「喧嘩するほど仲が良いのかな?」
これみよがしに口元にある似合わない髭を触りながら、ヒンメルはそんなふざけたことをぬかしてくる。
きっと気持ちは同じなのだろう。横目にどこか遠くを見るような顔をしているフリーレンの姿。何が仲が良い、だ。いつから言葉の意味が変わってしまったのか。
「毟るわよ」
「封印してあげようか」
「? もうクヴァールはいないよ?」
「うん。今日もいつも通りだね、二人とも。僕も嬉しいよ」
なのでそう言い返してやる。その髭だけでなく、薄くなってきているという頭の毛まで。最近それを気にしているのを私が知らないとでも思っているのか。
そんな私すら凌ぎかねないのが隣の薄情者のエルフだ。私と仲良し扱いされたのがよっぽど腹に据えかねたのだろう。その手にはすでに杖が握られている。封印、というあたりがこいつらしいのかもしれない。ちょうど席が空いていたところでもある。リーニエの言う通り、もうクヴァールはいないのだから。大好きな銅像になれるのなら本望に違いない。
「髭がある僕もイケメンだろう? いや、ダンディかな」
これだけ言われているのに、全くめげないヒンメル。イケメンもよく分からなかったが、ダンディとやらはそれ以上。分かるのは南の勇者の奴の真似事をしているということだけ。いや、アイゼンなのか。どっちでも同じだ。ようするに、老いを誤魔化しているのだ。村の子供たちにおっさんと言われたのを気にしているのだろう。事実だというのに。
「君がこの村にやってきてからもう半年だからね。その記念さ」
「私のせいにしないでよ」
「いい迷惑ね」
露骨に嫌そうな顔をしながら迷惑がっているフリーレン。きっといい迷惑に違いない。体よく利用されてしまっている。元々考えていたくせに、フリーレンがやってきたのを機に生やし始めたのだから。
「この髭を見れば思い出してくれるだろう? 君が仲間外れにならないようにね」
「……あんなこと言うんじゃなかったかな」
極めつけがこれだ。後悔してももう遅い。こいつに弱みを見せればどうなるかなんて、火を見るより明らかだったのだから。このエルフが悪い。結果、毎日あの髭を見るたびにそれを思い出す羽目になってしまった。十年、五十年経てば、あの髭はどうなってしまうのか。見るに堪えない。やはりリーニエに命じて毟らせるしかないかと思案するも
「そういえば、また新しい依頼が来たんだ。今度は北側のダンジョンだよ。来週にでも行こうか?」
それは私自身にも跳ね返ってきてしまう。まるで子供のように目を輝かせているお子様勇者によって。思わず顔が引きつってしまうのを抑えられない。
「また……? ついこの前、行ったばかりじゃない……」
「そうだったかな? でも仕方ないよ。僕たち勇者一行が復活したと巷では噂になっているからね。引手あまたなのさ」
「私は勇者一行じゃないわよ」
「私もそうかな」
「こらこら、フリーレン。君は違うだろう?」
いつものように私たちを勇者一行、仲間扱いしてくるヒンメルを否定するも、そこにさらにフリーレンも加わっている。何の冗談なのか。だがこいつをしてそうしてしまうほどに、ヒンメルの奇行に迷惑しているということなのだろう。
(あんなこと言うんじゃなかったわね……)
思わずフリーレンの奴と同じ言葉を内心で漏らしてしまう。思い出すのは半年前。初めてのダンジョン攻略の帰り道に何気なく言ってしまった言葉が、全ての始まりだった。
『冒険なんて好きにすればいいじゃない』
私は知らなかったのだ。十年一緒に暮らしていても。それがヒンメルにとって、どんなことを意味するのかを。
その結果がこれだ。この半年で何度もダンジョン攻略に巻き込まれることになってしまった。つい先日もそれに付き合わされたばかり。本当に息つく暇もない。
それを分かっていたのだろう。あれよあれよという間に、ハイターとアイゼンは自分たちの根城に帰っていってしまった。フリーレン顔負けの薄情っぷり。そのおかげで、私とリーニエ、ヒンメルにフリーレンを加えた四人組、曰くパーティで動く羽目に。
