第三十九話 「後日譚」
勇者ヒンメルの死から二十六年後。中央諸国グレーゼ森林。
どこか心地いい揺れを感じながら、山道を進んでいく。行商人の方とそれを引いている馬。今、私たちは偶然通りかかった行商人の方の厚意に甘えて、馬車の荷台にお邪魔させてもらっている。ちょうど私たちが向かっている村に向かっている途中だったらしい。本当に助かった。基本的に私たちの旅は徒歩。こうして連れ合いで運んでもらうのは助かる。飛行魔法も使う時はあるがあれは魔力の消費が激しく短時間しか使えない。もしその後に魔物にでも襲われれば命取りになりかねないからだ。もっとも、そんな心配があるのは私だけかもしれないが。
「…………」
そのまま何とはなしに、向かいに座っているフリーレン様に目を向ける。私と同じように荷台に座ったまま、本を読んでいる。きっと魔導書の類だろう。前の村で報酬としてもらった物だろうか。集中しているのか、私に見られていることに全く気付いていない。本当にマイペースな方だ。付き合い始めて長いが、本当に変わらない。私の魔法の師匠であり、私にとっては家族でもある存在。この世界では珍しいエルフでもある。しかしそれだけではない。
今から約八十年前。魔王を討伐し、世界を救った勇者パーティの一人である、伝説の魔法使い。それに違わない強大な魔力と卓越した魔法技術を持っている……のだが、それを覆い隠してしまうほどにだらしない方でもある。
朝起きることができず、毎朝起こさなくてはいけない。朝ごはんの準備をして、髪をとかして着替えさせる。これでは私は完全にお母さんだ。アウラ様とは真逆のよう。いつか似ていると言ったが、こういうところは正反対なのかもしれない。
それだけではない。依頼や人助けをしては報酬として魔導書を集めている。それは構わない。だがその魔導書はおよそ役に立たない変な魔導書ばかり。趣味なのだろうが、未だに何が楽しいのか分からない。私とは違って本当にこの方は純粋に魔法が好きなのだろう。
しかし旅を始めて一番困ったのはだらしないことでも、魔導書集めでもない。フリーレン様の、エルフ特有の時間感覚のズレだった。人助けや、途中で寄った村に滞在することなくすぐ出発しようとする。交流や手伝いをすることなくせわしなく先を急ごうとする。ハイター様と一緒に暮らしていた頃とは全く違う様子に戸惑うしかなかった。何でも
『だってフェルンの時間は短いでしょ。なら急がないと』
だからだったらしい。フリーレン様らしくない考え方。そのことはありがたいのだが、あまりにも性急すぎる。息つく暇もない強行軍になりかねない。そう進言すると、じゃあ、と一年以上滞在しようとする始末。どうやらフリーレン様も自分らしくないことは自覚していたらしい。勝手が分からないのだろう。ハイター様たちと一緒に旅をされている時以外はずっと一人で旅をされてきたのだから、仕方ないところもあるがやはりおかしいものはおかしい。
『じゃあ滞在の時間はフェルンに任せるから』
怒らないでよ、と言いながらフリーレン様の丸投げによって旅の道中の時間管理は私が担うことになった。そのおかげもあったのか、フリーレン様も普段の様子に戻りつつある。やはり慣れないことをして無理をしていたのだろう。おかげで振り回されることも増えたが構わない。これがこの方なりに私を気遣ってくれていたのは伝わってきたからだ。
(本当に不器用な方ですね……)
知らずその手が髪飾りに伸びる。この旅の途中でフリーレン様から贈ってもらった、綺麗な蝶の髪飾り。私のことが分からない。フリーレン様はよくそう仰る。本当にどうしようもなく鈍いお方だ。もしかしたら私にはあまり興味がないのかもしれない。私を弟子にしてくれたのもハイター様との約束に過ぎない。でもとても不思議な方。きっと苦手なのに、それでも一生懸命私のことを知ろうとしてくれている。本人はそれでは全く足らないと思っているみたいだけど。それだけで十分なのだ。恥ずかしくて言ったことはないけれど、この方は私にとってはもう一人のお母さんみたいなものなのだから。
そんな中、ふと目を奪われる。それはフリーレン様の指。左薬指に嵌められている、鏡蓮華という花の意匠の指輪だった。一緒に暮らし始めて長くなるが、未だに私の知らないフリーレン様の部分。
(やっぱりフリーレン様はヒンメル様と恋仲だったのでしょうか……)
