「……起きて」
どこからか自分を呼ぶ声が聞こえる。意識がまどろんでいる。そういえば何か嫌なことがあった気がする。一体何だったか。次第に覚醒していく感覚。どうやら僕はまだ寝ていたらしい。何度か起きそうにはなったが繰り返し寝入ってしまった。段々と思い出してくる。昨日何があったのか。
「起きて」
そんな聞き慣れない、幼い声とともに体が揺らされる。どうやら僕を起こそうとしてくれているらしい。アウラではない。アウラならこんなに優しくは起こしてくれない。そもそも最近は揺するどころか触ってもくれなくなった。間違いなくリーニエだ。起こしに来てくれたのだろう。昨日のお父さん発言で勝手にショックを受けている場合ではない。そうだ。そもそも自分がアイゼンを差し置いてお父さんと呼ばれようなんて傲慢だったのだ。僕には僕なりの役割が、この子との接し方があるに違いない。ならそれを探さなければ。そう決意新たに、爽やかに目覚めんとした瞬間
「起きろ、ばか」
「僕は馬鹿じゃないーー!?」
そんな、あんまりな呼称によって、ヒンメルは人生の中で最悪の目覚めを迎えたのだった――――
「やっと起きたのね、ヒンメル。もう朝食は終わったわよ」
「そんなことはどうでもいい! 何てことをリーニエに言わせてるんだ、おかげで最悪の目覚めだったんだぞ!」
起きてくるなりぎゃあぎゃあと騒いでいるヒンメルに呆れるしかない。寝癖もそのまま、よっぽど慌てていたに違いない。その原因となったリーニエはどこ吹く風。状況が理解できないのかただぼーっとしている。本当に子供が二人いるような有様。もしあの生臭坊主がいれば三人になるのか。想像したくもない。
「いつまでも不貞寝してるあんたが悪いんじゃない。それにあんたが馬鹿なのは事実でしょ」
「っ!? そ、そうじゃない! 僕は馬鹿かもしれないけどそうじゃないんだ! 子供は何でも真似するって言っただろ? 君が僕のことをそう呼ぶとリーニエが」
「ばか」
「ほら!? こうなるから止めてくれ!」
「知らないわよ」
いつになく必死にそんな意味が分からないことを訴えてくるヒンメル。知ったことではない。そもそも私はいつまでも不貞寝している(アイゼンがそう言っていた)ヒンメルを起こしてくるようにリーニエに命令しただけ。馬鹿云々はただの結果に過ぎない。もっともヒンメルを目覚めさせるという意味ではこれ以上にない効果を発揮したようだが。
「お母さん、起こしてきた」
「そう、よくやったわ。でも私はお母さんじゃないわ」
命令を遂行してきたことを報告してくるリーニエ。それはいいのだがそこは変わらない。どうしたものか。ヒンメルの奴はこの家族ごっこを私にさせたいようだが意味が分からない。アイゼンに母親や家族の概念を尋ねたがやはり理解できるものではなかった。いつまでもこんなことをしていても時間の無駄だ。何か違う形に、魔族である私たちに理解できる形に落とし込まなくては。
「……? じゃあお父さんはどこに行ったの?」
「さあ? 朝食を済ませた後、どこかに行ったわ。気になるならそこの馬鹿に聞いてみなさい」
そんな私の思考などお構いなしに、リーニエはお父さん、アイゼンを探している。どうやらリーニエの中ではそれが当たり前になったらしい。ヒンメルにとっては色々な意味で予想外の結果だったようだが。
「ばか、お父さんはどこ?」
「だから僕はばかじゃない! ヒンメルだ! ヒ・ン・メ・ル!」
「起きて早々五月蠅いわね……」
「ねー」
「何だ、この悪夢」
当の勇者様は覚めない悪夢によって絶望している。お母さんにお父さん、そしてばか。リーニエの中ではそんな図式が成り立っているのだろう。ある意味間違ってはいない。
「いい加減あきらめなさい。これ以上何をやってもこの子の中の序列は変わらないわ。あんた、そんなにこの子のお父さんになりたかったわけ?」
「そ、そんなことはないさ! ただ、ちょっと憧れがあっただけで……もう少し懐いてほしかっただけなんだ!」
情けなさの極みのような内心を吐露するヒンメル。それも当人の前で。一体どこまで形振り構っていないのか。リーニエには理解し切れていないのが唯一の救いだろう。
