ヒンメルはもういないじゃない【完結】   作:HAJI

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第二十五話 「鏡蓮華」

「ふぅ……すっきりした」

 

 

大きく背伸びをした後、思わずそんな声が漏れてしまう。本当にすっきりした。今までのことが嘘だったかのように晴れやかな気分。それもそうだ。時刻は既に正午を回っている。三日三晩泣き喚いた後に眠りこけてしまったのだろう。ほとんど記憶はないが間違いないはず。以前泣き喚いた時もそうだった。完全に寝坊してしまっているが小言を言ってくるハイターも無言で圧をかけてくるフェルンもこの場にはいない。二人とも私のために聖都に離れてもらっている。きっと今日の夕方には戻ってくるはず。ハイターにはまた大きな借りができてしまった。どうにかそれを返すためにここに来たのに、増える一方。

 

 

(とりあえずは頼まれた依頼をこなすしかないか……フェルンへの指南も一緒に)

 

 

なので私にできるのはハイターから頼まれた魔導書の解読を行うこと。それと同時にフェルンへの魔法の指南。きっとそれが私にできるハイターへの恩返しになるのだろう。もっとも早くとも五年はかかるはず。

 

 

(五年、か……私にとってはあっという間だけどみんなには違うんだろうね……)

 

 

軽い軽食を取りながら物思いにふけってしまう。五年。私にはなんてことはない、すぐに過ぎ去ってしまう時間。でもみんなにとっては違う。なら五十年は。きっととても長い時間になるのだろう。私には想像もつかないような。そのことを三日前に思い知った。

 

 

(人間の寿命は短いって、あの時分かったつもりだったんだけどな……)

 

 

思い出すのはあの日のこと。ヒンメルを送った日。あの時も私は泣いていた。その涙の理由を私は知らない。今もそれを探している。でも私はあの頃から成長できていないのかもしれない。私が知らない、いなかった五十年の間にみんな変わってしまった。置いていかれてしまったような気がする。それに追いつくにはどうしたらいいのか。でも、追いついた時にはきっとみんないなくなってしまうのだろう。

 

 

(そういえばアイゼンが言ってたっけ。弟子を取らないのかって……)

 

 

思い出すのは別れ際にアイゼンが言っていた言葉。旅には話し相手がいた方がいい、と。それに私はどうせすぐ死んじゃうからと答えた。アイゼンなら分かってくれると思ったから。エルフほどではないにしても、人間よりも長い時間を生きるドワーフならと。でもアイゼンの答えは違っていた。人との出会いはそういうものではないと。今思えばアイゼンは分かっていたのだろう。私たちと人間の時間の違いと付き合い方を。こんなことならもっと真剣にアイゼンの言葉に耳を傾けておけばよかった。

 

 

「これは……?」

 

 

食器の片づけを終えた後、ハイターの机の上に本が置きっぱなしになっているのを見つける。珍しい。きっと急いで出ていったせいだろう。何とはなしにそれを手に取る。それは教典だった。違うのはそれが女神を信仰する物ではないということだけ。

 

 

(アウラ教、か……本当に悪夢だね)

 

 

断頭台のアウラ、今は天秤らしいがそれは些事に過ぎない。本当にアウラはフリージアという国で崇め奉られているらしい。質の悪い冗談だと、噂だと切り捨てることが今はできない。ハイターの言葉を全て鵜呑みにしているわけではないが、もはやその存在は認めざるを得ない。

 

そのまま本の内容を流し読みしていく。教典らしい教えが記されている、何の変哲もないもの。だがその内容は以前聞いた通り、荒唐無稽なものばかり。

 

『人を食べてはならない』『他者を傷つけてはならない』『人も魔族もこの国においては平等である』

 

魔族を知っている者からすれば笑われてしまうような教義ばかりがそこには記されている。こんな戒律が守れるのなら、とっくに人間は魔族と共存できているだろう。いや、きっと人間ですらこの内容は順守できないに違いない。だがそれを可能とする力がアウラにはある。

 

 

(『祝福』か……本当に悪趣味だね)

 

 