世情に疎い自分でも、指輪を左薬指にする意味は知っている。鏡蓮華の花言葉も調べた。久遠の愛情。あれは恋人へ贈るための物なのだろう。でもそれをフリーレン様が身に着け始めたのは最近、旅に出てからだった。装飾品などで着飾ることもしない方だったので驚いた。尋ねた私にヒンメルからもらったんだよ、と静かに、それでも嬉しそうに話していたのが印象的だった。きっとフリーレン様にとってそれは何物にも代えがたい大切な贈り物なのだろう。
それは私も同じだ。フリーレン様にもらった髪飾り。ハイター様に頂いた杖。アウラ様に渡された魔導書。戦争で故郷も何もかも失ってしまった私にとっては掛け替えのない大事な物。これからもきっと増えていくのだろう。その中の一つ、花畑を出す魔法の魔導書を鞄の中から取り出す。思い出すのはこれを贈って下さった方。
『天秤』のアウラ。
それがあの方の名前であり二つ名。北側諸国にあるフリージアという国を治めている魔族。その国で使われている教典を改定するためにハイター様のところにやってきたのが出会いのきっかけだった。本当を言うと初めは少し怖いと思っていた。どこか淡々としていて、冷たい雰囲気を感じたからだ。ほとんど私に話しかけてくることもなかった。でもそれが変わったのがこの魔導書。どうしても一人前になりたかった私は勇気を出してアウラ様に魔法を指南してほしいと懇願した。しかし、アウラ様にはすぐに断られてしまった。そのままその場を去っていこうとするアウラ様だったが、きっとその時の私が憐れに見えたのだろう。花畑を出す魔法で蒼月草の花畑を私に見せて下さった。その光景はまだ目に焼き付いている。
『その魔法の本なら持ってるわ。貸してやるから自分で勝手に覚えなさい』
そう言い残してアウラ様は家に戻ってしまった。その後、その言葉通り私は独学で魔法を習得した。アウラ様が遠目にそれを見守って下さっていたのも知っている。もしかしたら私ではなく、私と遊んでくださるリーニエ様の方を気にしていたのかもしれない。それがきっかけでアウラ様は私とも普通に接して下さるようになった。後でそれが私が魔族について誤った認識を持つことを危惧してのことだったと知ることになったのだが。
(魔族……『断頭台』というのが、魔族のアウラ様の二つ名なのでしょうか)
魔族。人間を欺き、食らう存在。人類の大敵。それがどんな存在であるか、知識として私も知っている。だがどうしてもそれがアウラ様やリーニエ様と一致しない。知識の通り、騙されてしまっているのかとも思ったが、とてもそうとは思えない。何よりもあのハイター様が認めているのだ。ハイター様曰く、あの二人は例外であり、普通の魔族ではないと何度も念を押されたほど。他ならぬアウラ様自身に言われたことでもある。その真偽を確かめるため、私も修行の合間に魔族について、アウラ様について調べていた。買い出しや用事で聖都に出かけるハイター様に同行する時に。ずっと森に籠りきりでは私のためには良くない、というハイター様のお考えもあったのだろう。私は聖都の図書館や、街の人々との交流からそれを学んできた。
まず、アウラ様は間違いなく魔族だった。それもただの魔族ではない。その中でも別格の強さを持つ、七崩賢と呼ばれる七人の大魔族の一人。断頭台のアウラ。それが当時のアウラ様の二つ名。その由来も魔族らしい凄惨な物だった。
そして勇者様一行によって敗走した後、しばらくして勇者ヒンメル様に敗北し従わされることに。その後、勇者様の従者として活躍。ハイター様の勧めもあって聖都にてその側近として尽力する。ヒンメル様の死後、ハイター様が隠居されるのと同じくして北側諸国に魔族国家フリージアを建国。今に至る。
それが聖都で得られた大まかなアウラ様の経歴だった。魔族の国家を建国したせいなのか、アウラ様に関する書籍や記述は明らかに少なかった。きっと表向きは魔族であるアウラ様を認めるわけにはいかないのだろう。後ろ盾でもあったハイター様が隠居されてしまったのもあるかもしれない。
(魔族であることが、フリーレン様がアウラ様を嫌悪している理由……でも)
フリーレン様はアウラ様を嫌悪している。本人はあまり口にしないが間違いない。あからさまに態度がおかしい。だがそれは当然だろう。勇者一行であり、魔王軍と、魔族と戦っていたのだから。それを考えるとハイター様たちの方が変なのかもしれない。フリーレン様は故郷を、家族を魔族に滅ぼされている。恨むのは当然だろう。でも、それだけではないかもしれない。そう疑ってしまう理由が私にはあった。
