「…………どうして私が泥棒なの?」
失礼極まりない誤解だ。私を泥棒扱いするなんて。ましてや魔族にそう言われるなど。あまりのことに、手に持っていた魔導書を無意識に棚に戻してしまうほど。決してその言葉に騙されたからではない。目の前にいる魔族を警戒しているからこそ。
「違うの? 村の人が言ってたよ。フリーレンは泥棒猫だって。フリーレンは猫だったの?」
さっきまで隠れた小動物のようにコソコソしていたのに。いつの間にか書斎に入ってきている。これではどちらが盗人か分かったものではない。言っていることも全く理解できない。魔族でももう少しマシな言葉を発するだろうに。
「私はエルフだよ」
「じゃあなんで猫なの?」
「知らないよ」
「じゃあなんで嘘ついたのかな? 嘘ついてなかったのに。あ、でも私は猫が好きだよ」
そんなやり取りに呆れるどころか、頭が痛くなってくる。支離滅裂。百歩譲っても泥棒エルフだろうに。こいつは種族も分からないのか。そもそも猫はどこから来たのか。やはりこいつは魔族として子供。未熟なのだ。
「……何でもいいけど、私は泥棒じゃないよ」
「そうなの? アウラ様の書斎から魔導書盗んでたんじゃないの?」
堂々巡り。一週回って同じやり取りを繰り返している。オウムではあるまいし。だが無理もないだろう。こいつからすればそう見えてしまっているだけ。魔族に騙されてしまう人間のようなもの。
「所詮は魔族だね。教えてあげるよ。これは魔法使いとしての探求だよ。そもそもここにある本はヒンメルが私のために集めてくれた物だ。何よりも私はあいつを従えてるからね。あいつの所有物には私にも権利がある。当然だよ」
だからこれはただの独り言だ。魔族との会話なんて意味はない。一々相手をするなんて無駄なこと。ただの思考の整理。論理。こいつらに理解などできるわけがない。そのまま背を向け、再び探求に、魔導書漁りに戻ろうとするも
「そうなの? ここを使わせてほしいってアウラ様に命乞いしてたのに?」
「…………」
そんな何でもない魔族の鳴き真似に思わず反応してしまう。本棚に伸ばしかけた手が止まってしまう。
そう。これは
「……それはヒンメルのせいだよ。ヒンメルならそうするだろうからね。お前に言っても無駄だろうけど」
だからこれはただの戯れだ。そう、人間が動物に、猫に話しかけるようなもの。決して言い訳しているわけではない。
それはただの事実だ。あれは命乞いなどではない。高度な交渉、騙し合いなのだから。私も
そもそも本来私はアウラにそんなことをする必要もない。考えるのも嫌だが、あいつは私の従者、奴隷なのだから。命令すればいいだけ。そうしないのはただヒンメルならそうするだろうから。他の二人もきっと同じことを言うだろう。ようするにヒンメルの顔を立ててやっているのだ。あんなのでも一応パーティのリーダーなのだから。
そんな魔族はおろか、きっと他の人間にも理解できないであろう下らない理由なのに
「私も知ってるよ! ヒンメルの真似をすればみんな褒めてくれるもんね。フリーレンも一緒だったんだね」
「…………」
目の前の魔族の子供は目を輝かせながら、まるでお揃いだねと言わんばかりに喜んでいる。それに呆気にとられるしかない。こいつがヒンメルの真似をしているのは分かっていた。当人が一番弟子だと豪語するぐらいなのだから。
(褒めてくれる、か……魔族らしいね。でも)
それが何故か理解できてしまう。人類である私が、魔族であるこいつを理解することなんてできないはずなのに。いいや、違うのか。もしかしたら私はみんなよりもずっと
「でもなら今一番偉いのは誰なのかな? 魔力が一番大きいのはアウラ様だけど、従えてるのはフリーレンだし。でも二人ともヒンメルにも命乞いしてるから……あ、そういえばフリーレンは魔力を制限してるんでしょ? すごいね! 全然揺らぎが見えないよ!」
そんな思考を断ち切るように、堰を切ったようにこいつは次から次へと話題を変えていく。私も口下手だが、そんなレベルではない。それともこれも人間の子供の真似なのか。だとしたら随分落ち着きのない子供だったに違いない。
「……話が見えないね。結局お前は何しに来たの?」
ちょろちょろしながら、じろじろと見られるのは気分が良くない。まるで見世物小屋に入れられた気分だ。人間と動物の立場が入れ替わってしまっているかのよう。
(こいつも妙な魔族だね……アウラとは違う意味で厄介だ)
そのまま今度はこちらが観察する。魔族とは思えないような、無邪気な振る舞いをする個体だ。生まれてから二十年かそこらだったか。その大半をこの村で、人間社会で暮らしていたせいなのか。人間の子供の振りが異様に上手い。時折、私ですらこいつが魔族だと忘れてしまいそうになるほどに。そういう意味ではアウラ達のような大魔族よりもずっと厄介かもしれない。
その服装も奇天烈な物だ。村での生活には適さないであろう、ドレスのような物を纏っている。こいつの趣味だろうか。やはり魔族のセンスは理解できない。
