ヒンメルはもういないじゃない【完結】   作:HAJI

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第九話 「攻略」

────そこはまさに地底の湖だった。

 

水没し、水浸しになってしまった迷宮を進み続けた先、その最深部に現れた異界。

 

ダンジョンの床は途中で断絶され、その先は見渡す限りの湖になってしまっている。人の力ではない、人ならざるものによる破壊の爪痕。

 

それは深い水底に身を潜めていた。人間など軽く一飲みにしてしまうような、巨大な黒い影が蠢いている。それはただの魔物ではなかった。

 

それは竜だった。生態系の中でも頂点に位置するとも言われる種族。ただの竜ではない。水底に沈む巨大な、魚のような竜。水竜。この迷宮の“主”だった────

 

 

 

「……厄介だな」

「そうだね。水竜……水の中に住むドラゴンか。水に沈んでいたこのダンジョンには相応しいかもね」

 

 

息を潜めるように、小声でアイゼンとフリーレンが何やら話し合っている。ここからではよく見えないが、魔力探知でおおよその事情は察知できる。どうやらようやく迷宮の最深部、その魔物の主とやらの場所にまで辿り着けたらしい。話しぶりからするに相手は竜か。確かにこれまでの雑魚とは比較にならないのだろう。それは分かる。ただ

 

 

「……それで? いつまでこうやって隠れてるわけ?」

 

 

暑苦しい。息苦しい、むさくるしい。何故なら今、私たちは最深部に繋がる階段の途中で身を隠していたから。しかも六人全員で。そのせいでもみくちゃになり、押し合いになっている。一人ひとり見に行けばいいだろうに。こいつらは馬鹿なのか。まるで念願のおもちゃを見つけた子供のよう。

 

だがやはりこいつらは勇者一行なのだろう。これだけ騒いでいても竜に気づかれていないのは、ハイターの隠密魔法のおかげ。その効果なのか。目の前でぎゅうぎゅうになっているフリーレンやハイターからも魔力が感じられない。やはり女神の奴の魔法も、この生臭坊主も狂っている。

 

 

「いけませんよアウラ。そんなことを言ったら血の気が多い二人が飛び出して行ってしまいかねません」

「そうだよ」

「そうだそうだ」

「僕のパーティはみんな聡明だね。変わらなくて嬉しいよ」

「てんでバラバラじゃない」

 

 

血の気が多い二人とやらは自分がそうだとは気づけないらしい。そんな抗議を受けながらもまったく気にしていない勇者一行のリーダー様。全く統制が取れていない。そんなことはこの迷宮に入ってから飽きるほど見せつけられてきた。だというのに、ここまで誰も欠けることなく無傷で到達できている。それがこいつらの本当の恐ろしさ。

 

 

「────ダンジョン攻略はこうでなくちゃ」

 

 

誰よりもダンジョン攻略を楽しんでいるクソガキが、笑みと共に号令をかける。それが勇者一行のダンジョン攻略の開始の合図だった────

 

 

その先鋒は魔法使いだった。フリーレンはそのままゆっくりと静かに、地面から浮かび上がり、長い銀髪をたなびかせながら、地底湖の中央へと飛び立っていく。

 

目的地に到達したのか。宙に浮きながら、その手に杖を構える。薄く目を開けながら、魔力が洗練されていくその様に、思わず目を奪われてしまう。同じ魔法使いとしての畏怖と、魔族としての嫉妬。

 

 

「────『地獄の業火を出す魔法(ヴォルザンベル)』」

 

 

ここからでは聞こえない呪文。唇が動き、魔法の術式が発動した瞬間、この世のものとは思えない地獄の炎が、水面に向かって放たれた。

 

その衝撃と威力によって、湖は荒れ狂い、地底湖となってしまっている空間には嵐のような豪風と共に水蒸気が溢れ出していく。

 

本当に勝手な奴だ。あれだけ水を蒸発させるのは危険だと言っていたくせに。ここが迷宮の通路ではなく、私たちは隠れて身を潜めているとはいえ、容赦なくそんなことを。見れば自分だけは魔法で身を守っている。こっちはハイターが同じように魔法で壁を作っている。最初からそうする気だったのか。

 

だがその狡猾さが功を成したのか。どうやら獲物がかかったらしい。巨大な魔力反応が浮かび上がってくる。それを探知したのか。不意にフリーレンがその場から身を翻す。次の瞬間

 

 

