第一話 「今日」
────嗅ぎ慣れた草木と花の匂い。響き渡る木と木がぶつかり合う、どこか心地良い乾いた音。
もう十年以上になる、慣れ親しんだ、僕にとっての日課。
朝起きて、二人と一緒に朝食を食べて……いや、今は三人だったか。危ない危ない。仲間外れにしたら何を言われるか分かったものではない。
一息したら、自宅の庭にある鍛錬場で木剣を振るう。独りではなく、二人で。
「ん」
その小さな身体が跳ねる。コルセットドレスの裾を翻しながら、少女が踏み込んできた。その頭には小さな角。人間とは明らかに異なる姿。彼女が人間ではない、魔族である証。
例外の二つ名を持つ、僕の自慢の一番弟子。
リーニエの木剣が、僕の肩口を狙って振り下ろされる。迷いも無駄もない、洗練された太刀筋。それに合わせるように、半歩だけ身体を引いた。
それによってリーニエの剣先が空を切る。狙いを逸らされた彼女が体勢を整える前に、そのまま手首を返して、彼女の木剣を軽く弾いた。
「残念。まだ少し動きが大きいかな」
「……うるさい」
片手でいなされたことにお冠なのか。それとも。目に見えて不機嫌になっているリーニエ。それはいいのだが、もう少し言葉遣いはお淑やかにしてくれないだろうか。誰の真似をしているのやら。
「次はもっと上手く真似する」
「うん。それでいい」
そんな僕の心配をよそに、再びリーニエが剣を振るってくる。さっきよりも鋭く、正確に。見間違うはずもない。僕の剣筋だ。それを見据えながら、剣を合わせる。まるでそう、小さい頃の自分と手合わせしているような、不思議な感覚。
(もう十年か。本当にあっという間だったな)
片手間にリーニエを指導しながら、そんな感慨を覚えてしまう。リーニエを拾ってから十年以上。そこからの奇妙な縁で、僕はリーニエと師弟関係になった。今でもどこか信じられない。自分が弟子を取るなんて夢にも思っていなかったから。
『魔族を弟子にするなんて、本当に趣味が悪いんだから』
淡々と、それでもどこか呆れ気味にフリーレンに言われてしまったのを思い出す。きっと魔族でなく、人間を弟子にしても同じことを言われたに違いない。でもフリーレンも他人のことは言えないだろう。フリーレンが弟子を取っている姿の方がよっぽど想像できない。ハイターやアイゼンもきっと同じことを言うに違いない。
「隙あり」
「おっと」
考え事をしていた自分の油断を突くように、リーニエが剣を突き入れてくる。それを首を捻りながらいなす。危ない危ない。もう考え事をしながら、片手間では相手ができなくなりつつある。日に日に成長していくリーニエの力。
そこには余分なものは何もない。ただ純粋に強くなろうとしている。魔法への、探求への欲求。魔族の本能だろうか。魔族は魔法に嘘をつけない。そんなことをフリーレンが言っていた気がする。やはり魔族はみんな魔法が好きなのだろう。
『……魔法に好き嫌いなんてあるわけないじゃない。あんた、息をするのに好き嫌いなんてするの?』
忘れもしない、夜の森の広場でのアウラの言葉を思い出す。僕の勘違い、間違いを正してくれた彼女の言葉。でもそれは嘘ではない嘘だったのだろう。彼女自身が気づいていないだけ。魔族はみんな魔法が好きなのだ。あまりにも当たり前すぎて、それに気づけていないだけ。それが分かるのは、きっと魔法を失くした時だけだろう。
(これは……)
瞬間、今までで一番優れた一撃が、僕に向かって振り下ろされてくる。模倣の魔法を極めんとする、魔族の魔法使いの鍛錬の結晶。それに思わず見蕩れてしまう。
それは期待だった。いつか自分を追い抜いてくれるかもしれない。そんな感情。同時に今は手にしていない、部屋にしまっている勇者の剣が脳裏に浮かぶ。僕にとっての半身であり、魂そのもの。彼女たち魔族からすれば、自分の魔法のようなものかもしれない。