こうしてこいつと二人きりになるのは初めてだったか。どう接するべきか分からない。そもそも何をしに来たのか。目的が分からない。どうやってそれを聞き出すか。暴くか。そう思考を巡らせるよりも早く
「私はフリーレンに命乞いをしに来たの。アウラ様にもそうするようにって」
当たり前のように呆気なく、目の前の
「アウラが……? どうして?」
「そうすれば生き残れるってアウラ様が教えてくれたから」
思考がまとまらないまま、ただ条件反射のように問いかける。理解できないことの連続。当たり前だ。どこに自分を殺す狩人の目の前にやってきて、わざわざ命乞いをする奴がいるのか。これから貴方を騙しますと宣言する詐欺師に等しい。獣以下だ。いくら主人であるアウラから命じられたのだとしてもあり得ない。だがそれすらも間違いだった。何故なら
「私は殺されたくない。今まで通り平穏に暮らしたいの。でもフリーレンが来てから変わっちゃったから。今までは人間の子供の振りをすればヒンメルは騙せたけど、フリーレンは騙せないから。どうしたら見逃してくれるかなって」
目の前にいるこいつはもはや魔族ですらない。人間ですらあり得ないほどの、愚かな正直者だったのだから。
「お前…………嘘をつく気がないの?」
「? 何かおかしい? 嘘をついちゃ駄目だってアウラ様が言ってたから。そうすれば私たちに詳しい人間たちは騙せるんだよ。すごいでしょ?」
嘘をつかない、嘘をつけない魔族。それがこいつなのだ。何もかもがあべこべなのだ。思わず息を飲み、寒気がする。それはあまりにも馬鹿げた論理。そう、これは罠なのだ。魔族は嘘つきであると知っている者であればあるほど、こいつに騙されてしまう。私にとってはまさに天敵のような奴。だというのに、それすらも捨て去ってしまっている。それは
『私は何か選択を間違えてしまったようですね』
人間の振りができず、選択を間違えた愚かな魔族の子供。あの魔族の子供も、全く同じことを口にしていた。平穏に過ごしたい。生き残りたいだけ。だというのに、自分たちが人間にとって不快な言動をしていると気づけていない。学べていない。悪意がない故に。
こいつは気づけていないのだ。自分が他の魔族と同じだと自白してしまっていることに。私で言えば、魔力の偽装を明かすのと同じだ。絶対にしてはいけない禁忌。それをアウラに強いられていることにも。だとするなら、もう一つ確かめるべきことがある。
「ヒンメルにそれを言ったことは?」
「ないよ。殺されたくない。でもフリーレンには言いなさいって。どうしてかな?」
そう言いながら首を傾げている姿に確信する。どうやらそこまで愚かではなかったらしい。今私に明かしたことが、殺されてしまうかもしれない危険な行為だとは認識できている。その証拠にヒンメルには話したことはないらしい。それを信じること自体が既におかしいのだが、もはや言うまい。こいつはただアウラの命令に従っているだけ。よく躾けているのだろう。魔族が魔族を騙すなんて何の冗談なのか。
そう、これはアウラからの停戦協定なのだ。全てを曝け出し、こう言っているに過ぎない。つまり
「────いいよ。騙されてやる。お前は今まで通り振りを続ければいい。ヒンメルが生きている間は見逃してあげる」
ヒンメルのために、家族ごっこを続けること。騙し続けること。魔族に倣うなら平穏に過ごすために。それを見逃せと。共犯になれと言ってきているのだ。勇者を人質にするなんて、本当に趣味が悪い奴だ。反吐が出る。
「ほんと!? よかった!」
自分が利用されたことも、騙されていることも気づけていないのだろう。命乞いが通じた、騙せたと思って喜んでいる愚かな正直者。ここまでできるのなら、一週回ってもはや本物だろう。そう半ばあきらめながら書斎を飛び跳ねている魔族モドキを眺めていると
「そういえば……フリーレンに会えたら、ずっと聞きたかったことがあったんだ」
「? 私に聞きたいこと……?」
思い出したとばかりに、突然また違うことを言い始める。本当に思ったことをそのまま口にしているのだろう。何も考えていないとも言える。こんな有様でよく今まで生き延びれたものだ。ひとえにヒンメルの努力の賜物だろう。魔族の子育てか。天地がひっくり返った気分だ。
「私も忙しいからね。それはまた今度に」
だがそれはそれ。これはこれだ。家族ごっこを見逃してはやるが、馴れ合う気なんて毛頭ない。こいつは人間ではなく魔族だ。付き合っていたら時間がどれだけかかるか分かったものではない。そう追い払おうとするも
「あ、そういえば忘れてた。命乞いに魔導書持ってき」
「何でも聞いてくれていいよ」
たまには時間を浪費するのも悪くない。私には永遠にも近い時間があるのだから。いくらでも先延ばしにできる。魔族の生態を研究すると考えればこれ以上の機会もないだろう。きっと人類の誰もできていない偉業とも言えるかもしれない。決して騙されているわけでも絆されているわけでもない。これはそう……取引なのだ。魔族たちとは違う。そう気持ちを新たにするも
