「おかえりなさい、アウラ様!」
とりあえず扉が封じられていないことにヒンメルが安堵しているのを尻目に帰宅すると、まるで親が帰ってきた人間の子供のようにリーニエが出迎えてくる。私達で言うなら飼い主を待っている飼い犬の方が適当かもしれない。尻尾があれば振っているに違いない。
「ただいま、リーニエ。ちゃんと留守番はできたみたいね」
「うん!」
「あれ、僕は?」
褒めて褒めてとばかりに私にねだってくるのとは裏腹に完全に無視されているヒンメル。いつものこととはいえ、もう少し何とかならないのか。そういえばこいつはもう主人でも何でもなくなっているのか。リーニエから見れば一体どういう扱いになっているのか。今度確かめてみるのも面白いかもしれない。それはまた次の機会として
「あのエルフはまだ引き籠ってるわけ?」
とりあえずはあの引きこもりの所在だ。ぱっと見姿は見えない。だとすればまだ書斎に引き籠っているのだろう。かれこれ半日以上経つというのに。初日を思い出す堕落振り。邪魔をされないようにわざと今日はそう仕向けたのだが、嵌まりすぎだろう。放っておけば数年どころか、百年以上出てこなくてもおかしくない。やはり一日一時間を厳守させるべきだろう。ヒモエルフを養うなんて真っ平御免だ。森にでも捨ててやればいい。そう呆れるも
「ううん。今は準備してるところ」
「準備?」
リーニエからそんな理解できない返事が返ってくる。準備とは一体何のことなのか。もしや夕食の準備でもしていたのか疑うも台所はそのまま。そもそもそんな気を遣えるような薄情者ではない。そう首を傾げていると
「遅かったね。待ちくたびれたよ」
そんな聞きたくもない、こちらの神経を逆撫でするような間抜けな声が上から聞こえてきた。姿は見えないが、二階から階段で降りてきているのだろう。まるで食事にだけ降りてくる寄生虫のような奴。いや、寄生獣か。
「はぁ? 私の書斎で好き勝手してただけのくせに何を偉そう……に……」
売り言葉に買い言葉。腕を組みながら、この十年で学んできた、人間様の悪意の真似事でこの人類モドキを裁いてやろうとするも、固まってしまう。目を奪われてしまう。時間が止まってしまったかのように。まるでそう、十年前、ヒンメルによって
「どうやら驚いて声も出ないみたいだね」
それは魔法ではなく、目の前のエルフの醜態によって引き起こされているということ。
「わあ! 私とおそろいだね、フリーレン!」
言葉を発することすらできなくなった魔族失格の私の代わりに、リーニエが状況を代弁してくれる。そう、お揃いだった。違うのはそのサイズぐらいか。当たり前だ。何故ならフリーレンが着ているそれは、紛れもない私の服。あの日から封じられている呪われたコルセットドレスだったのだから。
「…………一応聞くけど、何のつもり?」
「見て分からないの? やっぱり魔族は駄目だね」
ようやく服従が解けたのか。何とか口だけは動くようになった気分だ。聞きたくもないが、聞くしかない。反射に近い何か。それに気を良くしたのか。どこか得意げにその間抜けな格好を見せつけてくる勘違いエルフ。
「いい歳して着せ替え遊びなんて、みっともないわね。全然似合ってないわよ。反吐が出るわぁ」
それに嘘偽りなく答える。魔族の矜持などもはやない。嘘をついても騙すことなどできはしない。致命的に似合っていなかった。これがきっと服に着られる、という奴なのだろう。自分の歳を考えたらどうなのか。鏡を見てみればいい。獣が服を着て歩く、だったか。なるほど。言い得て妙だ。まさか自分のことを言っていたとは。
それにしてもどうやってそんなものを引っ張り出してきたのか。あれ以来、タンスの奥深くに封じていたというのに。いや、そうか。誤算だった。リーニエを差し向けるリスク。嘘をつくことができない、悪意がない例外の魔族の弊害。ようするにこいつは魔導書だけではなく、ただの盗人なのだ。人類の風上にも置けない奴。
「ふふん。何を言ってもただの負け惜しみだよ。所詮お前は獣だからね。私は違うよ。ヒンメルを見れば一目瞭然かな」
「はぁ?」
無駄に長い耳が役に立っていないのか。それともこいつには言葉が通じないのか。全く悪びれることなくむしろ勝ち誇っている。一体何の話をしているのか。そもそもどこから勝ち負けなんて話が出てきたのか。そして突如出てくるヒンメル。意味が分からない。そのまま言われるがままそちらに振り返るとそこには