「あっそう。残念だったわね。あんたも言ってたじゃない。アイゼンはお父さんだったって。どうやっても勝てるわけないじゃない」
「それはそうなんだけど……アウラ、アイゼンのことを名前で呼ぶようになったんだね」
「ええ。何かおかしい?」
「いいや」
またしても意味が分からないことを聞いてくるヒンメルに首を傾げるしかない。私があのドワーフを名前で呼ぶようになったことがそんなに気になるのか。いつまでもドワーフでは面倒だったのでそうしているだけ。それ以上の意味なんてないのに、相変わらずどうでもいいことに拘る奴。そんな中、
「……やめなさい、鬱陶しいわ」
今度はリーニエが私に纏わりついてくる。その行動もますます悪化している。アイゼンの影響か。縋りついてくるだけだったのが抱き抱えるのを催促してきたり、背中に登ってこようとする。挙句の果てには私が身に着けているアクセサリやローブを持っていこうとする有様。一体何の嫌がらせなのか。
「そのアクセサリが気になってるんだ。子供は何でも欲しがるからね。ちょっとぐらい貸してあげてもいいじゃないか」
「嫌よ。これは私の物よ。何でそんなことしなきゃいけないのよ」
「そうか。薄情なお母さんだね、リーニエ」
「ねー」
「あんたね……」
さっきの意趣返しとばかりにこちらを煽ってくるヒンメル。それにリーニエを巻き込むという勇者にあるまじき小癪さ。それに辟易しながらも新たな一日が始まるのだった――――
「お、そろそろ、見えてきたね」
ヒンメルの後に続きながら、その指さす方向に目をやる。今、私たちはヒンメルの案内でアイゼンがいるという場所に向かっている。何でもヒンメルは何度かここに泊ったことがあるらしく、アイゼンの行動範囲も把握しているらしい。自分としては別に興味はなかったのだが、アイゼンを探してちょちょろ動き回るリーニエが鬱陶しかったこと、何より行きたがっているヒンメルのアピールが癪に障ったので行かざるを得なくなった。二人だけで行かせてもよかったのだが、今朝の様子を見るからにどうなるかは火を見るよりも明らか。なら一緒に行った方が無駄がないとあきらめるしかなかった。そんな中
まるで地震が起こっているかのような揺れが足元に伝わってきた。
それだけではない。地鳴りのような大きな音と共に、木に留まっていた鳥たちが飛び立っていく。ヒンメルが向かっていく先、恐らくはアイゼンがいる場所に近づいていく毎に、それは激しくなっていく。
(何よ、あれ……?)
ようやく開けた場所に辿り着いた瞬間、ただ呆気にとられた。そこには巨大な崖があった。どこまでも続くような、断崖絶壁。ただ異常だった。何故ならそれは森のど真ん中に突然現れたのだから。まるでそこだけ切り取られたかのような不自然な形。その先で閃光と共に、粉塵が天高く巻き上がる。火山の噴火が起きたのでは、と思えるような地響きと共に。だがそれは天災ではなく、人災だった。
「む、お前たちか」
その張本人がゆっくりこちらにやってくる。その肩に大きな斧を担いだまま。普段と変わらない、汗一つかいていない自然体。あり得ない。私の目がいかれていないなら、さっきまでこいつは斧を振るっていた。ただそれだけ。なのに何でこんなことになっているのか。
「おはようアイゼン。相変わらず日課を続けてるみたいだね」
「戦士なら当然だ」
その場に立ち尽くしている私に気づくことなく、ヒンメルはどこか楽しそうにアイゼンに話しかけている。それに当たり前のように応じているアイゼン。狂っている。もしやおかしいのは私の方なのでは。そう思ってしまうような光景。そもそも戦士とは何なのか。
「日課って何のことよ……?」
「見れば分かるだろ? アイゼンは毎日ここで修行をしてるのさ。ほら、その跡もあるだろう?」
そして明かされる、知りたくなかった真実。どうやらこれはあのアイゼンの修行の跡だったらしい。なるほど、なら仕方ない。戦士なら修行のために斧を振るったなら崖の、谷の一つや二つはできるのだろう。それ以上は考えても意味がない。人間が魔族を理解できないようなものだろう。
「そう……理解できないことは分かったわ。でもこの地面の穴は一体何なわけ? さっきの斧とは違うでしょ?」