リーニエが事あるごとにそれを僕から奪い取ろうとしているのは、きっと魔族らしいのだろう。焦らなくても、遠くない未来、僕はそれを譲ることになるのに。リーニエは全く気づいていないようだが。本当に困ったものだ。僕とリーニエは師弟だが、これがきっと親の気持ちなのだろう。
(『お父さん』か……やっぱり僕の柄じゃないかな)
けれど自分は人間だ。彼女たちとは寿命は違う、リーニエが成人するのは見届けられないだろう。なのでそれはアイゼンに任せることにする。リーニエにとっての『お父さん』はアイゼンなのだから。それが少しだけ羨ましい。
「今日はここまでかな。でも最後の一振りは良かったよ」
「……むぅ」
結局一本も取れなかったからか。口をへの字にして不満をあらわにしている我が一番弟子。嘘をつかない彼女だが、ここ最近は妙な悪知恵をつけつつある。間違いなくフリーレンの影響だろう。良くも悪くも、だが。フリーレンとの関係が姉妹のようになるなんて予想外だった。悪意がない分、相性がいいのか。本人の前では言えないが、フリーレンもそうだから。よく薄情だと言われてしまうのもそのせいでもある。そこが良いのだが、中々みんなには分かってもらえない。それは別として、僕にとってはそれは嬉しい誤算だった。
自分がいなくなっても、それはきっと続いてくれるはず。フリーレンが、アウラが一人ぼっちにならないように。リーニエがいれば、きっと二人の間を
「……ヒンメル、また変な顔してる」
いつの間にか自分の世界に入り込んでしまっていたのか。どこかジト目をしたままリーニエがそう指摘してくる。それにここにはいないフリーレンの面影を見てしまう。そんなところまで真似しなくてもいいだろうに。
「ちょっと思い出してたんだ。お願いしただろう? アウラのことを守ってあげて欲しいって」
「またその話? ヒンメルはそんなに死にたいの?」
「まさか。僕は誰よりも今を一番楽しんでるからね」
「変な奴」
「ひどくない?」
もう飽き飽きしたとばかりに相手にしてくれないリーニエ。これが反抗期という奴なのだろうか。こっちは大真面目だというのに。リーニエは忘れっぽいからこのぐらい言わないと通じないのだ。魔族である彼女たちにはそのぐらいできっと丁度いい。
「じゃあそろそろ二人を迎えに行こうか」
「うん」
そのまま木剣をしまい、体を軽く拭いてから出かけることにする。半年前から増えた、新たな日課。ここにはいない、二人の友人を迎えに行くために────
慣れた足取りで目的地に向かう。いつもリーニエには飛んだ方が早いと文句を言われてしまうが仕方ない。僕は魔法使いではないのだから。連れて行ってもらいたいのは山々だが落っことされては敵わない。僕はアイゼンじゃないのだから。そんなことを考えている内に
空気が震えるような轟音と、地響きが聞こえてきた。
それに続くように、森の中を進むにつれて、妙な匂いがしてくる。木や土が焦げてしまっているような匂い。それに加えて、まばゆい光が点滅するように煌めいては消えていく。
「……今日も派手だね」
「うん」
だがそれにリーニエは動じることはない。それは僕も同じだ。何故ならそれは僕たちにとってはもう日常だからだ。さっきまで僕らがしていた鍛錬と何ら変わらない。違うのは
「…………」
二人によって行われているそれは、僕たちとは規模が全く違うということだけ。
森の奥にあった広場。そこは、もう広場と呼べる状態ではなかった。木々は薙ぎ倒され、地面は抉られ、岩は砕かれ、あちこちに魔法による焦げ跡が残っている。見る影もない。それを前にして、アイゼンの修行場を思い出した。流石に崖はできていないけれど。きっとハイターの奴ならドン引きするだろう。
