「久しいな、よくぞ参った勇者ヒンメル。三年ぶりになるかの」
玉座から私たちを見下ろす、冠を被った老人。それが、この国の頂点に立つ国王だった。周囲には臣下が控え、私たちを取り囲むように衛兵が並んでいる。
(相変わらず無駄なことをしてるわねぇ……)
思い出すのは、ヒンメルに騙されてここへ連れてこられ、初めて国王に謁見した時のこと。あの時は、まさか自分がこんな人間に命乞いをする羽目になるとは思わなかった。屈辱以外の何物でもない。
あれから十年以上。目の前の国王も、すっかり老け込んでしまっていた。魔力もなければ、戦う力もない。ただの人間。それでも、この男には血統と財力という、私にはない力がある。以前はもう少し覇気があった気もするが。本当に人間は老いるのが早い。
「お久しぶりです、王様。突然の来訪になってしまい、申し訳ありません」
「よい、お主が健在であるならな。堅苦しくなることはない、面を上げよ」
「はい」
大して以前と変わらないのがヒンメルだ。おっさんになってもそれは変わらないらしい。いつものように猫を被っている。本当は王が怖い癖に。それを隠しながら片膝をついて、首を垂れている。
仕方なくそれに倣うように私もまた嘘をつく。こんなことで人間を騙せるのなら安いものだろう。声真似をするまでもない。だがまだそれを理解し切れていない存在がいた。
「……?」
それは自分の隣にいるリーニエだった。三年前の謁見の時にはいなかったせいもあるだろう。人間の子供のようにきょろきょろとしながら、意味も分からず私やヒンメルの真似をして跪いている。
ここに来る前に、リーニエには余計なことを言わないよう命じている。もし王の機嫌を損ねれば処刑されてしまうことも。それは理解したのか、生き残るためにリーニエは王を騙している。ある意味魔族らしい。ヒンメルが先に話を通していたのか。この場にいる誰も魔族の子供がいることを咎める者はいない。違うのは
「だが驚いたぞ。そなたもやってくるとは。魔法使いフリーレンよ」
魔族よりも遥かに珍しい、天然のエルフがこの場にやってきたことだった。
「はい。お久しぶりです、王様」
「魔王を倒した時以来かの。もう十年以上前になるのか。やはりエルフは変わらぬな。羨ましい限りだ」
淡々としているフリーレンはリーニエ以上にこの場で注目を集めている。何故ならこの謁見はフリーレンが主賓なのだから。いつものだらしなさはどこに行ったのか。まるで伝説の勇者一行の魔法使いのように振舞っているフリーレン。魔族顔負けだ。こいつも王が怖いだろうに。勇者一行というのはどいつもこいつも。自分たちの方が化け物のくせに。未だに理解し切れない。人間社会の序列、地位。十年やそこらでは未だに慣れることはできやしない。
「確か魔法の探求の旅を続けていたとヒンメルからは聞いていたが」
「はい。魔法収集の旅を。百年ほどは中央諸国を巡るつもりでしたので」
「百年か。やはりスケールが違うの」
(物は言いようね……)
国王、いや王都ではフリーレンは魔法の探求の旅を続けていたことになっているらしい。ヒンメルの嘘でもある。小賢しいことを。ただの魔法収集、趣味のくせに。魔導書目当てにミミックに食われる姿を見せてやりたいぐらいだ。
「だが惜しかったの。三年前、ここ王都で大陸魔法協会創立の式典があっての。勇者一行の魔法使いであるそなたにも参加してもらおうと招待したのだが」
「……申し訳ありません」
そんな中、話題は少し前ここであった魔法協会の式典になっていく。フリーレンには王都から招待状が贈られたが、放浪していたこいつには届くはずもなく、そのせいで私が出る羽目になった出来事。
それによってフリーレンの耳が、ほんの僅かに動いた。
以前なら見逃していただろう。だが、今の私には分かる。どうやら、この話題は都合が悪いらしい。面白そうなので、もう少し突いてやろうかと思ったが。