その場を埋め尽くすような水飛沫と耳を裂くような咆哮と共に、この迷宮の主がその巨大な姿をついに現した────

 

 

水竜という呼び名に相応しい。巨躯を持つ怪物。普通の竜とは違うのが、大きな翼の代わりに、水をかくためのひれがあること。加えて、その体はまるで魚、いや蛇のように長く太い。水の中で生きていくためのものだろう。そういう意味では竜というより魚に近いのか。

 

だがそんなことは当の水竜にはどうでもいいことだろう。その証拠に水竜は明らかに怒り狂いながらその矛先をフリーレンに向けている。自らの棲家を荒らしに来た邪魔者であり、まんまとこんなところまでやってきた餌。

 

水上をまるで空を飛ぶかのような速度で泳ぎながら、水竜はフリーレンへと襲い掛かっていく。捕食という、原始的な行為。

 

その巨大な口が貧相なエルフを飲み込まんとするも、その悉くを躱しながら、フリーレンはその魔法で迎撃する。先の炎ではない、魔力そのものを打ち出すような魔法。だがそれは水竜を貫くことができない。恐らくはその外殻のせいだろう。先の打ち合わせでフリーレン自身が言っていたこと。竜の外皮は固く、容易に貫ける物ではない。それが竜が最強種とされる所以の一つ。

 

しかしやはりどれだけ図体が大きくても所詮は魔物。知能が低い。気づけていない。さっきのフリーレンの攻撃が、自らを誘き出すための罠であることを。

 

 

上に上が、化け物がいるのだと。

 

 

「よくやった、フリーレン。行くぞ、アイゼン」

「ああ」

 

 

ようやく出番が来たとばかりに意気揚々と姿を現す、呑気な前衛二人。その二人の元に向かって、フリーレンが飛んでくる。陽動。それがフリーレンの役割だった。水中にいる水竜を誘き出し、地面がある岸まで連れてくる。まさに釣り餌だろう。もっとも、自分を餌にする馬鹿はこいつらぐらいだろうが。

 

 

────それはまさに閃光だった。

 

 

「っ!?」

 

 

何が起こったのか。理解できない水竜は明らかに戸惑いを見せていた。当たり前だ。遠目から観戦していた私ですら、何が起こったのかすぐには理解できなかったのだから。それは斬撃だった。ただそれが速すぎて見えなかっただけ。

 

 

「流石に硬いな」

 

 

その蒼い外套をたなびかせ、宙を駆けながらヒンメルはその勇者の剣を振るう。風のような速さ。その剣によって、フリーレンの魔法ですら傷つけられなかった鱗が削られ、剝がされていく。まるで魚を捌くように。その身が露わになり、鮮血が宙に舞い、水を血の色に染め上げていく。

 

さらに恐ろしいのがその身のこなしだ。今、ヒンメルは文字通り空を駆けていた。飛行魔法ではない。次々に浮かんでくる、光の床を足場にしながら縦横無尽に飛び跳ねている。その仕掛け人は

 

 

「まったく、人使いが荒いですね」

 

 

私の隣で聖典を開きながら、文句を垂れているハイターだ。どうやらあれも女神の魔法の一種らしい。聞いたことも見たこともない魔法だ。あんな何もない所に、瞬時に物体を生み出すなんて。それもヒンメルの人間離れした動きに合わせるように。

 

だがそれでも決定打には欠けたのか。仮の足場で、しかも空中戦。やはりヒンメルでも本領は発揮しきれないのか。魚を三枚におろすようにはいかなかったらしい。

 

思わぬ反撃を受けた水竜はそのまま凄まじい速さで翻し、ヒンメルから距離を取ろうと離れていく。地の利は水竜にある。地を這う人間であるヒンメルであればなおのこと。だが

 

 

「任せろ」

 

 

それは人類に限っての話だ。

 

その機を狙っていたのか。アイゼンは凄まじい速さで水を駆けながら水竜に追い縋っていく。

 

「っ?!?!」

 

 

その光景に、水竜だけが目を見開き、驚愕していた。当たり前だ。どこに水上を走る地上生物がいるのか。まるで過去の自分を見ているかのよう。その点だけはあの竜に同情してやってもいい。そう、相手が悪かったのだと。

 

アイゼンの姿が消えたと思った瞬間、水竜の巨大な尾が両断された。まるで断頭台のように呆気なく。その巨大な斧によって。それでもきっと手加減しているのだろう。本気でやればその一振りで崖を作り出すような奴だ。そんなことをすればこんな迷宮、あっという間に崩壊してしまうに違いない。