そうなれば必然的に足を引っ張るのがフリーレンだ。遅刻寝坊は当たり前。ダンジョンではガラクタを拾い集め、しまいには鞄の中身を自慢してくる。本当に子供のようなやつだ。
そんなこんなで、ダンジョン攻略の際のルール、取り決めもできた。まずは私の
何よりも一番の理由はミミックの判別をさせないため。ようするにフリーレンのせいだ。合わせて、リーニエにも口外禁止令。もっとも、嘘を指摘したくて仕方ないリーニエの表情で真偽は明らかなのだが、言わぬが花だろう。
冒険だの何だの言っているが、ようはヒンメルの趣味なのだ。私もフリーレンも、それに巻き込まれているだけ。その証拠に、ダンジョン攻略だけではなく、魔物の討伐依頼からはては人探しまで。何でもありになってきている。この調子では、私とリーニエが本当に勇者一行扱いされるまで、そう遠くないだろう。
「とにかく、行きたければそこの二人と行きなさい。私は来週には聖都に行くわ」
それはもうあきらめるとして、それはそれ、これはこれだ。私はこいつらほど暇ではないのだから。
「聖都に……?」
「ハイターの奴がいい加減しつこいのよ。今は手紙だけだけど、このまま放っておけば直接やってきかねないわ」
思い出すのはここ毎日送られてくる、あの生臭坊主からの嘆願書という名の脅迫状だった。どうやら最近はヒンメルの奴に付き合わされて聖都に行っていなかったのが響いてきたらしい。私を好き勝手に利用していたツケが回ってきたのだろう。信徒たちからの嘆願に頭を悩ませているらしい。自業自得だろうに。放っておけば、そのうちやってきかねない勢いだ。あいつがどうなろうが知ったことではないが、聖都で媚びを売っておくことも必要だ。何よりも、
「ずるいじゃないか、アウラ! 僕というものがありながら、ハイターの奴を選ぶなんて」
「あんたと同じね」
「ふたまた?」
「勇者の剣が抜けないわけだ」
「みんなひどくない?」
この二股勇者から離れるために。一体私を何だと思っているのか。友達が聞いて呆れる。私とフリーレンを天秤にかけて楽しんでいるのだから。ならそれを仕返してやればいい。そうすれば私の有難みを実感できるだろう。リリーから学んだ調教法でもある。やはりあの子は頼りになるのだろう。その効果は覿面だ。あとはもっと焦らしてやればいい。いい気味だ。
「ヒンメルは剣持ってるよ? でも私にくれないの。頼りにならない」
フリーレンの戯言に反応したのか、急にそんなことを言い始めるリーニエ。リーニエにとってはヒンメルの奴が持っている勇者の剣が、本物か偽物かなんてどうでもいいのだろう。ただ模倣する相手である、ヒンメルが持っている剣であることの方が重要なのだ。しかし不満げに頬を膨らませているだけ。
リーニエには甘いヒンメルだが、あの剣だけは例外なのだろう。決して渡そうとはしない。あのリーニエですらそれを察して、触らないほどなのだから。それも当然。剣士にとって剣は、私にとっての魔法に等しい。それを他者に奪われるなどあってはならない。
「まだまだリーニエには早いかな。僕よりも強くなったら考えてあげてもいいよ」
「なら永久に無理ね」
「むぅ……役に立たない。すぐに倒してやる」
「それは楽しみだ」
渡す気なんて毛頭ないくせに、そんな実現不可能な嘘をついているヒンメル。魔族ですらもっとマシな嘘をつくだろう。そんなことにも気づけないのか、騙されてしまっているリーニエ。この子も魔族失格だろう。ヒンメルに染め上げられてしまっている。
「…………」
それをどこか冷たい目で見つめているフリーレン。きっと師弟ごっこに呆れているのだろう。半年でもう見慣れているだろうに。学習しない奴だ。
「ねえ、アウラ様。あれやって!」
「……仕方ないわね」
