「おはようございます、フリーレン様。今日は早いんですね」
「おはよう。早起きできたからね。たまたまだよ」
お出かけ日和の中、もう何度目か分からない挨拶をされる。それに対する答えを、まるでオウムのように返していく。せっかく早起きしてきたのに。どうやら今日は、誰に会っても同じことを言われる日らしい。
老若男女問わず、多くの村人たちが私を見かける度に声をかけてくれる。それにどこか新鮮味を感じてしまう。いや、戸惑っているのか。何故なら
(まだたった半年なんだけどな……)
この村に来てからまだ日も浅いのに、みんなもう自分を住民扱いしてくれているから。余所者、ではなくお客様扱いされていたのは一瞬だった。もう何百年もここで暮らしているかのように錯覚してしまうぐらい。やっぱりそれは私がエルフだからなのだろう。人間のみんなとは、時間の感覚が違っている。
(そういえば、こうして人里で暮らすのは久しぶりだね……)
それがきっと、こんな気持ちになっている原因だろう。
半年前、たまたま思い立って、クヴァールの封印を確認しにこの村にやってきた。それが全ての始まり。そこでのアウラとの接敵と衝突。ヒンメルとの再会。魔族との主従関係の締結から、そこからの奇妙な共同生活。まるで百年が凝縮されたような、目が回るような忙しさだった。さらにヒンメルの冒険、我が儘に振り回されて、それは増すばかり。
(ヒンメルたちは本当に何も変わってないね)
だが不思議とそれは苦ではなかった。むしろ楽しかった。形は違えど、十年前の旅を思い出させるような日々。ヒンメルがまた私を連れ出してくれたような気がする。少し離れてはいるが、会いに行ける距離にハイターとアイゼンもいる。唯一の懸念が二匹の魔族だったが、想像よりもヒンメルに飼い慣らされてしまっていたのだろう。村に完全に溶け込んでしまっている。まるで魔族であることを忘れてしまっているかのように。それがいかに異常で、恐ろしいことか。それもまた人間なのだろう。忘れていってしまう。私たちエルフとは違って。なのに
『────フリーレン。どうしてそんな嘘をつくの?』
そんな、ここにはいない、幼い魔族の子の声が聞こえた気がした。
それによって、知らず胸が締め付けられるような感覚が襲い掛かってくる。ここ最近、時々感じる痛み。それ自体は大したことはない。ミミックに齧られる方がよっぽど痛い。でも、その感覚に慣れることができない。
(嘘をついてるつもりはなかったんだけどな……)
思い出すのは昨日、リーニエから告げられた言葉。アウラからの問いかけへの答え。半世紀流星が楽しみだと、そう答えただけなのに。それが嘘だと見破られてしまった。
そもそも、それが嘘だと私も思っていなかった。嘘をついているつもりはなかった。私の方が驚いたぐらい。リーニエの方が嘘をついているのかと疑ったほどだ。でもそれは無駄だろう。あの子は嘘をつかない、例外の魔族なのだから。
(……やっぱり魔族は駄目だね)
その理由が分からないのは、やはりあいつらが魔族だからなのだろう。悪意がない。だからこそ救いがない。自分たちの言葉が、相手をどれだけ傷つけているのか。理解できていないのだから。
その証拠に、今朝もあいつらはいつも通り私に接してきた。何事もなかったかのように。忘れてしまっているかのように。いや、違うのだ。そもそも魔族にとってはそれは当たり前のこと。あいつらは言葉を話す魔物でしかない。それを気にしている私の方がおかしい。そんなこと、千年以上前にもう飽きるほど味わってきたはずなのに。
(ようするに、ヒンメルのせいってことか)
それもこれも、あのお人好しの勇者のせいだろう。魔族と友達になろうなんて夢物語に挑んでいる変わり者。それはきっと魔王を倒すよりも困難なことに違いない。それに巻き込まれてしまった自分。それに逆らえないあたり、冒険は終わっても、私は勇者一行なのだろう。
『おはよう、フリーレン。今日は早起きだね。雨が降るかもしれないね』
ヒンメルは今朝もいつも通りだった。十年前と何も変わらない。これから先もずっとそうだと思えるほどに。でもその顔をまっすぐに見ることができなくて、そのままこうして用事もないのに出かけてきてしまった。どうしてしまったのか。私らしくもない。早起きしてしまったのもそうだ。何だか調子が狂ってしまっている。そんなことを考えていると
「あら、フリーレン様? おはようございます。珍しいですね。こんなに早くに。ヒンメル様たちは一緒ではないのですか?」