 

だがその制約が、水竜に九死に一生を与えてしまう。自らが生命の危機に陥ったからか。魔物としての本能か。

 

それまでの獰猛さが嘘のように、瞬時に水竜はそのまま水中へと逃げ込んでしまう。それを逃がすまいとヒンメルとアイゼンが迫るも間に合わず。フリーレンが魔法で追撃するも、地底湖の奥底まで潜って行ってしまった水竜にまでは届かない。

 

 

「逃げられたか」

 

 

油断と慢心。それは人間や魔族、魔物ですら同じなのだろう。それを利用して狩りをしようとした勇者一行だが、どうやら相手が一枚上手だったらしい。竜の奴も、自分が狩る側ではなく、狩られる側だと気づいたに違いない。だとすればもう出てくることはないだろう。ヒンメルが死ぬまで身を隠そうとしていた私と同じように。だが

 

 

「っ! 気を付けて、二人とも!」

 

 

どうやらこの迷宮の主は、それだけでは我慢ならなかったらしい。

 

フリーレンの警告とほぼ同時に、大きな音と共に、滝のような水流が放たれてくる。まるで水鉄砲のよう。だがその速さと規模が桁違いだ。その水圧と威力によって、着弾した石壁が削られていく。圧倒的な質量による攻撃。もしそれを受けようものなら、きっと圧殺されてしまうに違いない。それを示すように、洞窟内に飛び散った水が豪雨のように降り注いでいく。

 

 

「っ!」

 

 

それが逆襲の合図だったのか。次から次に、死の水鉄砲が降り注いでくる。一発や二発ではない。恐らくは当てずっぽうなのだろう。あの水竜が口から放っているのか。普通の竜であれば炎の吐息なのだろうが、流石は水の竜といったところ。魔法ではない、純粋な物理法則による攻撃。だからこそ厄介なのだろう。魔力探知が通用しないのだから。

 

その不利と危険性を悟ったのか。フリーレンはすぐに湖から離れ距離を取っている。ヒンメルもそれに続くが、やはり飛べないのは不利なのか。その表情からは余裕の笑みが消えている。それでもやはりヒンメルはヒンメルなのだろう。見ることもなく、その気配だけで攻撃を察知し躱している。だが

 

 

「む」

 

 

未だに水の上に取り残されてしまっていたアイゼンは無防備にその鉄砲水の直撃を受けて天井へと吹き飛ばされてしまう。その衝撃で辺りは粉塵にまみれていく。だがそれだけでは水竜の気が収まらなかったのだろう。自らの尾を切り落とされた恨みなのか。

 

 

そのままアイゼンは水竜に飲み込まれ、水底へと引きずり込まれていった────

 

 

「引きずり込まれた!」

「アイゼーン!?」

 

 

その衝撃の光景に、ヒンメルとハイターが悲鳴を上げている。当たり前だ。あんな巨大な竜に食われて、水に引き込まれてしまった。もはや命はない。

 

 

「くっ……!」

 

 

それを悟ったのか。二人して口惜しさと悲しさに涙を流すような素振りを見せるも

 

 

「いや、よく考えたら泣くほどのことじゃないですね」

「アイゼンだからな」

「あ、吐き出された」

 

 

それはただの気のせいだったらしい。本気なのか冗談なのか分からないような有様。こいつらの感覚はどうなっているのか。ようやく正気に戻ったのだろう。自分たちがいかに化け物であるのか。そして無造作に吐き出されて外壁にめり込んでいるアイゼンと思われる物体。きっと不味かったのだろう。気持ちは分かる。私でもきっとそうするに違いない。

 

 

「……これは不味いね」

 

 

またアイゼンのことかと思ったが、そうではないらしい。フリーレンの呟きと共に地震のような揺れが起きてくる。そのせいで迷宮は軋み、天井に滴っていた水が一気に雨のように降り注いでくる。まるで嵐の前触れ。見れば、地底湖の水面が荒れ狂っていく。その中央には、巨大な渦潮が生まれていた。徐々にそれが広がっていく。際限なく。

 

ついに堰を切ったように、溢れ出した濁流が津波のように襲い掛かってくる。それに比べればさっきまでの水は本当に水鉄砲だろう。狭い地底では逃げ場がない。そしてそれは、離れた場所で観戦していた私も例外ではなかった。

 

 

(ちっ……! 面倒ね!)

