「何してるの。さっさと帰るわよ」
「ちょ、ちょっと待ってくれ……」
そう告げるも、返ってくるのはそんな情けない返事だけ。振り返るとそこには息も絶え絶えのヒンメルがいた。普段の無駄に元気が有り余っている姿からは想像もできない有様。いつもは私の方が振り回されているというのに、今はそれが逆転してしまっている。どちらが主従か分かったものではない。いや、今はこいつは主人でも何でもなかったか。まあどうでもいい。気分が良いのは変わらないのだから。
(言葉一つでこうも違ってくるなんて……やっぱり人間は愚かね)
『デートに行くわよ』
それが今朝私がヒンメルに告げた魔法の言葉だった。見聞きしたことはあるが、一度も使ったことのないもの。番が一緒に出掛ける時などに使うものだったか。ただ男女が一緒に出掛けることに何の意味があるのか。理解はできなかったが、その効果は覿面だった。
『────え?』
(あの時のこいつの顔といったら傑作だったわ)
疲労している今のヒンメルの情けない顔もだが、その時のまるで信じられない物を見たかのように呆然としている顔は傑作だった。そのまま銅像にしてやりたいと思うほどに。きっとヒンメルにとっては魔族があのエルフの魔力の偽装に思い至れないぐらい、あり得ないことだったに違いない。
(リリーの言う通りね。あの子も頼りになるわ)
やはり人間のことは、人間に聞くに限るのだろう。いや、男のことは女になのか。今回の件もあの子の入れ知恵なのだから。何でもそう誘えば、ヒンメルは私に従うしかなくなるのだと。それは正しかったのだろう。しかもそれはフリージアのアクセサリを着けていないのと関係しているのだとか。どこかあの生臭坊主を思い起こさせる手練手管だ。
(それにしても……同じはずなのにこうも違うのね)
思わず笑みが零れてしまいそうなのを手で隠す。いけない。まだ私は不機嫌な振りをしなければいけないのだから。ヒンメルを騙すために。それでも衝動は抑えきれない。やはり私は魔族なのだろう。
デートだったからなのか。普段とは明らかに違っていた。平静を装っていたがバレバレだった。ヒンメルはどこか挙動不審。何かに怯えるようにビクビクしていた。きっと私の予想外の行動が理解できなかったのだろう。いつもはこっちを振り回してくるくせに、されると弱いのか。だが一番の理由はもっと別のことだったに違いない。
(本当に人間っていうのは無駄なことばかり好きな連中ね)
それは村の連中の視線だった。あの伝説の勇者すら恐れるもの。それが明らかに普段とは違っていた。まるで獲物を前にした獣のように。皆が興味津々になっている。人間は本当に噂が、他者が気になる生き物なのだろう。きっと今までもそうだったに違いない。リリーが言っていた夫婦云々は嘘ではなかったのだろう。なのに私はそれに気が付けなかった。魔力の偽装に気づけないように。私は魔族なのだから。
それを理解できたのなら、あとは簡単だ。それを利用して、あのエルフを餌にしてヒンメルを甚振ればいい。村の連中を味方にして。ただでさえ私たちの事情を知りたくて知りたくて飢えているのだ。それを満たしてやればいい。それが嘘であろうと本当だろうと関係ない。人間たちにとっては興味を満たせれば、面白ければ何でもいいのだから。
ひとまずは私がヒンメルを、夫を従えている妻であるかのように振舞えばいい。騙せばいい。たった半日だったが、きっと明日には村中にそれが伝わっているに違いない。フリーレンに関してはあえては触れていない。その方が勝手に勘違いしてくれるに違いない。私が人類の味方だとすっかり騙されてしまっているように。都合が良いように。同時に人間の男どもが女に従わされる、尻に敷かれる理由が分かった気がする。
「まいったね……これじゃあ明日からしばらく外に出れそうにないかな」
「あらそう? 気にせず明日はあのエルフを連れ出せばいいわ。きっともっと面白いことになるわね」
「……それは止めておこうかな。もう村にいられなくなりそうだ」
それを痛感しているのだろう。どこか引きつった笑みを浮かべているヒンメル。村の連中の視線が怖い云々は本当だったのだろう。もしかしたら王都での謁見に匹敵するものなのか。人類で最も強い、魔族で言うなら魔王でもあるこいつが、何の強さも持たない王に従わざるを得ないように。群れでしか生きられない人間の弱点だろう。力押しではない、もう一つの支配の形。
「それは置いておいて……リーニエを残してきてよかったのかい?」
「心配いらないわ。忘れてるんじゃないでしょうね? あの子は魔族よ。あのエルフにとっては天敵ね」
あきらめたのか、それとも本当に心配だったのか。ヒンメルはリーニエのことを話題にすり替えてくる。小賢しいが乗ってやろう。リーニエはこの場にはいない。あの子は置いてきた、留守番だ。デートをするためには邪魔になるので、本当はリリーが預かるつもりだったようだが、私がフリーレンのところに差し向けた形だ。
ヒンメルの懸念ももっともだろう。腐ってもあのエルフは葬送と呼ばれるほど魔族を葬ってきた、いわば私たちの天敵なのだから。そんなところに魔族の子供を一人で行かせるなんて、人間の子供を魔族の前に差し出すに等しい愚行だ。