『祝福』という単語が教典のあちこちに見られる。文脈から判断するにそれは服従の魔法(アゼリューゼ)のことなのだろう。最低に悪趣味な魔法。それによって魔族はもちろん、人間にも服従を強いているのだろう。もはやそれは呪いでしかない。なのに祝福なんて悪趣味に過ぎる。ハイターではない。アウラ自身なのか、それとも違う何者なのか。分かるのはその人物がまともではないということだけ。その影響なのか。この教典には魔族はもちろん、人間を人ではなく、動物的に捉えているような記述が見られる。人間と猛獣を同じ檻の中に入れればどうなるか。その問題を矯正するための処置。それを緩和するための人徳的な記述。こちらは恐らくハイターの仕事だろう。そのおかげでこの教典は奇跡的なバランスで教典として成り立っている。人と魔族。両者の矛盾を内包したもの。

 

 

(あいつは何でこんなことを……? これじゃまるで子供のごっこ遊びだ)

 

 

理解できないのはこんなことをしているアウラの目的。魔族を理解できるわけがない、という点を考慮してもやはりこれは異常だ。服従の魔法(アゼリューゼ)があるからこそ、この教典、国が成り立っているのは間違いない。だがそれがなくなってしまえばすぐさまそれは瓦解してしまう。そんなことは子供でも分かること。こんなことをしてアウラに一体何の得があるというのか。

 

 

(最初から今まで、ずっとヒンメルたちを騙している可能性もあるけど……)

 

 

ハイターから聞いた話。ヒンメルに服従させられてからずっとこの時まで人間を欺き続けているとすれば一応筋は通る。本当にそうなら八十年近くヒンメルたちを騙し続けたことになる。ある意味最も人間を欺いてきた魔族になるだろう。建国し、今も人間たちを支配しながら最後に裏切る。そういう魂胆なのだろうか。だがそれにしても無駄が多すぎる。人間を支配したいのなら魔族と共存させる必要なんてない。ハイターの言葉通りなら、アウラは既に人間たちに信仰される下地はあったのだから。わざわざ面倒な魔族との共存なんてする意味はない。だとすれば

 

 

(本当にヒンメルの真似事をしている……? あいつが……?)

 

 

そう考えれば納得できる。俄かに信じがたい仮説。ハイターの持論とも一致する。人類と魔族の共存。ヒンメルがあきらめていた夢物語。それを為そうとしているのか。あり得ない。そんなことできるわけがない。なのに何故。それを確かめる術はない。ヒンメルもハイターも、あいつの本音を聞いたわけではない。いや、魔族は欺く生き物。その言葉が真実かどうかなどこの世の誰にも分からない。そう、たった一つの方法を除けば。

 

 

服従の魔法(アゼリューゼ)なら、あいつが何を考えているか知ることができる)

 

 

服従の魔法(アゼリューゼ)というアウラ自身の魔法。それならその不可能を可能にすることもできる。他ならぬヒンメルがそれを証明している。ならヒンメルはアウラから本音を自白させたのだろうか。いや、それはない。ヒンメルはきっとそれはしなかっただろう。ハイターも。二人とも私とは違って、本当にお人好しだから。

 

 

(アウラと戦うことになれば……やっぱり服従の魔法(アゼリューゼ)をどうするか、だね。厄介な魔法だ)

 

 

全ての煩悶を捨て、ただ葬送の私として思考する。魔族を葬り去るために。断頭台の、天秤のアウラを討伐するために必要なことは何か。それは全て服従の魔法(アゼリューゼ)をどう攻略するか、それに尽きる。

 

 

(私の魔力の偽装はアウラには知られている……騙し討ちは通用しない)

 

 

それは私にとって不利な状況。ハイターから告げられた事実。あろうことかあの生臭坊主は私の手の内をあいつに晒したらしい。その時点で体を痺れさせてもよかったのだが許してやった。状況的に遅かれ早かれ偽装は見抜かれていただろう。むしろ不確定要素がなくなった方が有難い。確かにいつもの戦法が通用しないのは大きな痛手だが、それはアウラも同じ。私は服従の魔法(アゼリューゼ)の存在を知っており、その対策も済ませている。状況的には五分以上と言ってもいい。

