「うーん……どうしたものかな」
知らず独り言を漏らしながら、顎に手を当てて思い悩む。目の前には大きな何もない台座が鎮座している。もうかれこれどれぐらい経つのか。それは、この村の象徴になるはずの銅像が建てられる予定地だった。
それを前にして物思いに耽るしかない。せっかく村のみんながいいと言ってくれているのに、アウラが許してくれない。一体何がいけないのだろうか。僕だけの銅像を作っても面白くないのに。何度説得してもダメなので、仕方なく僕の銅像の手に天秤を持つことであきらめようとしたのだが、そこにフリーレンが戻ってきてくれた。嬉しい誤算だった。どうせならフリーレンとアウラも一緒に銅像にしたい。どうすれば二人を巻き込めるか。目下それが僕の悩みの種。
(こうかな? いやこれも捨てがたい。やっぱり僕はいくつになってもイケメンだね)
そのままあれこれとポーズを取っては思案する。僕にとっても久しぶりの銅像なのだ。やっぱりかっこいいポーズが取りたい。昔を思い出しながらも、今のダンディさが増した僕も捨てがたい。鏡がないのがもったいないぐらいだ。やはり僕は年老いても僕のままなのだ。いや、まだ決しておっさんではない。アウラやフリーレンには分かってもらえないが。そのまま新たなポーズに挑戦しようとしていると
「そんなところで何をしてるんですか、ヒンメル様?」
そんな聞き慣れた声が後ろからかけられる。振り返ると、そこには見知った青年がいた。僕よりも頭一つ以上低い、小柄な体。農作業を終えた帰りなのか。その服や手は土で汚れてしまっている。それでも見間違えるはずのない、麦わら帽子を被った男。シュトロ。僕にとっては大きく年の離れた、そう、弟のような存在。
「シュトロか。見て分かるだろう? 新しい銅像のポーズを考えていたのさ」
だが丁度良かった。やはり一人では心許なかったところだ。アウラ達では相手にしてくれないが、シュトロなら付き合ってくれるだろう。小さい頃にはよく一緒にポーズを取ったものだ。一緒に怒られるのも慣れたものだ。
「……本当に変わりませんね、ヒンメル様は。姉さんたちは? 一緒じゃないんですか?」
「誘ったんだけど振られてしまってね。そういうシュトロの方は? リリーは一緒じゃないのかい?」
「同じようなものですよ。お互い肩身が狭いですね」
「全くだ」
勝手知ったるとはこのことか。ハイターやアイゼンたち。仲間とはまた違った気安さがある。同じ村の住民。家族のようなものだろうか。この十年で僕にとってはここは第二の故郷のようなものになってしまった。その中でもシュトロは特別だ。特に数少ない男友達としては。それはきっとシュトロも同じだろう。ようするに彼女たちには頭が上がらないのだ。
「でもちょうどよかったかもしれません。実は、ヒンメル様に相談したいことがありまして……」
「僕に……? 何だい?」
そんな中、いつもとは違い、どこか改まった様子でシュトロは打ち明けてくる。珍しいこともあるものだ。リリーやアウラ達の前では話しづらいことなのか。男同士でしかできない内緒話か。思い当たる節がないか頭を巡らせるも
「はい。もうすぐ、リリーと結婚することにしたんです。子供もできまして……」
そのどれとも違う、全く想像していなかった答えが、シュトロの口から明かされた。
「……そうか。おめでとう」
それに一瞬固まってしまったのは仕方ないだろう。なるほど。そうか。少し考えれば分かるようなことだったのに、想像できていなかった。僕の中ではまだシュトロもリリーも、小さい子供のままだったのだろう。これではアウラ達のことも言えはしない。
驚きのまま、それでも祝福の言葉を贈る。幼馴染だった二人が結婚か。喧嘩ばかりしていたが、二人らしいのかもしれない。それに子供まで。ならきっとこれから忙しくなるだろう。嬉しい悲鳴というやつだろうか。
「でも、ならどうしてそんなに心配そうにしてるんだ……?」