もうヒンメルに見切りをつけたのか。今度は私に泥だらけの体を見せながら、鍛錬でできた擦り傷を見せてくるリーニエ。本当に分かりやすい子だ。早く早くとせがんでくる姿は、かつてのリリーとシュトロのよう。それに呆れながらもふと気づく。今の自分が手ぶらだったことを。どうしたものか。そんな中、たまたまフリーレンと目が合ってしまう。本当ならそのまま顔を背けるところなのだが。
「ちょうどよかったわ。あんた、聖典持ってたでしょ。よこしなさい」
「聖典……? 何言ってるの? そんなものどうする気?」
「決まってるでしょ。使うのよ」
今回に限っては話が別だ。たまにはその無駄な鞄が役に立つのだろう。だが本当に察しが悪い。少しはヒンメルたちを見倣ったらどうなのか。聖典の使い道なんて一つしかないだろうに。もしや魔族の私がこの聖典を説き始めるとでも思っているのか。
そのまま戸惑っているフリーレンを無視して、半ば強引にその鞄から聖典を奪い取る。毎日私の書斎から魔導書を盗んでいるのだ。このぐらい当然だろう。
「ほら、じっとしてなさい。手元が狂うわ」
「うん! アウラ様、大好き!」
「そう。良かったわね」
落ち着きなく動き回っているリーニエを何とか抑えながら、女神の魔法を施す。何度使っても慣れない、得も知れない感覚。だが使われる方はそうではないのだろう。その証拠にリーニエは気持ちよさそうにしている。何でも温かいのだとか何とか。欠片も理解できないが、私にとっては面倒な仕事でしかない。いや、従者に対する褒美なのか。そんなことを考えていると
「────」
一瞬、寒気がするような魔力の波が辺りを包み込んだ。
「何よ……? お得意の魔力の制限が乱れてるわよ」
「……お前、それをどこで覚えた?」
「? ハイターの奴に決まってるでしょ。あんたも使えるんでしょ?」
そこには、今まで見たこともないほど驚愕しているフリーレンの顔があった。魔力の乱れはもう収まっているが、それは誤魔化しきれていない。
そういえばこいつには女神の魔法を今まで見せたことがなかったか。きっかけはハイターの悪戯という名の好奇心。たまたまやってみたら使えただけ。その効果もハイターとは天と地ほどの差がある。私はせいぜい掠り傷を直す程度だが、あっちは死んでない限り何でもありだ。
なのに何故そんなに驚くことがあるのか。殺気まで漏らして。らしくない。魔法使いとしての嫉妬か。だがこいつもハイターほどではないにしても、私よりもずっと女神の魔法は使えたはず。
(こんな物を平気で使うなんて、僧侶の連中もやっぱり化け物ね……)
そもそも女神の魔法は魔族からすれば気持ちが悪い、理解不能の恐怖だ。原理も何もかも分からない。もはや魔法ではなく呪いの類。こんなものを平気で使う人類も、それを与える女神もどうかしている。そんな女神の奴が人間に味方している。魔族が勝てるわけもない。
「……それを知ってるのは誰?」
「……ハイターだけよ。村の連中も知らないわ」
ぽつりと尋ねてくるフリーレンに正直に白状することにする。ただの経験則。どうやら私は選択を間違えてしまったらしい。そこで思い出したのは、珍しく本気で忠告してきたハイター。魔族である自分が女神の魔法を使えると知られると面倒なことになる、と。忘れていたわけではないが、勇者一行であるこのエルフの前なら問題ないと判断してしまった私の甘さか。
「…………」
ただ無言で、静かな視線を向けてくるフリーレン。それに気づかれないよう、できるだけ平静を装いながら、ただ波風を立てないように振舞う。久方ぶりの魔族としての本能。ここにはヒンメルもいる。手を出してくることはないだろうが万が一ということもある。
「……ハイターの奴、知ってて黙ってたのか」
だが取り越し苦労だったのか。それとも考えすぎだったのか。フリーレンはそのままいつものように不愛想な顔に戻っていく。どうやらハイターの奴に思うところがあったらしい。きっとフリーレンの奴も知らず謀られてしまっていたのだろう。何にせよ、命拾いしたらしい。これからは気を付けなくては。どこにミミックが仕掛けられているか分かったものではない。
