。あのエルフがやってきてからもずっとそうだ。ある意味、魔族らしい魔族なのだ。私も見倣わなくては。

 

 

「本当に躾がなってないね……」

 

 

そんなリーニエに連れられるように、醜態を晒したエルフがやってくる。髪も梳かず、目をこすりながら。起こしてもらっておいて、出てくる言葉がそれとは。一体どんな精神構造をしているのか。ヒンメルと違う意味で、こいつの思考は理解できない。理解したくもない。

 

 

「そっくりそのままお返しするわ。鏡を見てみたらどう? みすぼらしい野生のエルフが写ってるわよ」

「お前こそ他人のことは言えないでしょ。いつも着けてるアクセサリはどこに行ったの? 獣が服を着るのと一緒だね」

「っ!? だ、駄目だよ、フリーレン。せっかくリーニエが起こしてくれたんだから。お礼を言わないと。昨日約束しただろう?」

「…………アリガトウ」

「…………むぅ」

 

 

こんな時だけ狙ったかのように、知らぬまま地雷を踏み抜くフリーレン。どれだけ無知なのか。それによって慌てふためくヒンメルに乞われ、仕方なくまるで魔族のような声真似で感謝の言葉を発する始末。それが嘘であることを見抜きながらも、事情を話すことができずに口をへの字にして耐えているリーニエ。朝っぱらから収拾がつかない、見るに堪えない有様。

 

たった数日でこれなのだ。これが数年、数十年、数百年になればどうなってしまうのか。先が思いやられる。本当に

 

 

「…………本当にいい迷惑だわ」

 

 

それがこれからも続くことになる、四者四様の媚びを売る生活の始まりだった────

 

 

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