それはアウラ様がずっと、勇者ヒンメル様と一緒に暮らしていたということ。
きっかけはリーニエ様だった。勇者ヒンメル様の一番弟子であり、アウラ様の付き人、従者でもある魔族。リーニエ様は楽しそうにそれまでの自分の生活を教えて下さった。三人で一緒に暮らしていたのだと。その話を聞かせてもらうのは私の楽しみでもあった。私よりも遥かに長く生きているにも関わらず、それを感じさせないどこか純粋さを感じる年上のリーニエ様。きっと私を妹のように思ってくださったのだろう。それに応えることができなかったのが悔やまれるがそれはともかく。
(アウラ様とヒンメル様……お二人はどういう関係なのか)
目下それが気になって仕方なかった。リーニエ様の話を聞く限り、どう考えてもお二人は夫婦だった。リーニエ様を含めるなら家族だろうか。しかしリーニエ様はそれを否定していた。家族ではない、と。魔族である自分たちにはそれは分からない。二人は友達。自分とアウラ様は主従で、ヒンメル様とは師弟関係だと。人間の私からすれば理解に苦しむ関係。それを直接アウラ様に尋ねるのは憚られるので一度、ハイター様に尋ねたことがある。しかし
『そうですね……フェルンには少し早いかもしれません。もっと大人になってから教えてあげましょう』
そうはぐらかされてしまった。きっと子供の私には言えない類の話だったのだろう。そう感じ、それ以上私は聞くことはなかった。そう、ヒンメル様がフリーレン様に指輪を贈っていたのだと知るまでは。
(もしかして……ヒンメル様は、ふしだらな方だったんでしょうか)
想い人であるフリーレン様がいながら、違う女性であるアウラ様と一緒に暮らしている。世間一般的にそれは浮気に、二股になるのではないのか。世情に疎い自分にもそれぐらいは分かる。思い出すのは小さい頃、ハイター様に内緒で読んでいたちょっとえっちな童話の本。その中でも主人公の男性が二人の女性に心を奪われていた。ふしだらだ。
(いえ、やはりあまりにもヒンメル様に失礼です。勇者様なのですから。きっと私には分からない深い理由が)
でも、リーニエ様は二人は友達だと仰っていた。それが嘘だとも思えない。もしかしたら私は知らないだけで、友達というのは男女でも一緒に生活するものなのかもしれない。ヒンメル様は勇者。私が至らないような何か特別な事情があるのかも。そんなことを考えていると
「どうしたのフェルン。ぼーっとしてるけど、疲れた?」
「っ! いえ、ちょっと考え事をしていただけで」
「そう。もう少しで目的地に着くから準備してね」
「はい」
いつの間にか本を読み終えていたのか。フリーレン様の呼びかけに思わず体が反応してしまう。本当にマイペースな方だ。この方と一緒に十年間旅をしていたというだけで、ハイター様たちは尊敬に値するだろう。
「フリーレン様。これから向かう村に、賢老クヴァールが封印されているんですよね」
「そうだよ。何度も言ったでしょ。忘れちゃったの?」
「いえ、ですが本当に私が一緒でいいのですか? 勇者様たちとご一緒の時も封印するのがやっとだったんでしょう?」
「心配いらないよ。ちゃんとやり方は教えたでしょ。その通りやれば負けたりしない」
そう改めて尋ねるもいつものように、淡々とフリーレン様は受け答えをされている。それはこれから向かう村でのこと。そこには一人の魔族が封印されている。賢老クヴァール。八十年前この地で悪逆の限りを尽くし、勇者様たちによって封印された大魔族。その封印がもうすぐ解けるということで私たちはそこへと向かっていた。だというのにフリーレン様には全く緊張感が見られない。何故なのか。勇者様たちが一緒でも倒せなかった相手なのに。相変わらずよく分からない方だ。
「そうですか……ならどうしてそんなに嫌そうにされているんですか? ここ最近ずっとですよね?」
もう一つ、分からないのはそのこと。ここ最近、というかその村に向かい始めてから明らかにフリーレン様は様子がおかしかった。いつもの奇行ではない。端的に言って静かだった。調子が悪いのかと思うほどに。クヴァールのことが関係しているのかと思っていたが、どうやらそうでもない。なら一体何なのか。そんな私の疑問に
「……何でもないよ」
フリーレン様はこれ以上にない不自然な、不細工な顔で返事をしてきた。
(これ、私に何か隠してる時の顔だ……!)