だが気になったのはそこだ。気恥ずかしそうにしながらも、シュトロの様子にはどこか後ろめたさがあった。そもそもどうしてそんなめでたい話なのに、僕だけに明かすようなことを。それは
「それは……その、結婚するということは、神父をあきらめることになるので。ハイター様に申し訳がなくて」
シュトロらしい、それでもその人生を大きく変える意味を持つ選択だったからこそ。そう、僕は理解できていなかったのだ。リリーと結婚するということは、目指していた神父の夢をあきらめることなのだと。聖職者故の宿命。その秤をどちらに傾けるか。きっとそれを悩んでいたのだろう。
僕は知っている。見てきた。シュトロが神父であるハイターに師事していたことを。学んでいたことを。柄にもなく、ハイターが世話を焼いていたことも。だからこそ、後ろめたいのだろう。その期待に応えられなかったことが。裏切ってしまうかもしれない不安が。それでも
「なるほど。でも心配いらないよ。あいつならきっと笑って喜ぶさ」
「そうでしょうか……?」
「ああ。親友の僕が言うんだから間違いない。そもそも酒を飲んでる生臭坊主だからね」
「違いありません」
嘘偽りなく本音を告げる。ハイターに代わって。確かめるまでもない。あいつは僕の親友なのだから。きっとこの場にいても笑い飛ばして、今夜は祝杯だと騒ぐのだろう。目に浮かぶようだ。そもそも神父のくせに飲んだくれているような聖職者だ。シュトロに説教なんてできるはずもない。
(ハイターだけじゃなく、アウラにもかな)
だがきっと理由はそれだけではないのだろう。僕以外には明かしていないが、シュトロはアウラに憧れて、神父を目指していたのだから。その力になりたい、助けになりたい。それが叶わなかった。あきらめてしまった。それがきっとその後ろめたさの本音なのだろう。もっとも、アウラが知ればきっといい迷惑だと言われてしまうだろうけど。
(でもそうか……もう魔王を知らない世代が生まれてくるんだな)
その事実に、どこか感慨深さを覚える。そう、魔王を、戦争を知らない新しい世代、命が生まれてくるのだ。僕が小さい頃には、想像もできなかったこと。でもそれを叶えることができた。実現できた。本当に勇者になってよかったと思える瞬間。そんな中
「そういうヒンメル様は、これからどうされるのですか?」
そんなシュトロの言葉に、僕は置き去りにされてしまった────
「え?」
思わず我に返った。思考が追い付かなかった。まるで言葉が理解できなかったみたいに。
考えていなかったわけではない。魔王を倒した後には仕事を探さないと、と考えていたことを思い出す。それからも色んなことをしてきた。勇者として。できる限りのことを。
アウラと友達になってからも。リーニエを弟子にしてからも。フリーレンが戻ってきてからも。みんなのこれからのことをずっと考えてきた。行動してきた。
でも違うのだ。シュトロが聞いているのは、勇者としての僕ではない。一人の人間としての、僕のこれからのこと。それはまるで、僕自身のこれからを問いかける神父のような──
「……スカート捲りばかりしていた奴が大きくなったものだね」
「いえいえ、二股をしてるヒンメル様には敵いませんよ」
自分より立派になってしまったシュトロに、そう軽口を叩くも倍にして言い返されてしまう。本当にこいつはクソガキのままだ。神父にならなくて正解だろう────
「いただきます」
四人で声と手を合わせながら、いつものように賑やかな夕食が始まる。少し狭さを感じてしまうテーブルで、騒がしく思い思いに食器が鳴り始める。まるで調和がとれていない、好き勝手な食卓。
「またルフオムレツ? よく飽きないね」
「おいひいよ?」
「文句があるなら食べなくていいわよ。その辺の草でも食べてなさい」
「私を何だと思ってるの?」
「エルフでしょ?」
「やっぱり魔族は駄目だね」
「あらそう。なら今日は書斎を使えなくてもいいわけね」
「さあ、冷めないうちに食べないとね」