「────」
まるで人間の子供を前にした魔族のように、みっともなく仮装したエルフに目を奪われている愚かな勇者の姿があった。
「ヒンメル。あんたね……」
「っ!? い、いや、違うんだ!? これはただ驚いただけで……」
意識も奪われていたのか。私の言葉でようやく目が覚めたかのように体をはねさせている。何も言っていないのに、勝手に弁明してくる始末。聖都の裁判で飽きるほど見てきた光景。有罪の被告がしてくる命乞い。
同時に思い出すのはかつて、こいつに水浴びしているところを覗き見された記憶。その時も同じように慌てながら、鼻の下を伸ばしていた。私の裸はあのエルフの仮装と等価だというのか。万死に値する。魔法が使えればこの場で首を落としてやるところだ。
「……そういえばあの服はあんたの趣味だったわね。本当に悪趣味だわ。着てくれるなら誰でも良いってことね」
知らず隠し持っていたアクセサリを握りしめながらようやく思い出す。そういえばあの服はヒンメルの趣味だった。元々このエルフに着せるための物だったのだろう。その代わりに私に着せて喜んでいたのだから。スカート捲りと同じで、女ならエルフだろうが魔族だろうが誰でもいいのだろう。本当にこいつは人類なのか。アクセサリを着け直す気も失せてしまった。
「ただの負け惜しみだね。これが溢れ出る大人の魅力だよ。お前にはまだ早かったかな」
「私も着てるよ! これもヒンメルの趣味ってこと?」
「リ、リーニエ……!?」
そんな私の呆れをどう勘違いしたのか。勝手に勝ち誇っている泥棒エルフ。どうやらこいつとしては色仕掛けをしかけているつもりだったらしい。老人のくせにお子様なのか。リーニエにすら劣る有様。エルフの千歳児の醜態に言葉もない。そしてついでとばかりにヒンメルの性癖を暴露している一番弟子。明日にはきっと村中に広まっていることだろう。
「ならとっておきを見せてあげるよ。本当はこういうことはしたくないんだけど、さーびすだよ」
興が乗ってきたのか、調子に乗っているのか。そのまま仮装をしているフリーレンは、何やらもったいぶったポーズを取り始める。もしやイケメンポーズでも披露するのかと冷めた目で見ていると
「──ちゅっ♡」
片眼を閉じ切れていないまま、口を突き出して見るに堪えない不細工な顔を晒しながら何かを投げるような動作を見せてきた。
「…………」
意味が分からない。とうとう頭が花畑になってしまったのか。今の動作に何の意味があるのか。エルフにしか理解できない何かの暗号、合図なのか。それを問いかけるよりも早く
「ぐほっ!?」
まるで見えない魔法で胸を打ち抜かれたかのように、隣にいたヒンメルが胸を押さえながらその場に倒れ込んでしまった。
「投げキッスだよ。十年振りだからね。少し刺激が強すぎたかな。アイゼンからは罪な女だって言われるぐらいだよ」
「……………………馬鹿じゃないの」
「ばか? ヒンメルのこと?」
馬鹿だった。馬鹿だとは思っていたがここまで馬鹿だったとは。もはやゴミ以下だろう。見る気も失せる。
どうやらさっきの奇行は求愛行動だったらしい。威嚇にしか見えなかったが、それはヒンメルにとっては違ったのだろう。その証拠にそれによって悶絶している。どれだけ愚かなのか。十年前ということは、同じようなことがあったということか。何も成長していないらしい。あの筋肉馬鹿と生臭坊主は一体何をしていたのか。リーニエにとって馬鹿の代名詞はヒンメルだったのだが、これからはこのエルフも追加されることになるだろう。そんな中
「……ゔっ……ぐっ……!!」
その場に蹲っていたヒンメルが苦悶の声と共に顔を上げる。その姿が、よりにもよって、あの時の光景と重なる。
忘れもしない、私の服従の魔法を受けながらも、鍛え抜かれた英傑ほど鋼のような意志を持ち合わせているように。勇者らしくそれに抵抗してきた姿。私の魔法はこいつの色仕掛けと同じだというのか。どれだけ私を侮辱すれば気が済むのか。
「……あり得ない。前はずっと気を失ってたのに」
「残念だったね。フリーレン……僕も成長してるのさ。十年前とは違うよ」
「おっさんは伊達じゃないってことか」
「それやめない?」
