第一話 「誘導」
ゆっくりと一人、街道を進んでいく。一歩一歩自らの足で。だがその歩みがいつもより早くなってしまっているように感じるのは何故だろうか。決まっている。気持ちが逸っているのだろう。そんな歳でもないだろうに。
背負っている斧と、荷物の重さも微々たるものだ。いつもの買出しや、狩りに出かける時とは違う。思い出すのは十年以上前。一人ではなく、賑やかに旅をしていた忘れられない記憶。それが思い出される。本当に下らない旅だった。下らなくて、楽しい旅。
それに浸りながら、目的地を目指す。もうそう遠くないが、気を引き締めなくては。中央とはいえ、魔物が出ることもある。一人旅であるのなら尚のこと。
そんな中、自分の後ろから一台の馬車が追い縋ってくる。どこかの貴族が領主だろうか。その邪魔にならないよう、街道の端に寄る。もし貴族だとしたら不敬になってしまう。処刑されてはかなわない。そう内心縮こまっていると、そのまま馬車は速度を落とし、停車してしまう。それに思わず息を飲む。何かやらかしてしまっただろうか。逃げ出すべきか。迷っていると
「いかがですか。ご一緒に」
そんな誘いが馬車の中から聞こえてくる。なるほど。そういうことか。どうやら俺を一緒に乗せて行ってくれる気らしい。お人好しの貴族様だったようだ。不敬ではなかったことに安堵するしかない。
「いや、俺は……」
せっかくのお誘いだが、お断りすることにしよう。ヒンメルたちなら何の遠慮もなく乗り込むのだろうが。そこまで真似する必要はない。そもそも貴族と一緒に馬車に乗るなんて臆病者の俺には耐えられない。息が詰まる。ただ失礼にならないようにしなければと思案するも
「遠慮することはありませんよ。目的地は一緒でしょうから」
それは無駄だったのだとすぐに思い知ることになる。聞き馴染みのある、胡散臭い友人の声によって────
「どこぞの貴族かと思ったぞ。職権乱用だな」
揺られる馬車の中で向かい合いながら、そう悪態をつく。目の前には見知った顔があった。法衣を着ていなければ、怪しい詐欺師に間違われてしまうような聖職者。これで勇者一行の僧侶だというのだから。節制を説くべき存在が、馬車に乗っているなんて笑い話にもならない。それも私用で。司祭になってから職権乱用が過ぎるというものだろう。
「失敬な。これは王都からの帰り道ですよ。途中まで送ってもらっているだけです」
「物は言いようだな」
だが悪びれることもなくハイターはそう言い訳をしてくる。まったく、こいつは変わらない。口八丁では誰も敵わないに違いない。
「いいではありませんか。私たちは魔王を倒した勇者一行ですよ。少しぐらい贅沢しても女神様も許して下さるはずです」
「生臭坊主め」
とても民衆には、信徒には聞かせられないようなことを暴露する偽物の司祭。そういえばそんなことを言っていたか。死んだ後は天国で贅沢三昧するために魔王を倒すのだとかなんとか。それとは言っていることが変わってしまっているが、ようするにその方が都合が良いからだろう。生臭坊主ここに極まれりだ。
「冗談はこのぐらいにしておくとして。貴方もヒンメルから招待状が届いたのですね」
「ああ。自分から誕生日を祝いに来いと言ってくるのはあいつぐらいだろう」
「ヒンメルらしいですね」
下らない挨拶を切り上げ、本題に入る。どうやらこいつも俺と同じだったらしい。それもそうだ。あいつが俺だけにあんな手紙を寄越すわけがない。俺たちはいつも文通しているのだから。先日届いた手紙はいつもと趣が違っていた。一言で言えば脅迫状だった。自分がもうすぐ誕生日なのだと、しつこいぐらいに書き綴った物。構ってほしくてたまらない子供のような有様。結局それに乗せられて俺たちは誘い出されてしまった。もし無視しようものなら後で何を言われるか分かったものではない。やはり俺たちはヒンメルには敵わないに違いない。
「しかし早いものですね。もう十年ですか」
「そうだな。最初はどうなるかと思ったが、収まるところに収まったらしい。アウラ達も村での生活に慣れてきたんだろう」
これから向かう先に思いを馳せたのか。ハイターもそう告げてくる。今俺たちが向かっているのは王都ではなく、アウラ達が住んでいる村の方。最近はそちらがヒンメルの家になってしまっている。