どれだけ嘘をつくのは下手なのか。フリーレン様との付き合いは長い。こういう時は碌なことがない。余計な物を買ってきたりする。例外はこの髪飾りぐらい。そして例外は滅多にないからこそ例外。
この先の村で間違いなく碌なことが待っていないことを悟りながらも、馬車に揺られながら売られていく子牛のように向かうしかなかった――――
「ここですか……」
ようやく村に到着する。行商の方は先に村に入って行ってしまった。本当は一緒に行きたかったのだが、フリーレン様の足取りが重かったのが原因。まるで習い事に行きたくない子供のよう。どうしたものかと途方に暮れていると
「お久しぶりです、フリーレン様。お待ちしておりました」
そんな初めて聞く女性の声が私たちにかけられた。
「……誰? 私と会ったことがあるの?」
「はい。勇者様一行がクヴァールを封印された時に。その時は私も引っ込み思案で直接お話はできませんでしたが」
村人なのだろう。小柄なご年配の女性は柔らかい笑みを浮かべながらそうフリーレン様に声をかけている。それにどこか困惑しているフリーレン様。だがそれは私も同じだ。こうして村を訪れた際、フリーレン様が勇者一行だと気づかれるのは珍しい。しかも会ったことがあるなんて。流石に、というより当然ながらフリーレン様も覚えていないようだ。無理もない。それが本当なら会ったのは八十年前。きっとこの女性も子供だったに違いないのだから。そんなフリーレン様の困惑を見て取ったのか
「でもこっちは憶えてらっしゃるかもしれません。貴方のスカートを捲った男の子のことです」
「スカート……?」
女性はそんなよく分からないことを言ってくる。思わず関係ない私が反応してしまうほど。一体何の話なのか。
「……あのクソガキのことだね」
「そうです。あの時は夫のシュトロがご迷惑をおかけしました。私はリリーと言います」
「リリー……そういうことか」
それだけで何かを悟ったのか。どこか苦虫を嚙み潰したような表情を見せているフリーレン様。本当に珍しい日だ。こんなフリーレン様が見れるなんて。そんなフリーレン様をどこか見守るように女性は見つめている。私には分からない何かが、二人の間にはあるのだろう。
「初めまして。可愛い魔法使いさん。貴方がフェルンちゃんね」
「っ! はい。ですがどうして私の名前を……?」
今度はそんな私に女性、リリー様は声をかけて下さる。そして今度は私も困惑してしまう。それは名前。どうして私の名前をこの方が知っているのか。フリーレン様は分かるが私とは初対面のはず。それに
「リーニエから聞いているわ。とっても頑張り屋さんだって」
「リーニエ様が? どうしてあの方がここに……?」
全く予想だにしていなかった名前が出てくる。どうしてそこでリーニエ様が。そんな私の反応がおかしかったのか、リリー様は本当に嬉しそうにされている。
「リーニエはこの村で育ったのよ。今は姉さん……アウラ様と一緒にフリージアという国で暮らしているんだけど、時々遊びに来てくれるのよ。大変だったでしょう。フェルンちゃん? あの子、見た目よりも幼いから。迷惑ばっかりかけたんじゃないかしら」
「いえ、そんなことは。とてもよくしていただきました。その……お姉さんができたみたいで楽しかったです」
「そう良かったわ。今度会うことがあったらそう言ってあげて。きっと目を輝かせて喜ぶわ」
ようやくその理由が明かされ、納得する。そう、ここがリーニエ様が言っていたアウラ様とヒンメル様が暮らしていた村だったのだ。だからこそ、リリー様はこんなにも事情を知っているのだろう。その口ぶりからするとリーニエ様とも懇意にされていたに違いない。もしかしたらアウラ様たちとも。まるで祖母のように話しかけて下さるリリー様に知らず気恥ずかしさを感じてしまう。きっとリーニエ様にも同じだったのだろう。今度会った時にはお詫びしなくては。
そこでふと隣と目が合う。そこにはさっきと同じ顔をしているフリーレン様。違うのは明らかに後ろめたさが滲み出ていること。この旅で何度も見てきた、致命的に嘘をつくのに向いていない師の醜態。
「フリーレン様……どうして教えて下さらなかったんですか?」
「……だって聞かれなかったから」
拗ねた子供のように、言い訳にもならない言い訳をしてくるフリーレン様。やっぱりこの方は私が面倒を見るしかないのだろう。後でちゃんと叱っておかなくては。
「ふふ……仲が良いのね。ようこそ、二人の魔法使いさん。歓迎するわ」
そんな二人を微笑ましく見守りながら、リリーは村へと歓迎する。過去と現在が交差する村へと。それが日記で記されていた