一年前から始まった、四人での食事風景。下らない、当たり前の日常。でも、僕にとってはかけがえない、大切な日々。それをどこか、心ここにあらずで眺めてしまう。まるでそう、夢を見ているみたいに。
ふとそれに目を奪われる。いつの間にか当たり前になってしまった、エプロン姿のアウラ。彼女が首にかけてくれている物に。
『親愛の花の首飾り』
僕がアウラに贈った、初めて言葉で伝えることができた、親愛の証。
そのままその向かいに視線を向ける。黙々と食事を続けている、何も変わらないフリーレン。その何もない左手の薬指。でもその鞄にはある物が眠っている。
『鏡蓮華の指輪』
僕がフリーレンに贈った、言葉で伝えることができていない、久遠の愛情の証。
ふとそのまま、自らの腕に触れる。そこにある金属の感触。この半年でもう慣れてしまった物。
『支配の石環』
二人を繋ぐために自らに貸した、偽りの腕輪。
人類とエルフと魔族。寿命も生き方も、価値観も。何もかも違う三人を繋ぐための、僕の我が儘。そのおかげで僕たちは今、一緒に暮らしている。
でもいつまでもそれは続かない。それは分かっていることだ。僕たちは違うのだから。
でも今の日常を壊したくない、変えたくない。そう思ってしまう、情けない僕がいる。勇者なのに、なんて
「何やってるのよ、ヒンメル? まさかあんたまで文句を言うんじゃないでしょうね」
「っ! ごめん、ちょっと考え事をしてて……」
そんなアウラの声によって現実に引き戻される。いけない。どうやらずっと考え込んでしまっていたらしい。気づけばスプーンを持ったまま固まってしまっている。食事も手つかずのまま。これでは叱られて当然だろう。せっかく僕の好物を作ってくれたのに。
「そうだよ。せっかくアウラが作ってくれたんだから感謝しないと」
「どうしてそんな嘘つくの、フリーレン?」
もう半分以上食べ終わっているフリーレンにもそう言われてしまう。おかしいな。何やら文句を言っていたはずだけど、それも聞き違いだったのだろうか。
「……そういえば言ってなかったね。シュトロとリリーが今度結婚することになったんだ」
それを誤魔化すように、シュトロがリリーと結婚することになったこと、子供もできたことをみんなに明かすことにする。内緒にしていてもいいが、きっと遅いか早いかの違いだろう。
「ふぅん……ようやくその気になったわけね」
それをどこか他人事のように受け流しているアウラ。なるほど。どうやらアウラからすれば予想の範囲内だったのだろう。小さい頃から二人に振り回されていた彼女だ。二人の関係もとっくに見抜いていたのかもしれない。もしかしたら、リリーからも何か聞かされていたのか。
「どういうこと?」
それとは対照的に、二人の関係に全く気づいていなかったのか。事情が呑み込めていないフリーレン。本当に彼女らしい。まだこの村に来てからたった一年のフリーレンには難しすぎる機微だったのだろう。
「むぅ……二人だけずるい」
そんなフリーレンとはまた違う意味で理解し切れていないのがリーニエだった。だがきっと本能的に、感覚的に察しているのだろう。自分だけが仲間外れにされた、置いてけぼりにされたと拗ねてしまう。
それぞれが三者三様の反応を示す長命種たち。それがそのままきっと、三人の違いなのだろう。本当に面白い。
「リーニエにはちょっと難しいかな。そうだね……リリーはお母さんになったのさ」
師匠として、人間として、少しだけリーニエにも分かりやすいように伝えてあげる。魔族的には番になった、と伝えるのが分かりやすいのだろうが、まだリーニエは子供だ。その方が分かりやすいはず。だが
「……私、お母さんは嫌い」
それは思ってもいない反応を引き出してしまう。どこか怯えるように、リーニエは縮こまってしまう。しまった。間違えてしまった。そういえばその言葉はリーニエにとってはトラウマだったか。その証拠に、リーニエはどこか恐る恐るアウラの様子を窺っている。まるで悪戯を叱られてしまう子供のよう。