本当に早いものだ。あれからもう十年か。魔族と、しかも七崩賢でもある大魔族。断頭台のアウラを従えたと聞いた時は耳を疑ったものだ。しかもそれと友達になりたいなどと。だがそんな誰もが夢物語だと思えるようなことを、ヒンメルは現実にしようとしている。かつて魔王を倒したように。魔族の子であるリーニエも加えて。ヒンメルのたゆまぬ努力か。それとも人間を真似し、騙す魔族だからか。ヒンメルたちはあの村で共存している。いや、共生か。それにどこか感慨深さを覚えていると
「おや、おかしいですね。私は一言もアウラのことだとは言っていませんよ?」
「…………」
それに冷や水をかけるかのように、僧侶にあるまじき悪意に満ちた言葉がかけられてしまう。それによって思わず黙り込むしかない。まるでリーニエのように。噓はついてはいけないと叱られてしまう気がした。
「……謀ったな。ハイター」
「さて、何のことでしょうか」
「相変わらず食えない奴だ」
本当にこいつは生臭坊主だ。最初からこちらを謀っていたのだろう。まんまと騙されてしまった。魔族も裸足で逃げ出すに違いない。同時に戒めでもあったのだろう。俺があいつを忘れていないか確かめるための。余計なお世話だ。ただ少し、話の流れから思い出すのが遅れてしまっただけだ。他意はない。
「あれ以来音沙汰は無しか?」
「ええ。どこをほっつき歩いているのか。今度会ったら叱ってあげなくてはいけませんね」
「お母さんだな」
話題は魔族のお母さんから薄情者の渡り鳥へ。どうやら未だに影も形も捉えられないままらしい。表立ってはいないが、ハイターもその権力を使って噂なりなんなりを調べているようだが成果はなし。今も呑気に魔法収集の旅を続けているのだろう。いい気なものだ。
「あいつのことだ。たった十年だと言うだろう」
「違いありません。貴方たちの時間感覚は分かりませんね」
「俺はドワーフだ。一緒にするな」
「これは失礼」
あいつはエルフなのだから。あいつにとっては五十年も百年も些細なものでしかない。もし今叱ってもたった十年でしょ、といつものように素っ気なく答えるに違いない。それが分かっているだろうに。わざわざ俺をそれに巻き込んでくるハイター。失礼な奴だ。俺たちドワーフの寿命は精々三百年程度。エルフとは比べ物にならない。
いや、そもそもエルフに失礼だったか。あの時間感覚のポンコツさは、あいつ自身のものぐささでもある。ようするに薄情なのだ。だが悪いことばかりでもない。
「ですが、問題も山積しています。実際彼女がやってくれば修羅場になるのは避けられませんから」
「違いない」
そのおかげで、ここ十年はあの村は、いや俺たちは平穏に暮らせているのだから。もしあいつがやってくればどうなるのか。想像するだけで恐ろしい。それだけで体が震えるほど。おなかも痛くなってきた。
「その時は私はさっさと逃げ出すのでよろしくお願いしますね」
「俺も逃げるぞ。それはヒンメルに言うんだな」
「本当に罪な男です」
気持ちは同じなのだろう。そこで堂々と逃げると公言できるこいつは間違いなく俺の仲間だ。なので俺もそれに乗ることにする。俺も勇者一行だからだ。責任はヒンメルにある。本当に罪な男だ。本人にはその自覚がないのだから余計に質が悪い。
「先の話はこのぐらいにして。贈り物は何を持ってきたのですか、アイゼン?」
「新しい剣と包丁だ。そろそろ前渡した物も傷んできていたからな。丁度いい。お前は?」
「魔導書と新しい法衣ですよ。アウラが好きそうな魔導書を見つけましてね。法衣の方はリーニエに。きっと似合うでしょうから」
まだ当分来ないであろう、未来の話を先送りにし、現実逃避しながら今のことを考える。さしあたっては誕生日祝いか。互いに贈り物の確認を。被ることはないだろうが念のため。忘れず持ってきている。忘れてしまっては事だ。ずっと不機嫌になり、頼りにならないと言われかねない。それは避けなければ。ハイターの奴も流石だろう。これも職権乱用か。聖都でちゃんと司祭ができているのか疑わしい。だが
「…………一つ聞いてもいいか?」
「…………どうぞ。きっと私も同じことを考えていましたから」