「でも本当に便利だね。ハイターの奴も形無しだな。アウラ、僕にもお願いできるかな?」
「何でよ? あんた無傷じゃない」
「気持ちの話さ」
「そう。残念だけど、これは病気は治せないわよ」
「え?」
そんな私たちのやり取りに気づくこともなく、いつも通り能天気なことを口にしてくるヒンメル。暗に頭がおかしいと伝えるも、どうやら自覚はなかったらしい。
こいつはただの冒険中毒。対してフリーレンはミミック中毒。ハイターの奴はただのアルコール中毒。アイゼンにはそもそも毒が効かない。まともな奴が一人もいない。それがきっと勇者一行の条件に違いない。
「時間の無駄ね。付いてきなさい、リーニエ。体を洗いに行くわよ」
「ほんと!? やった!」
「自分で洗いなさいよ」
下らない時間の無駄はここまで。そう切り上げて、水場へと向かうことにする。リーニエがやってきてからずっと気になって仕方なかったこと。鍛錬の後はいつもこうだ。ヒンメルの奴もそれが分かっていたからリーニエをここに連れてきたのだろう。いつものことだ。
「じゃあフリーレンも行くよ。私が洗ってあげる。私はお姉ちゃんだから!」
「…………分かったよ。だから引っ張らないで。服が伸びちゃうから」
嫌そうな顔をしながら、お姉ちゃんの振りをしているリーニエのごっこ遊びに渋々従うフリーレン。ここ半年で当たり前になってしまった光景。フリーレンの村での扱いも同様だ。当初は泥棒猫扱いされていたが、リーニエの夜泣き事件の後は、その正体が知れ渡り、今のポジションに。ようするに浮浪者扱い。収まるところに収まったのだろう。
「あ、ヒンメルは駄目だよ? 覗いたらアイゼンに言いつけるから」
上機嫌に飛び跳ねながら、そういえば思い出したとばかりに弟子に忠告される愚かな師匠。どうやらリーニエにとっては師匠よりも『お父さん』の方が序列が上らしい。
同時に思い出すのはかつての記憶。恐らくはヒンメルにとっては忘れたくても忘れられない恥辱。
「そういえばそうだったわね。心配いらないわ、リーニエ。こいつはエルフが性癖なのよ。私たちの裸なんてそこらの石ころと同じね」
「女性の裸なら何でもいいんだ。ただのクズだね」
「さてと! じゃあ僕は先に帰って夕食の準備でもしてくるよ。遅くならないようにね」
しかも今は目当てのエルフもいるのだから。本当なら喉から手が出るほどだろうに。だが流石は勇者なのだろう。危機を察知したのか。そのまま風のような速さで去っていくヒンメル。十年前から変わらない、無垢な存在。いや、そうではない。反論すれば、リーニエに見破られてしまうからこそか。本当に癪に障る奴。
「……本当にあいつ、勇者だったわけ?」
「剣と同じで偽物だったのかもね。ヒンメルらしいけど」
もう見えなくなった後姿を眺めながら、知らずそう口にしてしまう。同じようにそれを見つめているフリーレンと一緒に。溜息と共に、そのまま立ち尽くしていると
「……なかよし?」
いつの間にか、目の前にやってきたリーニエがそんな理解できない言葉を口にしてくる。私とフリーレンを交互に見つめながら。それにつられて、思わず隣のフリーレンと馬鹿みたいに顔を見合わせてしまう。今の私にとっては、『お母さん』よりもはるかに理解できない概念。
「はぁ? ふざけたこと言ってんじゃないわよ。誰がこんな奴と」
「こっちの台詞だね。反吐が出る」
「そっくりそのまま返してあげるわ。角の代わりに耳が長い魔族みたいな奴のくせに」
「お前こそ、その無駄に大きい角は飾り? 魔族が聞いて呆れるね」
「やっぱりなかよし」
「「リーニエ」」
「……むぅ」
魔族とエルフ。
犬猿の二人はいがみ合いながら、水浴びへと向かっていく。
それが日常になってしまっていることに気づかぬまま────