「王様、少し宜しいでしょうか?」
「許す。申してみよ、ヒンメル」
「はい。隣にいるアウラのことでご報告したいことが」
それを誤魔化すように、ヒンメルは突然私の話題を王に振っていく。おのれヒンメルめ。余計なことを。何よりも戸惑うしかない。一体何を企んでいるのか。それは
「はい。実は、アウラの主従権をフリーレンに譲渡させていただきたいのです」
今はそれが当たり前になってしまった、私にとっては屈辱でしかない事実の報告だった。
まるで用意していた手紙を読み上げるように、ヒンメルは淀みなく事情を説明していく。一年前のフリーレンの襲来から始まった騒動の顛末。都合の悪い所は誤魔化しながら。きっとここに来る前から準備していたに違いない。共犯はハイターあたりだろう。
(面倒なことね……)
黙っていてもよさそうなものだが、そうもいかないらしい。
主従権の譲渡は、単に主人の名前を書き換えるだけの話ではない。私が持つ魔法の管理まで、フリーレンに移ることを意味する。王都の人間にとっては、一大事なのだろう。
(……つまり、これは私の命乞いでもあるわけね)
本当に抜け目のない奴だ。フリーレンを王都へ連れてきたのも、最初からこれが目的だったのかもしれない。
「なるほど。勇者一行の魔法使いであるお主が従えるのであれば安心であろう、フリーレン?」
「…………はい。お任せください」
恐らくは私と同じことにようやく気付いたのだろう。何とか対面を取り繕っているつもりだろうが、私以外でも分かるほど、心底嫌がっているフリーレン。いい気味だ。反吐が出るが、道連れにしてやる。
「天秤のアウラよ。そなたの活躍も聞いておるぞ。聖都では罪なき人々を救っておるとな」
「私は何もしてないわ。勝手に利用されてるだけよ」
「あ、アウラ……!」
「かまわぬ。むしろ清々しいほどだ」
いつの間にか今度は私に周りの注目が集まってしまっている。まるで見世物になった気分だ。隣にいるフリーレンの方が見ていて面白いだろうに。聞かされるのも、うんざりするような噂話。生臭坊主の吹聴はここにまで届いているらしい。だが
「だが王都でもそなたを待ちわびる声は多くての。丁度いい。再びその天秤を振るってはくれぬか。たった数年ではあるが、悪意がある者が増えて苦慮しておるのだ」
それが国王の本音だったらしい。ようするにここで私の魔法を利用したいのだ。以前、ここで見せた私の魔法に味を占めたということか。他人の魔法を何だと思っているのか。最初は私を処刑しようとしていたくせに。
だが王の言葉を聞くや否や、周りにいる臣下たちがざわつき始める。落ち着きがなくなっている。まるで怯えているかのように。王にではない。私の魔法、
「好きにすればいいわ。でもここにはハイターはいないわよ。それでもいいの?」
私にとってはどうでもいいことなのだが、一応そう確かめる。ヒンメルならそうするだろうから。今までの決まり事でもある。
私の魔法を使う際にはハイターの許可を取ること。それが条件だった。魔族である私には人間の悪意が見抜けないからこそ。私という魔法を好き勝手に利用されてしまうのを防ぐための枷。しかしそれは
「問題ないよ。代わりに今はフリーレンがいるからね」
「……え?」
ヒンメルにとっては織り込み済みだったらしい。私よりも早く、当のフリーレンの方が呆気に取られてしまっている。自分には関係のない話だと油断していたのだろう。間抜け面を晒している。まさか私を従えることに、そんな仕事が含まれているなんて知りもしなかったに違いない。
「……謀ったね、ヒンメル」
「任せたよ、フリーレン」
たったそれだけで、二人には十分だったらしい。
悪戯が成功した子供のように笑うヒンメルと、恨みがましい目を向けるフリーレン。本当にお似合いだ。
「ではフリーレン。そなたに天秤のアウラを任せることにする。その魔法を人類のために役立てるがよい」