気づけば目の前にいたのか。また挨拶されてしまう。でもその声には聞き覚えがあった。この短い時間でも覚えてしまうほどには、私とかかわりが深い人物。
「……リリーか。おはよう。たまたま早起きできたから。ヒンメルたちは家だよ」
そこには、たくさんの花を抱えている女性、リリーがいた。この時間に私が出歩いているのが珍しかったのか。どこか驚いたような表情を見せている。そんなに早起きしてるのが珍しいのだろうか。会う人会う人全てに言われてしまう。思わず気まずくなってしまうほど。もっともそれは早起きしたからだけではない。
(何でだろう……この子を前にするとちょっと……)
私はちょっと、この子のことが苦手だった。嫌いなわけじゃない。意地悪されるわけでもない。でも何だか頭が上がらない。まるでそう、お姉さんみたいだから。私の方が遥かにお姉さんのはずなのに。アウラやリーニエのことを慕っているのもあるかもしれない。私たちエルフや魔族にも物怖じしない。どころか叱られてしまうことすらある。ヒンメルもそれは同じなのだろう。時折、アイゼンみたいに怯えている時があるぐらい。不思議な子だ。
「そういうリリーは何してるの?」
「今日咲いた花を集めているんです。もうすぐお店を開けないといけないので」
「そういえばリリーは花屋だったっけ」
それを誤魔化そうと話しかけるも、ふとそれを思い出す。それで花をそんなに抱えていたのか。アウラの洗濯の仕事の手伝いに来ている印象が強くて忘れてしまっていたが、そうだった。確か、リリーは花が好きでそれを仕事にしているんだったか。
「はい。小さい頃から花が好きだったので。また花畑を出す魔法を見せて頂けたら嬉しいです。フリーレン様は珍しい花もたくさん知ってらっしゃるので」
「気が向いたらね」
きっと私が覚えていなかったことに気づいているだろうに、リリーは怒るどころか、笑ってお願いしてくる。小さい頃から、か。そういえばこの村に来てから何度か村人の前で花畑の魔法を見せたこともあった。リリーもいたのだろう。アウラに見せてもらえばいいだろうに、物好きな子だ。本当に花が好きなのだろう。
「でも姉さんもですけど、魔法は本当にすごいですね。あんなにたくさんの花を一斉に咲かせられるなんて。羨ましいです」
その光景を思い出しているのか、どこか憧れのようなものを見せながら、リリーはそう口にしている。それにどこか胸が温かくなってくる。同時にあの人の顔が思い浮かんでくる。似合わない魔法が好きだと言っていた、誰もが魔法を使える世界を夢見ていた子供みたいな奴。
「そんなことないよ。リリーの方がすごいかな。魔法を使わないで花を咲かせられるんだから。私も昔、花を育てようとしたんだけど、みんな枯らしちゃったから」
だけど、私からすればリリーの方が何倍もすごい。きっとあの人もそう言うだろう。魔法ではなく、一から花を育てることができるのだから。魔法で咲かせた花より、リリーの抱えた花の方が綺麗に見えた。
同時に小さい頃、花を育てようとして、あっという間に全て枯らしてしまった失敗を思い出す。ちょっと目を離しただけなのに。そう落ち込んでいると
「……何?」
「いいえ、フリーレン様らしいと思いまして」
そんな私をどこか楽しそうに微笑みながら見つめているリリー。何がそんなに嬉しかったのか。おかしいことを言ったつもりはなかったのだが。それにしても、私らしい、か。まだたった半年の付き合いなのに、私がどんな奴か、この子には分かってるというのか。
「そうかな。私はリリーのこと、全然知らないのに」
「そんなことはありませんよ。きっとフリーレン様が気づいてらっしゃらないだけです」
「ヒンメルみたいなこと言うね」
「そうでしょうか?」
でもきっと、それは嘘ではないのだろう。その言葉には、そう思わせてくれる何かがあった。そう、まるでヒンメルみたいな言い方だ。それにリリーも気づいていない。きっと知らず移ってしまっているのだろう。いつかヒンメルが言っていた。誰かの人生をほんの少し変えてあげればいい、だったか。どうやらそれはここでも続いているらしい。
「でもちょうどいいや。リリーに聞きたいことがあるんだけど」
「私にですか?」
そのせいではないが、忘れないうちに聞いておこう。リリーのことを知って、すぐに思いついていたこと。
「うん。この花なんだけど……」
そのまま魔法で、掌の上に花を咲かせる。花畑ではない、一輪の花。私からすれば何でもない、ただの魔法。だが
「わぁ……! 綺麗な鏡蓮華の花ですね」
目の前のリリーにとっては違ったらしい。それに子供のように目を輝かせているリリー。本当に小さな子供に戻ってしまったよう。