微かな違和感がある。お互いに当たり前すぎて、忘れてしまっていることがあるような、そんな齟齬。思わず見飽きてしまったお互いの顔を見合わせてしまうほどに。それは
「俺たちはヒンメルの誕生日を祝いに来たんじゃなかったか」
「はっはっはっ、ヒンメルが聞いたらきっと泣いて喜ぶでしょうね」
俺たちが間違いなく、勇者一行の仲間であることの何よりの証明だった────
「この村も大きくなったな」
二人そろって街道の途中で馬車を降り、山道を進むこと数刻。ようやく目的地へとたどり着く。だがその村は十年前とは比べ物にならないほど栄えていた。とても小さな農村だったとは信じられないほど。
「そうですね。間違いなくヒンメルとアウラの影響でしょう。今はアウラの方が大きいかもしれませんが」
「お前たちの悪巧みの成果だな」
「こらこら人聞きが悪いですよ。私は彼女を頼りにしているだけです」
ヒンメルとアウラ。あの二人が人を惹きつけるからこそ。それが人の常でもある。特にアウラについてはそれが顕著だ。断頭台ではなく、天秤の二つ名が山奥で隠居している俺にも届くほどに。アウラ自身の活躍もあるだろうが、ハイターたちの悪巧みのせいでもあるに違いない。喜々としてその噂を広めていたのだから。当の本人は悪びれることもなくそれを認める始末。堂々と利用していると豪語している。頼ると言い換えても隠しきれるものではない。
そんな中、村人の中にあいつを見つける。遠目から見ても分かる。その髪色と合わせたような、派手な色をした服を纏っている村娘のような出で立ち。角よりもそちらの方が目立っているのだが、言わぬが花だろう。俺は首を落とされたくはない。
「久しぶりですね。アウラ」
飄々と、まるで数日ぶりであるかのようにハイターがアウラに声をかけていく。久しぶり、なんてわざわざ言いながら。俺よりも遥かに長寿である魔族に向かって。悪意が理解できないあいつにとっては皮肉にもならないだろうに。
「……やっぱりあんただったのね」
それとは関係なく、まるで通りすがりに会ったかのように素っ気なくアウラは答えてくる。それが魔族だからなのか、アウラだからなのかは分からない。その雑な対応に、脳裏にここにはいない誰かがよぎってしまうのは仕方ないことなのかもしれない。これではヒンメルのことも言えないに違いない。気をつけなくては。
「おや、あまり驚いてはくれませんね。せっかくお忍びで来たというのに」
「ならその無駄に大きな魔力を隠してきなさい。寝てても気づくわ」
「これは失礼。ですがずっとそんなことができるのはフリーレンぐらいでしょうから。もう私も若くはありませんので」
どうせなら驚かせたいという企みもどうやら失敗してしまったらしい。頭隠して尻隠さずか。魔法使いにとってそれは魔力だったのだろう。僧侶でありながら大魔族であるアウラに匹敵する魔力を持っているハイターがおかしいだけだが、やはりこいつも化け物なのだろう。そんなハイターをして、常に魔力を制限することは困難らしい。血の滲むような努力の結晶だったか。やはり俺の仲間は化け物しかいない。
「アイゼン。あんたも一緒なんて珍しいわね。何の用?」
「ヒンメルから招待状が届いた。誕生日を祝ってほしいとな。いい迷惑だ」
淡々と、事実を確認してくるアウラに正直に答える。俺はハイターのような嘘つきではない。嘘をついてはいけないと教える立場だ。なのでその証拠を提出する。ヒンメルからの招待状という名の脅迫状を。知らず、目の前のアウラの口癖を真似てしまいながら。リーニエがいれば怒られてしまうに違いない。そんなことを考えるも
「…………あんたたち、何も知らされてないの?」
アウラはそれを意に介することもなく、目を細めながら、訝しむように俺たちを値踏みしてきた。
「? 何のことでしょうか。驚かせようとヒンメルには知らせていないのは確かですが」
「……そう。まんまと誘き寄せられたってわけね」
ハイターと二人して顔を見合わせるも、思い当たる節はない。もしや誕生日を間違えたかと思ったがそれもない。自分たちがここに来ることは隠していたが、ヒンメルにはお見通しに違いない。誘き寄せられた、か。確かにその通りだが言い方は宜しくない。まるで物騒なことかのようだ。魔族らしいというか何というか。アウラらしいのかもしれない。