崖から目を逸らしながら、その地面にある無数の穴に目が行ってしまう。これは一体何なのか。斧を振り下ろした物とは違う。何かが空から落ちてきた、そんな落下跡。それは
「それは俺が崖から飛び降りた跡だ。体の調子を確かめるための準備運動のな」
「懐かしいな。よくやる度にハイターがドン引きしてたっけ。いい思い出だ」
「――――」
どうやらアイゼンの準備運動の跡だったらしい。なるほど、なら仕方ない。戦士なら崖から飛び降りても平気なのだろう。ヒンメルも自由落下ならどんな高さでも平気だと言っていた。なら問題ない。今だけはあの生臭坊主の気持ちが分かる。あいつはまだ人類なのだろう。あのエルフはどう思っていたのか。聞いている通りの奴なら戦士はみんなそんなものだと思っているのかもしれない。
「……? リーニエ、どうかしたの?」
「…………」
だが、今度はリーニエに異変が起きる。いやもう起きていたのか。リーニエはその目を見開いたまま、動きを止めてしまっている。さっきまで人間の子供の真似をしていた個体と同じとは思えないような変わりよう。それが何を意味するか、私には分かる。
(これは……あの時と同じ。やっぱりそういうことなのね)
それはリーニエの魔族としての貌。人間を欺くための擬態ではなく、魔法を究めるための魔法使いとしてのもの。先日、アイゼンの斧に触れようとした時と同じ。
「どうかしたのかい? トイレかな?」
「怪我の具合がよくないのか?」
ヒンメルとアイゼンがそれぞれ違う理由でリーニエを気にかけている。どちらがどちらかなど考えるまでもない。覆しようのない差。馬鹿呼ばわりされるのも仕方ないだろう。
「……さっきのがもっと見たい」
そんなことなど全く気にせず、リーニエはそう懇願する。偽りではない、リーニエの本音。自らの欲求に基づいた物。
「リーニエからそんなことを言うなんて初めてだね……よし! アイゼン、久しぶりに模擬戦をしないか?」
「何故だ?」
「リーニエが見たがってるからね。それに僕も最近体が鈍ってて、勘を取り戻したいと思ってたんだ」
「なるほど。なら付き合おう。俺も少し本気で動いておきたかった」
「決まりだね」
そんなリーニエの姿に何かを感じ取ったのか、ヒンメルはそうやる気を見せている。どうやらリーニエから何かをやりたいという言葉を聞いたのが珍しかったかららしい。そういえば私の時も似たようなことがあった気がする。本当にそういうことには察しが良い奴。それに巻き込まれる形でアイゼンも了承している。きっと旅でも日常茶飯事だったに違いない。だが私はすぐに思い知ることになる。
それは一瞬だった。危ないから離れるようにと言われてその通りにした瞬間、ヒンメルの姿が消えた。いや、目に見えなくなった。風のような高速移動。同時に腕の古傷が痛むのを感じる。それも束の間。その勇者の剣がアイゼンに向かって振り下ろされる。そう、そのまま。あり得ない。これは模擬戦。なら寸止めするのか。だがそんなことができる速さでも威力でもない。私の首なら一瞬で両断して余りある一撃を
事も無げに、アイゼンは無傷で受け止めた。
「――――は?」
見間違いだろうか、ヒンメルの剣が受け止められている。斧ではない。その肉体で。何でそれで金属音が聞こえるのか。火花が散っているのか。意味が分からない。ほんの一瞬。すぐさま、アイゼンはその斧を振り落とす。反撃の一撃。ヒンメルはそれを紙一重の所で躱す。同時に地面が崩れ去る。その間を縫いながら再び剣を振るうヒンメル。それを自らの肉体で弾き、反撃に転じるアイゼン。同じように身を翻し、剣で捌きながら斬りこんでいくヒンメル。
ただその光景に呆気にとられるしかない。一体自分は何を見せられているのか。悪い夢なら覚めてほしい。だがここは現実だった。吹き荒ぶ風も、舞い上がる土煙も。目の前の光景が現実だと突きつけてくる。同時に自分の愚かさ、浅慮さ。こんな連中に死の軍勢だけで勝てると本気で思い込んでしまっていた滑稽さ。
ヒンメルだけではない。アイゼンにも私の
(そもそも……服従させてもあいつの首なんて、落とせるわけないじゃない……)
服従させても、あの筋肉馬鹿の首を落とす手段が自分にはない。勇者の振るう剣でも切れないのだ。そもそもあれは生物なのか。