 

 

(問題は死の軍勢か……いや、それよりも従っている人間たちの方が厄介かな)

 

 

故に問題はその戦力である死の軍勢。かつての私たちとの戦いでその大半を失い、ヒンメルに服従させられたことによって当時の死の軍勢は残っていないだろう。ヒンメルの死後、それが復活しているのか否か。復活しているならその規模は。解呪が可能としてもあれは大量の魔力を消費する。乱発は避けたい。何よりもこちらの魔力の偽装が露見している以上、アウラも不用意には服従の魔法(アゼリューゼ)は使ってこないはず。消耗戦になるのは避けられそうにない。

 

何より厄介なのはアウラに従っている人間たち。それを盾にされるだけで私は動きを大きく制限される。もし魔法使いや戦士で構成された衛兵のような集団がいるとなればそれはさらに困難となる。そうなれば私だけではアウラを討伐するのは難しいだろう。どうしたものか。

 

 

(机上の空論だね……でも、最悪の事態は常に想定しておかないと。もう戦えるのは私だけなんだし)

 

 

自分でも考えすぎだと自嘲しながらも止めるわけにはいかない。それが私の役割。ヒンメルやハイター、アイゼンとは違う私にしかできないこと。お人好しばかりのパーティには一人ぐらい人でなしがいないとバランスが取れない。もう一緒に戦える仲間はいないのだから。

 

 

(さて……じゃあ遅れていた解読を再開しようかな)

 

 

閑話休題。そのまま書斎へと向かう。泣いてる間に滞ってしまっていた依頼をこなすとしよう。流石にこのまま何もしないでいるのはばつが悪い。そのまま書斎に置いてある自分の鞄を開き、依頼された魔導書を取り出そうとした瞬間、何かが床に落ちて転がってしまう。

 

 

(ヒンメルからもらった指輪か……いつも失くしそうになって困るんだよね)

 

 

そのまましゃがみながらそれを手に取る。花の意匠が添えられた指輪。旅の途中、ヒンメルがご褒美にと買ってくれた贈り物。だけど小さすぎていつもどこかに行ってしまいそうになってしまう。決して私が整理整頓できていないわけではない。失くした時のために探すための魔法を手に入れていた方がいいかもしれない。

 

 

(ヒンメルがいたら……今の私を見てどう思うかな)

 

 

何とはなしに指輪を掲げ、見つめながら今はいないヒンメルを想う。今の私を、ヒンメルはどう思うだろうか。きっと変わらないね、なんて格好つけて言ってくるんだろう。この花の指輪を私の指に嵌めてきた時のように。本当に、子供みたいに。

 

 

「……ん?」

 

 

そんな中、違和感を覚える。花の指輪を見つめる視線の先、天井。その一部に目を奪われる。こうして長い時間見上げていなければ気づけないような、微かな違い。

 

 

「んしょ」

 

 

そのまま脚立を持ってきて、それを登っていく。目指すは天井。ようやくたどり着いた先には、一部だけ浮き上がっているような僅かな隙間がある。それが何であるか、私は知っている。旅の中で、何度も付き合わされて身に着けてしまった技術。

 

 

(やっぱり……何か仕掛けがある)

 

 

これは押し込めば動く類の仕掛け。ダンジョンなどでよくあるトラップ、ギミックの一種。それを理解し、慎重に天井を押し込むと同時に鈍い音が聞こえてくる。どうやら本棚の下らしい。

 

そのまま本棚を動かそうとするも重たくて動かせず、仕方なく本棚の本を全て取り出していく。だが不思議とそれが楽しかった。ヒンメルたちと冒険した影響かもしれない。一体何があるのか。

 

 

「ふぅ……こんなところかな。どれどれ」

 

 

腰に手を当てたまま、ひとしきり満足した後いよいよ御開帳。本棚を動かすとそこには開きかけている床の一部、どうやら床下に何かを隠していたらしい。

 

 