「……仰せのままに」
こいつに人間の悪意を見抜けるとは思えない。どうせ、面倒になれば私に判断を丸投げしてくるのだろう。その前に、私自身が人間の悪意を見分けられるようにならなくては。そんなことを考えていると
「本当に魔族の魔法はとんでもないね。まるで魔法みたいだ……」
「はぁ? 何言ってるのよ、あんた?」
本当にどうかしてしまったのか。どこか恨めしそうに私を睨みながら、フリーレンはそんな理解できない言葉を発している。とうとう自分が魔法使いであることすら忘れてしまったのか。
(とにかく、こいつとは一蓮托生ってわけね……)
それはともかくとして、国からも正式にフリーレンとの主従が認められてしまった。王からすれば、人間よりも長い寿命を持つフリーレンに自分を管理させる方が安全だと判断したのだろう。同じ魔法使いでもある。悔しいが、それは認めざるを得ない。
(やっぱりヒンメルが生きている内にどうにかするしかないわね……)
前々から考えていることではあるが、何とかヒンメルが生きている内に支配から逃れなくては。どうすればいいのか。フリーレン相手では騙すことは容易ではない。完全に自由になることはあきらめるしかないのかもしれない。なら、何かしら取引を持ち掛けるのはどうか。人間を食べない、傷つけない枷をかけたままにすればどうか。最悪、伝説の魔導書何冊かで見逃してもらえないだろうか。
(呑気なものね……)
「……むぅ?」
私と同じ立場のくせに、隣でこくりこくりと居眠りしているリーニエを小突いて起こす。放っておけばそのままスカートで地べたに座り込みかねない。本当にいい迷惑だ。
「そういえば忘れるところであった。フリーレンよ。お主に何か褒美を取らせようと思っていたのだ。何か望むものはあるか?」
どうやら今度はフリーレンが褒美を与えられる番らしい。いや、むしろこいつにとっては、こちらが本命だったのだろう。
「いいえ、私にはもったいないお言葉です」
それをあっさりと断るフリーレン。もちろん、本心ではないに違いない。さっきまで魔導書を餌にされて王城へ突っ込んでいったくせに、よくもまあ、そんな顔ができるものだ。
「ふむ。無欲なことよな。流石は伝説の魔法使いと言ったところか」
本当に騙されやすい王様だ。目の前にいるのは、欲しいものを前にすれば理性を失うエルフだというのに。だが
「知っておるか、フリーレン。そこにいるアウラもかつて同じ答えを口にしたのだぞ」
「え?」
思わぬところからこっちに飛び火してきた。そういえばそんなこともあったか。思い出して思わず舌打ちする。
しかし、こいつと一緒にされるのは御免だ。今なら迷わず答えてやる。目の前のエルフを断頭台に送ってほしい、と。どうせなら、ヒンメルのようにタメ口をきいて処刑されてくれないだろうか。
「ふむ、ならばちょうどいい。フリーレンよ。大魔法使いゼーリエを知っておるか?」
まるで謀ったようなタイミングで、恐らくはフリーレンにとってはエルフを殺す魔法に匹敵する話題が王の口から放たれた。
「……はい。古い知り合いですので」
「フリーレンはゼーリエの弟子なのです、王様」
「……ヒンメル」
誤魔化すこともできず、白状するフリーレン。だが、仲間であるはずのヒンメルが援護とばかり追い打ちをかけている。まさかの裏切りにフリーレンは物言いたげな視線を向けるも何のその。ヒンメルには通じていない。こいつらはやはり勇者一行なのだ。
「なんと。そうであったか。ならばそなたが勇者一行の魔法使いになれたのも納得じゃの。伝説の魔法使いの一番弟子であれば当然か」
事情を知らない王はただそれを賞賛するが、間違いではないだろう。私たち魔族にとってはまさに悪夢のような系譜の魔法使いたちなのだから。魔王様がエルフを皆殺しにするように命じたのも納得だ。だがそんな勇者一行の魔法使いは