「────」
それに思わず、こっちが目を奪われてしまう。脳裏にかつての記憶が蘇ってくる。
ほんの数十年前。夜の森に迷い込んで泣きそうになっていた子供に困って、仕方なく花畑の魔法を見せてあげた記憶。その男の子も、リリーと同じように目を輝かせていた。
その頃から物好きだったのだろう。あのクソガキが大きくなったものだ。それが魔王を倒す勇者になるだなんて、言われてもきっと誰も信じなかっただろう。
「フリーレン様……?」
「……ごめん。でもやっぱりこの花は鏡蓮華って言うんだね」
気づけば私の方が物思いに耽ってしまっていたらしい。気を取り直しながら、手にある花、鏡蓮華の花をかざす。それが私がリリーに聞きたかったことだったのだから。どうやらそれは間違いではなかったらしい。
「? 魔法で出せるのに、花の名前を知らなかったんですか?」
「うん。やっぱり変かな?」
「はい。フリーレン様らしいですね」
あいつに言われてしまったことを、リリーも口にしてくるということは、やはり変なのは私の方らしい。そんなにおかしいだろうか。ちゃんと花は出せているのに。ただあいつと違うのは、リリーはどこか楽しそうにそれを教えてくれたということ。私らしい、か。褒めてくれているのだろうか。
「でもどうして私にそれを? もう知ってらっしゃったのに」
「アウラの奴に言われたことだからね。嘘じゃないかと思って」
「確かに。姉さんは嘘つきですからね」
「魔族だからね」
姉さん、という言葉に思わず怖気が走ってしまうが、何とか堪える。それが精一杯。きっと千年経ってもその呼び方は慣れないに違いない。アウラも奴もきっとそうだろう。まだお母さんの方がマシかもしれないと思うほどには。この子は本当にあいつが魔族だと分かっているのだろうか。自分から騙されに行っているようなものだろうに。
「でも珍しいですね、姉さんがフリーレン様にそんなことを教えるなんて」
「指輪の花の名前を知らなかった私を馬鹿にしたかったんだよ」
「指輪、ですか?」
「うん。ヒンメルからもらった指輪だよ。それにこの花の意匠がついてたんだ」
今この場には持ってきていない指輪を思い浮かべながらそう愚痴るしかない。アウラの奴め。自分がもらった首飾りの花の名前を知っているから調子に乗っているのだろう。そんなこと、何の自慢にもなりはしないというのに。そもそも花の名前なんて魔族にとって何の意味もない。人間の真似にしてもやりすぎだろう。そんなことを考えていると
「…………」
今度はリリーの方が物思いに耽ってしまっている。その視線は、私の掌。鏡蓮華の花に釘付けになってしまっている。よっぽどこの花が気に入ったのだろうか。それとも欲しいのか。
「どうしたの?」
「……いえ、でもちょうどいい機会かもしれません。せっかくですから、その花について調べてみたらどうでしょうか?」
「この花を……?」
だがそうではなかったらしい。どころか話が妙な方向に行ってしまう。この花を調べてみればいい、と。どうしてそうなるのか。たった今、リリーに花の名前を教えてもらったばかりなのに。これ以上何を調べろというのか。
「はい。花には色々な意味がありますから。確か、姉さんの書斎には図鑑もあったはずです。魔法で出すのにも役に立つかもしれません」
まるで本当にお姉さんのように、リリーはそう私を諭してくる。それは魔法使いとしても必要なこと。魔法はイメージだ。でもそれは知識を蔑ろにしていいことにはならない。花を知ることは、魔法のイメージにも繋がる。そこまで考えて言ったわけではないのかもしれない。それでも花が好きなのは伝わってきた。やはり花が好きだというのは嘘ではないのだろう。
「そういえば、そんな物が書斎にあったね。育児書もだったかな。本当に変な奴だね」
思い当たる節が私にもあった。確か書斎に植物図鑑があったはず。魔導書の中に紛れていたので、余計に目立っていたのを覚えている。何でそんな物があるのか不思議だったがなるほど。この子に花畑の魔法を見せるためだったのか。もしかしたら育児書もそうだったのかもしれない。本当に変な奴だ。魔族の面汚しに違いない。
「姉さんですから。それでは私はこれで。また店にも遊びに来てください」
そう言い残し、どこか女性らしいしなやかさを見せながらリリーは去っていく。それにどこか懐かしさを感じながら、渡しそびれてしまった鏡蓮華の花を見つめ続けてしまう。
それはさっきまでと同じ花のはずなのに、少しだけ違って見えた────