「いいのかい、アウラ?」
「私はお母さんじゃないわ」
それが分かっていながら、あえて触れようとはしないアウラ。なるほど。アウラらしい。親子ではなく主従。それが二人の関係。だからこそ、それを認めるわけにはいかないのだろう。本当に強情だ。果たしてリーニエがアウラをお母さんと呼べる日が来るのか。そんなことを考えていると
「そういえば、どうやって子供ができるの?」
「え? それは……」
脈絡もなく、そんな純粋な疑問を口にするリーニエ。どうやら子供ができたということだけは理解できたらしい。それからすれば自然な質問。しかしそれに思わず言葉を濁してしまう。それを教えてしまっていいものか。リーニエは魔族なのだからそんな配慮はいらないのかもしれないが、どうしたものか。アウラに視線を送るも無視されてしまう。どうやら諦観する気らしい。それとも僕の反応を面白がっているのか。そんな中
「ふふん。リーニエには少し早いかな」
と、それまで静かだったフリーレンが、お姉さんぶりながら割って入ってくる。むふー、と鼻息を鳴らしながら。ここ最近は見ることの少なくなってきた、年長者としての威厳を取り戻さんとする姿。
「フリーレンは知ってるの?」
「もちろん。私は大人だからね。教えてあげる。とっておきだよ」
「っ!? フリーレン、ちょっと待」
だがそれによって嫌な予感が駆け巡る。そう、それはちょうど一年前。僕たちが留守の間に、リーニエにとんでもない悪知恵を吹き込んだ事件。その再来が起きてしまうのではないか。そんな焦りによって慌てて制止しようとするも間に合わない。でもそれは余計な心配だった。何故なら
「────子供はね。キスしたらできるんだよ」
フリーレンはフリーレンなのだから。
「…………」
それによって僕とアウラは言葉を失ってしまう。いや、どころか僕は納得し安堵する。やはり彼女はフリーレンなのだ。それをすっかり忘れてしまっていた。まだまだ僕も知らないことばかりなのだろう。そんなフリーレンと僕を見ながら、何とも言えない顔をしているアウラ。何かおかしかっただろうか。だがそんな疑問は
「そうなんだ! なら私も子供ができたのかな? 私も前シュトロにされたよ」
リーニエのそんな悪意のない、爆弾発言によって消し去られてしまった。
「あのクソガキ、出てこいシュトロ、ぶっ殺してやる────!」
そのまま椅子から立ち上がり、勇者の剣を取りに行く。リリーと結婚すると言っていた奴がリーニエに手を出すなんて。許すわけにはいかない。スカート捲りだけでも重罪だというのに万死に値する。やはりあの時ぶっ殺しておくべきだったのか。僕のリーニエを傷物にするなんて良い度胸だ。
「それは浮気だね」
「うわき? ヒンメルのこと?」
「静かにしなさい。近所迷惑よ」
そのまま怒りのまま飛び出していくヒンメルを、どこか慣れた様子で見送る三人の女性たち。それが長命種故の、リーニエの嘘ではない嘘だったのをヒンメルが知ったのは、村中の騒ぎになった後だった────
「そういえばみんな、明日からちょっと出かけようと思うんだ。いいかな?」
何とか落ち着きを取り戻したヒンメルは、リーニエと一緒に寝室に向かおうとしているアウラ、書斎に向かおうとするフリーレンを呼び止める。
「……何? また新しいダンジョンでも見つけたってわけ?」
「銅像巡りならもういいよ……」
「眠い」
それにアウラ達は呆れるしかない。それも無理はない。さっきまで娘を傷物にされた父親のような醜態を晒していたと思えば、今度は急にそんな提案をしてくるのだから。だがアウラ達は知らなかった。
「────いいや、王都さ」
それがヒンメルからすればずっと考えていたお出かけだったことを。十年以上前の、当人からすれば大したことない約束を果たすためのものであることを。
そんなヒンメルもまだ知らなかった。王都で、自分の人生を大きく変える出来事が待ち受けていることを────