「ほらフリーレン、じっとしてて!」
「あんまり強くしないで……」
激しい水飛沫の音と、騒がしい声が響き渡っている。それでは水浴びではなく水遊びだろう。それに巻き込まれるのが嫌で、少し離れたところからそれを観察する。
(あれじゃあ洗濯ね……)
一人静かに自分の体を洗いながら、そう呆れるしかない。本当はリーニエの体を洗うだけのつもりだったのだが、結局三人で水浴びをすることになってしまった。そういえば、あのエルフと一緒にするのは初めてだったか。いつもは二人で水浴びをしているらしい。それが目の前の光景なのだろう。
張り切っているリーニエは、まるで洗い物をするかのようにフリーレンを洗っている。されるがままになっている、しおしお顔のフリーレン。リーニエなりのお姉さんの振りなのだろう。千年生きている葬送の魔法使いが形無しだ。
(本当に妙な奴ね……エルフっていうのはみんなこうなのかしら)
一段落しながら、ふと考える。ヒンメルに倣うわけではないが、あのエルフがやってきてから半年が経った。たった半年だが、それでもあのエルフの習性を観察するには十分。しかしそのどれも理解に苦しむものばかり。結局ヒンメルたちに聞かされた醜聞が正しかったと思い知らされただけ。同時に、葬送の魔法使いとしての恐ろしさも。とても同じ生き物とは思えない二面性。そのどちらが本物なのか。欺かれているのか。何にせよ、油断はできない。私はあいつに服従させられているのだから。いつ首を落とされるか分かったものではない。
(ヒンメルもいい趣味してるわね……あんなののどこかがいいのかしら)
改めてその容姿を観察する。白銀の髪に、透き通るような白い肌。長い耳。明らかに人間ではない。エルフの肢体。まるで人形のようだ。同じ人類なのに、こうも違うのか。角を除けば自分たち魔族の方が人間らしいだろう。そう進化してきたのだから当然だが。
それを差し引いても、人間の雌としては劣っているのだろう。胸も尻も未発達。雄を惹きつける魅力は皆無だ。本人曰く、面白くない体で悪かったね、とか何とか。リーニエにも胸がないと言われて何やら言い訳をしていたが。
「…………」
そんな中、リーニエによって頭を洗われていたので目を開けることもできなかったお子様エルフが、いつの間にか自分を見つめていた。およそ感情が感じ取れない表情で。まるで動物を、魔族を見るように。それはお互い様か。私もエルフを観察していたのだから。
「……何よ? 魔族の体に興味があるわけ?」
ヒンメルではあるまいし。そんなことにこいつが興味を抱くとは思えないが。しかしようやく気付く。その視線が私の体ではなく、その胸元に集中していることに。そこには
「……そのアクセサリ。水浴びしているのに外さないの?」
銀に輝く、親愛の花の首飾りが吊るされていたのだから。
「ああ、これのこと。ただの習慣よ。以前誰かさんに失くされてから、こうしてるだけ」
「…………むぅ」
なるほど。当たり前すぎて気づけなかった。私からすれば、それは完全に習慣になってしまっている。何のことはない。以前の失敗を繰り返さないための行動。
だがそれを失くしてしまった張本人であるリーニエは罰が悪く、黙り込んでしまっている。無理もない。リーニエにとっては私を怒らせてしまったトラウマでもあるのだから。何でも殺されるかと思ったとか。そんな気はなかったのだが、この子からすればそれほど怒っているように見えたのだろう。
「……それ、ヒンメルから贈られた物だったっけ」
「そうよ。頼んでもいないのに、勝手に渡されたわ。いい迷惑ね」
「ヒンメルらしいね。魔族に贈り物なんてしても無駄だろうに」
「ならあいつに直接言ってやりなさい。きっと泣いて喜ぶわよ」
ヒンメルから聞かされたのか。それともリーニエからか。私から話した覚えはないのでそのどっちかだろう。だがヒンメルのことはこいつの方が理解しているに違いない。言う通り。贈り物なんて無駄でしかない。事実、目の前のエルフには伝わっていないのだから。聞けばきっと泣いて喜ぶだろう。
「それは何の花?」
「花の名前なんて聞いてどうするのよ?」
ただ単に気になっただけなのか。そんなことを聞いてくるフリーレン。珍しいこともあるものだ。まさかこいつまで、私を人間だと騙されているのか。
「……それもそうか。魔族にはどうでもいいことだ」
魔族にとって花の名前になんて何の意味もない。それは正しい。やはりこいつは私たちと近いのだろう。こいつと話していると、自分が魔族だと実感できる。それだけがこいつの利用価値だろう。
「あ、でもフリーレンも花の指輪持ってたでしょ? ヒンメルからもらったってやつ」
私たちのやり取りで急に思い出したのか。リーニエがそれに触れてくる。ヒンメルから贈られたという花の指輪。以前のダンジョン攻略の際に鞄の中から見せられた物。いつも失くしそうで困っている。魔導書の方が良かったと漏らしていた。それを聞いたヒンメルが何とも言えない顔をしていたのをフリーレンは気づいていなかったようだが。
「あんたも他人のこと言えないじゃない。鏡蓮華の指輪なんてもらっておいて」