(ハイターだとしたら……お酒か何かかな。フェルンに怒られるから隠してたのかも)

 

 

ハイターが隠したいものといったらそれぐらいしか思いつかない。やめたと言っておきながらも捨てられなかったお酒をここに隠した。ありそうな話だ。でも、こんな隠し方はらしくない。どちらかと言うとこんなことをしそうなのは。そう思いながら床下に隠されていた物に手を伸ばす。だがそれは

 

 

「これは……本……?」

 

 

私が全く予想していない物だった。何で本なんかをここに隠しているのか。しかも一冊だけではなく、ざっと見ただけで数十冊以上はある。一体何なのか。危険な魔導書の類だろうか。しかしそうではないと私はすぐに気づく。何故なら

 

 

「これ……ヒンメルの自伝……?」

 

 

私はそれを見たことがあったのだから。間違いない。旅の途中でヒンメルが書いていた自伝。それにそっくりだ。でも分からない。確かヒンメルは旅の途中でそれを失くしてしまったと嘆いていた。もしかして私と別れた後に見つけたのだろうか。

 

そのまま本を開き、ページを見つめる。間違いない、これはヒンメルの字だ。中身はぱっと見、日記でしかない。自伝と日記の違いが分かっていなかったのだろうか。だが、ある項目を目にした瞬間、息が止まってしまった。何故なら

 

 

「もしかして……旅が終わってからの、ヒンメルの日記……?」

 

 

その日付は、ちょうど私と別れてから一年後の時を刻んでいたのだから。

 

 

「――――」

 

 

知らず手が震えていた。心臓の音しか聞こえない。体が熱い。こんなこと、生まれてから感じたことがない。

 

 

まるで吸い寄せられるように、そのページを捲っていく。一枚一枚、震える手で。分からない。どうしてこんなに緊張しているのか。どうしてこんなに怖がっているのか。

 

 

ただ、淡々と、時間が止まっているかのように私はそれを読み進める。この世界には私とこの本しかない。そう錯覚してしまうような感覚。

 

 

でも段々と、ページを捲っていくのが遅くなっていく。分からない。どうしてそうなっているのか。

 

 

「…………え?」

 

 

知らず、声が漏れる。ようやく気付いた。開いている本のページが濡れてしまっている。まるで雨が、雫が落ちたみたいに。でもそれは雨ではない。

 

 

それは涙だった。頬を伝う私の涙。私はまた泣いてしまっていたらしい。その涙の理由を、私は知らない。でも、今なら分かる。これはきっとあの時と同じ涙。

 

 

そのまま導かれるように、手を伸ばす。ヒンメルが私に贈ってくれた物。鏡蓮華という名の花を意匠とした、指輪。それは――――

 

 

「ただいま戻りました。落ち着きましたか、フリーレン」

 

 

聞き馴染みのある穏やかなハイターの声が耳に届く。咄嗟に指輪と手に持っていた日記を鞄に隠す。どうしてそんなことをしたのか、私自身も分からない。ただそのせいで涙を拭うのが間に合わなかった。

 

 

「失礼。まだ早かったようですね」

「……ううん、もう大丈夫だよハイター。ごめん、心配かけて」

「そうですか。ですが無理はしないように。聖都でメルクーアプリンをおみやげに買ってきていまして。落ち着いたら一緒に食べましょうか」

「うん、ありがとう。すぐ行くから待ってて」

 

 

それに気づきながらもハイターは当たり前のように私を気遣ってくれる。本当にハイターは大人になった。本人は中身は変わっていないなんて言っていたけど、私は知っている。最初からずっと。

 

 

そのまま部屋を片付けた後、フリーレンはハイターとフェルンの所へと向かっていく。何もなかったかのように。でも、その鞄の中にはしっかりとそれが収められていた。

 

 

葬送のフリーレンは読み進めることになる。今は亡き勇者が遺した後日譚を。それが何をもたらすか知らぬまま――――

 

 




最新話を投稿させていただきました。次話にてフリーレン視点のエピソードは一区切り、そしてこのSSにとってはもう一つの最終回と言っていい内容となります。お楽しみに。
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