私は一体何を見せられてるのか。こいつらは一体何と戦っているのか。呆れて言葉も出ない。やはりこいつらは似た者同士、お似合いなのだろう。このまま二人まとめて書斎に放り込んで封じ込めてやりたいと思うほどには。
「…………リーニエ?」
そんな下らない茶番の最中。いつの間にかリーニエがフリーレンの後ろにくっついている。何をするつもりなのか。だがその瞬間、強烈な既視感が襲ってくる。ここ最近はなかった、忘れてしまっていた奇行。思わず声を上げかけるも
「──えい!」
それよりも早くフリーレンのスカートはリーニエによって勢いよく捲られてしまった。
「――――」
瞬間、時間が止まる。無防備のまま、あのエルフの下着が露わになってしまう。ただそれだけ。だがそれは
「────ぐぼあっ!?」
まさに
「…………」
この世の物とは思えない断末魔を上げながら、ヒンメルだったものは地に伏せている。吐血……ではなく鼻血を出しながら。今度は立ち上がってくることはない。完全に服従させられてしまっている。不死の軍勢の仲間入りを果たしてしまったかのように。
「やっぱりヒンメルはふしだらだった。フリーレンの言う通りだね」
「やるね。リーニエ。本当なら怒るところだけど、今回は特別かな。ヒンメルには投げキッスよりもこっちだったみたいだね」
違う意味で師匠の鼻っ柱を折った一番弟子の魔族の子は、どこか淡々と自らの成果を報告している。どうやらフリーレンにとってもさっきのスカート捲りは予想外の出来事だったらしい。あのエルフの中ではスカート捲りよりも投げキッスの方がふしだらだったらしい。どういう感覚なのか。
「……リーニエ。あんた、フリーレンにいいように騙されてるんじゃないわよ」
そこで事切れているお子様勇者はどうでもいいが、見過ごすことはできない。自らの従者であるはずのリーニエが、私の命令に背くような行動を見せているのだから。
「余計なことは言わないように命じたはずよね? そもそもスカート捲りは禁止だったはずよ。どういうつもり?」
「そ、それは……フリーレンが大人はみんなふしだらだって言うから……」
ようやくそのことに気づいたのか。目に見えて狼狽し始めるリーニエ。端から見れば親に叱られている人間の子供のようだが、話はもっと単純だ。魔族の主従に関わること。事実、この子は私が従えてから命令に反することは一度もなかった。なのに何故こんなことをしているのか。嘘をつけないリーニエはただ正直に白状するしかない。その犯人が誰であるのか。もはや天秤を使うまでもないほどに、子供でも分かるような真実。
「……あんた、リーニエに何を吹き込んでるのよ」
「人聞きが悪いね。私とリーニエは利用し合ってるだけだよ。騙すことしか能がないお前とは違うよ」
「よく言うわ。私達よりもよっぽど魔族らしいくせに」
目の前の嘘つきがこの子を唆したのは明らかなのだから。魔力だけでなく、言葉でも魔族を騙して操るとは。本当にこいつは私達よりもよっぽど魔族なのだろう。自覚がないのが余計に質が悪い。こいつも、もしかしたら悪意を持っていないのかもしれない。
「これ以上は時間の無駄ね。お仕置きよ。こっちに来なさいリーニエ。覚悟はいいわね」
何にせよこれ以上こいつと話していても意味はない。私の油断と慢心か。主従関係がヒンメルからフリーレンに代わってしまった影響か。もしかしたらリーニエの中でも混乱が起きているのかもしれない。きちんと躾けておかなくては。ようやくスカート捲りを止めさせることができていたというのに。二度手間だ。そう溜息を吐きながらリーニエを叱ろうとした瞬間
「うぉぉぉん!!」
この世の物とは思えないような、魔族の鳴き声が家中に響き渡った。
「は? あんた何をやって」
「うぉぉぉぉん! うぉぉぉぉおおん!」
「ま、待ちなさい。リーニエ……私の話を」
「────」
思わず後ずさりながら、恐る恐る宥めるも、全くリーニエは泣き止むことはない。どころかそれがどんどん悪化していく。泣くだけではなく、その場で暴れ始めてしまう。まるで人間の小さな子供が親に叱られて癇癪を起こしたかのように。
だがその規模が、被害が桁外れだ。全くこちらの言葉に耳を傾けない。私の命令が届かない。そもそも聞こえていないのか。それは酷くなる一方。全く収まる気配がない。その光景に、私は一つ心当たりがあった。
(これは、まさか……!?)