そのまま空を見上げる。そこには二つの影が空を舞っていた。まるで鳥のように縦横無尽に。だがそれは鳥ではない。魔法使いだ。フリーレンとアウラ。大魔法使いと大魔族。白と赤の魔法使いが、空を駆け巡っている。
「────」
空中で二人が何度も交差する。その度に幾重もの光、魔法が放たれ、互いに追い縋っていく。それを躱し、弾き、翻しながら両者はせめぎ合っている。その流れ弾がまるで豪雨のように地面に降り注ぎ、轟音と土煙を生み出していく。まさにここは戦場だった。
「何をしてるのかな、リーニエ?」
「……盾」
「僕はアイゼンじゃないよ」
いつの間にかリーニエが僕の後ろに縮こまっていた。ご丁寧に服の裾を掴んでもいる。まるで親に縋る子供のように。だが悲しいことに、嘘をつくことができない弊害がここにも出てしまっている。ようするに僕を盾に、身代わりにしているのだ。大変魔族らしい。でも残念なことに僕はアイゼンではないので盾にはなれない。なので僕らしく対処することにしよう。勇者として、剣士として。
そのまま黙って二人の戦いを観察する。魔法使い同士の戦い。それは僕たち剣士や戦士とは全く異なる世界の戦いだ。
空中戦。飛行魔法を扱える者だけが踏み入れる領域の争い。目まぐるしく攻守が入れ替わりながらの高速戦。動きで圧倒しているのはアウラだった。当然だ。何故なら空は魔族の独壇場なのだから。
魔王軍との戦いでも、僕たちは何度も空から襲われた。それにどれだけ苦労したか。いかに魔族を空から引き摺り下ろすかが、人類と魔族の戦いの大前提だった。それを知っているからこそ
「……すごいな」
フリーレンが、その領域に追いつこうとしていることの異常さが分かる。アウラには及ばないのだろう。それでも、エルフが、人類が飛行魔法を使っている。魔族だけのものだった魔法が、人間にも広がりつつある。それだけじゃない。
『
かつてこの地に封印されていた大魔族、腐敗の賢老が人類を殺すために生み出した魔法。それを今では人間が使っている。人間だけではない。魔族であるアウラもそれを利用している。
そして、それを防ぐための魔法。防御魔法まで生み出されている。二人はそれを駆使しながら争っている。それはきっと今の魔法の世界の縮図なのだろう。
魔法そのものが変わっていく。戦い方が変わっていく。魔王を倒して、人間の世界が、人間が変わっていくように。
それが半年前から始まった、今のフリーレンとアウラの日課。ゾルトラークや防御魔法、魔族の飛行魔法を応用した模擬戦。実験。研究。一年前から発展した物。魔法の歴史を変えてしまうかもしれない偉業。でもきっと本人たちは、そんな大層なことをしているつもりはないのだろう。
「まだまだ魔法の使い方が荒いね、アウラ。やっぱり魔族は駄目だね」
「あんたこそ、飛び方がなっちゃいないわよ、フリーレン。そもそも私が服従の魔法があればあんたなんて」
ようやく終わったのか。地面に降り立つや否や、今度は魔法ではなく、言葉での言い争いを始めてしまう二人。きっとただの喧嘩の延長なのだろう。おっかないことこの上ない。それに内心怯えてしまう。アイゼンがいればきっと一緒に逃げてくれるに違いない。
「アゼリューゼは私には効かないよ。私の方が魔力量は多いから」
「……っ! 不死の軍勢のことよ。数であんたを圧殺してやるわ」
「そう。ならそれも解除してあげるよ」
涼し気にしているフリーレンと、恨めしそうにしているアウラ。どこか対照的な二人。事実、アウラは未だにフリーレンに勝ったことはない。僕とリーニエほどではないにしても、きっとそれは魔法使いとしての力量の差なのだろう。もっともそれは逆鱗なので触れないようにするしかない。また一週間無視されては敵わない。そんなことを考えていると
「……覗き見してるんじゃないわよ」
「またのぞき?」
「女の敵だね」
「仲間外れにしないでくれよ」