「私はあの人の一番弟子じゃないよ。あの人の一番弟子はフランメだけだ」
そんな下らないことに拘っている。そういえばゼーリエの奴も同じようなことを言っていたか。フリーレンは弟子ではないとか何とか。一体何が違うというのか。
「フランメ。人類の魔法使いの始祖である大魔法使いか。千年前の人間が師匠とは。まことエルフは我々の想像を超える者たちよの」
魔族からしても理解できない時間感覚であるのは間違いない。そのまま王はそのゼーリエがここ王都で大陸魔法協会の創始者として活動していることを告げていく。奇しくも、先ほど話題に上がりかけて流れてしまっていたもの。フリーレンからすればそのままでいてほしかったのだろう。何故なら
「ならば話が早い。フリーレンよ。大魔法使いゼーリエから特権をもらうがよい。それを褒美としよう」
千年、目を背けてきたの宿題が、目の前にやってきたようなものだったのだから。
「…………」
特権という言葉を耳にした瞬間、再びフリーレンの耳が動いた。どころか目も泳いでいる。フリーレンからすれば、まさに天国から地獄。大好きな魔導書がもらえるかもしれないと期待していたのに、お預けにされるどころか、ミミックを渡されてしまったようなもの。いや、それではこいつにとってはただのご褒美か。それはともかく
「申し訳ありません、王様。それは難しいかと。私は一度、それを断ってしまったので」
「断った? かの者の特権をか? 魔法使いにとっては夢が叶うに等しいものだと聞いたが」
どこか言葉を選びながらフリーレンは告げる。まるで被告が懺悔するかのように。フリーレンにとっては思い出したくない記憶なのだろう。そんな事情を知る由もない王はただ困惑している。それもそうか。人間の魔法使いにとってあの老害の特権は、願いが叶うに等しいものなのだから。だというのにそれをフリーレンは断ってしまったのだ。
「魔法は追い求めている時が一番楽しいので」
『もちろんそんなの決まってる。いらないって答えただろうね。夢は追い求めている時が一番楽しんだから』
そんな下らない理由で。それがこいつの趣味なのだ。かつてのヒンメルの言葉と同じ。ゼーリエからすれば馬鹿だと言われるような答え。本当にこいつらは馬鹿なのだろう。
「まさしく勇者一行の魔法使いに相応しい。だが儂にも面子というものがある。そうだな……なら大陸魔法協会への推薦状を用意しよう。あそこには多くの魔法使いや魔導書がある。お主の魔法探求の役にも立つであろう」
それに理解を示した振りをしながら、国王はそんな代わりを差し出してくる。それはきっと人間で言う善意だったのだろう。しかし
「それは……」
フリーレンにとっては悪意に等しかったに違いない。例えるなら、ミミックをはるかに上回る魅力と危険が潜んでいる提案。大好きな魔導書と苦手なゼーリエ。どっちを選ぶのか。天秤を傾けるのか。国王の褒美を簡単に断るわけにもいかない。それを
「ちょうどいいじゃない。あんた、人間の魔法使いの連中と研究したいって言ってたでしょ?」
「……アウラ、お前」
私が支配してやる。魔法ではなく言葉で。
「それはいい。何より儂もゼーリエには手を焼かされていてな。魔法協会ができてからしばらく経つが、未だに一級魔法使いの合格者が出ておらぬ。フリーレン、お主の言葉であればあの者にも届くであろう」
渡り船だとばかりに王からも釘を刺されるフリーレン。もしかしたら、国王の奴も最初からそのつもりだったのかもしれない。やはり年老いても王は王なのか。言葉で人間を操ることにかけては、私はまだまだなのだろう。もはや逃げ道を防がれてしまったフリーレンは従わざるを得ない。
「決まりだね、フリーレン」
「…………善処します」
「……あれ? ここどこ? どうして嘘ついてるの、フリーレン?」
それがこの謁見の結末。そして私たちの王都の滞在と、大陸魔法協会への出向が決定された瞬間だった────