 

 

その光景に、反応が一瞬遅れる。完全に観戦者になってしまっていた弊害か。それとも油断か。見れば、その津波は岸だった場所を優に飲み込み、凄まじい速さでこちらへも迫ってくる。飲み込まれればまさに一巻の終わり。私はアイゼンではない。防御するべきか。それとも飛び上がるべきか。その本能による判断が下されるよりも早く

 

 

「────間一髪だったみたいだね、アウラ」

 

 

気づけばいつかと同じように抱き抱えられていた。目と鼻の先には見飽きた勇者の顔がある。不敵な笑みを浮かべている、自意識過剰なヒンメルの姿。

 

 

「……そう。これがしたくて私をお姫様にしたってわけ?」

「ようやく気付いたかな、お姫様?」

「勇者失格ね」

 

 

本当に呆れるしかない。自分がお姫様抱っこをしたいからこんなことをしていたのか。こんなに私欲にまみれた勇者もいまい。本当に癪に障る奴。

 

 

「あ、ずるいヒンメル! 私がしようと思ってたのに」

「まだリーニエには早いかな」

「リーニエ、何であんたハイターを助けてるのよ?」

「ヒンメルならそうしたから。もう離してもいい? 重い」

「こらこらそんなことをしたら化けて出ますよ? あとでリンゴをあげましょう」

「ハイター大好き」

「みんな無事みたいだね」

 

 

気づけば他の連中も集まってきていた。どうやら津波からは全員逃れられたらしい。唯一残った安全地帯である上の階層への階段の入り口。見下ろせば、そこは既に津波に飲まれ、水に沈んでしまっていた。きっと十年前まではこうだったに違いない。その世界を悠々と泳いでいるこの世界の主。本当に厄介な奴だ。この勇者一行を手玉に取るとは。

 

 

「どうする、ヒンメル?」

「……よし!」

 

 

フリーレンの問いに、真剣な顔をしながら熟考していたヒンメルが顔を上げる。それに全員の注目が集まる。この状況を覆す策があるのかと思いきや

 

 

「決まってるだろう! 退却だ!!」

 

 

命じられたのは自信満々の、どこか慣れた撤退命令だった────

 

 

 

「無事か、アイゼン」

 

 

命からがら上の階へ逃げ込み、しばらくすると、腕を組んだまま、水面に浮かんでいるアイゼンを発見。どうやら誰にも助けてもらえず、そのまま流されてやってきたらしい。すっかり忘れてしまっていた。

 

 

「うーむ。ふと思ったのだが、正面突破は無理じゃないか?」

「流石アイゼン。ちょうど僕もそう思っていたところだよ」

「みんな血の気が多いんだから」

「貴方がそれを言いますか」

「あんたたちね……」

 

 

緊張感の欠片もない、いつも通りのやり取りにほとほと呆れるしかない。そもそも何故勝てないのに、苦戦しているのにこいつらはそんなに楽しそうなのか。欠片も理解できない。

 

 

「────作戦会議だな」

 

 

わくわくしているのが私にも伝わってくる。ヒンメルだけではない。他の連中も一緒なのだろう。ヒンメルの言葉を合図に、どう攻略するかを話し合うために四人で集まっている。無駄なことを。何のために撤退したと思っているのか。あきらめが悪いにもほどがある。

 

だがそんな中ふと気づく。それはリーニエだった。いつもあの子なら、喜々としてそれに参加しそうなものなのに、今は私の隣でアイゼンからもらった剣を手入れしている。全く興味を示していない。

 

そういえばヒンメルたちの出鱈目さに圧倒されて気づかなかったが、水竜との戦いにも参加せずに私の近くで待機していた。ヒンメルの真似をして参加すると思っていたのに。

 

 

「あんたは行かないの?」

「うん。だって勝てないから」

「────」

 

 

即答だった。何の迷いもない。このリーニエの本音。なのに私の方がどこか面食らってしまう。そうだ。それが当たり前だ。勝てない相手に戦いを挑むなんてありえない。危険を冒して挑む必要なんてない。やはりこの子は魔族なのだ。勇者の真似をしても、それは変わらない。間違っているのはヒンメルたちの方なのだ。なのにどうして。

 

 

「さっきみたいにアイゼンを餌にして釣り上げるのはどうだ?」

「なるほど、名案ですね。で、誰が釣り上げるんです?」

「もちろんアイゼンさ」

「完璧な作戦だな」

 