いつの間にバレてしまっていたのか。まるでゴミを見るような目でこちらを睨んでくるアウラ。そして知らない間にアウラの元にくっついているリーニエ。僕でも気づけないほどの早業。同時に使い慣れていないであろう言葉で罵倒してくるフリーレン。うん、心が折れそうだが仕方ない。この場で男は僕だけなのだから。いつものことだ。
「でも相変わらず派手だね。このままじゃあ森が焼け野原になるんじゃないかい?」
「大袈裟な奴ね。私たちはアイゼンじゃないわよ」
「アイゼンは戦士だよ?」
だがそれはそれ、これはこれだ。一応村から離れた場所だが、このまま被害が増え続ければそうなりかねない。アウラ達の中ではアイゼンが基準になってしまっているので実感が沸かないのだろう。順調に僕たちの仲間入りをしてくれているようで嬉しい限りだ。
「そうだね……そろそろ人間の魔法使いとの研究も進めようかな」
どうやらフリーレンも何やら頃合いだと思っていたらしい。この村にやってきてから一年。アウラと一緒に魔法の研究をしていたフリーレンだったが、ようやく外に出る気にもなったらしい。冒険で連れ出すことはあったが、それだけではどうかと思っていたところでもある。一緒にいてくれるのは嬉しいが、やっぱりフリーレンには色々な人と関わってほしい。
「魔族だけじゃなくて、人間も利用しようってわけ?」
「利用じゃなくて協力だよ」
「どっちも同じじゃない」
「まあまあ」
だがアウラからすればそれは同じなのだろう。利用と協力。僕で言うならお願いと命令の違いだろうか。魔族と人類の認識の違い。言葉の差。その差を埋めることは容易ではない。いや、埋めようとすること自体が間違いなのだろう。それでも、変わっていることがある。
それが二人の関係だ。この模擬戦を始めてから、アウラの機嫌は良くなっている。フリーレンに負かされ続けている不満はあるのだろう。それでも、魔法を存分に扱えるのはきっと魔法使いとしてのストレス解消になっているのかもしれない。やはり魔族にとって魔法はかけがえのないものなのだ。
そしてもう一つ。あれはそう、フリーレンが探し物をするために家出して、帰ってきてからだったか。特にフリーレンの方。当人たちは気づいていないようだが。
「フリーレン」
「……何?」
その名を呼ぶ。それにいつもと変わらない声で。何でもないように僕に応えてくれる。僕の憧れの女性。
「アウラ」
「……何よ?」
その名呼をぶ。それにどこか迷惑そうに。どうでもよさげに僕に応えてくれる。僕の大切な友達。
それだけで十分だった。二人が互いに名前で呼び合っていること。でも当人たちは気づいていない。きっと無意識なのだろう。それでも、二人がただのエルフと魔族から変わりつつある証。
「うん。ちょっと呼んでみたくなったのさ」
「そう。良かったわね」
「今度ハイターに診てもらったら?」
「ねえねえ私は? ヒンメル?」
だがそんな僕の感傷なんて何のその。平常運転の二人の優しさに涙が出てきそうだ。悪意がないのが身に染みてくる。だからこそ楽しいのだ。困難は大きければ大きいほどいい。
「じゃあリーニエにここは任せようかな」
「任せて! じゃあフリーレン。スクワット千回ね」
「え? 私はアイゼンじゃないよ、リーニエ」
「? アイゼンが言ってたよ。フリーレンも戦士だって」
「……もうちょっとまけてよ」
「なら五百ね」
でもここは弟子に頼ることにしよう。リーニエはお姉ちゃんなのだから。フリーレンも頭が上がらない。見るからにしおしおになってしまっている。それに愉しそうに便乗しているアウラ。
それがもう当たり前になってしまった、四人の日常。それでもヒンメルにとってはかけがえのない、下らない日常だった────
投稿が遅れてしまい申し訳ありませんでした。これから新節の開始となります。良ければこれからもお付き合い下さると嬉しいです。では。