知らず背筋が凍る。息を飲んでしまう。脳裏に浮かんでくるのは、この十年、聞いてもいないのに聞かされてきた、あるエルフの醜聞。
曰く、昼まで寝坊するのが当たり前。世話をしないといけない。
曰く、何度言っても魔導書欲しさにミミックに引っかかる。
そこまでは知っている。実際に目の当たりにもした。だが、最後の一つはまだだった。私は油断してしまっていたのだ。慢心していたのだ。どうせ大したことはないだろうと。気づくべきだったのだ。あの薄情者に惚れている色ボケ勇者であっても、恐れおののいているとは、どういうことか。
「ヒンメル!? あんたも何とかしなさいよ!?」
反省は後だ。今は目の前のリーニエをどうにかしなければ。恐れていたということは、それに対処したことがあるということ。十年一緒に旅した仲間。腐ってもリーダーなのだ。フリーレン本人ではないが、恐らくはその真似をしているであろうリーニエを止めるために。だが
「…………」
いくら呼びかけてもヒンメルは微動だにしない。返事をしない。ただの屍のようだ。
「本当に使えない
本当に役に立たないとは思っていたがまさかここまでクズだとは。念願のエルフのスカート捲りを拝むことができて満足して昇天してしまっている。天国にいるという女神ですら呆れ果てるに違いない。
「っ!? あのクソエルフ……どこ行ったのよ!? 出てきなさい! ぶっ殺すわよ!」
やはりクズの仲間はクズなのだろう。慌てて辺りを見渡すも、あの薄情者の姿が見当たらない。一体いつの間に。魔力探知にも反応がない。完全に逃走してしまっている。魔族顔負けの逃げ足の速さ。葬送の魔法使いの真骨頂。この状況の犯人が自分だと自白しているようなもの。
あとには殺人事件の被害者よろしく血塗れになって倒れている勇者と葬送の魔法使いに唆され、村中に聞こえるほどに泣き喚いている例外の従者だけ。まさに地獄絵図。ただ断頭台のアウラはそれを前に、立ち尽くすしかない。アウラは生まれて初めて、女神に祈ることになる。
だがアウラの祈りも空しく、それは噂通り、三日三晩続くことになるのだった────
「…………私のせいじゃないよ」
余談だが、三日後、村人によって膝を抱えて森の中で縮こまっている一匹のエルフが発見された。
今話で第三節も終了となります。キリが良い所でもあるので、少しあとがきという形で設定などを書かせていただきました。興味がある方はお付き合いください。
今回で物語で言えば起承転結の起が終わった形になります。フリーレンの襲来から、四人の新たな生活、関係性が固まるまででしょうか。それがどういう形になったかは本編の通りになります。
この番外編、協奏は以前も触れたことがありますが、もしフリーレンが
・フリーレンは気紛れで王都でヒンメルと暮らすことになるが、フリーレンは十年前と変わらず、ヒンメルの寿命などの時間感覚の違いには気づくことができない。
・ヒンメルもまたあえてそれには触れず、鏡蓮華の意味も伝えることはない。フリーレンが傷つくことを心配し、胸に秘めたまま。それでもフリーレンとの暮らしを噛みしめる。ハイターやアイゼンもそれは同じ。
・原作同様、流星の後にヒンメルはこの世を去り、同じ後悔の言葉をフリーレンは漏らすも、その後悔は原作よりも大きくなり、より人の心を強く知りたいと思うようになり、葬送の旅に出る。
と言った形になるかと思います。ある意味、葬送のフリーレンらしい物語ではありますが、それに今作のアウラとリーニエというイレギュラーが加わることで変化させたのが協奏という番外編になります。これまでは表の主人公がアウラで、裏の主人公がフリーレンでしたが今回はそれが裏返った形です。
本編ではヒンメルに服従させられたアウラが五十年の村で変わっていく物語でしたが、今回はそれに加えて、捕まったフリーレンが五十年の村での生活でどう変わっていくか。変わることができるかがテーマになっています。
これからは起承転結の承。村での生活だけではなく、世界が広がっていくことになります。楽しみにしてもらえれば嬉しいです。では。