 

あいつらはあんなに楽しそうなのか。離れているここからでは、何を話し合っているかは聞こえない。でも、下らない話をしているのは私にだって分かる。わざわざ聞き耳を立てる必要なんてない。

 

 

「ではフリーレンの魔法で水をお酒に変えてしまうというのはどうです? それであの竜を酔わせてしまえば」

「そんな魔法ないよ」

「お前が飲みたいだけだろ」

「欲望が駄々洩れだな」

「バレましたか」

 

 

なのに知らず耳を澄ませてしまう。見入ってしまう。その光景に。あーだこーだと下らない作戦会議を続けているヒンメルたち。このダンジョンに潜り始めてからずっと変わらない。無駄なことばかりしている愚かな連中。

 

 

「だけど魔法を頼りにするのは悪くないね。どうかな、フリーレン。君の雷の魔法なら水の中の竜にも効くんじゃないかな?」

「そうだね。それは私も考えてたけど、止めたんだ。水が深すぎるし、あんな狭くて水気のある場所で使ったら私たちも感電しちゃうからね」

「そうかぁ」

「俺は平気だぞ」

「私たちは人間ですよ、アイゼン。忘れないように」

 

 

だが、知らず考え込んでいた。思い出していた。先の勇者一行と水竜の戦いを。あるのはそう、自分でも分からない衝動だけ。あそこに自分がいたらどうしたのか。そんなもしも。

 

私ならどう倒す。どう追い込む。どう狩る。

 

どこかに忘れてしまっていた、獲物を狩る感覚。リンゴという代替食を与えられる中で、抜け落ちてしまっていた何か。

 

ここに来てから手を出さないように命じられて、ずっと見ていることしかできなかった、得も知れない不快感。

 

 

「────君ならどうしたらいいと思う、アウラ?」

 

 

そこでようやくふと我に返る。どうやらヒンメルに話しかけられていたらしい。それに気づけないほど、考え事をしてしまっていたのだろう。野生の世界であれば、致命的な隙を晒すに等しい失態。だがそれよりも

 

 

「何か策がありそうだね?」

 

 

そんなヒンメルの言葉の方が、何倍も私にとっては意味があった。

 

ヒンメルだけではない。他の連中もいつの間にか、私に目を向けている。どこか興味を惹かれているような、試すような視線で。今までのそれとは違う何か。

 

それによって知らず体が震える。息を飲む。背中に怖気が走る。

 

まるでそう、ようやく獲物を前にしたかのような、懐かしい感覚。これが何なのか、私は知っている。なるほど。ようやく理解した。これがきっと────

 

 

「少し足止めしなさい。それで十分よ」

 

 

そのまま立ち上がり、再び階段を降りていく。何のためらいもなく、堂々と。それ以上の言葉など必要ない。ふと口元に触れてみる。その口角が吊り上がっている。それがどうしてかなんて、考えるまでもない。私はこいつらとは違う。魔族なのだから────

 

 

 

「────ふふっ」

 

 

歩く必要もない。私は魔族だ。足場がなくなっても関係ない。ただいつもと違っていた。体が軽い。体が熱い。熱に浮かされているようだ。

 

苦もなく、私はその場所に辿り着く。この迷宮の主の真上。その姿は深く見えない。だが私という、愚かな侵入者の存在を察知したのだろう。飛んで火にいる夏の虫、だったか。水の上であればどうなるのか。水面でもがく虫か何かか。まあいい。どっちも同じだろう。

 

そんな私に向かって、先ほど何度も目にした水の砲弾が襲い掛かってくる。アイゼンでもなければ、いかな魔族であっても粉々にされて魔力の塵にされてしまうであろう攻撃は

 

 

私を覆うように展開された、魔法の盾によって弾かれてしまった────

 

 

(本当に反吐が出るわぁ……)

 

 

横目にその存在を目にする。いつものように何食わぬ顔をしながら、正確無比に魔法を扱っている葬送の魔法使い。本当に癪に障る奴だ。私が嫌いなくせに、私のことを誰よりも理解している。その証拠がこれだ。勇者一行の中で、あいつだけが瞬時に私の狙いに気づいたのだろう。アイゼンあたりを盾にしてやろうと思っていたのに。さしものあいつも、魔族を魔法で援護するなんて、生まれて初めての経験に違いない。私もそれは同じだ。

 

そんな事情など知る由もない水竜は、それに抗うように何度も水を放ってくる。しかしその全てがフリーレンの魔法の防御を破ることができない。それに素直に感心するしかない。