散々私のアクセサリを馬鹿にしていたくせに。当の本人もこの体たらくだ。本当にこいつは薄情者なのだろう。魔族のことも言えやしない。そう煽ってやるも
「鏡蓮華……?」
少し考え込むように首を傾げる。まるで言葉を理解できない幼い魔族の子供のような反応を見せるフリーレンによって、完全に吹き飛んでしまった。
「…………あんた、花の名前も知らなかったわけ?」
「たまたまだよ。ちゃんと花は出せるよ。ほらね」
「わぁ! 綺麗だね!」
全く気にした風もなく、花畑を出す魔法で鏡蓮華の花を披露しているフリーレン。そのあまりの薄情ぶりに絶句するしかない。花言葉どころか、花の名前すら知らないなんて。あり得ない。こいつは本当に人類なのか。
何も伝わっていない。言葉で伝えても伝わるかどうか怪しい。薄情者の面目躍如。こればかりはヒンメルに同情してやってもいい。趣味が悪いのが運の尽きだったとあきらめるがいい。その念願が叶うのに、一体あと何百年かかるのか。
「でもアウラ様のアクセサリの花、フリージアっていうんだけどすっごく綺麗なんだよ? それでね、あの花の花言葉は」
「────リーニエ」
気づけば余計なことを言いかけるリーニエを、有無を言わさず黙らせる。本当に嘘がつけない子だ。悪意がないというのも考え物だ。まるでフリーレンのよう。いや、違うのか。こいつは無知なのだ。ただそれだけ。知らない。覚えていない。気づけない。他の勇者一行とは大違いだ。
花言葉といい、星座といい、本当に人間というのは無駄なことばかり考える暇な奴らだ。他にすることがないのだろうか。そんなことを考えていると
「……そういえばあんた、ヒンメルたちと流星を見る約束は覚えてるわけ?」
星座と流星は違うのかもしれないが、同じ星の話だ。その流れで思い出したので、興味本位でそう問い質す。
まさかそれすらも覚えてないのではないか。だがあり得る。人間相手に五十年後の約束をするような奴だ。こいつにとってはちょっと見に行こうかぐらいの話だったに違いないのだから。
「……当たり前でしょ。私が誘ったんだから。どうしてお前がそんなこと気にしてるの?」
私がそんならしくないことを聞いてきたからか、明らかに目を細め、訝しみながらフリーレンはそう言い返してくる。なるほど。どうやらそこまでボケてはいなかったらしい。流星と指輪。ヒンメルにとってはどちらがマシだったのかは分からないが。
「散々ヒンメルに聞かされてうんざりしてるだけよ。さっさと終わらせてくれないかしら。星が流れるのを見て何が楽しいのかは分からないけど」
「…………」
だがそれに迷惑しているのはこっちなのだ。この十年、一体何度その話を聞かされたか分かったものではない。いいかげんうんざりだ。早く終わってくれないだろうか。このままでは私までそれに巻き込まれかねない。いや、ヒンメルのことだ。もう企んでいるに違いない。星が流れるのを見て、何が楽しいのか。欠片も理解できないが。
「あんたも楽しみにしてるんでしょ? 同じ勇者一行だものね」
それが人間の習性なのだろう。わざわざそれに名前を付けるぐらいに執着しているのだから。本当に暇な連中だ。
「……そうだね」
水に濡れた髪を弄りながら、素っ気なくフリーレンはそう零している。どうでもいいことのように。私の言葉に言い返すことができずに不貞腐れているのだろう。楽しみにしてるくせに。だがそれは
「────フリーレン。どうしてそんな嘘をつくの?」
悪意のない、例外の審判によって見抜かれてしまった────
「────」
瞬間、空気が止まった。そう感じるほどに、フリーレンが息を飲んでいる。魔力は乱れてはいない。だがそれは明らかだった。嘘を見抜かれてしまったからこそ。嘘をつくのが当たり前の魔族でもなければ、リーニエの眼を誤魔化すことは出来ない。フリーレンですらその例外ではない。それ自体は別に驚くことでもない。今までも散々、この嘘つきの嘘をリーニエは暴いてきたのだから。違うのは
「どうしてよ? あんなにヒンメルが楽しみにしてるのに」
「…………」
その嘘の理由が、意味が理解できなかったから。こいつらにとって、流星を見ることは楽ししいこと。約束だったはず。なのにどうしてそんな嘘をつくのか。嘘をついているということは、楽しみではないということなのか。いくら薄情者のこいつでも、考えづらい。同じ勇者一行のくせに。
「…………やっぱり魔族は駄目だね」
そんな私を一瞥し、一度、太陽を見上げるように顔を上げた後、フリーレンはそのまま去って行ってしまう。いつもとは違う、妙な雰囲気を醸し出したまま。水で滴る体を拭うこともなく。
「何なのよ、あいつ……?」
「アウラ様、私、何か間違えた?」
一体何なのか。分からないが、ここから立ち去ってくれたのならそれでいいだろう。
アウラはそのまま、何事もなかったように水浴びを再開する。
アウラは気づかない。自らの言葉がフリーレンに何をもたらしたかを。
アウラは知らない。フリーレンが何故この場を去っていったのかを。
葬送が去った後の川辺には、変わらず水浴びを続ける魔族の二人だけが残されたのだった────