「これは……服を乾かす魔法!? 何でお前が」
渡された魔導書に思わず手が震えてしまう。もしかしたら声もかもしれない。当たり前だ。それは私がずっと探していた、伝説の魔導書の一冊だったのだから。ようやくその所在が判明したものの、アウラの狡猾な策によって手に入れ損なってしまった。何故それをこいつが持っているのか。もしや泥棒はこいつだったのか。しかしそれは
「アウラ様がこれを使えばフリーレンを頼りにできるからって」
「頼り……?」
「利用できるってことだよ。この魔法を教えれば、フリーレンを働かせられるからって」
またしてもアウラの目論見だったらしい。何が頼りにするだ。体よくこっちを利用しようとしているだけのくせに。ただの言葉遊びでしかない。
(あいつ……余計なことを)
だがその手回しの良さには舌を巻くしかない。これは明らかな罠だ。私が葬送の魔法使いである限り、逃れられない類の。この魔導書を受け取るということは、あいつに屈するということ。決してあってはならないこと。だというのに
「もしかしてフリーレン。その魔法が使えないの? アウラ様はできるのに」
「────え?」
そんな何の悪意も、嘘もない。ただの魔族の言葉によって、私の頭は真っ白になってしまった。
「…………違うよ。私はただアウラの奴の仕事がなくなってしまうのを心配しただけだよ。私は大魔法使いだからね。あいつよりもずっとこの魔法を上手く使えるよ」
「そうなの? すごい!」
気づけば魔導書は両手で胸に抱いたまま。そう嘘ではない嘘をつく。魔族相手に。魔法使いとしての誇りなんて捨てたはずなのに。それでも人類の魔法であいつに劣るなんてあってはならない。あの魔法は例外だ。十年の時間の差でしかない。洗濯の魔法なら負けるわけがない。なので、明日までにこの魔法を習得する必要がある。決して恐れているわけではない。あくまでも念のため。油断と慢心。それは魔族はもちろん私たちにも言えること。
「それで? 聞きたかったことって何?」
なのでできるだけ早くここから出て行ってほしいので、さっさと済ますことにする。魔導書に免じてそれぐらいは応えてやろう。魔族のこいつに理解できるかは分からないが。そう促すも
「うん。フリーレンはヒンメルと星を見る約束してるんでしょ? どうしてそんなことしてるのかなって」
その口から出てきたのは、全く想像もしていなかった類の質問だった。てっきり自らの保身か、魔法に関連するような事柄かと思ったのに。
「それって
「聞いてもいないのにヒンメルに何度も聞かされた。いい迷惑」
「そう。ヒンメルらしいね」
本当に迷惑だったのだろう。まるでイケメンポーズ集を見せつけられた時の私のように遠い目をしている。魔族にこんな顔をさせるとは。流石は勇者だろう。喜々としてこいつに聞かせていたのが目に浮かぶ。魔族に流星を見る習慣なんて理解できるわけないだろうに。
(いい迷惑、か……こいつはアウラの真似もしているのか)
ふと気づいたのはその言葉。それはあいつの口癖だった。ヒンメルの言動を真似しているのは気づいていたが、あいつの真似もしているとは。まるで親の真似をする子供のようだ。魔族が魔族の真似をする。もしかしたらこいつは普通の魔族よりも真似をすることが得意なのかもしれない。
「それってまだ四十年は先なんでしょ? それなのにどうして?」
「たまたまかな。私もこんなに早く会いに来る気はなかったんだけどね」
そんな変わり者の魔族が問いかけてくる。まだ流星は先なのにどうしてやってきたのかと。まだ四十年か。魔族のくせにおかしなことを言う。少し早く来たぐらいで。それは本当にたまたまだ。嘘ではない。偶然通りかからなければ、きっと約束通り会いに来ただろう。そう教えるも
「? ヒンメルは言ってたよ。約束は守らなくちゃいけないんだって。なのにどうしてそんな変な約束してるの?」
「どうして?」
それが理解できないのか。頭の上に疑問符を浮かべながら何度も首を傾げている。何をそんなに不思議がっているのか。流星を見るということ自体が理解できないのか。それとも。
加えて何故かそこでヒンメルが出てくる。約束は守るもの、か。それを魔族に教え込むのはやりすぎだろうが。流れ的には、私が守れない約束を、嘘をついているかのような物言いだ。
分からない。どうしてそうなるのか。そんな私に
「────だってその頃にはヒンメルは死んでるかもしれないじゃない」
悪意のない、ただ純粋な疑問が突き付けられる。
その言葉の意味が、理解できない。まるで人の言葉が理解できない、人の心が理解できない魔族のように。
いいや、違う。それは魔族よりも、私の方が────
それはあり得た未来において、『断頭台』から『葬送』に告げられた言葉。その模倣。
それが今、『正直者』から『薄情者』へと突き立てられた────