「ふぅ……こんなところかな。腕は衰えてないみたいだね、アイゼン」
「お前もな、ヒンメル。この一年で腑抜けていないか心配だったが、腕は問題ないようだ」
私の常識を粉々にして余りあるあの光景も、こいつらにとってはただの日常でしかなかったらしい。悪夢でしかない。
「どうかしたのか、アウラ? 顔色が良くないみたいだけど」
「……ええ。化け物は化け物だって再確認しただけよ」
こいつらに一人で戦おうとしていた自分が浅はかだった。そもそも大魔族複数でかかっても勝てるか怪しい。同じ化け物である南の勇者には七崩賢は半壊させられ、シュラハトまでやられたのだ。やはり私の認識はまだ甘かったのだ。そもそも正面から、四人を同時に相手にするなど論外。あのエルフではないが、
そんな中、リーニエがふらふらと何かに惹かれるようにアイゼンへと向かっていく。いや、正確にはアイゼンではなくその手にしている斧へと。
「? どうした? これは危ないぞ」
「アイゼンの物が欲しくなったのかな?」
二人はそれを勘違いしたまま。無理もないだろう。こいつらは魔力を感知できない。何より魔族ではないのだから。
「違うわ。あんたたちには分からないのね。その子は魔法を使いたがっているのよ」
リーニエのそれが、自らの魔法を求めている魔族の本能であることを。
そのまま地面に落ちている手ごろな木片を拾い、リーニエに差し出す。これなら、この子にも扱えるはず。瞬間、リーニエの纏っている魔力の流れが変わる。その瞳はここではない、何かを映し出している。恐らくは、その瞳で読み取った魔力の流れを。
瞬間、リーニエはその動きを再現する。寸分違わず。見間違えるはずもない。それは目の前にいる、人類最強の戦士の動きそのものだった。
「これは……アイゼンの動き……?」
「恐らくアイゼンの動きを見て真似している……いいえ、模倣しているのね。魔力の流れを読み取るのが得意なんでしょ」
恐らくそれがこの子の魔法。恐らく魔力を探知することに長けているのだろう。その最たるものがこうして見た相手の動きを模倣することなのだろう。魔法使いでありながら、戦士に向いているであろう魔法。人間共に倣うのなら前衛向きとでもいうのだろうか。成長すればもしかすれば、自分にとっては利用価値があるかもしれない。
ようやく自らの魔法を扱えたからか、リーニエは何度も同じ動きを繰り返している。私も自分の魔法を自覚したときはああだっただろうか。もう覚えてはいない。そしてそれを見守っているアイゼン。だが途中でそれを止めてしまう。どうやらリーニエの肩の傷を気にしたらしい。なるほど。父親とは、家族とはああいうものなのか。本当に面倒でしかない。そして
「そうか……なら、僕の動きはどうだい? さっき見てただろう?」
「見てない。見てたのはお父さんだけ」
家族どころか、名前すら読んでもらえていない勇者はそんな情けないことを聞き、玉砕している。一体何を考えているのか。もっとも仕方ない面もある。恐らくリーニエはどこかでアイゼンの動きを見ていた可能性が高い。だからこそ出会ってすぐその斧に興味を示し、お父さんと懐いてもいるのだろう。言ったところで意味がないので教える気もないが。しかし
「……そうか。リーニエにとってはアイゼンは本当にお父さんなんだね」
そんなリーニエの答えを、ヒンメルはどこか微笑みながら聞き入っていた。
「……? 意外ね。てっきり昨日みたいに落ち込むのかと思ったけど」
「そんなことはないさ。リーニエの魔法が分かって安心したのさ。君みたいな魔法じゃなくて良かった」
「そう。ならさっさと解除してもいいのよ。代わりにあの子を利用すればいいじゃない」
「それはできないかな。僕が死ぬまで君の面倒を見る約束だからね」
「……馬鹿じゃないの」
こっちの悪態も何のその。いつかの謁見の時に言っていたことを持ち出してくるヒンメル。冗談ではない。いや、冗談であってくれなくては困るもの。そんなこっちの反応見て楽しんでいる勇者様。本当に馬鹿な奴。だがともかくこのお父さんを巡る無駄な争いはこれで終わった。それだけでもマシだろう。
それがその一日の終わり。リーニエの持つ魔法が判明し、同時にその立ち位置がはっきりした瞬間。
そしてその一週間後。何故か