「まあいいではないですか。そうそう、貴方が欲しがっていた魔導書がつい先日ようやく手に入りましてね。是非にと持ってきたのですよ」
「あんた、ヒンメルの誕生日を祝いに来たんじゃなかったの?」
「心配しなくてもヒンメルにはお酒を持ってきていますから」
「お前が飲みたいだけだろう、ハイター」
「ただの賄賂ね。生臭坊主」
「これは手厳しいですな」
「私には何かないの?」
「これは申し訳ない。持ってきている魔導書はアウラが好きそうなものばかりで、貴方が好きそうなものは一冊も…………」
いつも通りの、下らない会話。何もおかしくはないのに、何かがおかしい。まるで知らない間に夢の中に迷い込んでしまったかのような感覚。それはきっとハイターも同じだったのだろう。固まってしまっている。俺もそれは同じだ。二人して、まるで銅像のように同じ方向を向いたまま。そこには
「久しぶりだね。二人とも。元気そうで何よりかな」
見覚えのある、勇者一行の魔法使いのような恰好をした幻が立っていた。
「……はて。もう歳でしょうかね。目が悪くなっていけません……」
「心配するな。ハイター。俺にも見えている。だが久しぶり、か。あいつらしくないな。
「悪かったね。まだ死んでなくて」
「この素っ気なさ……やはり本物かもしれんぞ、ハイター」
我が目を疑う光景に何度も目をこするハイター。気持ちは分かる。だが俺にも見えているということは、幻影を見せる魔物の仕業に違いない。久しぶりなんてあいつが言うわけがない。騙されるわけにはいかないと気を張るも、そのあんまりな素っ気なさに確信する。こいつは本物に違いない。偽物にこの薄情さは、冷たさは再現できるはずがない。
「騙されてはいけませんよ、アイゼン。これはもしかしたら何者かの幻影魔法」
「私の魔力制限を勝手にアウラに漏らしたらしいね、ハイター?」
「失礼。やはり本物のようですね」
目の前の現実を前にして、ハイターもまた戦慄する。七崩賢の一人、グラオザームの幻影魔法すら退けたこいつが惑わされるわけもないだろうに。こちらを射抜くような冷徹な視線にハイターも凍り付いてしまっている。きっと一番バレたくないことが知られてしまっていたからに違いない。
「…………」
「…………」
そのまま時間が止まってしまったかのように、二人して黙り込むしかない。そのままフリーレンを凝視し、続けてその隣にいるアウラに目を向ける。それを何度も繰り返す。そう、ようやく理解する。目の前の二人が、同時に存在している。それが一体何を意味するのか。かつて魔王城に乗り込むときに感じた、緊張感に匹敵する。生命の危機。脳裏に浮かぶのは、勇者すら恐れおののいた、伝説の癇癪。
「ああ、思い出しました。聖都で急ぎの案件がありましてね。申し訳ありませんが、私はこれにて」
「それは大変だな。俺も同行しよう。魔物が出ては危ないからな」
もはや言葉は必要ない。目を合わせるだけで十分だった。可及的に速やかに。流れるようにその場を後にする。迷いはない。もう体は震えっぱなしだ。臆病者と罵られようが構わない。俺たちは勇者一行だからだ。勝てない相手からは逃げ出すのが常だった。今もそれは変わらない。何とかその場を脱しようとするも
「それには及ばないかな。待っていたよ二人とも」
それは叶わなかった。まるで待ち構えていたかのように、背後から肩を掴まれる。あり得ない。この俺が後ろを取られるとは。いくら動揺していたとはいえ、勇者一行の戦士である自分が。油断と慢心ではない。見ればハイターもそれは同じだった。きっと俺も同じような情けない顔を晒しているのだろう。
「────僕はね、全員が揃うこの日を待ち望んでいたんだ」
そんな俺たちを本当に楽しそうに見つめながら、そいつは実にヒンメルらしいことを口している。まるで五十年ぶりに、それが揃ったかのように。違うのは、そこには勇者にはあるまじき、悪意が含まれていたこと。俺たちは忘れてしまっていたのだ。たった十年だというのに。それは
「ゆっくりしていってくれ。僕たちは仲間だからね」
それが十年ぶりに勇者一行が再び集った瞬間だった────