だがあの子は例外だ。育てているヒンメルも気づいていないのだろう。そう、フリーレンは勇者一行なのだ。なら、あの子が騙せない道理はない。あの子は例外のリーニエなのだから。
「あんたは精々あのエルフに逃げられないようにすることね。もう一度捕まえるのは御免よ」
他人よりも、自分の心配をしたらどうなのか。目下はあのエルフを取り逃がさないように。今は私やリーニエ、加えてあの宝物庫のおかげでここに留まっているが、不意にどこに行ってしまうか分かったものではないのだから。はた迷惑な渡り鳥もいたものだ。
「そうだね。それにしても、フリーレンを捕まえる魔法か……あの人もこうなることが分かってたのかな」
「誰のことよ?」
「ゼーリエさ」
巡り巡ってヒンメルの口から出てきた名前に、思わず顔をしかめるしかない。ヒンメルの中ではこれはもうフリーレンを捕まえる魔法になってしまっているのか。そんな特権渡した覚えはないときっとあの老害なら憤慨するだろうが。思い出しても気分が悪い。やはり私はエルフが嫌いなのだ。けれど
「もう二年以上前になるのかな。ちょうどいいから、フリーレンを連れて挨拶にいこうかな」
「いいわね。あいつらがどんな顔するのか。見物ね」
そんなことになるのなら、話は別だ。あの老害の顔など死ぬまで見たくないが、それ以上にその顔が見てみたい。きっと二人そろって醜く不細工な顔を晒してくれるに違いない。あの老害に会わなくてはいけない対価を払ったとしても、余りあるお釣りが返ってくる。絶対に同行しなくては。そう内心ほくそ笑んでいると
「何よ。気持ち悪い顔して」
気づけばヒンメルが私の顔を見ながら、いつものように気持ちの悪い笑みを浮かべていた。こちらを値踏みするような、一人で勝手に納得するような。言いたいことがあるのなら、直接言えばいいだろうに。
「いいや。君が楽しそうだなと思っただけさ」
「そう。良かったわね。あんたも楽しそうよ」
前言撤回だ。やはり黙っていればいい。余計なことしか言わないのだから。言わなくてもこいつが楽しそうなのは分かる。本当に良い空気を吸っている。償いとやらのために私たちを飼い殺しに、今は子供の頃から狙っていた念願のエルフを捕まえたのだ。本当に癪に障る奴だ。子供の頃から成長していないに違いない。
「下らない話はいいわ。遅くなると今度はあのエルフに締め出されるかもしれないわよ」
「そ、それは勘弁かな……フリーレンはきっと命乞いを聞いてくれないからね」
どうやらあの日の出来事はヒンメルにとってはトラウマになってしまっているらしい。まさか自分が教え込んだ魔法で自分が締め出されるとは思いもしなかったに違いない。自業自得。いい気味だ。その真似事をあのエルフが仕掛けてこないとも限らない。いや、それはないか。デートの意味も知らないに違いない。贈られた指輪の意味を知らない奴だ。リーニエと良い勝負だろう。そして魔族どころか人間の命乞いも聞いてくれないと思われているエルフ。どっちが魔族か分かったものではない。
(あとはこれを着け直せばいいだけね)
服の中に隠し持っている金属の感触を確かめる。そこには銀のアクセサリがある。失くしてはいない。もし失くしても私には『失くした装飾品を探す魔法』もある。アイゼンが贈ってきたものだというのは癪だがまあいい。
これもまたリリーの入れ知恵だ。何だが私の方があの子に操られているような気もするが仕方ない。あの子曰く、このデートの後にこれを着け直せば完璧なのだと。何が完璧なのかは分からないが。そんなことを企んでいると
急にヒンメルが自分の前に立ちはだかってきた。
「? 何のつもりよ?」
通行の邪魔だと文句を言おうとしたのも束の間。ヒンメルはいつものような、自信満々な、自意識過剰な笑みを浮かべながらこちらに手を差し出してくる。もしや私がフリージアのアクセサリを隠し持っているのを見抜かれてしまったのかと焦るも
「決まってるだろう? エスコートさ。今日は全然いいところを見せられなかったからね」
どうやらそれは無駄な勘違いだったらしい。同時に呆れるしかない。どうやら私にしてやられたのがよほど気に食わなかったらしい。ようやく立ち直ったということか。もう少ししおらしくしていればいいものを。
「あらそう。ならお願いするわ。今度は村の連中がいる前でしてもらおうかしら」
「ゔっ……お、仰せのままに」
最後まで締まらないのは、格好がつかないのがヒンメルなのだろう。痛いところを突かれたからか。それとも私の言葉に恐れをなしたのか。私の手を取ったヒンメルの手は震えている。とんだ臆病者だ。アイゼンといい勝負だろう。
そのままアウラはヒンメルを引き連れながら帰宅する。自らの企みが上手くいったことをほくそ笑みながら。ご満悦に。
だからこそアウラは気づいていなかった。自らの油断と慢心を。
アウラは忘れてしまっていた。自らが魔族であることを。
アウラはすぐに思い知ることになる。魔族だからではない。フリーレンが自らにとって天敵であることを────