 

見たことのない、複雑な術式だ。攻撃に同調し、威力を分散する仕組みだろうか。石壁を抉る威力の水撃を受けながら、私には水飛沫一つかかってこない。こんな切り札を隠し持っているとは。本当に卑怯者だ。

 

だが魔法に気を取られるのもここまで。そう、所詮は相手は魔物だ。自らの縄張りを、誇りを汚されては黙ってはいられない。

 

止めが魔力による挑発だ。もっとも原始的な、言葉を話す魔物である私だからこそできるもの。同時に魔力を、実力を隠したまま。なら私は今、葬送のフリーレンと同じことをしているのだろう。不快すぎてどうにかなってしまいそうだ。

 

だがその甲斐はあった。それに釣られるように、水竜が水底から飛び出しながら、私へと襲い掛かってくる。その牙で、私を噛み殺し、飲む干すために。

 

だがそれは、あまりにも遅すぎた。何故なら今の私の手には、

 

 

「────『服従の魔法(アゼリューゼ)』」

 

 

既に天秤(勝利)が握られていたのだから。

 

 

どんなに相手が硬かろうと、強かろうと関係ない。魔力だけが、私の魔法の全て。それが覆らない限り、この天秤は私を裏切らない。

 

 

それが時間にすれば僅か数分。アウラによる完璧な迷宮攻略だった────

 

 

 

そのまま未だに水没している浅瀬に着地する。足元が濡れる感触は不快だが、まあ許してやろう。今の気分に比べれば微々たるものだ。まるで長く人間を食べられないでいた鬱積が晴れたような感覚。今までずっとちまちまと、ダラダラと無駄な攻略を見せられていたからだ。

 

だがようやく思い知ったのだろう。歩いていると、その先にはどこか呆気にとられたような勇者一行の面々の姿。いい気味だ。今まで散々馬鹿にしてくれたお返し。

 

 

「何よ? 何か文句があるわけ?」

 

 

腕を組んだまま、目を閉じたまま見せつける。その天秤に載せられた水竜の魂。こいつに曲芸をさせるのも、自害されるのも私の思いのまま。人間には真似できない、大魔族の私だからこそできる隙のない、完璧な攻略法。

 

だが、いつまで経っても反応がない。あまりの力の差に恐れをなしてしまったのか。そのまま仕方なくちらりと片目を開けるも

 

 

「えぇー……もう終わり?」

 

 

聞かされたのは、全く予想とは真逆の、今まで聞いたことのないようながっかりしたヒンメルの言葉だった。

 

 

「…………え?」

 

「これは予想外でしたね」

「台無しだな」

「やっぱり魔族は駄目だね」

「駄目だよ、アウラ様。ちゃんとしないと」

 

 

だがそれはヒンメルだけではない。他の勇者一行の連中も、同じような反応を示してくる。まるで私が失態を犯したかのような、責める視線と言葉。私の狙いを最初から分かっていたはずのフリーレンもそれに加わっている。一体何様なのか。しかし一番驚いたのが、リーニエだ。いつも私に従順なこの子が、こんなことを言うなんて……あり得ない。この私が。

 

 

「…………簡単に服従させられる奴が悪いのよ」

「君がそれを言うのか」

 

 

できるのはそう嘘をつくことだけ。気づけば天秤を隠し、目を逸らしていた。これではリーニエのことも言えはしない。そんな私の醜態がお気に召したのか、ヒンメルたちはまるで水を得た魚のように私を侮辱し始める。笑いながら、楽しそうに。腹が立つ。天秤が万全なら、こいつら全員をこの場で水に沈めてやれるのに。

 

その腹いせに水竜を水の中で暴れさせながら、未だに騒ぎ続けている勇者一行を見つめる。

 

理解できない。無駄でしかない。

 

私は正しい。間違っていない。

 

なのに。どうしてあいつらは、あんなに楽しそうなのだろう。

 

 

……なら私は、何かを間違えたのか。

 

 

(どうすればよかったのかしら……?)

 

 

ただ理解できない苛立ちがいつまでも残っている。まるで迷宮にまだ迷い込んでいるような。そんな感覚がいつまで経っても消えてくれない。

 

 

それがアウラの初めてのダンジョン攻略の顛末。そして生涯忘れることができない、苦い記憶だった────

 

 




冒険の書はあと一話になります。お楽しみに。
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